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戦艦

戦艦シャルンホルスト01
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦シャルンホルスト級はポケット戦艦ドイッチュラント級の4番艦、5番艦として計画されたが大型艦に計画を変更されて完成した艦である。第二次世界大戦時にはドイツ海軍の主力として活躍、英空母撃沈の戦果もあげた殊勲艦である。

 

戦艦 シャルンホルスト級 〜概要〜

 

 

性能

 通常排水量 31850トン
 最大排水量 35540トン
 全長 229.8m
 全幅 30m
 吃水 9.91m
 機関出力 16万馬力
 最大速力 31ノット
 航続距離 10000海里/17ノット
 乗員 1669名
 武装 54.5口径28cm砲3連装3基
    15cm砲2連装6基
    10.5cm高角砲2連装7基
    37mm高角機関砲2連装8基
    20mm高角機関砲単装10基
    水偵4機
 装甲 舷側35cm
    甲板10.5cm
    主砲36cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 シャルンホルスト級は当初はドイッチュラント級の4番艦、5番艦として建造される予定であったが、フランスがダンケルク級を起工したためより大型の戦艦として設計変更が行われた。主砲はドイッチュラント級と同様の28cm砲であったが、54.5口径の新型に変更された上に前部に3連装2基、後部に同1基を設置しており、さらには38cm連装砲への改修も計画されていた。さらにこの時代の戦艦にしては珍しく53.3cm水上魚雷発射管も装備している。

 主機もディーゼルから超高圧タービンに変更、31ノットの高速を発揮した。当初、シャルンホルスト級の艦首は旧来の垂直に近い形のものであったため、高速航行により波しぶきが艦橋にまで到達してしまい、漏水等の被害が発生したため艦首の形状をアトランティック・バウに改修されたが、凌波性の問題は根本的に解決することはなく、シャルンホルスト級の慢性的な欠点となった。装甲は、計画が度々変更されたためか意外に弱く舷側の大部分は4.5cmの装甲厚しかなかった。

 

建造

 1番艦シャルンホルストは1935年6月に起工、2番艦グナイゼナウは1935年5月に起工した。就役は、1番艦シャルンホルストが1939年1月、2番艦グナイゼナウが1938年5月である。

 

戦歴

 

戦艦シャルンホルスト
(画像はwikipediaより転載)

 

 1930年6月30日に起工されいているが一時建造中止となり、1935年6月15日に建造再開している。1939年1月に竣工したが、公試時に艦首が波をかぶるという不具合が発生、このため6月には艦首形状を変更したが、今度は錨鎖口から波が甲板に吹き上げたので、前部砲塔は浸水により電気系統が故障することがしばしばであった。

 1939年11月、改修作業の終了したシャルンホルストは同型艦のグナイゼナウ、軽巡洋艦ケルン、駆逐艦9隻と共にアイスランドとフェロー諸島のパトロールに出撃した。この出撃の目的は南大西洋で活躍していたポケット戦艦シュペー号を攻撃するための連合軍の戦力を分散することが目的であった。同月、イギリス仮装巡洋艦を捕捉、戦闘状態に入り同艦を撃沈し帰投した。1940年2月、ノルトマルク作戦に参加。4月にはノルウェー侵攻作戦、ヴェーゼル演習作戦の支援部隊として活躍した。

 4月8日には英戦艦レナウンと交戦、グナイゼナウは2発の命中弾を受けた。このためシャルンホルスト、グナイゼナウ共に要修理となりドッグ入りする。6月4日には修理を終え出撃、6月8日には2隻の駆逐艦に護衛されている英空母グローリアスと交戦状態に入った。この戦闘で戦艦シャルンホルストは24200mでグローリアスに砲弾を命中させるという海戦史上最長の砲撃命中記録を出す。グローリアスは撃沈したもののシャルンホルストも護衛駆逐艦の雷撃により被弾、大損害を受ける。その後も航空攻撃を受けつつも辛うじてキール軍港に入港し修理を受けた。

 1941年1月22日、大西洋での通商破壊作戦であるベルリン作戦に参加、合計49,000トンを撃沈するという戦果を挙げた。3月にはフランスのブレスト軍港に入港ここで修理を受ける。4月には、数度の航空攻撃を受け、戦艦グナイゼナウは大損害を受ける。7月には損害の無かったシャルンホルストは修理後の試験と訓練のためラ・パリスに移動するが、ここで英空軍による攻撃で損害を受けたのち、再びブレストに移動する。一方、グナイゼナウは修理と共に改装を受けている。

 1942年1月、修理の済んだシャルンホルストと修理及び改装が終了したグナイゼナウはケルベロス作戦により英仏海峡を強行突破、2月13日にはヴェルヘルムハーフェンに入港、その後キール軍港にて修理を受けたが、グナイゼナウは2月の空襲により大破してしまった。損害の無かったシャルンホルストは1943年3月にノルウェーへ展開、9月には連合軍施設の砲撃を実施、無事に帰還したが、12月、イギリス輸送船団攻撃のため出撃、護衛の英戦艦デューク・オブ・ヨーク以下の英艦隊と交戦、撃沈された。1968名中生存者は僅か36名であった。

 一方大損害を受けたグナイゼナウに対しては大改修が決定、戦艦ビスマルクと同口径の主砲の搭載も計画されていたが、1943年1月のヒトラーの大型艦廃棄命令により廃艦が決定。砲塔は陸揚げされ要塞砲として活用、艦は水上貯蔵庫、防空シェルターとして使用された。1945年3月、ソ連軍の接近によりゴーテンハーフェン湾口に曳航され閉塞船として沈められた。1951年9月、サルベージ会社により浮揚後、スクラップとして解体された。

 グナイゼナウから陸揚げされた副砲はその後もデンマーク軍の要塞砲として使用され続けた。1984年に予備役編入されたが、以降も毎年訓練で発射され続けた。2000年、最後の射撃ののち博物館となる。

 

まとめ

 

 シャルンホルスト級はドイツ海軍の主力艦として第二次世界大戦を戦い抜いた。シャルンホルストは海戦により撃沈されてしまうが、グナイゼナウはヒトラーの大型艦廃棄命令により自沈、閉塞船となる奇妙な最期を遂げた。確かにこの時期に大型艦の必要性は低下しており合理的な判断だったといえるかもしれない。

 

関連リンク

前級ドイッチュラント級戦艦

 

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01_戦艦ポチョムキン
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ポチョムキンの反乱として有名なロシア戦艦。最新のクルップ鋼で武装された新鋭艦で第一次世界大戦で活躍、ロシア革命で機関部を破壊されたのち1925年に除籍、解体された。

 

戦艦クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12582トン
 最大排水量 -トン
 全長 115.36m
 全幅 22.25m
 吃水 8.23m
 機関出力 1万600馬力
 最大速力 16.6ノット
 航続距離 3400海里/10ノット
 乗員 750名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    15.2cm砲単装16基
    7.5cm砲単装14基
    4.7cm砲単装6基
    38.1水中発射管5門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 黒海艦隊用に建造された戦艦で装甲には最新のクルップ鋼を採用している。他にも統一射撃統制装置を採用したことや石油と石炭併用のボイラーシステムを採用している。主砲は当時としては平均的な30.5cm砲で砲身長は40口径である。揚弾、装填は電動で発射速度は1発/分である。

 

同型艦

戦艦クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー(起工1898年10月、竣工1905年5月)

 

戦歴

02_戦艦ポチョムキン
(画像はwikipediaより転載)

 

 当初は1903年を予定していた本艦は事故により竣工が遅れ、1905年5月にやっと竣工した。竣工直後の6月に有名なポチョムキンの反乱が発生した。9月には戦艦パンテレイモンと改名される。1910年オーバーホールを受け、さらに1912年にはオスマン帝国の弩級戦艦に対抗するために改修を受けた。

 第一次世界大戦開戦によりロシア海軍の艦艇として数々の戦闘に参加する。1917年の二月革命により艦名を公爵を意味するクニャージを除いたポチョムキン・タウリチェスキーに改名する。しかし艦名の由来となったポチョムキン公爵は圧政者であったため、艦名をボレーツ・ザ・スヴォボードゥに改名した。

 1917年12月には赤軍の管理下に編入される。1918年2月よりウクライナに放置される。11月には侵攻してきたイギリス・フランス軍に拿捕、1919年にはイギリス軍によって機関を爆破、武装が撤去された。ソビエトにより奪還されたのちの1925年11月除籍、解体された。

 

 

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01_戦艦オスラビア
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ペレスヴェート級は、軽装甲、軽武装で高速という後の巡洋戦艦のような戦艦で姉妹艦全艦が日露戦争に参加している。内、バルチック艦隊旗艦となったオスラビア以外は日本軍に鹵獲され戦艦相模、周防となった。戦艦ペレスヴェートはのちにロシアに返却された。

 

戦艦ペレスヴェート級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12683トン
 最大排水量 -トン
 全長 132.43m
 全幅 21.79m
 吃水 7.92m
 機関出力 1万5000馬力
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 10000海里/10ノット
 乗員 752名
 武装 45口径25.4cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装11基
    7.5cm砲単装20基
    4.7cm砲単装20基
    38.1cm水上発射管3門
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 22.9cm
 同型艦 3隻

 

特徴

02_戦艦周防
(画像はwikipediaより転載)

 

 ペレスヴェート級は、兵装、装甲を抑える代わりに速力を重視した戦艦である。結果、18.5ノットとロシア戦艦中最高速を実現した。船体の装甲にはハーヴェイ鋼や最新のクルップ鋼を使用しているものの戦艦というよりのちの巡洋戦艦に近い物であった。主砲は当時の主流である30.5cm砲ではなく、口径の小さい25.4cm砲であった。

 

同型艦

ペレスヴェート(起工1895年11月、竣工1901年6月)
オスラビア(起工1898年10月、竣工1901年8月)
ポベーダ(起工1898年8月、竣工1902年7月)

