01_p40warhawk
(画像はwikipediaより転載)

 

カーチスP-40ウォーホーク

 

 

性能(P-40)

全幅 11.37m
全長 10.15m
全高 3.77m
自重 2,812kg
最大速度 563km/h(高度5,000m)
上昇力 5,000mまで7分42秒
上昇限度 9,450m
エンジン出力 1,150馬力(V-1710-39)
航続距離 1,207km(増槽装備時)
乗員 1名
武装 12.7mm機関砲6門(弾数各280発)
爆装 227kg(500ポンド)爆弾1発
初飛行 1938年10月4日
総生産数 13,738機(全型)
設計・開発 ドノバン・R・ベルリン / カーチス社

 

概要

 P-40ウォーホークとは、航空機の名門、カーチス社が製造した戦闘機で1939年に米軍に制式採用されて以降、世界各国で使用されていた。第二次世界大戦中は連合国軍のほぼ全ての国で運用されていた傑作戦闘機である。名称の「ウォーホーク」とは、米陸軍が採用した名称で英軍、ソ連軍ではP-40のバリエーションの内、P-40からP-40C型までトマホーク、P-40D型以降をキティホークという名称で呼んでいた。トマホークとはアメリカ先住民が使用していた斧の意味でキティホークとは米国ノースカロライナ州の街の名前である。のちに米国の航空母艦の名称として採用されたことでも有名である。のにち米国にも逆輸入され「トマホーク」「キティホーク」等と呼ばれるようになった。

 1930年代に米軍に採用されたP-36は、日本ではあまり知名度は高くないが、世界中で地味に活躍した戦闘機であった。このP-36に液冷エンジンを搭載したのがP-40である。初飛行は1938年10月4日で液冷エンジンに変更した結果、最高速度が40km/h以上アップ、さらなる試験の結果、最高速度が589km/hにも達することが証明された。このため気を良くした米陸軍は直ちに量産命令を出し、P-40として制式採用した。

 

全戦線を支えた「タカ派」戦闘機

 P-40は、第二次世界大戦終了まで様々な部隊で運用され、特に第二次世界大戦中盤まではP-39エアラコブラと共に戦力の中核として活躍した。しかし戦争後半になるとP-51マスタングP-47サンダーボルトに取って代わられるようになる。P-40は、米軍以外でも英軍、ソ連軍を始めとする同盟国で運用されており、日中戦争では早い段階から米軍義勇兵部隊フライングタイガースによって運用されていた。

 このフライングタイガースによって運用されたP-40は当初こそ日本空軍のドッグファイトに巻き込まれ苦戦するが、日本機に対して高速で頑丈、重武装であることからその特性を生かし有利に戦いを進めていった。日本が降伏するまでの6年間でフライングタイガースは297機の日本機を撃破、損害は4機のみであったという。実際の戦果や損害は分からないので何とも言えないが互角以上に戦っていたのは間違いないであろう。

 本機はそもそも中高度、低高度性能を重視して開発された機体であったため、日本機との戦いを有利に戦うことができたのだが、高高度性能では二速過給器を装備していなかったためドイツ空軍のBf109、Fw190に対しては苦戦することになった。しかし頑丈で信頼性が高かった本機は、戦場の多くの局面で多くの戦果を挙げている。本機で誕生したエースは200人にも達し、内20人は10機以上を撃墜した「ダブルエース」である。特にオーストラリア空軍のトップエースであるコールドウェル大佐は撃墜戦果27.5機の内22機をP-40で撃墜している。

 対戦相手の日本軍でも10機程度が鹵獲され運用されていたようであるが、当時の整備兵は「野ざらしにしていても一発でエンジンがかかる」とその技術力の高さに舌を巻いている。同様にフィンランド空軍も一時期、鹵獲した機体を運用していたようである。頑丈さや信頼性の高さから戦後も運用され続け、戦闘機としての役目が終わった後も攻撃機として運用された。最後まで運用していたのはブラジル空軍で1954年に退役している。総生産数は13,738機である。

 

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