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歴史本

陳舜臣・田中芳樹『談論 中国名将の条件』02
陳舜臣・田中芳樹 著
徳間書店 (2000/10/1)

 

 私が高校生の時、夢中になって読んだ本が、陳舜臣『諸葛孔明』であった。さらに高校時代にアニメ化がスタートした田中芳樹『銀河英雄伝説』と私の人生にかなりの影響を与えた二人の対談ということで購入してしまった。

 

陳 舜臣  陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。
(wikipediaより転載)

 

田中 芳樹 田中 芳樹(たなか よしき、1952年10月22日 - )は日本の作家。本名は田中美樹(たなかよしき)。日本SF作家クラブに所属している。代表作は『銀河英雄伝説』『創竜伝』『アルスラーン戦記』の三長編。スペースオペラからファンタジー、現代を舞台とした小説、南北朝時代以降から南宋付近までの中国を舞台とした小説を発表している。
(wikipediaより一部転載)

 両人とも中国の歴史には造詣が深く、特に田中氏は中国文学の博士課程在籍者という本当の専門家だ。この両氏が中国の名将100人を決めるというのだから当然、ほとんど私にも分からないような名将が登場する。まあ、私にわかるのは史記、三国志の中の有名な武将位だろう。意外だったのが、陽明学の開祖、王陽明は思想の世界だけでなく、軍略家としてもかなり優秀だったという。

 中国歴代の名将について詳しい人はかなり楽しめると思うが私は前述のように史記、三国志程度なので正直よくわからない人達ばかりという感じだ。逆に知っている武将がランクインされているとちょっと嬉しかったりする。

 

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01_武士
(画像はwikipediaより転載)

 

 武士について簡単に説明してみよう。武士とは日本古代末期から近代まで存在した戦闘を生業とする人のことだ。日本は鎌倉時代から江戸時代まで武士の時代が続き、さらに明治政府を構成したのも若い武士たちであった。故に武士という存在は現代においても否定的に捉えれることはなく、むしろ憧れを持ってみられている。

 まあ、武士に限らず、人間というのは戦いに非常な魅力を感じ、戦いに強い人に憧れる性質がある。武士というのは「サムライ」として外国人に評価されたものだから、古代より外国の目を気にする日本人には「サムライ」は特別なのだ。若干嫌味っぽくなってしまったが、私は子供の頃、時代劇フリークであり、専門的に歴史を勉強するようになったのも要は「サムライ」のお陰でもある。大好きであり大っ嫌いなのがこの「サムライ」なのだ。

 

高橋昌明『武士の日本史』

 

高橋昌明 著
岩波新書 2018/5/23

 私が知る限り最新の武士論。著者は中世史の専門家。古代からの武士の歴史を新書にしては驚きの詳細さで書いている。「日本中世史の重鎮クラスの人が本気で書くとこうなる!」という感じの本だ。「侍=武士」ではないこと、武士とは本来的にかなりの暴力性を持つことなど、武士の歴史を知らない人にとっては新鮮だと思う。専門家が古代から現代まで幅広く書いている貴重な本。今回紹介する本の中でイチオシの本だ。

 

野口実『武家の棟梁の条件』

 

 20年以上前の本。著者は専門の研究者であるようなので、とりあえず購入してしまった。どうも専門は平安末から鎌倉初期位までのようで、ここらへんの時代に関してはやたら詳しい。「サムライってカッケー!」的な、高いIQを持っている人々に対して、苦々しく思っているだろうことは内容を読むと容易に想像できる。

 源頼朝が求めた地位が近衛大将ではなく、征夷大将軍であったのは、外敵から日本を護ることを自己の存在意義としたためであるということや当初、天皇の警護をしていた滝口の武士に求められたのは実は、呪的能力であったことなど知らなかったことが多い。

 ただ、著者の専門外の時代になると論証に緻密さがなくなる。「東国は狩猟民族で暴力的、西国は農耕民族で非暴力的だったけど、東国の武士が権力を持ったことで全国に野蛮な風潮が伝わった(かなり意訳)。」というようなことが特に論証されることなく事実として書かれているのは疑問。

 

下向井龍彦『武士の成長と院政』日本の歴史07

 

 著者は古代軍事史研究者。国衙軍制という視点で武士の成立を説明する。これらによって徴発された、郡司や富豪、俘囚たちが後の武士になっていくというもの。日本刀のルーツが蝦夷の持つ蕨手刀→毛抜型太刀→日本刀と変化していくという説も説得的である。

 本シリーズは一人の研究者が一時期の時代を総合的に執筆するという珍しいスタイル。一つのテーマに限らず政治、経済等あらゆる面から時代をみる。便利ではあるが、雑多な感は否めない。ただ、本書はこのシリーズの中でも武士の誕生から時代を動かすまでになる様を中心にしており良くまとまっている。

 

藤木久志『新版 雑兵たちの戦場』

 

 あまり注目されることのない戦国時代の「雑兵」をテーマにした本。農民が強制的に戦場に徴発されるのではなく、農業だけでは生活できない農民が戦場に出稼ぎに行くという。戦場では人や物の略奪は凄まじく、敵国の人は商品として売買された。

 対する村は領主の城に逃げ込むか、村の城に逃げ込んだ。村自体も武装し落ち武者狩りも行う。面白いのが、上杉謙信がしばしば関東に侵入したのは、一毛作しかできない越後の「口減らし」のためだという。1月、2月の農閑期に関東に侵入して略奪を行うという。

 その後、豊臣秀吉は朝鮮に戦場を求めることで国内に平和をもたらす。雑兵たちは朝鮮の戦場で荒稼ぎをし、江戸時代には傭兵として東南アジアで活躍することになる。戦国時代は大名の「国取り」は有名であるが、その下で生きた雑兵や村人たちに焦点を当てたことにより時代をより深く理解することができる。こういう「亜流」の本が多くでることによりより多面的に歴史を観ることが出来る。

 

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E・H・カー 著
岩波書店 (1962/3/20)

 

 私が学生時代にとある先生と話をしていた際に歴史哲学の話になり、その先生が引用したのが本書だ。意外と有名な人だったようで、もっとも有名な言葉に、

 

歴史とは過去と現在との間の対話である

 

 というものすごく有名な言葉を残している。まあ、前述「有名な人だったようで」というので分かるように私はこの歴史学者を知らなかった。因みに著者はE・H・カーというイギリスの歴史学者。専門はソビエト史だ。私は最初、ソビエトの歴史学者と勘違いしていたが、イギリスのロシア・ソビエト史専門の歴史学者だそうだ。第二次世界大戦中はイギリスの情報機関に所属していた。対ソ情報戦に従事していたのだろう。