 

戦歴

03_戦艦ペレスヴェート
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦ペレスヴェートは完成すると極東艦隊に配属され、1902年旅順に到着した。1904年日本軍の砲撃により旅順港内で沈没した。その後、日本軍に鹵獲され戦艦相模として日本海軍に編入された。1916年4月ロシアに返還されたが1917年1月にドイツ軍が敷設した機雷に触雷撃沈した。

 2番艦オスラビアは1901年に竣工はしたものの計画よりも排水量がオーバーしてしまった関係で稼働が1903年にまでずれ込んでしまった。竣工したオスラビアはバルチック艦隊の旗艦として喜望峰を周り対馬海峡に到着するが日本海海戦で日本海軍の集中砲火を浴び撃沈された。

 3番艦ポベーダは就役後の1903年、極東艦隊に配属され旅順艦隊に配属された。日露戦争での日本軍の砲撃により旅順港内で沈没、後に日本軍に鹵獲された。鹵獲後は戦艦周防として日本海軍に編入された。1912年には一等海防艦に類別変更、第一次世界大戦では青島攻略戦に参加、艦砲射撃を行う。1922年、ワシントン軍縮条約により除籍、護岸用として自沈した。

 

戦艦ペレスヴェート級(関係書籍)

 

連合艦隊vsバルチック艦隊―日本海海戦1905

ロバート・フォーチェック
大日本絵画 (2009/12/1)

 日本海海戦について歴史的背景、兵器、人員、戦略など、総合的に書かれた本。日本海海戦について詳しく知りたいという方にはおススメ。

 

ツシマ 上 ~バルチック艦隊遠征

ノビコフ・プリボイ
原書房; 新装版 (2009/11/20)

 日本海海戦に参加したロシア海軍水兵の記録。日本海海戦で捕虜になった際に捕虜仲間から当時の状況を聞き取り海戦の全体を調べた。ロシア側から見た日本海海戦が分かる貴重な本。

 

日本海海戦の真実 (読みなおす日本史)

野村 實
吉川弘文館 (2016/8/17)

 元海軍士官であり、歴史学の博士号を持つ著者が日本海海戦について書いている。丁字戦法の考案者は秋山真之ではないこと、日本海海戦後の東郷平八郎が神格化されてしまったという問題等、興味深い。

 

 

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01_戦艦ポルタヴァ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ペトロパブロフスク級は速力こそ若干遅かったものの、それ以外の性能面では当時の一流戦艦と比べても遜色のないものであった。同型艦3隻とも日露戦争に参加、3隻とも撃沈されるが、戦艦ポルタヴァは後に日本軍により浮揚、戦艦丹後となったのち再びロシア軍に編入、さらにイギリス軍に鹵獲、ソビエト海軍に編入という数奇な運命を辿る。

 

戦艦ペトロパブロフスク級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 11354トン
 最大排水量 -トン
 全長 112.38m
 全幅 21.31m
 吃水 7.77m
 機関出力 1万1250馬力
 最大速力 16.5ノット
 航続距離 4000海里/10ノット
 乗員 632名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲連装4基
    45口径15.2cm砲単装4基
    4.7cm砲単装12基
    3.7cm砲単装28基
    45.7cm水上発射管2門
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 40.6cm
    甲板 7.6cm
    主砲 35.6cm
 同型艦 3隻

 

特徴

02_戦艦丹後
(画像はwikipediaより転載)

 

 本級は当時の世界の戦艦の水準からしても速力が若干劣る以外は(16.5ノット。同時期に竣工したイギリス戦艦カノーパス級は18ノット)、遜色のない性能を有していた。艦形は艦首、艦尾は著しく突出、かつ水線部分から上部に上がるにつれて絞られていくといういわば「ピラミッド型」のような形状をしていた。これは備砲の視界を確保するためにも有効であった。主砲は40口径30.5cm砲で当時の平均的なもので1発/分の発射性能を持つ。

 

同型艦

戦艦ペトロパブロフスク(起工1892年5月、竣工1899年)
戦艦ポルタヴァ(起工1892年5月、竣工1899年)
戦艦セヴァストポリ(起工1892年5月、竣工1899年)

 

戦歴

03_戦艦チェスマ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ペトロパブロフスクは1899年に就役すると太平洋艦隊に所属。1900年5月に旅順口に到着し、太平洋艦隊の旗艦となった。日露戦争時、旅順港外で触雷して沈没。乗艦していたロシア太平洋艦隊司令官ステパン・マカロフ中将も戦死した。戦艦ポルタヴァは1900年に就役、黄海海戦に参加したが、日本軍による旅順口砲撃により大破着底した。後に日本軍により浮揚鹵獲され戦艦丹後となる。この戦艦ポルタヴァは数奇な運命をたどるがそれは後述する。戦艦セヴァストポリは黄海海戦に参加、旅順港外において駆逐艦、水雷艇の攻撃により着底、日本軍による鹵獲を避けるために1905年1月に沖合で自沈した。

 

戦艦丹後(戦艦ポルタヴァ)

 1905年5月日本軍により浮揚鹵獲された戦艦ポルタヴァは戦艦丹後と命名され一等戦艦として日本海軍に編入された。編入された後、ボイラーは日本製に変更され、さらに兵装などが変更された。1912年には一等海防艦へ類別変更、第一次世界大戦では日本とロシアは同盟国となったため1916年にロシアに返還された。この際、艦名ポルタヴァは既に使用されていたために戦艦チェスマと変更された。

 

戦艦チェスマ(戦艦ポルタヴァ)

 戦艦チェスマとなったポルタヴァは白海艦隊に編入、ロシア内戦ではソビエト軍に参加した。このためロシア内戦に介入した連合軍により鹵獲された。イギリス軍では刑務所として使用されていたが、イギリス軍の撤退により白海艦隊に復帰、1923年廃棄処分が決定、翌年に解体された。

 

関連リンク

前級シソイ・ヴェリキー級戦艦

 

次級ロスティスラブ級戦艦

 

 

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01_戦艦ドレットノート
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ドレットノートは当時の戦艦の主砲が前後に4門、速力が18ノット程度あったのに対して主砲10門、速力21ノットと圧倒的な火力と速力を発揮した。このために本艦以前の戦艦は一気に陳腐化してしまったという革命的な戦艦である。現在、大きい、スゴイという意味で使用されている「超ド級」という言葉の語源でもある。

 

戦艦ドレットノート級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 18110トン
 最大排水量 -トン
 全長 160.6m
 全幅 25m
 吃水 9.4m
 機関出力 2万3000馬力
 最大速力 21ノット
 航続距離 6620海里/10ノット
 乗員 773名
 武装 45口径30.5cm砲連装5基
    40口径7.6cm砲単装27基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 279cm
    甲板 7.6cm
    主砲 27.9cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 戦艦史に革命をもたらした戦艦である。本級以前の戦艦は基本的に前後に主砲塔を持ち、舷側に副砲を多数配置するというのが基本的な方であったが、本級は、主砲塔を前後に2門、舷側左右に2門、戦艦の中心線上中央部に1門の合計5基(10門)を装備する。これによりあらゆる方向への攻撃に対して最低でも6門の主砲を発射することができる。以前の戦艦と比較すると正面では前弩級戦艦が2門であるのに対してドレットノートは6門、側面では前弩級戦艦が4門であるのに対してドレットノートは8門と圧倒している。

 さらに機関も高速を出すために最新のタービン機関を採用、これにより前弩級戦艦が18ノット程度であったのに対して21ノットという高速を出すことが出来た。この高速により戦場ではドレットノートが「敵を選べる」状態になったといっていい。主砲を強化したことによりそれまで艦首下部に付いていた衝角は廃止された。

 しかし新しい型であることから問題点も多かった。まず、舷側の装甲板が下に設置しすぎたために水面下に没してしまい価値を半減させてしまった。そして檣楼の前に煙突を設置したことにより檣楼に煙突からの煙がかかってしまい、射撃式装置の能力を低下させた。これらの欠点はあったものの前弩級戦艦の倍の火力と3ノットの優速はそれまでの戦艦を一気に陳腐化させてしまった。

 

同型艦

(起工1905年10月、竣工1906年12月)

 

戦歴

02_戦艦ドレットノート
(画像はwikipediaより転載)

 

 1906年に就役したドレットノートは1907年から1911年までイギリス本国艦隊の旗艦を務めた。1914年に第一次世界大戦が始まるとドレットノートは北海第4戦艦戦隊の旗艦として活動した。1915年にはドイツ海軍の潜水艦U-29を体当たりで撃沈したが、これは戦艦による潜水艦撃沈の唯一の戦果であり、その記録を作ったのが衝角を廃しした本艦であったのは皮肉であった。

 本艦登場以後の弩級戦艦の発達は目覚ましく第一次世界大戦時にはすでに低速艦となっていたこともあり、本艦はドイツ航空機に対して対空戦闘をした以外は戦闘には参加していない。戦後は予備艦となり、1920年3月に退役、1923年解体された。

 

戦艦ドレットノート(模型)

 

トランペッター 1/700 イギリス海軍戦艦 HMS ドレッドノート 1915 プラモデル

 中国のトランぺッター社の製品。1/700と艦船模型では標準サイズといっていい。

 

ズベズダ 1/350 イギリス戦艦 ドレッドノート ZV9039 プラモデル

 ロシアのズベズダ社のドレットノート。スケールは1/350と大きい。

 

イギリス海軍戦艦ドレッドノート: 弩級・超弩級戦艦たちの栄光 1906-1916 (オーナーズ・ワークショップ・マニュアル)

 一冊ドレットノートについて書いてある本。かなり詳しい。ドレットノートへの愛が止まらない方にはおススメ。

 

まとめ

 

