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(画像はwikipediaより転載)

 

教育は大切なのだの巻

 

知的水準の高い社会

 「人は何のために学ぶのか?」とは、結構お約束の哲学的な疑問である。実は私はかなり勉強好きなのでこれはもう疑問というよりも「これを疑問と思うのがギモン」レベルだ。調べものをする。勉強するは私の生活の中心なのだ。という私の自慢話はどうでも良いのだ。そんなものは誰も聞きたくはない。おっさんの自慢話、説教というのは人類最悪の行為と言って良い。

 とはいいつつ、何のために学ぶのかというのを考えることは大切だ。今、世間では学校無償化というのが問題になりつつある。高校無償化、大学無償化等々。そしてこういう問題が出ると必ず出る議論が「自分が勝手に高校や大学に進学して自分の知識や教養を高めるのにどうして国が金を出さなければならないのか」という批判である。

 これはこれでごもっとも。一つの意見としてはあるだろうが、私はこれに対しては異論がある。勉強というのは確かに自分自身のためにやっている行為である。大学の研究者というのは大概その研究が好きな趣味人と言っても過言ではない。高校、大学の勉強だって自分のためといえばその通り、もっと言えば義務教育だって自分のためと言えるのかもしれない。

 では教育はいらないのか。もし教育がなかったらどうだろう。誰も字が読めないし足し算引き算も出来ない。これでは現在の科学中心の世界では致命的なのだ。全くそういった教育を受けていない国民が多数であったとしたらその国ってどうなるの?と考えてみれば、教育というのは本人のためだけでなく社会や国家にとって必要なことなのだ。こう考えればスッキリするのではないか。

 さらに社会の構成員の知識、知性、教養がどんどん高くなっていけば、国家としてはすごいことになる。社会全体がハイレベルになるのだから科学技術や政治も国民の水準に従ってどんどん高くなっていくのだ。いいことではないか。でも、必要なのは「理系の知識だけだ。文系はいらないよねー」。こういった話もしばしば聞く。しかしそうではないのだ。社会として見た場合、全体的に水準が上がらなければダメなのだ。理系のみが優れていても文系の教養がなければ社会の成長というのは頭打ちになってしまう。たぶん。

 

世の中曼荼羅なのだ

 何故かといえば、これらの知識というのはどこかで繋がっているのだ。関係があるのだ。理系と文系なんて簡単に分けられるものではない。どこかで理系の知識も文系の知識も必要になる。それらが影響しあってさらに水準が上がっていくのだ。芸術や文学も同様である。どこでなにが関係してくるのかは分からない、しかし必ずどこかで関係してくるのが知識なのだ。

 かつて日本はゼロ戦という名機を作った。ゼロ戦以外にも一式戦闘機隼、紫電改雷電三式戦闘機四式戦闘機疾風。世界最高水準の航空機を作っていた。これらを作っていたのは東京帝国大学航空機学科の若いエリートエンジニアたちであった。東大は今も難関であるが、実は毎年3,000人が合格する。4学年併せると12,000人が在学しているのだ。東京都の人口の1,000人に1人は東大生なのだ。だが当時はそうではない。東京帝大の航空機学科の採用枠はせいぜい5〜6人程度である。東京帝大全体の在学生の数も推して知るべしだ。その選び抜かれたエリートたちが設計したのが上記の航空機だ。

 彼らは知識も能力も世界レベルでもトップクラスであったと言っていい。では、その彼らが作った航空機は本当に世界のトップクラスであったのか。ゼロ戦や四式戦闘機は本当に世界の最高水準であったのかといえば実はそうではない。確かに機体設計は秀逸であった。しかし日本は航空機用エンジンの技術が欧米ほど進んでいなかった。どうしても欧米に比べて性能の低いエンジンで設計しなければならなかった。そして故障も多い。エンジンだけではない。機体自体もデリケートで油漏れなどは日常茶飯事であった。

 それに比べて欧米の航空機は違う。雨ざらしにしておいても電源一発で起動するのだ。可動率も高い。何が違うのか。それは基礎技術の違いである。確かに機体設計は優秀な人材が揃った。しかしその設計を実現する技術が欧米に比べて未熟だったのだ。良いエンジンが作れない、設計をしても部品が作れない、ベアリングが作れない、プレス加工ができない等々。さらにはそれら部品を作る機械は外国製だったりと設計以外の基礎技術が弱いのだ。

 ゼロ戦にしても全部を日本人が設計している訳ではない。機体とエンジンは日本製ではある。しかしプロペラは米国製、機銃はスイス製、クルシー無線帰投装置は米国製である。実は主要パーツは外国製だったりもするのだ。当時の日本の技術では作れないのだ。これが航空機の稼働率の低さになってしまう。スーパーエリートの設計者がいるだけではダメだ。同時に製造技術、加工技術等、様々な技術が必要であり、それを習得できる基礎知識を持った人材が必要なのだ。

 

誰かが何とかしてくれる!

 では今現在はどうか。日本は当然ベアリングも作れるしプレス加工もできる。耐久財も日本製で基礎技術の高さは世界随一である。これらは昨日今日に得たものではない。太平洋戦争から、いや、もっと以前からのながーーーい蓄積によって得られたものだ。学校教育も充実して義務教育だけでなく高校まで行くのが当たり前となった優秀な人材。これらの蓄積が現在の技術を支えているのだ。この広い裾野のどこにどの知識が必要なんてわからない。総合的なものだ。

 故に理系だけ、文系だけ(これはないか(汗))という風に学問を限定してはダメだ。単純に考えても技術を生かすためには政治が大事である。政治自体が文系であることはもちろんであるが、政治問題は時として歴史問題でもある。社会や経済の知識も大切であるし、芸術だって工業製品のデザインという実用的な価値もある。文学も人の内面を理解するには大切だ。技術に限らず、学問というのもどれか一分野さえあればそれでいいという訳ではないのだ。

 最初に書いたように社会の水準は高ければ高いほどよい。高校無償化、大学無償化大賛成である。日本は教育水準の高い国民で構成されていた繁栄したのだ。教育には最優先で金をかけなければダメだ。その他の問題はその教育を受けた優秀な人が何とかしてくれるのだ!(最後は丸投げ(汗))

 

 

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