 このカーの有名な言葉はどういうことかというと、歴史家が過去を見るときは現在の問題の解決手段として過去の類例を探すというのと、あくまでも歴史家の視点というのは現在の人の視点からしかものを観られないということだ。要するにあくまでも現在を抜きにして歴史は語れない。現在と過去とのキャッチボールをしているのだ。そしてカーは歴史の客観性についても言及している。

 歴史はどういう視点でみるかによって変わってくる。あくまでも歴史家の思想や視点によって過去の重要な事件というのは変わってくるのだ。例えば、大化の改新とは日本人なら誰でも知っている大事件であるが、実は江戸時代には歴史家ですら注目されていなかったという。注目されるようになったのは明治維新で王政復古という事件で過去の類例を探した結果、大化の改新が注目されることになったという。これは聞いた話なので裏はとっていない。

 それはともかく、歴史とは歴史家の視点によって全然違くなる。あまり好きなたとえではないが、右翼か左翼かによって歴史認識が全然違うというのが分かり易い。現代側の問題としては歴史家が生まれた時代や歴史家の思想によって歴史の見方は変わってくる、さらに過去の問題としてはそもそも過去の人が重要だと認識したことしか史料にはならない。さらにその史料を残せたのは歴史の「勝ち組」である場合がほとんどだ。

 要するに歴史とは絶対的な客観は存在しない。歴史を研究する場合、まずは歴史家の生きた時代、その歴史家の思想を見なければならない。さらに過去の史料もどうして現代まで残ったのかを知らなければならない。

 いろいろと考えさせられる本ではあった。ただ、内容は現在の歴史研究者からみるとかなり「普通」の考えであるだろう。歴史研究者が本書をみたら100人が100人ともに納得するものだと思う。良書中の良書なので歴史を研究したいと思う人は必読だ。

 

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 本書は相当前に読んだことがある。実は読むのは今回が二度目だ。『葉隠』といえば「武士道とは死ぬこととみつけたり」とかなり威勢がいい。しかし山本氏はこの『葉隠』を痛烈に批判する。『葉隠』を語ったのは山本常朝。「語った」と変な書き方をしたのは常朝自身が記したのではなく言葉を別の人間が筆記したからだ。常朝の生きた時代というのは江戸時代の初期から中期にかけての時代だった。

 

葉隠 『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
(wikipediaより一部転載)

 

 当時は戦国の空気を残してはいたが、元禄の太平の世であった。常朝は平和な時代に生まれた武士なのである。ただ、平和でも武士には厳しい掟がある。例えば無礼に対して何もしなければ斬刑、やり返せば切腹という具合に結構厳しかった。何故なら武士が権力を持っている根本は武士が武力を持って恐れられていることである。しかし太平の時代、武士は官僚として生きねばならなかった。「馬鹿にされてはダメ、しかし武力を行使してもダメ」そういう時代だったのである。

 その矛盾の中での『葉隠』である。「死ぬこととみつけたり」とは事が起こった時は死ぬ気で戦え、そうすれば生きることができるという考えだ。何故なら当時の武士は事が起こった時に何もしなければ斬刑という世界である。「死ぬ気でかかっていけば武士としての名誉が守られもしかしたら生きられるかもよ?」という結構情けない逆説が常朝の本心だという。著者は研究者らしく史料を元にして理論を構築していく、史料の引用が多すぎてちょっと面倒だが内容はかなり面白い。

 常朝が実は武芸にかなり自信のない武士だったことや実は言っていることとやっていることが全然違ったり、先代の主君には「あいつは信用できない」ということを言われたりと常朝の意外な顔が明らかにされる。『葉隠』は「武士道とは死ぬこととみつけたり」というフレーズがあまりにも有名で、額面通りに受け取る人も多い。こういう反対意見は貴重だ。

 

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鈴木拓也 著
吉川弘文館 (2016/6/3)

 

 三十八年戦争って知ってますか?そうそう関東軍が柳条湖で満鉄を爆破して始まった戦争。。。と思いたくなる名前ではあるが、この三十八年戦争というのは超大昔、東北での律令国家と蝦夷との戦いのことなのだ。774年に桃生城への攻撃から812年まで続いた戦闘だった。この三十八年戦争についての最新の書籍が本書だ。本書は鈴木氏の単著ではなく、数人の執筆者が執筆している。

 本書は、三十八年戦争全般についてある程度詳細に記述されており、概論書としてはかなりレベルの高いものだ。ただ私は概論ってあまり面白いと思わないんだよね〜。いやぁ、なんか教科書読んでるみたいじゃん。ということなんだけど、私も昔古代史を専攻していた関係上、気になるので読んでみた。

 結論はまったく個人的なものだけど、「もう古代史に興味はないなぁ。。。」と思った。当ブログではよく太平洋戦争の書籍を紹介したりしているけど、私のルーツは歴史学で古代史が専門だった。だったというのは大学院まで行ったがあまりにも面白くないので修士で辞めてしまったのだ。今、読んでみれば面白いのかと思ったがやはりもう興味はない。私の中では完全に過去のものだった。

 話が完全に脱線してしまったが、東北政策を立体的に知りたければ本書はおススメだ。概論とは書いたがかなり詳細に記述されているし最新の研究成果で書かれている。私が面白いと思ったのは、柳澤和明氏の「九世紀の地震・津波・火山災害」だ。最新の地震データを元にして史料上からその当時の状況を詳しく書いたもの。

 当時の政権の対応が克明に記されていて面白い。被災地域への税の免除等の現実的な政策はするんだけどそれ以上にさかんに僧侶に転読をさせたりしている。神の怒りを鎮めようとしているのだろう。まあ、転読自体ただの儀式であまり意味のあるものではないのだが、意味があると思う人には意味があるのだろう。そもそも経典は読んで内容を理解しないと意味がない。

 経典を空中に放り投げて目を通すだけでは内容は分からないしフォトリーディングで分かったとしても僧侶の頭が良くなるだけで転読を行わせた人には一切利益はない。まあ、それはそうと本書は現在の東北研究の最先端を知るには格好の書だと思う。興味のある人は読んでみるといいだろう。

 

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清水多吉 著
日本経済新聞出版 (2016/7/9)

 

 タイトルは武士道としているが、基本的に「日本思想史特に近代」という感じだ。武士道に関しては『葉隠』と新渡戸稲造『武士道』(特に『武士道』)の二冊の書物が中心になっている。それ以外の戦国時代の武士道等の部分は結構おざなりと感じてしまう。『葉隠』と『武士道』もその時代に社会がそれらの書物をどう扱ったかというような歴史的な観点よりも哲学的な観点と他の思想家がこの二冊をどう評価したかというのが中心である。そういう方面に興味がある方には良い入門書となるかもしれないが、私にとってはちょっと期待外れであった。ただ、これは内容の善し悪しというよりも私個人の好みである。