 ドレットノートは戦艦史の革命ともいえる艦であった。前弩級戦艦との戦いでは正面では3倍、側面でも2倍の火力で圧倒した。さらに速力が3ノットも高速であったため、ドレットノートが戦場を選ぶことができるという無敵の戦艦であった。しかし、実戦に投入された時点ではすでに旧式化しており目立った活躍をすることはなかった。とはいえ本艦の登場が世界に与えた衝撃は小さくない。

 

 

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01_戦艦ロスティスラブ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ロスティスラブは世界で初めて石炭・重油混合燃焼装置を採用した戦艦であった。主要装甲部分にハーヴェイ鋼を使用した強力な防御力を持った戦艦であったが、主砲が25.4cm砲と攻撃力が弱かった。第一次世界大戦では艦砲射撃等に活躍した後、ロシア革命で放棄され、ドイツ軍に接収、さらにドイツの敗北によりイギリス軍に接収されるという数奇な運命を辿った。

 

戦艦ロスティスラブ 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 8880トン
 最大排水量 -トン
 全長 107.23m
 全幅 20.73m
 吃水 6.71m
 機関出力 8700馬力
 最大速力 15.6ノット
 航続距離 3000海里/10ノット
 乗員 650名
 武装 45口径25.4cm砲連装2基
    15.2cm砲連装4基
    4.7cm砲単装12基
    3.7cm砲単装16基
    45.7cm水上発射管4門
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 35.6cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 1隻

 

特徴

02_戦艦ロスティスラブ
(画像はwikipediaより転載)

 

 沿岸防御型の小型戦艦である戦艦ロスティスラブは黒海艦隊用として竣工した。特徴は主砲のみならず副砲も砲塔式となり、主要部分の装甲は最新のハーヴェイ鋼が使用された。世界初の石炭・重油混合燃焼装置を採用した戦艦でもある。主砲が当時主流であった30.5cm砲ではなく25.4cm砲であり、攻撃力が劣るという欠点があった。主砲弾は1門当り80発、合計320発が内蔵されていた。

 

同型艦

戦艦ロスティスラブ(起工1894年1月、竣工1896年8月)

 

戦歴

 黒海艦隊に所属した戦艦ロスティスラブは1905年、戦艦ポチョムキンの反乱の鎮圧に参加した。第一次世界大戦が始まると艦砲射撃等に活躍した。1917年のロシア革命の当初は本艦も戦闘力を維持していたが、1918年になると規律は乱れ、乗組員は艦を去っていった。

 結局、セヴァストポリで放棄された戦艦ロスティスラブはセヴィストポリを占領したドイツ軍に接収されるが、1918年、第一次世界大戦が終結すると今度はイギリス軍に接収された。1919年、イギリス軍が撤収する時にロスティスラブの動力を破壊したため、以後は浮砲台として使用された。1920年11月に自沈させられ、1930年に解体された。

 

 

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01_戦艦シソイ・ヴェリキー
(画像はwikipediaより転載)

 

 ロシア海軍の前弩級戦艦である。舷側をニッケル鋼で覆い、主砲の全周囲にもニッケル鋼の装甲を設ける等、近代戦艦としての完成度を高めた戦艦である。義和団の乱の鎮圧に活躍したが、日本海海戦で日本駆逐艦の雷撃により撃沈された。

 

戦艦シソイ・ヴェリキー 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10400トン
 最大排水量 -トン
 全長 107.23m
 全幅 20.73m
 吃水 7.77m
 機関出力 8500馬力
 最大速力 15.7ノット
 航続距離 -海里/-ノット
 乗員 586名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    15.2cm砲単装6基
    4.7cm砲単装12基
    3.7cm砲単装18基
    45.7cm水上発射管6門
 装甲 舷側 40.6cm
    甲板 7.6cm
    主砲 30.5cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 バルト艦隊初の1万トン級戦艦ナヴァリンの系統をひく戦艦であるが、船体形状は英戦艦ロイヤルサブリン級に酷似している。戦艦ナヴァリンと同様、バルト艦隊用の戦艦として建造された。装甲は戦艦ナヴァリンが複合装甲であるのに対してシソイ・ヴェリキーはニッケル鋼と進化している。さらに主砲フランス式の全周囲が防御されている形式で天蓋にも装甲が施された。発射速度は1発/1分である。最大の特徴はロシア戦艦として初のボイラーにベルヴィール水管缶を採用したことである。

 

同型艦

戦艦シソイ・ヴェリキー(起工1891年7月、竣工1896年8月)

 

戦歴

02_戦艦シソイ・ヴェリキー
(画像はwikipediaより転載)

 

 同時期に建造された戦艦ナヴァリンと同様に本艦も部品の供給や技術的な問題により竣工までに5年以上を要した戦艦であった。竣工後はバルト艦隊に配属され地中海海域の作戦に従事しました。1900年に中国で義和団の乱が勃発すると戦艦ナヴァリンと共に中国に派遣された。

 1902年には修理のためにバルト海に戻るが1904年、日露戦争によってバルチック艦隊に配属される。日本海海戦での砲撃戦では沈まなかったが、夜間に日本海軍の駆逐艦の雷撃により撃沈された。

 

 

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01_戦艦ナヴァリン
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ナヴァリンはロシア海軍初の1万トン級戦艦である。主砲こそ古かったものの低い乾舷と40cmに及ぶ重装甲によって建造当時は撃沈不可能と言われていた。1904年、バルチック艦隊に配属され、日本海海戦で鈴木貫太郎司令麾下の駆逐艦隊の攻撃により撃沈された。

 

戦艦ナヴァリン 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10206トン
 最大排水量 -トン
 全長 109m
 全幅 20.42m
 吃水 8.38m
 機関出力 9140馬力
 最大速力 15.5ノット
 航続距離 3050海里/10ノット
 乗員 622名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    15.2cm砲単装8基
    4.7cm砲単装8基
    3.7cm砲単装15基
    38.1cm水上発射管6門
 装甲 舷側 40.6cm
    甲板 6.3cm
    主砲 30.5cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 戦艦ナヴァリンはバルト艦隊用に建造されたバルト艦隊初の1万トン級戦艦である。舷側で最大40.6cmにもなる複合装甲と並列で配置された4本の煙突が特徴である。その他司令塔や主砲にはフランス製のニッケル鋼が使用され防御力の強化が図られており、さらに極めて低い乾舷を採用したため、船体面積を減らすことができ、重装甲と相まって就役当時は砲撃での撃破は不能と看做されていた。

 逆に乾舷の低さは高い防御力を発揮はしたが航洋性という点から見ると欠点であった。主砲は30.5cm連装砲2基と当時の平均的な装備であったが、当時でもすでに旧式化している黒色火薬を使用していた。

 

同型艦

ナヴァリン(起工1890年5月、竣工1895年6月)

 

戦歴

 1890年に起工し、1891年10月に進水したナヴァリンであったが、装備の納入が遅れたことやボイラーの不具合によって竣工したのは1896年と遅かった。竣工したナヴァリンは予定通りバルト艦隊に配備され、地中海を中心に活動した。1898年にはスエズ運河からシンガポール、香港を経て極東に派遣され、義和団の乱の鎮圧に活躍した。

 1902年、義和団の乱の鎮圧が完了するとナヴァリンはバルト海に戻った。そこで改修を受ける。この改修によってナヴァリンは測距儀、無線機が装備された。さらに砲塔の増設も行われている。1904年に日露戦争が勃発するとナヴァリンはバルチック艦隊に配属され、喜望峰を周り極東へ向かった。1905年日本海海戦において「鬼貫太郎」こと鈴木貫太郎司令率いる駆逐艦隊の雷撃により撃沈された。

 

関連リンク

 

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01_戦艦アドミラール・ウシャコーフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦アドミラール・ウシャコーフはロシア海軍の海防戦艦である。同型艦3隻が建造され、3隻とも日本海海戦に参加する。1番艦以外は日本軍に鹵獲され、海防艦見島、沖島となる。その後も様々に類別を変更されたのち1930年代中盤から後半まで使用された。

 

戦艦アドミラル・ウシャコフ級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 4971トン
 最大排水量 -トン
 全長 87.32m
 全幅 15.83m
 吃水 5.94m
 機関出力 5750馬力
 最大速力 16ノット
 航続距離 2600海里/10ノット
 乗員 404名
 武装 45口径25.4cm砲連装2基
    45口径25.4cm砲単装1基
    12cm砲単装4基
    4.7cm砲単装6基
    3.7cm砲単装16基
    38.1cm水上発射管4門
 装甲 舷側 25.4cm
    甲板 7.6cm
    主砲 20.3cm
 同型艦 3隻

 

特徴

02_海防艦沖島
(画像は海防艦沖島 wikipediaより転載)

 

 本級はドイツ海軍のオーディン級やスウェーデン海軍の艦艇に対抗して建造された海防戦艦である。本来は4隻建造することを計画されていたが3隻のみが就役した。装甲は旧来のニッケル鋼であるが、3番艦ゲネラール=アドミラール・アプラークシンのみは最新のハーヴェイ鋼を使用している。このため3番艦のみは装甲が薄くなっている。

 

同型艦

アドミラール・ウシャコーフ(起工1892年1月、竣工1895年2月)
アドミラール・セニャーヴィン(起工1892年8月、竣工1894年8月)
ゲネラール=アドミラール・アプラークシン(起工1894年10月、竣工1896年5月)

 

戦歴

03_砕氷艦見島
(画像は砕氷艦見島 wikipediaより転載)

 

 就役後、訓練に従事した本級であったが、日露戦争が始まると3隻ともバルチック艦隊に編入されスエズ運河を通りインドシナでバルチック艦隊本隊と合流した。日本海海戦により1番艦は撃沈、2番艦、3番艦は日本軍に鹵獲された。

 鹵獲後、日本海軍に編入され、2番艦アドミラール・セニャーヴィンは海防艦見島、3番艦ゲネラール=アドミラール・アプラークシンは海防艦沖島と改名された。編入された後は第4艦隊に所属、見島は砲塔の爆発事故により主砲、副砲等が換装されている。

 第一次世界大戦が始まると両艦ともに青島方面での作戦に参加した。沖島は1922年除籍、その後雑役船となり、佐世保で練習船として使用された。1924年廃艦となり、当初は記念艦として保存する予定であったが荒天時に座礁、破壊されたため1939年に解体された。

 一方、見島は1918年に砕氷艦として改装され、シベリア出兵ではウラジオストクやシベリア方面に進出した。1922年には潜水母艦に改造され、十年以上にわたり活躍する。1935年10月除籍、1936年5月標的艦として沈没した。

 

 

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01_戦艦トリ・スヴィティテリア
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦トリー・スヴャチーチェリャは建造当時はロシア最大の戦艦であった。19世紀末の建造から第一次世界大戦まで参加し、ソビエト海軍に編入されて1923年に廃艦となったという長期間使用された艦であった。これは主砲を最新の40口径30.5cm砲を採用したことによる。

 

戦艦トリー・スヴャチーチェリャ 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12480トン
 最大排水量 -トン
 全長 115.14m
 全幅 22.25m
 吃水 8.66m
 機関出力 11300馬力
 最大速力 17ノット
 航続距離 3980海里/10ノット
 乗員 753名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    15.2cm砲単装8基
    12cm砲単装4基
    4.7cm砲単装10基
    3.7cm砲単装40基
    45.7cm水上発射管4門
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 7.6cm
    主砲 40.6cm

 

特徴

 戦艦トリー・スヴャチーチェリャは竣工時点でロシア海軍最大の戦艦で名前はロシア語で「三成聖者」の意味。装甲は国産装甲ではなく、イギリスより輸入したニッケル鋼が使用された。主砲は従前の35口径30.5cm砲ではなく、砲身が延長された40口径30.5cm砲が採用された。動力機関もイギリスからの輸入であるが、最高速度は17.7ノットと高性能を発揮した。本艦は世界で初めて無線通信装置を搭載した戦艦でもある。

 

同型艦

(起工1891年9月、竣工1897年8月)

 

戦歴

02_戦艦トリ・スヴィティテリア
(画像は改装後の戦艦トリ・スヴィティテリアwikipediaより転載)

 

 戦艦トリー・スヴャチーチェリャは竣工すると黒海艦隊に配属。1905年には戦艦ポチョムキンの反乱の鎮圧に参加。1911年から1912年にかけて近代化改修が行われた。この改装では重心が下げられ、各種の兵器類の変更が行われた。外観上も別物といっていいほど変更された。

 第一次世界大戦が始まると、ロシア海軍の数少ない主力艦として艦砲射撃等に活躍、ロシア革命後はソビエト海軍に編入された。1923年に廃艦となるが、1925年になってやっと除籍された。

 

 

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01_戦艦ドヴィエナザット・アポストロフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ドヴィエナザット・アポストロフは1892年に就役した黒海艦隊用の沿岸防御型戦艦である。戦艦ポチョムキンの反乱の鎮圧作戦に参加した以外には目立った活躍は無い。1931年に解体されている。

 

戦艦 ドヴィエナザット・アポストロフ 〜概要〜

 

性能

(画像はwikipediaより転載)

 

 通常排水量 8709トン
 最大排水量 -トン
 全長 104.24m
 全幅 18.29m
 吃水 8.38m
 機関出力 8750馬力
 最大速力 15.7ノット
 航続距離 4000海里/10ノット
 乗員 611名
 武装 30口径30.5cm砲連装1基
    22.8cm砲単装4基
    15.2cm砲単装8基
    4.7cm砲単装10基
    3.7cm砲単装8基
    38.1cm水上発射管5基(ニコライは6基)
 装甲 舷側 35.6cm
    甲板 -cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 戦艦インペラトール・アレキサンドル2世級に次いで建造された艦で、艦名はロシア語で十二使徒という意味。前級の主砲が連装1基であったのに対して2基装備したデザインに優れた戦艦であった。主砲は蒸気機関により動作する。装填機構が船体に固定されていたために砲弾装填時には砲を中央線上に向ける必要があった。このために主砲の発射速度は1発/4分と遅い。主砲に天蓋はない。

 

同型艦

(起工1888年2月、竣工1892年12月)

 

戦歴

02_戦艦ドヴィエナザット・アポストロフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ドヴィエナザット・アポストロフは1892年に就役したが、特に大きな作戦に参加することはなかった。1905年に戦艦ポチョムキンに反乱が起こると鎮圧に出動するが失敗している。1911年武装解除され、1912年に宿泊船に改造された。1918年まで機能していたが、1931年に解体された。

 

 

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01_戦艦インペラートル・アレキサンドル2世
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦インペラートル・アレキサンドル2世級はロシア海軍初の近代戦艦である。姉妹艦にはインペラートル・ニコライ1世があり、バルチック艦隊に配属され、日本海海戦で日本軍に鹵獲された。以降、二等戦艦壱岐となり、1915年に標的艦として撃沈されている。

 

戦艦インペラートル・アレキサンドル2世級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 9500トン
 最大排水量 -トン
 全長 105.53m
 全幅 20.42m
 吃水 7.87m
 機関出力 8500馬力
 最大速力 15.3ノット
 航続距離 4000海里/10ノット
 乗員 611名
 武装 30口径30.5cm砲連装1基
    22.8cm砲単装4基
    15.2cm砲単装8基
    4.7cm砲単装10基
    3.7cm砲単装8基
    38.1cm水上発射管5基(ニコライは6門)
 装甲 舷側 35.6cm
    甲板 -cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 本級はドイツ海軍のザクセン級装甲艦に対抗する目的で建造されたバルチック艦隊用に設計された小型戦艦である。姉妹艦は2隻あり、主砲や装甲等が若干異なる。主砲は連装1基で天蓋が付いているが、破片を防ぐ程度の能力しかない。砲弾の揚弾、装填は水圧によって行われる。発射速度は1発/5分である。

 

同型艦

インペラートル・アレキサンドル2世(起工1885年7月、竣工1891年6月)
インペラートル・ニコライ1世(起工1886年8月、竣工1891年7月)

 

戦艦インペラトール・アレキサンドル2世級の活躍

 

1番艦インペラトール・アレキサンドル2世

02_戦艦インペラートル・アレキサンドル2世
(画像はwikipediaより転載)

 

 1891年に竣工したインペラートル・アレキサンドル2世は、バルト艦隊に配属。1896年8月には地中海艦隊に配属、さらには1897年からはマルタ島に移動、国際艦隊に参加した。1901年9月にはバルチック艦隊の拠点であるクロンシュタットに帰還した。1902年から1904年にフランスで改装を受け武装が強化されたが、1907年には練習艦となり、1917年5月にはザリャ・スヴォボデ(ロシアのカザフスタン近郊の地名)と改称される。1922年スクラップとして売却された。

 

2番艦インペラートル・ニコライ1世

03_戦艦インペラートル・ニコライ1世
(画像はwikipediaより転載)

 

 姉妹艦のインペラートル・ニコライ1世は1891年、バルト艦隊に配属、1893年には大西洋を横断してアメリカに行った。その後、その後、アレキサンドル2世と同様に国際艦隊に所属、太平洋に回航された。日清戦争後の1895年4月には長崎に寄港している。1898年4月には大規模な改修を受けている。1905年1月には第三太平洋艦隊旗艦としてバルチック艦隊に配属、日本海海戦で日本海軍に降伏した。

 

二等戦艦壱岐

 日本海軍によって鹵獲された戦艦インペラートル・ニコライ1世は、二等戦艦壱岐と改名し、横須賀鎮守府籍となるが、同年12月には一等海防艦に類別変更された。1915年5月退役、10月には標的艦として戦艦金剛、比叡の砲撃により撃沈される。

 

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01_戦艦トライアンフ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦スイフトシュア級はチリ海軍がイギリスに発注した戦艦であったが、チリが財政難に陥り購入を放棄したことからイギリスが購入したという複雑な経過を経てイギリス海軍に編入された戦艦であった。性格的には高速戦艦、二等戦艦に該当する。

 

戦艦スイフトシュア級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦スイフトシュア
(画像は戦艦スイフトシュア wikipediaより転載)

 

 通常排水量 11800トン
 最大排水量 -トン
 全長 146.2m
 全幅 21.6m
 吃水 7.7m
 機関出力 1万2500馬力
 最大速力 19ノット
 航続距離 6210海里/10ノット
 乗員 800名
 武装 25.4cm砲連装2基
    19cm砲連装14基
    14ポンド砲単装14基
    7.6cm砲単装2基
    5.7cm砲単装4基
    45cm水中発射管2門
 装甲 舷側 17.8cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 本級は本来、チリ海軍向けに建造された戦艦であった。しかし日露戦争においてロシアが海軍力を増強しており、本級をロシアが購入するのを防ぐためにイギリス海軍が購入したという経緯がある。本級の特徴は排水量11800トン、主砲25.4cm、最高速度19ノットという軽装、高速の戦艦である。このためイギリス海軍で使用されたいた他の戦艦と性格が異なっており、艦隊運用面で支障をきたした。結果的に単独で運用されることが多かった。

 

同型艦

スイフトシュア(起工1902年2月、就役1904年6月)
トライアンフ(起工1902年2月、就役1904年6月)

 

戦歴

03_戦艦トライアンフ
(画像は戦艦トライアンフ wikipediaより転載)

 

 本級は完成すると2隻とも本国艦隊、そして海峡艦隊に配属された。1909年には地中海艦隊に異動、1912年にはどちらも本国艦隊に復帰した。1913年にスイフトシュアは東インド基地、トライアンフは香港基地にそれぞれ配属された。