 

武士道  武士道(ぶしどう)は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。
(wikipediaより一部転載)

 

 その昔、子供の頃、私は侍に憧れていたちょっと変わった少年だった。もちろん武士道なんて全く知らない。単純に子供の頃、よく観ていたドラマが『暴れん坊将軍』や『大江戸捜査網』『遠山の金さん』等の時代劇の主人公が侍だったから。

 武士はもちろん武士道で生きている(と思っていた)。大人になるに従って、幕府が崩壊した現在、侍になるというのは不可能であることを知り、さらには武士道という規範を知った。当時の私は武士道とはストイックで己に強く忠義を尽くすという世間一般が考える武士道をそのまま信じていた。

 しかし大学生も最後の方になるとちょっとした疑問が湧いてきた。というのは、主君に絶対の忠誠を捧げ、時には命すらも捨てる誇り高い侍。そう滅私奉公。しかしちょっと待てよ。

 

戦国時代って下剋上の時代じゃなかったっけ?

 

 いやいや、武士道的には下剋上とかありえないでしょー。裏切りとかだまし討ちとか、「飛び道具は卑怯ナリー」とか誰も言ってねーじゃん。裏切り、だまし討ちなんて頻発しているし。でも江戸時代は武士道の時代な訳じゃん。これってどういうこと?ということで私は疑問を持ち始めた。

 その後、自分なりに調べたんだけど、それはまあいい。今日紹介する本はその武士道に関して書かれた本だ。ちょっと気になったので買ってしまった。内容は武士道についてその発生から近代にいたるまでを書いているが、著者は哲学者で基本的に近代ドイツ思想が中心のようだ。著書に近代日本の思想家もいるのでドイツ思想専門という訳ではないが近代思想史が専門なのだろう。

 なぜ、このようなことを書いたのかというと、内容が思想史なのだ。私は史学を専門的にやってきたこともあり、史学的に史料を元に時代や社会階層、例えば庶民からみた武士道、貴族から見た武士道、外国から見た武士道等、多角的に実証してくれることを期待していた。

 しかし読んでいくと思想の話が多く、特に近代になると武士道の元になった思想の流れというような感じで武士道からは離れてしまっている。有名な新渡戸の武士道も思想的な視点からの考察が多く、私が期待したような史料を駆使したものではなかった。

 

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山田雄司 著
角川学芸出版 (2016/4/26)

 

 本書は、タイトルの通り、忍者の歴史について書いたものである。私がこの本を購入したのは、本書の著者が学者だったからだ。忍者やそれに類するものについて書かれているものは多いが、ほとんどが一般人のものだ。私も一応大学院で歴史学を学んだものとしてアマチュアとプロの違いというのは痛い程分かる。

 その専門家が忍者の歴史を執筆したというのが面白い。私は以前から忍者について多少の興味はあった。ということで今回、立ち読みもせずにアマゾンで購入してしまった。内容は忍者の辞書というようなものだろうか。忍者の歴史から世間の忍者イメージの変化等興味深く読んだ。

 忍者の小道具や心得等も詳しく解説されている。忍者というと敵の城に忍び込んで暗殺をしたり、夜中に短刀を逆手に持って切り合いをしたりするイメージがあるが、実際は戦いというのは敬遠されていたそうだ。というのは、忍者の主任務は情報収集である場合が多く、戦ってしまうと情報を味方に届けることが出来ないためだ。

 南北朝時代に忍者の活躍が始まり、戦国時代には大名の多くは忍者を雇っていたという。忍者の任務は情報収集から放火等におよび、見えないところで活躍した。江戸時代になると幕府の警備兵や御庭番という任務が与えられたようだ。御庭番とは他国に侵入して情報を収集してくる人、要するに忍びだ。

 そして私が一番印象に残ったのが、江戸時代初期の1637年、島原の乱が起こったがここでも忍者が原城(?)に侵入して情報収集や食料を盗み出したりしている。面白いのが侵入した忍者が穴に落ち、仲間に助けられて辛うじて逃げ帰ったことだ。

 戦国時代が終わってすでに30年位経った時代であった。もう戦国時代を経験した忍者は老齢で現役ではないだろう。忍者の技術は伝承されており、若い忍者が初の実戦ということでこういう失態があったのではないかと私は考えてしまった。戦争を知らない世代の忍者ということだろうか。

 本書は忍者が好きな人にはもちろん面白いと思う。この手の本は基本的に素人が書く場合が多いが本書は専門家によって書かれているので内容にも信ぴょう性がある。内容は古代史料にみえる忍者から江戸時代さらには近代の中野学校で教えた最後の忍者にまで及び面白いと思う。歴史が専門の人もこういう視点で歴史をみるというのもいいと思う。

 

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藤木久志 著
岩波書店 (2005/8/19)

 

 刀狩り??いつの時代の話だ。と思うかもしれない。いつの時代、そう、刀狩りとはあの有名な秀吉の刀狩りのことである。しかし本書の面白いところは刀狩りを秀吉の刀狩り、廃刀令、戦後の銃刀法規制を含めて論じているところだ。学術書としては若干古い部類に属するが内容はミリタリーファンにとっては非常に興味深いと思う。

 本書のテーマは民衆と武器という一点であるといってよい。世間一般の考えでは秀吉の刀狩りで民衆は武器を奪われ、さらに明治の廃刀令によって侍も武器を奪われ丸腰の民衆となっていたというものだろう。しかし著者の藤木氏はこれは誤りであるとする。なぜそういえるのだろうか。

 藤木氏は中世史の専門家である。故に秀吉の刀狩り、江戸時代についての記載が全体の7割ほどを占める。史料を詳細に研究した結果、秀吉の刀狩りとは民衆から武器を取り上げることが一番の目的ではなく、侍とそれ以外の身分を固定するために身分の象徴である「刀」を「帯刀」することを規制することにあったようだ。

 身分の可視化である以上、服装も同時に規制されている。しかし鉄砲はどうでもよかったようだ。現代人の感覚だと法が定められれば貫徹させると思いがちだ。しかし実際は法があっても守られるとは限らない。これが近世の現実であったようだ。民衆は刀を所持することも禁止されてはおらず江戸時代においても帯刀している農民もいたという。

 同時に鉄砲も所持され続けた。実は武士が持っている以上の銃が民間で所持されていたようだ。江戸時代でも綱吉の時代になると鉄砲は厳しく所持が制限される。しかし綱吉が死ぬとその法も撤回された。なぜなら農民は鳥獣害から畑を守るために生活の道具として銃が必要だったからだ。