 1914年、第一次世界大戦が始まるとスイフトシュアはインド洋に展開、その後スエズ運河の防衛に活躍した。トライアンフは中国においてドイツ領青島の攻撃に参加した。その後、地中海に異動するが、1915年5月ドイツ海軍UボートU-21の雷撃で撃沈される。スイフトシュアはガリポリの戦いに参加した後、練習艦、標的艦となり1920年にはスクラップとして売却された。

 

まとめ

 

 本級は独特な経過を経てイギリス海軍に所属したため、他の戦艦との共同運用が難しく、海外で運用されることが多かった。経過においては日本海軍の二等戦艦になる可能性もあったが、結局、イギリス海軍が購入した軽装甲、高速戦艦であった。

 

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01_戦艦ラッセル
(画像はwikipediaより転載)

 

 ダンカン級戦艦はロシア海軍が建造していた高速戦艦ペレスヴェート級に対抗する目的で開発された高速戦艦である。フォーミダブル級を基にして軽装甲、軽武装で高速化した結果、最高速度が1ノット増加し、イギリス海軍随一の高速戦艦となる。

 

戦艦ダンカン級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦ダンカン
(画像は戦艦ダンカン wikipediaより転載)

 

 通常排水量 13270トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.7m
 全幅 23m
 吃水 7.6m
 機関出力 1万8000馬力
 最大速力 19ノット
 航続距離 6070海里/10ノット
 乗員 720名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装10基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 17.8cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 6隻

 

特徴

03_戦艦コーンウォーリス
(画像は戦艦コーンウォーリス wikipediaより転載)

 

 ロシア海軍が建造中の高速戦艦ペレスヴェート級に対抗する目的で建造が決定したのが本級である。本級はフォーミダブル級を基に装甲を薄くし、武装も副砲を16基から10基へと減らすことで軽量化を図った高速戦艦である。これによりフォーミダブル級よりも1000トンの排水量の減量に成功した。さらに機関も主缶を20基に増加した結果、機関出力で3000馬力、速力で1ノットフォーミダブル級よりも優越することとなった。

 

同型艦

04_戦艦エクスマス
(画像は戦艦エクスマス wikipediaより転載)

 

ラッセル(起工1899年3月、竣工1903年2月)
エクスマス(起工1899年8月、竣工1903年5月)
モンターギュー(起工1899年11月、竣工1903年7月)
ダンカン(起工1899年7月、竣工1903年10月)
アルベマール(起工1900年1月、竣工1903年11月)
コーンウォーリス(起工1899年7月、竣工1904年2月)

 

戦歴

05_戦艦ラッセル
(画像は戦艦ラッセル wikipediaより転載)

 

 本級は完成すると地中海艦隊に配属され、以降、本国艦隊、海峡艦隊、大西洋艦隊に所属した。1906年には戦艦モンターギューが事故により沈没したが、他の姉妹艦はそれぞれに任務を遂行していった。1914年に第一次世界大戦が始まると、本級は、海上警備、陸上砲撃等に活躍した。ガリポリの戦いが始まると本級も参加、オスマン帝国の要塞に攻撃を行った。

 1916年4月にラッセル、1917年1月にコーンウォリスがドイツ海軍のUボートにより撃沈された。残った3隻は大戦後半には目立った活躍をすることはなく、第一次世界大戦終了後の1920年に全艦解体された。

 

まとめ

 

06_戦艦アルベマール
(画像は戦艦アルベマール wikipediaより転載)

 

 本級は高速戦艦として設計された戦艦であったが、高速化のために装甲、武装を軽量化したために第一次世界大戦では装甲の脆弱性に悩まされた。しかし、最高速度は19ノット、コーンウォールに至っては20ノット近くも出すことができた。事故で1隻、大戦で2隻が失われ、6隻中退役できたのは3隻という歴戦艦であった。

 

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前級フォーミダブル級戦艦

 

前級ロンドン級戦艦

 

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01_戦艦ブルワーク
(画像はwikipediaより転載)

 

 ロンドン級戦艦は前級フォーミダブル級戦艦として扱われることもあるほぼ同型艦である。違いは装甲の長さのみで、ロンドン級の4番艦、5番艦は排水量、ボイラーが異なるために別級として扱われることもある。ドレットノート級戦艦登場前の最後期の戦艦といえる。

 

戦艦ロンドン級 〜概要〜

 

性能

02_戦艦ロンドン
(画像は戦艦ロンドン wikipediaより転載)

 

 通常排水量 14500トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.6m
 全幅 22.9m
 吃水 7.9m
 機関出力 1万5000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5550海里/10ノット
 乗員 714名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 6.4cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 5隻

 

特徴

03_戦艦ブルワーク
(画像は戦艦ブルワーク wikipediaより転載)

 

 前級のフォーミダブル級とはほぼ同型艦といっていい。違いは水線装甲帯を前方に延長し、前部乾舷の装甲が強化されたことのみである。本級は、ロンドン、ブルワーク、ヴェネラブル、クイーン、プリンス・オブ・ウェールズの5隻が竣工したが、クイーン、プリンス・オブ・ウェールズはボイラーが異なり排水量が若干少ないため別級として扱われることもある。

 

戦歴

04_戦艦ヴェネラブル
(画像は戦艦ヴェネラブル wikipediaより転載)

 

 これら5隻の戦艦は竣工すると地中海艦隊に所属、以降、本国艦隊、海峡艦隊、大西洋艦隊に随時派遣された。第一次世界大戦時には旧式化しており、主力艦とはならなかったが輸送船団護衛や上陸支援、陸上砲台攻撃に活躍した。ブルワークが事故で沈没した以外は、1916年から順次退役、1920年にはスクラップとして売却、1922年には全艦が解体された。

 

同型艦

05_戦艦クイーン
(画像は戦艦クイーン wikipediaより転載)

 

ロンドン(起工1898年12月、竣工1902年6月)
ブルワーク(起工1899年3月、竣工1902年3月)
ヴェネラブル(起工1899年1月、竣工1902年11月)
クイーン(起工1901年3月、竣工1904年3月)
プリンス・オブ・ウェールズ(起工1901年3月、竣工1904年3月)

 

まとめ

 

06_戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
(画像は戦艦プリンス・オブ・ウェールズ wikipediaより転載)

 

 1900年前後は戦艦の黄金時代といっていい。技術革新が進み、戦艦が新造されては旧式化していった。戦艦の寿命も10年程度というのが平均的であろう。後の戦艦に比べると圧倒的に短い。1906年にドレットノート級戦艦が登場したことにより陳腐化に拍車がかかったことも大きい。本級も第一次世界大戦には参加したもののもやは主力艦とはなり得ず支援業務に活躍して退役していった。

 

関連リンク

前級フォーミダブル級級戦艦

 

ダンカン級戦艦

 

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01_戦艦イレジスティブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 日露戦争前に日本海軍に販売した敷島級戦艦は当時世界最高の高性能を誇る戦艦であった。これはイギリス海軍が装備する戦艦の性能よりも勝っていた。このことに脅威を感じたイギリス海軍は敷島級に対抗する性能の戦艦の建造を計画、その結果誕生したのがこのフォーミダブル級戦艦である。

 

戦艦フォーミダブル級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14500トン
 最大排水量 -トン
 全長 131.6m
 全幅 22.9m
 吃水 7.9m
 機関出力 1万5000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5100海里/10ノット
 乗員 780名
 武装 40口径30.5cm砲連装2基
    45口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4.7cm砲単装6基
    45cm水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 日本が購入したイギリス戦艦敷島級の性能がイギリス戦艦を上回っていることに脅威を感じたイギリス海軍が建造した対敷島級戦艦。装甲厚はマジェスティック級戦艦と同じだが、マジェスティック級戦艦がハーヴェイ鋼をしようしていたのに対してより高性能なクルップ鋼を使用しており、3割程耐弾性が強化された。さらに舷側の装甲も艦首から艦尾まで覆っている。

 主砲もマジェスティック級戦艦と同口径ではあるが砲身が延長されマジェスティック級戦艦が40口径だったのに対して本級は45口径となっており、初速、射程、精度共に向上している。推進機関も前級であるカノーパス級の13500馬力に対して15000馬力と強化されており、装甲の強化によって排水量は増したが速度はカノーパス級と同程度を維持している。

 

同型艦

フォーミダブル(起工1898年3月、竣工1901年9月)
レジスティブル(起工1898年4月、竣工1901年10月)
インプラカブル(起工1898年7月、竣工1901年7月)

 

戦艦フォーミダブル級の活躍

 

1番艦フォーミダブル

02_戦艦フォーミダブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 1901年9月に完成したフォーミダブルは地中海艦隊に所属。1904年から1905年まで補修が行われる。1908年4月から海峡艦隊に所属、1908年に一時退役し、改修が行われる。1909年4月、本国艦隊所属、5月には大西洋艦隊に異動する。

 第一次世界大戦が始まるとフォーミダブルは海峡艦隊に所属、輸送艦隊の護衛に活躍する。護衛の任務をダンカン級戦艦と後退したフォーミダブルはポーランド沖で演習の後、駆逐艦の護衛を受けずに活動していたためドイツ潜水艦U-24の雷撃を受け1915年1月1日に沈没する。

 

2番艦レジスティブル

03_戦艦イレジスティブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 竣工したレジスティブルは地中海艦隊に就役する。1902年3月には濃霧の中で商船と接触事故を起こし船体に大きな損傷を受けた。1907年10月から1908年2月まで改修を受ける。1908年4月には海峡艦隊に所属、1910年6月から改修を受ける。改修後の1911年2月、本国艦隊に所属する。

 第一次世界大戦が始まると海上警備、上陸支援等に活躍する。1915年2月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加、1915年3月に機雷に触雷沈没する。

 

3番艦インプラカブル

04_戦艦インプラカブル
(画像はwikipediaより転載)