 明治の廃刀令も同様だったようだ。刀を帯刀することは禁止されたが所持することに関しては禁止されていない。銃も免許制、登録制にはなったが所持を禁止されることはなかった。では、日本で銃の所持が原則禁止されたのはいつかというと何と、太平洋戦争が日本の敗戦により終わり連合軍が進駐してきた時、「軍国主義の表象」として徹底的に回収したのが原因だったようだ。

 武装し続けた民衆と徳川の平和、明治、大正、昭和の時代。民衆と権力者との武力闘争が行らなかったのは何故か。それは民衆が自主的に戦いを放棄したからだという。それには徳川の平和に至るまでの戦国の殺伐とした世の中に原因がある。民衆が武器を使用して戦うということは戦国の世の再来を意味する。故に民衆は自主的に武力闘争を放棄したのだ。

 これに対して為政者も民衆に武器を使用することをためらった。江戸時代は儒教的な道徳を根本に置き、民衆の自制の上に成立した平和だったという。江戸時代とは面白い時代だ。時代劇等で良く知られている分、実際とはかけ離れた偏見も世間には多い。一概には言えないが基本的に年貢は現在の感覚からすれば異常に安いし、支配者の武士の多くは農民、町人よりも貧しかった。

 こういう事実があまり知られていないのは、「支配者に搾取される人民」という価値観、「支配者と人民」という単純な二項対立の視点が影響していたと私は考えている。「そういう視点で見ればそう見える」とは私が学生だった頃、他大学の研究者が言っていたことだが、鋭い指摘だったと思う。そしてこの私の私見、藤木氏の説もまた「そういう視点で見ればそう見える」内の一つであることも付け加えておこう。

 

 

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14歳からの靖国問題
小菅信子 著
筑摩書房 (2010/7/7)

 

 子供向け(とは言っても中学生位か)向けに書かれた靖国問題を分りやすく書いたもの。

 まず靖国神社とは、明治初期に東京招魂社という戊辰戦争で死んだ戦死者を祀るために作られた神社が元になっている。しかし戦死者全部を祀っている訳ではなく、あくまでも戊辰戦争で天皇側の戦死者を祀った神社であり、以後の戦争においても「名誉の戦死」を遂げた主に兵士を祀った。民間人も戦争に協力して戦場で戦死した者は祀られるという。つまり戊辰戦争で政府軍と戦った日本人の戦死者は祀られておらず、さらに敵前逃亡等、「不名誉な戦死者」も祀られていないということだ。

 そしてまた仏教徒、キリスト教徒、旧植民地の人々の中で靖国神社に祀られてしまったが祀らないで欲しいといおう人々に対しても一回祀ってしまった霊は分祀出来ないという考えの下、祀られたままになっている。1952年から天皇も参拝していたが1978年にA級戦犯が合祀されてからは行われなくなった。これはA級戦犯の合祀が関係しているということは富田メモによって明らかにされているという。

 そして靖国問題に対して著者は明確な答えを出さない。歴史を学び自ら考えることが大切であるという。そして最後に靖国問題を書くと酷い言葉で誹謗中傷があるという。こういうことが常態化している日本に対して警鐘を鳴らす。

 今回は靖国問題というかなり面倒な問題についての本を読んでしまった。理由は何となく靖国問題を理解しておこうと考えたからだ。本書は子供向けに問題点をかなり分りやすく説明している。大人であれば一時間程度で読了してしまうくらいシンプルだ。

 戦死者すべてが靖国神社に祀られていると誤解している人多いだろうが、戊辰戦争で政府軍と戦った会津藩士や長岡藩士等は祀られていない。太平洋戦争の戦死者でも祀られる人とそうでない人がいるということは知っておく必要があるだろう。そうでなければ靖国神社に祀られることが名誉とはならない。そして神道以外の宗教を信仰する人々の合祀をやめてくれという意見にも応じない。さらにA級戦犯問題。ここらへんに靖国問題の重要な部分があると思う。

 

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深谷克己 著
吉川弘文館 (2006/10/1)

 

 本書は、江戸時代の身分願望について総合的に書いたもの。武士から被差別民まで各階層の身分の上昇意識、努力、逆に上昇意識を意識的に持たなかった者等を実例を挙げながら詳述している。本書の著者は1939年生まれで本書を上梓した時は67歳でありその道の重鎮ということになるだろう。年齢的にも60年安保闘争時には大学生であり、身分制という視点に注目したというのも時代的必然といえなくもない。

 それはともかく、江戸時代は身分が完全に固定した社会ではなく、時と場合によっては上昇することも降下することも可能であったようだ。ただ基本的に固定されているため特に上昇のためには多大な労力を必要とした。同時に平等化圧力もあったようでその点についても言及している。

 全体的に深い知識と考察の上に成り立っており、江戸時代全体の広い範囲を網羅している。時代を知る上では当時の制度に関する理解は欠かせないものであるが、本書はその点において大変優れている。江戸時代を理解したい方にとって本書は必読の書となるだろう。私も座右に置きたいがもう絶版であった…。

 かなりの良書だが、前述のようにもう絶版なので古本屋を回って探すしかないようだ。因みにアマゾンの中古に数点あるようだがお値段もそれなりである。

 

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宮崎克則 著
中央公論新社 (2002/2/25)

 

 本書は、「走り者」「牢人百姓」と呼ばれた逃亡する百姓に焦点を当てた異色の本。九州の史料に基づき検討されている。内容は通常考えられているように江戸時代の百姓は農地に縛りつけられていたのではなく、その土地の大名の条件が厳しければ逃亡し他領で耕作を営んだ。

 領地から逃亡された大名は、当然呼び戻そうとし、他領から百姓が来た大名は歓迎するどころか誘致することすらあったようだ。この背景には農地の拡大と百姓の不足があった。耕作地が多すぎた(年貢は土地に対してかけられる)百姓たちは、流れてきた他領の百姓に対し好意的であったという。

 後半は、百姓が逃亡する原因となった大名の台所事情に焦点を当てている。大名が為替の変動等を気にしながら米を売却していることや大名に金を貸す商人たちの存在等。この時代に暗い私にとっては勉強になった。逃亡する百姓の逃亡範囲は領地を超えた昔からの生活圏で親戚等を頼ったようだ。領地と庶民の生活圏が一致していないというのは考えてみれば当たり前の話だが目から鱗だった。

 全体的に史料が列挙されている等、学術的な要素が強く、一般書と学術書の中間位という感じだろうか。読後感としては史料が九州の一部地域にに限られており、時代も江戸時代初期から中期位までの範囲に限られていることから(後期についても触れている部分も少しある)、全国について同様のことがあったのか、また時代と共にどのように変遷していったのかは不明である。そこらへんも言及していればより良かった。

 

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高橋昌明 著
岩波書店 (2018/5/23)

 

 外国の場合は知らないが、日本の場合、歴史研究は時代で分類されているのでテーマに沿った横断的な研究というのは難しい。例えば日本の戦史を古代から近代まで通して見るという研究は共同研究ではあっても個人の研究ではまずない。あったとしても時代ごとに研究者が担当して共著という形で出すというのがほとんどだ。結局は研究が細分化してしまうという問題が実はある。

 本書の著者高橋昌明氏は中世史の専門家である。それも平安時代末期から鎌倉時代あたりが主なフィールドだろう。だが、本書の内容は古代から近代の日本軍兵士に関するものまで広く押さえている。もちろんメインは中世〜近世の武士なのだが、古代近代もしっかり把握しているのはさすがだ。それも綿密に調査した上でしっかりした考えを主張している。本書は全体として一つのテーマに沿って書いておりぶれていない。

 内容も重厚だ。私は基本的に流し読みだ。本書も書店をぶらぶらしていたら目に付いたので買った程度のもので1日で読んで感想でも書こうと思っていた。しかし内容があまりにも重厚で有益なので精読した結果、読み終わるまでに1週間以上かかってしまった。武士に関すること、髪型から刀、戦術からもちろん制度やそれらにまつわる時代背景も網羅されている。

 武士に関する辞書的な本だ。いくさでは刀は相手の兜をぶっ叩き脳震盪を起こさせるために太い太刀だったのが江戸時代に細身になっていった等、一般のイメージと実際のギャップ等も書いてあって面白い。一時期、1192年が鎌倉幕府の成立年じゃなくなったことが話題になったが、その幕府についても詳細に書かれている。

 実は幕府という言葉自体が江戸時代後半のものであったり、鎌倉、室町、江戸時代には「○○幕府」という呼び方はされていなかった。さらに征夷大将軍も幕府の絶対条件ではないのだ。そうなると豊臣幕府というのもありうる訳だ。実際著者は平清盛の「六波羅幕府」を主張している。ただ、逆に「幕府でなければならない」理由もない気もする。幕府という言葉自体が再検討が必要だと感じた。

 思想関係にもページを割いており全体的に抜かりはない。最新の武士論を知りたければ必読だ。久しぶりに読んだまさに良書というにふさわしい本だった。本書のお陰でいい時間を過ごせてた。

 


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柿沼 陽平 著
文藝春秋 (2018/5/18)

 

 三国志といえば昔、NHKでやっていた『人形劇三国志』が私の中ではレジェンドだ。そこから一時期三国志にかなりはまったことがある。『人形劇三国志』の再放送をしている時に陳舜臣の『諸葛孔明』がちょうどいいタイミングで発売されたのでそれも読んだりしていた。ゲームはやらなかったけど、私に本を読む楽しさを教えてくれたのは三国志かもしれない。その三国志関係の最新のものが今日紹介する『劉備と諸葛亮』だ。

 著者は中国古代経済史を専門とする研究者で本書の中でも経済のことになるとさすがに迫力がある。今まで経済で三国志を見るというのはあまりなかったのでかなり勉強にはなった。本書で一番面白かったのは、劉備のくだりだろう。劉備は劉姓を名乗るただの貧乏人というのが一般のイメージだが、劉備の一族をたどると意外にも祖父はスーパーエリートであった。

 現在の感覚からすると劉備の家は「母子家庭」であり「生活大変そう〜」であるが、当時の中国は一族が助け合って生活しており、劉備も一族の保護の下に成長していった。学費なども一族によって出されている。確かに何で貧乏人の子の劉備が公孫瓚と同じ塾に通っていたのだろうという疑問は以前からあったがそういうことだったのだ。

 他にも関羽や張飛が当初、金だけの関係だったことや諸葛亮の国家運営等にも言及していて面白い。三国志というとファンが多いので批判されやすい。Amazonのレビューを見ていると批判も多いが、出土資料等の最新の研究成果を反映していることや経済的な視点から三国志を見ているのは非常に面白かった。三国志好きなら買って損はないと思う。

 


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 本書は壬申の乱、青野ヶ原の戦い、関ヶ原の戦いという関ヶ原付近で起こった3つの大決戦について時代を超えて、なぜ同じ場所で大決戦が起こるのかというのを解明した書。今はどうか知らないが、私が学生の頃、日本史の世界というのは専門の時代事に分かれ、歴史研究者であっても自分の専門以外の時代については素人同然であった。

 本書の著者は東京大学史料編纂所教授で日本中世史の専門家である。中世史の専門家である著者が古代や近世についての歴史まで言及したというのは評価できる。本書は3つの決戦を個別具体的に詳述するのが中心であり、全体を通しての法則のようなものは終章までは全くと言っていいほど言及されない。しかし終章になると突然、外圧が歴史を動かすことや多神教と一神教、日本の東西対決などが何の根拠もなく語られる。

 

あまりにも事実誤認が多い

 

 個々の時代についても史料や論理に寄らない推論が非常に多い。壬申の乱に関しては専門外なので仕方がないといえば仕方がないが古代史に関する知識不足が目立つ。著者の説のほとんどが無根拠の推論であるだけでなく「天武天皇が最初の固関をした」などの完全な事実誤認もある。7世紀後半には不破や鈴鹿、愛発に関があったことは確認されていない。関の存在が不明な以上固関をしたというのは間違いである。

 それ以外にも「(関ヶ原は)都を守るために関所を置いた防衛拠点になったのです。」という記載もあるが、これも三関の設置理由は史料上記述がないため推測に過ぎない。7世紀後半以降になると「フロンティア」は東北にまで進んでおり、東国は著者の想像するような反乱分子の巣窟ではなく、古代国家の機動軍である防人や鎮兵、皇太子の親衛隊である授刀舎人などの供給地となっている。大海人皇子の直轄領である湯沐邑も東国に置かれていることからも関係の深さが窺われる。むしろ中央の有力者が東国の兵力を頼るために、大海人皇子のように都から三関を抜けて東国で挙兵する危険性の方が高かったのだ。

 実際、764年の恵美押勝の乱の際に愛発関で藤原仲麻呂の東国への逃亡を阻止している。故に関は都を守るための防衛拠点というよりも都から東国への逃亡を阻止する施設としての目的がより重要であり、固関の目的も中央から東国への逃亡阻止という目的がより重要であったとするのが定説である。無論、上記の説もあくまで定説であって絶対の正解ではない。もし上記の説を否定して古くからの定説に回帰するのであればその根拠は示すべきだろう。

 

あまりにも推測が多すぎる

 