 

 1901年に竣工した戦艦インプラカブルは地中海に配備される。1902年、1903年から1904年、1905年に補修を受ける。この補修により測距儀と射撃統制装置が追加された。このためマストの形状が変更されている。1905年と1906年にの二度にわたってボイラーの事故が起こっている。このため1908年にはドッグで補修工事を受けている。補修修了後は大西洋艦隊、本国艦隊に所属した。

 第一次世界大戦が始まると他の同型艦と同様に海上警備、上陸支援等に活躍する。1915年1月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加、その後、各種任務に就いたのちに1916年イギリス本国に帰還する。1917年には練習艦となり1919年退役、1922年に解体された。

 

まとめ

 

 フォーミダブル級戦艦は次に建造されるロンドン級戦艦5隻と合わせてフォーミダブル級と呼ばれることもあるが、本稿では別級とした。1906年にドレットノート級戦艦が登場する直前に建造された最後期に属する前弩級戦艦であった。第一次世界大戦時には主力艦とはなり得なかったが、各種支援業務に活躍、本級3隻中2隻が撃沈されるという損害を受けている。

 

関連リンク

前級カノーパス級戦艦

 

前級マジェスティック級戦艦

 

次級ロンドン級戦艦

 

次級ダンカン級戦艦

 

敷島級戦艦

 

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01_戦艦ヴェンジャンス
(画像はwikipediaより転載)

 

 カノーパス級戦艦は日清戦争に勝利し、新たな脅威となった日本に対抗するために建造された戦艦である。合計6隻建造され、建造後は多くが中国基地に配属された。しかし日英同盟の締結により日本の脅威がなくなると順次帰還していく。

 

戦艦カノーパス級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 13150トン
 最大排水量 -トン
 全長 128.5m
 全幅 22.6m
 吃水 8m
 機関出力 1万3500馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 5320海里/10ノット
 乗員 682名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装10基
    4.7cm砲単装6基
    4.5cm水中発射管4門
 装甲 舷側 15.2cm
    甲板 5.1cm
    主砲 20.3cm
 同型艦 6隻

 

特徴

 本級は、日清戦争に勝利し実力を付け始めた日本に対抗するために建造された戦艦である。1899年から1902年にかけて竣工し極東方面に配備された他、本国艦隊、地中海艦隊、大西洋艦隊、海峡艦隊に配備された。

 あくまでも日本戦艦を主眼においたため、日本戦艦が比較的軽装甲であったことから防御装甲は軽減され速力の強化が図られた。装甲には最新のクルップ鋼を使用、装甲厚を減少させ防御力を高めることに成功している。

 エンジンはレシプロ機関であるが水管缶を採用したことにより前級であるマジェスティック級戦艦よりも10%以上出力が増強された。前級よりも1ノット速力で優っている。

 

5番艦アルビオンの進水式の動画

 

同型艦

カノーパス(起工1897年1月、竣工1897年10月)
オーシャン(起工1897年12月、竣工1900年2月)
ゴライアス(起工1897年1月、竣工1900年3月)
グローリー(起工1896年12月、竣工1900年10月)
アルビオン(起工1896年12月、竣工1901年6月)
ヴェンジャンス(起工1898年8月、竣工1902年4月)

 

戦艦カノーパス級の活躍

 

1番艦カノーパス

02_戦艦カノーパス
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦カノーパスは就役すると地中海艦隊に配属される。その後、1905年には東アジアに配属されるが、日英同盟の締結により日本の脅威が無くなると、大西洋艦隊、海峡艦隊、本国艦隊等に配属された。

 第一次世界大戦が始まると南米に派遣されフォークランドの戦いを始め、いくつかの戦闘に参加した。1915年初頭には地中海に派遣され、オスマン帝国の沿岸要塞への攻撃に参加している。その後カノーパスは1916年4月に退役、1918年には宿泊船に改造されたが1920年には解体された。

 

2番艦オーシャン

03_戦艦オーシャン
(画像はwikipediaより転載)

 

 オーシャンは1900年2月に就役すると地中海艦隊に配属。1901年1月には中国基地に配属された後、1905年に海峡艦隊に所属する。予備役に編入された後、1908年から1910年まで再度地中海艦隊に配属される。1910年からは本国艦隊に所属。第一次世界大戦が始まると東インド諸島基地に配属され船団護衛に活躍した。1914年にはエジプトに派遣されスエズ運河防衛に従事する。1915年3月にはオスマン帝国の要塞攻撃に参加するが機雷に触雷して沈没した。

 

3番艦ゴライアス

04_戦艦ゴライアス
(画像はwikipediaより転載)

 

 ゴライアスは1900年3月に就役するとそのまま中国基地に配属された。1903年地中海艦隊所属、1906年海峡艦隊所属、1907年本国艦隊に所属。数度地中海に派遣された後、1909年には予備役に編入される。第一次世界大戦が始まると現役に復帰し、船団護衛、上陸支援等に活躍したが、1915年5月にオスマン帝国の駆逐艦の攻撃により撃沈された。

 

4番艦グローリー

05_戦艦グローリー
(画像はwikipediaより転載)

 

 グローリーは1900年11月に就役、1901年から1905年まで中国基地に配属された。1905年後半にはイギリスに戻り海峡艦隊、本国艦隊に所属する。1907年の階層の後、地中海艦隊に所属、1909年4月予備役に編入。1914年に第一次世界大戦が始まると現役に復帰した。

 第一次世界大戦では北米、西インド諸島の基地に配属され艦隊旗艦を務めた。1915年6月には再び地中海艦隊に所属、各種戦闘、支援業務に参加する。1919年退役。1920年に名称をクレセントに変更され、1922年に解体された。

 

5番艦アルビオン

06_戦艦アルビオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 アルビオンはテムズ鉄工所で1896年6月に進水するが、この時にアルビオンが起こした波により34人が死亡する事故が発生する。アルビオンはカノーパス級の戦艦の中で最も初期に起工した艦の一つであったが、機械の納入の遅れ、さらには装備機器の欠陥のために竣工は1902年と遅れてしまった。

 1901年6月に竣工するとそのまま香港に派遣され中国基地の旗艦となった。しばらくは中国基地で活動を続けたが、1905年日英同盟の締結により本国に帰還。海峡艦隊に所属するが、戦艦ダンカンと衝突事故を起こすが、幸い損害はなかった。。1906年4月にはオーバーホールを受ける。1907年にはポーツマスの本国艦隊に所属する。

 第一次世界大戦が始まるとアルビオンは各種作戦に参加、1915年にはオスマン帝国の海岸砲台の砲撃により損傷、マルタ島で修理を受ける。その後も船団護衛等に活躍した。1918年10月退役、1919年8月宿泊艦となり、1920年1月に解体された。

 

6番艦ヴェンジャンス

07_戦艦ヴェンジャンス
(画像はwikipediaより転載)

 

 1902年4月に就役すると中国基地に配備される。日英同盟の締結により日本の脅威がなくなるとヨーロッパに戻る。1905年より改装を受ける。1906年より1908年まで海峡艦隊に所属。その後本国艦隊に異動、練習艦として活躍する。第一次世界大戦が勃発するとヴェンジャンスは海峡艦隊に所属し上陸支援等に活躍する。第一線での任務は少なく、主に警備官、支援艦として活躍する。1915年1月オスマン帝国の要塞攻撃に参加、その後も各種支援攻撃に参加する。1915年7月機関不具合のため一時退役、修理が行われた後、1915年より再び各種支援戦闘を行う。1917年2月退役、1922年スクラップとして解体された。

 

まとめ

 

 カノーパス級戦艦は日清戦争で勝利した日本に対する警戒から建造された対日戦艦といえるものであった。そのため日本へ売却した敷島級戦艦の特性を設計に反映していた。しかし日英同盟の締結によりその任を解かれ、第一次世界大戦では二線級の戦艦として各種活動に従事した。逆に考えれば条約一つが戦艦6隻分以上の効力を発揮したといえる。

 

関連リンク

前級マジェスティック級戦艦

 

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01_戦艦摂津
(画像はwikipediaより転載)

 

 河内級戦艦は日本初の弩級戦艦であった。主砲は後の戦艦のように中心線に一列に並ぶ形式ではなく、前後に2基、左右舷側に2基ずつの合計6基が設置されるという形式であった。艦首の形状も1番艦河内が垂直艦首、2番艦摂津がクリッパー型と異なっていた。6基ある主砲も前後の2基と左右舷側の4基の口径(砲身の長さ)が異なっている等、過渡期的な性格の戦艦といえる。むしろ河内級は戦艦としてよりも標的艦としての活躍の方が有名であろう。

 

戦艦 河内級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 20800トン
 最大排水量 -トン
 全長 152.4m
 全幅 25.7m
 吃水 8.2m
 機関出力 2万5000馬力
 最大速力 20ノット
 航続距離 -海里/ -ノット
 乗員 999名
 武装 50口径30.5cm砲連装2基
    45口径30.5cm砲連装4基
    45口径15.2cm砲単装10基
    40口径12cm砲単装8基
    40口径7.6cm砲単装16基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 30.5cm
    甲板 7.6cm
    主砲 -cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1906年のドレットノート級戦艦の竣工の翌年に発注された日本初の弩級戦艦がこの河内級である。本級は薩摩型戦艦2番艦安芸の改良型といえるものであるが、全長は安芸よりも10mほど長く、排水量も1000トンほど増加している。日本の戦艦としては初めて三脚檣を採用したのも外観上の特徴である。

 本級の一番の特徴は30.5cm連装砲6基を装備した弩級戦艦であることだ。連装砲は前後に2基、左右舷側に2基ずつ配置されている。これにより各方位に対して最低でも3基以上で砲撃することができるようになっているが、弱点としては前後にある2基が50口径の長砲身であるのに対して舷側の4基は45口径で若干砲身が短くなっていることである。これにより射程距離、破壊力が異なり運用上不利であった。これは当時の軍令部長東郷平八郎元帥の意見によって決まったともいわれている。実際の運用では火薬の量を調整することにより運用上の不利を解消したようである。