 根拠を示す以前に著者は上記のような研究の蓄積を把握していないのではないかという疑念も沸く。そもそもこの時代にあるのは「関」であって「関所」ではない。さらに本書中私が一番謎だったのは以下の部分だ。

 

実は、関ヶ原が壬申の乱によってクローズアップされた戦略上の重要ポイントであることは、今回本書のために調べてはじめて気づいたことです(私以外の研究者がこの説を披歴したことを寡聞にして知りません)。
(『壬申の乱と関ヶ原の戦い』より引用)

 

 まず主語がないので何を言いたいのかが全然分からない。関ヶ原が戦略上の重要ポイントであることならば著者以外にも相当たくさんの人が語っているがこれはさすがに新説とは言えない。全く意味不明なのだ。合戦に動員される兵力の推論にしても関ヶ原の合戦で20万人であるならば、人口も少なく経済基盤も弱い古代や中世に何万人もの兵員を動員することはできず、常識的に考えるならば、青野ヶ原の戦いに動員された兵力は数千人、壬申の乱は数百人であろうと推定している。

 しかし本書では関ヶ原の合戦時の日本の人口を1200万人、古代は600万人と推定している。人口は2分の1なのに、動員兵力が数百分の1減るという計算のどこが常識的なのか疑問だ。中世の研究は専門分野なのだろうが、そこでも推論や推測が多すぎる。以前に論文で論証されているのかもしれないがそれでも学者であるならば根拠は本文中に提示するべきだろう。

 終章の一神教と多神教の考えに至っても「一神教は争いが絶えない」等、何を根拠にそういう結論になったのかは全く不明だ。大量虐殺が起こる理由は「イエスかノーか」だけではない。明確な根拠があっての考えであればそれを提示するべきだし、仮に無根拠で一神教をそのように表現するのであればそれは偏見でしかない。

 外圧が歴史を動かすというのにしても豊臣秀吉の朝鮮出兵のどこが外圧なのだろうか。外圧を受けたのは朝鮮半島の人々だ。東西対決にしてもそもそも立論の土台となる基礎知識の不足や事実誤認が多い上に根拠に乏しい。実証性が乏しい土台に高度な歴史理論を乗せても意味がない。網野善彦氏の研究に影響を受けているのかもしれないが、網野氏は精緻な実証研究を元にした理論であることを忘れてはいけない。

 

あまりにも稚拙過ぎる説

 

 さらに第二次世界大戦後、ソビエトが北から本州に攻め入り、西から来たアメリカと日本を二分する可能性があったことに触れ、西日本が象徴天皇制の日本、東側が大統領制の日本に分裂した可能性もある。としているが、東京にいる天皇がなぜ西日本の象徴天皇になってソビエトの支配下にある東日本がなぜ社会主義なのに大統領制なのかも全く意味が分からない。

 さらに「東大の重鎮の○○先生が言っている」や「権威のある国史大辞典に書いてある」など、やたら権威を持ち出すのも良く無い。重鎮の研究者の説も覆ることもあるし、国史大辞典の記事もひとつの説に過ぎない。権威が正解とは限らない。歴史学者であるならば史料と論理で立論するのが正しい姿だ。本書は全体的に無根拠、推測が多い。専門外の分野にチャレンジする姿勢は認めるが、ほとんどその分野を勉強しないで書いているのがはっきり分かる。

 こと古代史に関しては恐らく古代史側からの反論や批判は来ないだろう。あまりにも内容が陳腐だからだ。wikipediaに書いてある程度のことすら把握していない。同時期に2冊出版するという忙しい中で書いたのだろうがさすがに内容が稚拙すぎる。著者の本は本書以外に読んだことはないが、専門の研究分野に関しては東京大学史料編纂所教授の名に恥じないものであると信じたい。

 

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小池喜明 著
講談社 (1999/7/9)

 

 皆さん憧れのヒーローというものがあると思います。それはスポーツ選手であったり、特撮ヒーローだったり、アニメのヒーローだったり、ユーチューバ―だったりする訳です。翻って私は運動は子供の頃からほぼできなかった。小学生の時はドッジボールでは毎回ロックオンされ、サッカーは参加せず、野球に至っては人生で1回しかやったことがないという運動神経のかなりない子供だった。

 そういう私がスポーツ選手に憧れるということは全くなく(そもそもスポーツ選手なんて知らない)、特撮物も何故か興味がなかったので憧れることはなかった。アニメは好きだったがその登場人物に憧れるということはなかった。多分、絵の中の世界の架空の人に憧れるというのに違和感を感じたのだろうと思う。

 しかし、そんな私にもヒーローはいたのだ。そしてそれは実在の人物ではない。それは何かというとそう、私が憧れていたのは、じゃじゃーん!

 

時代劇の主人公

 

 なのだ。。。大江戸捜査網の井坂十蔵や暴れん坊将軍の徳田新之助が私の中のヒーローであった。特に徳田新之助(通称新さん)は私の最強のヒーローであったのだ。憧れた理由は何といっても強い!彼らは「苦戦」することがない。絶対に負けない、ピンチにすら陥らない。そして悪いことはしない(正義の味方なので。。。)。誰にでもやさしい。。。。ととにかく完全人間な訳だ。

 そんな時代劇キッズが侍に憧れるのは必然。。。武士道というものにも自然と興味を持つようになった。大学時代には歴史学を専攻したということもあり、昔のように無邪気に「侍=正義」とはならないのは当然としても私は武士道についてちょっとした疑問が芽生え始めたのだ。

 世間一般では武士道といえば山本常朝『葉隠』や新渡戸稲造『武士道』が最初に頭に浮かぶと思う。内容は大きく、主君への忠義と決死の覚悟というところだろう。しかし、よーく考えてみれば一番武士が「活躍」した戦国時代って、裏切りやら下剋上やら謀略の嵐だった訳だ。

 

忠義も何もあったものじゃねーじゃん!

 

 ということなのだ。そこで私は武士道関係の本を読みまくったのだ。その経過は省略するが、結局分かったのは、江戸時代の武士道と戦国時代の武士道は全然違うということだった。そもそも今みんなが知っている「武士道」というのは江戸明治期の思想であったということが徐々にわかってきた。

 考えてみれば、実際に生きるか死ぬかという状態で「正々堂々」と戦っていたら命がいくつあっても足りない。真っ先にあの世行きな訳だ。自分が死ぬということは自分の家族や一族も死ぬということだ。当然、「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」という考えになるのだ。

 そうなるとむしろ疑問なのが武士道の方で、江戸時代の武士道、特に山本常朝『葉隠』について深く研究したのが今日紹介する小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』だ。

 

葉隠とは。。。 『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
(wikipediaより転載)

 

 本書を紹介する前に『葉隠』についての現代の評価について書いてみたい。現在の『葉隠』評には大きく、『葉隠』著者山本常朝を評価する論者と批判する論者に分れる。批判する論者の主張は主に、

 

〇核楙鐵はそもそも戦争を知らない世代であり、本人も明らかに武の人ではなく文の人だ。その人が武士の覚悟ということを書くのは分不相応。

 

∨椰佑賄造死んだら必ず殉死をしなければならないと言っておきながら常朝は殉死していない。

 

 等などだ。逆に肯定する派の多くは『葉隠』の内容を額面通りに受け止めているものが多い。私は額面通りに受け止めるのに違和感を感じたので基本的に批判派であった。ところで著者はどうかというと、著者は「肯定派」と考えていい。ただ、著者の場合は内容を額面通りに捉えるのではなく、一々検証した上で結論を出している。これが私が今まで読んできた意見とは違うものであった。

 一番面白いのは常朝は『葉隠』中で武士道という言葉をほとんど使っていないということ。代りに奉公人という言葉を多用しているということだ。つまりはそもそも常朝は武士道だとは言ってないというイメージだ。常朝は奉公人として死ぬ覚悟で勤めよということを主張している。戦国時代から江戸時代に移行するにあたって、戦闘者たる武士は官僚としての職務を行わなければならなかった。

 しかし権力の源泉が武力である以上、要するに「なめられて」は困る訳だ。なめられては困るが毎日戦闘をしても困る。そこで「死ぬ気で奉公」というところが落としどころとなる。その理屈を書いたのが『葉隠』と考えていい。本書を読んで、私が一番気になるのは『葉隠』という非常に被虐的な内容の本が時代を超えて読み継がれているということだろう。

 現代は個人の自由、人権が尊重された社会だ。君主のために死すという時代ではないが、組織のため自分の属している群れのために個を捨て尽くすことがどこかしら美徳とされているようにも感じる。個性を主張できない息苦しさをポジティブに変換してくれるのが現在の『葉隠』が提供する価値なのかもしれない。最後に本書はさすがに歴史学者で殉死を研究テーマとする人だけあって内容はかなり専門的で詳しい。

 『葉隠』関係の研究書籍で1冊薦めるとすれば本書が最良だと思う。ただ、一応一般書ではあるが、結構難解で読むのは大変かもしれない。

 

 

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町田祐一 著
吉川弘文館 (2016/6/20)

 

 前から気になっていた本をやっと読むことが出来た。私は高等遊民というものに多少の憧れが あり、以前から調べていたりした。実際、高等遊民になりたいと思うことはあまりないが、突き抜けた感じに今でも憧れはある。ということで、本書は近代の高学歴者の就職難についての歴史を調査したものである。高等遊民というと高学歴で裕福、世俗と離れた仙人のような生活をしている人と思われるが、あまりそうではないようだ。

 高学歴で就職できない人が高等遊民と呼ばれており、当の本人は就職するために結構必死になっていたりもする。景気によって就職口が減ったり増えたりと景気に翻弄されている様子が良く分かる。景気が良くなっても学校が増えたために高学歴者が増大し、結局、就職難になってしまう。さらに就職の現実は縁故採用と学閥での採用が中心であり、そこからあぶれた者は就職口はなかなか見つからない。

 酷い人になると、ゴミ拾いで生計を立てる大学卒業者もいたようだ。因みに当時の大学卒業者の人数というのは現在とは比較にならない。かなりの希少な「知識人」であった。就職難の結果、社会が悪いと考え左翼運動に走る者や犯罪に走る者、さらには絶望して自殺する者もいる。逆に独立起業を行う者(これはかなり少数)、就職したもののブラック企業に行ってしまう者など現在とあまり変わりがない。

 さらに私が面白かったのは就職が決まらないので大学院に進学するというものも多かったようだ。現在と一緒だが、逆に言えば当時の大学院というのもこの程度だったのかという言い方もできる。世間で連想される高等遊民とは実は空想上の存在であり、現実には必死になって仕事を探す高学歴者が高等遊民の本来の姿であったようだ。

 

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 世間では、大戦中の陸海軍については海軍はリベラルで戦争反対。陸軍は国粋主義に凝り固まり戦争賛成という二項対立で分けるのが一般的だと思うが、本書はそれが間違いであることを分からせてくれる。著者は陸軍中将樋口敬七郎の子ある。父、樋口中将との思い出を書いた本である。父と子のふれあい、特に著者は父を本当に尊敬しているのが分かる。

 その父、樋口中将とはどんな人かというと普通の陸軍の軍人というイメージからは程遠いリベラリストであった。考え方は私から見てもリベラルで本当に人柄の良い人だったのだと思う。

 

樋口 敬七郎
 佐賀県唐津市出身。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。1931年(昭和6年)8月、陸士教官から関東軍独立守備隊参謀に転出、翌月、満州事変が勃発した。
 1934年(昭和9年)8月、陸大教官に発令された。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進。1939年(昭和14年)11月、第3師団参謀長に就任し日中戦争に出征。南支那方面軍参謀副長を経て、第23軍参謀副長となり、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。
 開戦後、香港の戦いに参加。1942年(昭和17年)2月、台湾軍参謀長となり、次いで久留米第一陸軍予備士官学校長に発令された。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、翌月、第156師団長に着任し、宮崎県本庄で本土決戦に備える中で終戦を迎えた。
 戦後、戦犯容疑により逮捕され香港に連行されたが、1947年(昭和22年)6月に不起訴となり釈放された。その後、故郷の唐津で生活し、唐津市選挙管理委員会委員長も務めた。
(wikipediaより一部転載)

 

 軍人としての厳しさを示すエピソードは、著者が佐賀の高校生だった時代、父が宮城の師団の師団長として師団の指揮を執っていた。あまりにも会いたかったので父に会いに行くと

 

「バカッ!何しに来たか、ここは戦場だぞ!」

 

 と一喝されてしまう。その後「すぐ戻れ」と追い返されてしまう。しかし普段は驚くくらいに温厚な家族思いの父親であった。私の好きなエピソードが、著者が文系大学に合格したが、理系であれば徴兵されないという理由で浪人して理系を受けようとする。しかし当時、浪人には父親の承諾がいる。そこで著者は父に電報で『浪人して高校の理科を受けろ』と電報を至急打ってくださいと頼んだ。その後、父親から一通の電報が届く。

 

ロウニンシテコウコウノリカヲウケナサイ

 

 著者はこの電報を見て父はどうしてこんなに優しいのだろうかと泣きたくなったという。軍人である父は息子が浪人するのは徴兵逃れであることは良く分かっているはずだ。それでもそれを認める電報を打つのは子供の選んだ道を承認するという気持ちと同時に、本当は父は息子のような生き方をしたかったのではないだろうかと思った。