 主機は前級の1番艦薩摩がレシプロ機関、2番艦安芸がタービン機関であるのに対して、本級では1、2番艦ともに、さらに改良されたタービン機関のみの装備である。速力は20ノットと弩級戦艦よりも若干劣りはするがほぼ同レベルであったが、1番艦河内は垂直艦首であったため凌波性に難があった。装甲はハーヴェイ鋼よりも高性能のクルップ鋼を使用しており防御力も十分であった。

 

同型艦

1番艦河内(起工1909年4月、竣工1912年3月)
2番艦摂津(起工1909年1月、竣工1912年7月)

 

戦艦河内級の活躍

 

1番艦河内

02_戦艦河内
(画像はwikipediaより転載)

 

 前述のように1番艦河内と2番艦摂津の一番大きな違いは艦首の形状である。摂津がクリッパー型の艦首であるのに対して河内は垂直艦首だった。クリッパー型とは艦首が海面に対して少し「前のめり」形状をしている型で、これにより凌波性を高めることができるが、艦首をクリッパー型に変更すると決定した時にはすでに河内の工事は進行していたため修正することができなかった。

 河内は竣工すると直ちに第一艦隊に編入され旗艦となった。第一次世界大戦には姉妹艦摂津と共に海上の警備に従事するが特に目立った活躍はない。1917年予備艦となり、1918年に現役に復帰するが、同年7月徳島湾を航行中に火薬庫の爆発により沈没。9月に除籍となる。

 

2番艦摂津

03_戦艦摂津
(画像はwikipediaより転載)

 

 1912年に竣工した2番艦摂津は、1番艦河内と同様に第一次世界大戦に海上警備に従事した以外には目立った活躍はしていない。1922年に締結されたワシントン軍縮条約では未成艦は廃棄されることが決定していたが、当時、建造中(実際はほぼ未成艦)の長門型戦艦2番艦陸奥を既成艦として認める代償として摂津が退役、標的艦となった。

 

第一次改装

 1923年10月制式に標的艦となった摂津は、武装を全廃、当初は標的艦を曳航する曳航艦として任務にあたった。1936年無線操縦技術が確立されると摂津は無線操縦の所謂「ラジコン戦艦」となり、同時に演習弾の命中にも耐えられるように装甲が強化された。16基あったボイラーも4基の重油専用ボイラーに変更することとなり、「ラジコン戦艦」としての自動燃焼装置も装備された。これにより速力が20ノットから16ノットに低下している。この時に摂津の煙突は3本から2本になっている。

 

第二次改装

 1939年から1940年にかけて第二次改装を実施する。この改装は航空攻撃に対応することを主眼に改装された。まずは航空攻撃に対する操艦の訓練も行えるように上部装甲を強化、ボイラーも増強され速力も17.4ノットにまで増加された。

 この改装により摂津が航空攻撃に対する艦の操艦訓練も行えるようになったことが、航空攻撃に対する日本海軍の操艦技術の向上に大きく貢献することとなる。太平洋戦争が始まると摂津は南シナ海、フィリピン、台湾等に進出し、機動部隊の空母に偽装して符号を発信した。太平洋戦争中も標的艦として活躍し続けたが1945年7月の呉軍港空襲により大破着底、1945年11月除籍される。

 

まとめ

 

 河内級戦艦は日本初の弩級戦艦ではあるが、速度も弩級戦艦に比べ若干遅く、主砲の口径も2種類存在するなど、若干難のある戦艦であった。本級の一番の活躍は戦艦としての職責を解かれ標的艦として活躍したことであっただろう。標的艦に改装された摂津は「ラジコン戦艦」として日本海軍の戦闘技術の向上に大きな貢献をしのだった。

 

関連リンク

前級薩摩級戦艦

 

 

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01_戦艦マジェスティック
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級戦艦はイギリス海軍防衛条例の一環として1895〜1898年にかけて建造された歴史上最大数を誇る戦艦クラスである。当時は戦艦の黄金時代で同時に戦艦が大きく進化した時代でもあった。ド級戦艦の登場により旧式化したものの第一次世界大戦にも参戦した歴戦の艦である。

 

戦艦 マジェスティック級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14560トン
 最大排水量 -トン
 全長 128.3m
 全幅 22.9m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 17ノット
 航続距離 7000海里/10ノット
 乗員 672名
 武装 35口径30.5cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    7.6cm砲単装16基
    4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 10.2cm
    主砲 25.4cm
 同型艦 9隻

 

特徴

 マジェスティック級戦艦は、世界初の近代戦艦、ロイヤルサブリン級をさらに改良、強化された艦である。主砲はロイヤルサブリン級の34.3cm砲に対して30.5cm砲と口径は小さくなったが砲身長がロイヤルサブリン級の30口径に対して35口径と延長、さらに黒色火薬から無煙火薬を使用することにより貫通力が増大した。さらに砲門数も10門から12門にアップされている。動力も水圧式動力装置を使用、天蓋もある完全密閉式砲塔を採用しているためロイヤルサブリン級に比して防御力も高い。

 装甲はロイヤルサブリン級のニッケル鋼に対してより能力の高いハーヴェイ鋼を使用したことから装甲厚はロイヤルサブリン級の半分でありながらより高い防弾性能を持っている。推進機関はレシプロ機関ではあるが、石炭重油混合燃焼方式で速力、航続力共にロイヤルサブリン級よりも向上している。本艦は同型艦が9隻建造されており、これは戦艦の同型艦建造数としては最多である。

 

同型艦

マジェスティック(1894年2月起工、1895年12月竣工)
マグニフィセント(1893年12月起工、1895年12月竣工)
プリンス・ジョージ(1894年9月起工、1896年11月竣工)
ヴィクトリアス(1894年5月起工、1896年11月竣工)
ジュピター(1894年4月起工、1897年5月竣工)
マース(1894年6月起工、1897年6月竣工)
シーザー(1895年3月起工、1898年1月竣工)
ハンニバル(1894年5月起工、1898年4月竣工)
イラストリアス(1895年3月起工、1898年4月竣工)

 

戦艦マジェスティック級の活躍

 

02_戦艦シーザー
(画像はwikipediaより転載)

 

 マジェスティック級は1番艦マジェスティックが1895年暮れに竣工したのを皮切りに1898年までに9隻が竣工する。竣工後はイギリス海軍の主力として海峡艦隊、地中海艦隊、さらには中国基地でも活躍した。1906年にはドレットノート級戦艦の登場によりそれ以前に建造された戦艦は一気に陳腐化するが、その後もイギリス海軍に在籍し続ける。

 1912年には同型艦の多くは予備役に編入されるが、1914年に第一次世界大戦にイギリスが参戦すると現役に復帰した。1番艦マジェスティックはドイツ海軍のUボートの雷撃により撃沈されたが、他の同型艦は1915年以降、主力艦の位置から外れたものの補助艦艇として活躍し続けた。

 しかし1918年にジュピター、1919年4月にはイラストリアスが除籍される。シーザーも1920年まで現役でいたが、同年に除籍、解体処分された。その他の同型艦も1921年までに全てが除籍、解体処分された。

 

まとめ

 

 マジェスティック級戦艦は前級のロイヤルサブリン級戦艦を改良、主砲塔を密閉式、さらには無煙火薬の使用など革新的な改良がされた戦艦であったが、この時代の他の戦艦と同様にドレットノート級戦艦の登場により歴史から姿を消すこととなった。しかしマジェスティック級戦艦は日本の敷島型戦艦にも大きな影響を与えた記念碑的な艦である。

 

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前級ロイヤルサブリン級戦艦

 

次級カノーパス級戦艦

 

次級敷島級戦艦

 

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01_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 一等戦艦の開発が遅れたため急遽建造された艦であったが、ハーヴェイ鋼の使用や後に一般的となる副砲の装甲内設置等斬新な設計がされた艦であった。最高速度も公試では18.75ノットという驚異的な速度を記録した高性能戦艦である。

 

戦艦 レナウン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12350トン
 最大排水量 -トン
 全長 124.4m
 全幅 22m
 吃水 8.2m
 機関出力 1万2000馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 6400海里/10ノット
 乗員 674名
 武装 40口径25.4cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装12基
    口径5.7cm砲単装16基
    口径4cm砲単装12基
    4.5cm水上発射管1基
    同水中発射管4門
 装甲 舷側 20.3cm
    甲板 7.6cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 1隻

 

特徴

 30.5cm砲搭載戦艦の開発が遅れていたため急遽センチュリオン級の改良型として建造されたのが本級である。イギリス海軍の二等戦艦とは排水量12000トン以下、主砲が25.4cm砲程度のもので前級のセンチュリオン級と本級が該当する。

 本級もセンチュリオン級と同様に25.4cm砲を搭載しているが、センチュリオン級の砲身が30口径だったのに対して本級は40口径と延長されている。さらに初の試みとして副砲を全て装甲内に設置していたことで、その副砲を当時としては強力なハーヴェイ鋼の装甲で護っていた。

 本級に搭載されたエンジンは予想を超える高性能を発揮し、公試での最高速度は18.75ノットに達した。建造は1隻のみであったが、数々の新機軸が盛り込まれた艦で即席で作られた二等戦艦というような艦ではない。前述のように二等戦艦は前級のセンチュリオン級と本級で最後となった。

 

同型艦

1番艦レナウン

 

建造

 レナウンは1893年2月に起工、1897年1月に就役した。

 

戦艦レナウン級の活躍

 