 これは本書全体を通して私が感じることだ。本書はリベラル精神の持ち主である著者から見た父であるのでもちろんそういう視点で見ている。しかしそれを差し引いても父はリベラルだったと思う。負ける戦争であることを当初から知っていた樋口中将は戦争後期に宮崎の師団の師団長に任命されて息子が見ても凛々しい軍服に中将の階級章を付けて出かけていく。

 そして戦後、著者は「高級軍人であるお父さんは物資を山積みにして戻ってくる。そうしたら大金持ちだ」というような嫌味を周りから言われていた。心の中では父親がそんなことはしないと信じていた著者は実際帰ってきた父を見て愕然とする。

 

 汚いナッバ服(作業服)にござ一枚。

 

 それが戦争から帰った父であった。そして父親を送ってくれた兵士が著者にこう報告する。

 

「ご子息に報告致します。トラックに一杯、兵の手により山のように物資を乗せてありましたが、閣下はそれを見て激怒されまして、『ばかっ!所定の配分通りに配分し直せ』と命令され、閣下はこのござ一枚に座られて、熊本から参りました」

 

 その父は出征する時以上に立派な姿だったと著者は回顧している。そして父は信頼を裏切らなかった。報告した兵士も感動したのだろう。樋口中将はリベラルで人格者でもあったようだ。本書はとにかく良かった。久しぶりに時間が経つのを忘れる素晴らしい本だ。北九州市自分史文学賞の応募作品の書籍化なのであまり部数は出ていないと思う。欲しいと思ったら早めに買った方がいい。

 

 

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ユヴァル・ノア・ハラリ 著
出書房新社 (2016/9/9)

 

 私がツィッターをフォローしているホリエモンが絶賛していたので読んでみた。あくまでも私の考え方なのだが、本というのは二つの目的がある。一つは知識を習得するため。もう一つは理論を習得するためだ。私はこのような考え方で読書をする。読み方は基本的には一緒だけど。。。理論は身体で例えると骨、知識は筋肉だ。人間の知能というのは理論と知識で構成されている。理論が基本にあって知識をそれにはめていく。

 その考え方でいくと、本書は完全に理論系の本だ。内容は人類史というかなり大きな話である。人類がそもそも弱小生物から地球上にのさばりだした理由なんであるのかそこから始まる。答えはフィクションを信じる力だ。これはなかなか実感が持ちにくいが社会システムというのはほとんどがフィクションだ。会社や国等というのもフィクションだ。だって見えないでしょ?

 みえるのは目の前にいる精々数十人。これらは目で見て身振り手振りや言葉で通信し合える。だから同じグループだと考えることができる。しかし数千人というあったことも無い人を含めた自分が一つの集団であると信じるのはフィクションでしかない。目に見えないからだ。人類はこの能力で大規模事業を行うことができるようになった。農耕などもそうだ。さらにお金というフィクション(金はただの概念でしかないのは理解できると思う)を共有することで経済を発達させることができた。

 そしてその経済が膨張しだしたのは何故なのか。それは科学と技術が融合したからだ。科学が技術と結びつき経済がリソースを提供すると新しい発明が起こる、産業が興る。そうすると経済が膨張する。経済は膨張し続けるというフィクションが生まれる(誰も直に見ることができないのでフィクションだ)。実際、経済活動から供給される資金によって新しい科学技術が発明される。結果、経済は実際に膨張する。そのループを繰り返しているのが現在だ。

 例えば石油、かつて石油の枯渇問題が話題になっていたが、現在はあまり話題になっていないことに気付いただろうか。人類は石油がなくなったとしても科学技術によってまた新しいエネルギーを作り出すことができるのであまり問題にはならないのだ。科学技術によって世界は膨張し続ける。そして人類は科学の行きつく先として超ホモサピエンスを生み出して行くという。それは遺伝子工学や他の先端科学を駆使して人類が作り出す新しい知的生命体だ。

 この知的生命体が何をするのかは誰にも分らない。なぜなら人類を超えているから人類には理解ができない。

 

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百田尚樹 著
幻冬舎 (2018/11/12)

 

本書の構成

 

 『永遠の0』等の著作で有名な作家、百田尚樹氏による日本通史という触れ込みの本である。内容は時系列順に原始から現在に至る歴史の概略が描かれているが、通史というよりもそれぞれの時代の特徴的な出来事をピックアップした短編集的な構成になっている。

 各出来事の内容は基本的に一般的な教科書の内容や日本人の一般的な歴史認識に沿っているため極端な主張がある訳ではない。恐らく教科書や概説書をまとめたのだろう本文の最後に百田氏が感想を付け加えるというのが基本的なスタイルである。感想は基本的に「日本は素晴らしい」「外国から評価された」というような内容が多く、所々に推測が含まれているが、推測の多くは「推測である」と明記しているので分かりやすい。

 ただ、参考にしている概説書、若しくは教科書が若干古いようでそこが気になるところである。原始時代から江戸時代までは前述のように一般的な通説に百田氏がコメントを書いていく形式であるが、近代になると若干詳しくなる。戦後が最も興味があるようで普通の教科書や概説書には書いていない記述が多い。

 

百田尚樹氏を知るためには面白い本

 

 全体的に著者独自の視点で通史的に日本史をみるというような本ではなく、教科書的な内容の歴史が淡々と語られるが、段落の最後に「日本人は素晴らしい」という感覚的な感想部分が入ってくるというのがパターンである。このため、この部分と本文は書いている人が違うのではないのかという疑問すら感じるときがある。

 本書は基本的にネット保守や右派に向けて書かれている本だと思うのだが、女性の社会進出や識字率の高さを評価したり、南京事件についても30万人の大虐殺は虚偽だとしつつも日本軍兵士による虐殺や犯罪行為があったことは認めていたりと内容的には妙にリベラルであるが、朝鮮・韓国人は本当に嫌いなようで、この部分になると文章に熱がこもってくる。

 ただ、本文中に『日本書紀』に「大御宝」と書かれている等、『日本書紀』を読んだことがないとはっきりと分かる(日本書紀にこのような記述はない)記述等を読んでいると百田氏はあまり歴史に興味が無いのだろうと感じる。ただ、百田氏がどういう知性、価値観を持っているのかを知る上では非常に面白い本である。

 

まとめ

 

 百田氏を知るための本として読むのは面白いが、正直、歴史本としては今ひとつである。個人的な感想であるが、内容があまりにも中途半端であるため「この本、本当に読んでいる人いるのかな?」と思ってしまうことが読書中何度もあった。しかし賛成するにも批判するにも一度は目を通しておくことをおすすめする。

 

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