1番艦レナウン

02_レナウン級二等戦艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 レナウンは1897年に就役すると北米、西インド諸島方面の艦隊旗艦として活躍しました。1899年5月に改修を受けた後、地中海艦隊に移動、1900年2月には再び簡単な改修を行っている。度々イギリス王室の御召艦として活躍した。1906年5月に予備役に編入された。

 予備役編入後も御召艦として活躍したが、1913年退役、1914年スクラップとして売却された。

 

まとめ

 

 戦艦レナウンは二等戦艦というマイナーな艦種ではあったが、高速、高性能であったため、イギリス海軍の著名な提督であるフィッシャー提督には気に入られていたという。この高性能二等戦艦レナウンの名は後に巡洋戦艦として受け継がれる。

 

 

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01_BB-1戦艦インディアナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦インディアナ級はアメリカ海軍初の近代戦艦であった。性能に特に斬新な点はないものの同時代の戦艦並みの能力を有し、米西戦争で有名な閉塞作戦やシベリア出兵等にも参加した。本級の内1隻は日本において解体処分されている。

 

戦艦 インディアナ級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10288トン
 最大排水量 -トン
 全長 107m
 全幅 21.1m
 吃水 7.3m
 機関出力 9000馬力
 最大速力 15ノット
 航続距離 5640海里/10ノット
 乗員 473名
 武装 35口径33cm砲連装2基
    35口径20.3cm砲連装4基
    40口径15.2cm砲単装4基
    5.7cm砲単装20基
    45cm水上発射管6基
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 7.6cm
    主砲 43.2cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 アメリカ海軍初の近代戦艦であるインディアナ級は、乾舷(甲板と水面の距離)が低く、耐波性に難があり、外洋での運用は出来なかったため、3番艦オレゴンが太平洋を渡りフィリピン、中国近海まで進出した以外は、主に沿岸防備用に運用された。しかし装甲は45.7cm、火力も33cm連装砲とイギリス戦艦ロイヤルサブリン級とほぼ同等の能力を有した。同型艦は3隻建造されている。

 

同型艦

1番艦インディアナ
2番艦マサチューセッツ
3番艦オレゴン

 

建造

 1番艦インディアナは1891年5月に起工、2番艦マサチューセッツは1891年6月、3番艦オレゴンは1891年11月に起工されている。1番艦インディアナは1895年11月に就役、2番艦マサチューセッツは1896年6月、3番艦オレゴンは1896年7月に就役した。

 

戦艦 インディアナ級の活躍

 

1番艦インディアナ

02_BB-1戦艦インディアナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦インディアナは1898年、米西戦争が始まると北大西洋艦隊の一員として参加、姉妹艦、オレゴンと共にキューバ作戦に参加した。戦後は練習艦として運用されるが1903年に退役する。1906年には再び練習艦として運用、1914年に再び退役する。1917年に三度就役するが、1919年に標的艦として海没した。

 

2番艦マサチューセッツ

03_BB-2戦艦マサチューセッツ
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦マサチューセッツは、1896年に就役、米西戦争に参加した後は北大西洋艦隊所属艦として活躍、その後練習艦となった。1914年5月退役したが、1917年6月に再び練習艦として就役、1919年3月除籍、標的艦として使用された後に水没。スクラップとして売却しようとしたが買い手が付かず1956年、フロリダ州の資産となった。

 

3番艦オレゴン

04_BB-3戦艦オレゴン
(画像はwikipediaより転載)

 

 3番艦オレゴンは、1898年に米西戦争に参加した。その後は太平洋方面で警備艦として活動した後、フィリピンに派遣され、さらには義和団の乱においては中国のウソンに展開した。1901年5月オーバーホールのため米本土に帰還する。1903年3月、再び極東に派遣されたが、1906年に退役する。1911年に再就役したが目立った活躍は無く1914年に予備役編入。1917年、現役に復帰し、シベリア出兵に参加した後、1919年10月退役した。退役後は博物館艦となるが、1941年スクラップとして売却、船体はのちに海軍に返還され、1944年のグアム戦では艀(はしけ)として利用された。1956年3月売却され日本において廃棄される。

 

まとめ

 

 戦艦インディアナは主に米西戦争で活躍した戦艦だった。乾舷が低く大洋での航海には不向きであったがフィリピンや中国にも派遣されている。特に3番艦は極東方面にしばしば派遣され、戦後に日本において解体されている何かと日本と関係の深い艦であった。

 

 

 

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01_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 本級は日本ではバーフラー級と呼称されるが、竣工はセンチュリオンの方が早いのでセンチュリオン級と呼ぶべきである。本級は前級ロイヤルサブリン級に対して二等戦艦と呼ぶべきものであるが、砲塔も密閉式を採用、機動力でもロイヤルサブリン級を凌いでいた。

 

戦艦 センチュリオン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 10500トン
 最大排水量 -トン
 全長 109.5m
 全幅 21.3m
 吃水 7.8m
 機関出力 1万3000馬力
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 5230海里/10ノット
 乗員 620名
 武装 30口径25.4cm砲連装2基
    12cm砲単装10基
    5.7cm砲単装8基
    4.7cm砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 30.5cm
    甲板 6.4cm
    主砲 15.2cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1889年の海軍防衛条例によって建造された戦艦である。海軍防衛条例とはイギリスの海軍力増強政策で圧倒的優勢にあるイギリス海軍の優勢を維持し続けるために2位、3位の国の海軍力を合わせた以上の海軍力を維持するという強烈なものである。

 この条例により建造されたセンチュリオン級は2隻で主に中国の沿岸警備用として設計されたため小型であり、前級のロイヤルサブリン級の小型版といっていい。主砲は25.4cm連装砲2基とロイヤルサブリン級の34.3cm砲に比べれば小型ではあるが、ロイヤルサブリン級では装填時に砲身を艦の中心線に合わせる必要があったが本級ではどの方向に砲を向けていても装填が可能である。

 本級は砲塔もロイヤルサブリン級がオープントップ式であったのに対して密閉式であり、建造の目的が海外での運用を前提としていたため、航続距離も長く、推進機関も大型戦艦並みであったことから最高速力は18.5ノットとロイヤルサブリン級よりも2ノットも優っていた。

 

同型艦

1番艦センチュリオン
2番艦バーフラー

 

建造

 1番艦センチュリオン、2番艦バーフラーともに1892年8月に起工、1番艦センチュリオンは1894年2月、2番艦バーフラーは1894年6月に就役した。

 

戦艦センチュリオン級の活躍

 

1番艦センチュリオン

02_戦艦センチュリオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 1894年に就役したセンチュリオンは中国基地に配備、義和団の乱の鎮圧支援等に活躍する。1901年に帰国、改装を受け副砲をより強力な15.2cm砲に換装された。改装後、再び中国に展開したが、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

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2番艦バーフラー

03_戦艦バーフラー
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦バーフラーは就役後、地中海艦隊に配備され、その後中国で義和団の乱等の鎮圧支援に活躍するが、1904年には予備役編入、1909年除籍、1910年にスクラップとして売却された。

 

戦艦センチュリオン級(模型)

 

コンブリック 1/700 イギリス海軍 弩級戦艦 センチュリオン エッチングパーツ付き 1912年 レジンキット

 1番艦センチュリオンは中国義和団の乱鎮圧支援に活躍、前級ロイヤルサブリン級の7割程度の排水量であったが、ロイヤルサブリン級を凌ぐ高い機動力と航続距離により海外でより活躍した。

 

まとめ

 

 センチュリオン級は二等戦艦に分類される小型戦艦である。しかし一等戦艦を凌ぐ高速と長大な航続力により海外での作戦行動には有効な艦であった。当時は戦艦も技術革新の時代であり、高速、高性能な本級もわずか16年で廃艦となった。

 

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01_BB-61戦艦アイオワ
(画像はwikipediaより転載)

 

 第二次世界大戦のアメリカ参戦は真珠湾攻撃によって始まった。これによって米戦艦部隊は壊滅的打撃を受け、以後、空母中心の戦術に変更せざる得なくなったと言われているが実際には米国は戦中も戦艦の建造を続けて10隻もの新鋭戦艦を戦場に送り込んでいる。今回はこの10隻の戦艦についてみてみたい。

 

太平洋戦争での戦艦の活躍

 

 アメリカの第二次世界大戦は真珠湾攻撃によって始まった。この空母機動部隊が海の王者戦艦を壊滅状態にしたという空前の事件により、米国は航空機の威力を知り戦艦中心から空母中心に代えていったと言われる。この分析は正しいとはいえない。何故ならばアメリカは開戦後も戦艦の建造を続け、新鋭戦艦を10隻も戦場に送り込んでいるからだ。

 さらには真珠湾攻撃で大破着底した旧式戦艦すらも改装を行現役に復帰させている。確かに海戦の主役は航空機と空母に移り始めてはいたが、太平洋戦争初期から中期までは戦艦同士の砲撃戦も行われる等、依然として戦艦の存在は重視されていた。特に戦艦ノースカロライナ級や戦艦サウスダコタ級は戦争中期に南太平洋戦域に派遣され海戦によりかなりの戦果を挙げている。

 

ノースカロライナ級戦艦

03_BB-56戦艦ワシントン
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

 通常排水量 35000トン
 最大排水量 44638トン
 全長 222.3m
 全幅 33m
 吃水 10m
 機関出力 12万1000馬力
 最大速力 28ノット
 航続距離 15000海里/15ノット
 乗員 1880名
 武装 45口径40.6cm砲3連装3基
    12.7cm両用砲2連装10基
    28mm機関砲4連装4基
 装甲 舷側30.5cm
    甲板14cm
    主砲30.5cm
 同型艦 2隻

 

 ロンドン海軍軍縮条約では戦艦の主砲は35.6cm以内と決められていたが、1937年にこの条約が失効したことにより各国は制限のない状態での新型戦艦の開発が可能となった。但し、本級が計画された段階ではロンドン海軍軍縮条約が延長されるかどうかは不明であり、35.6cm砲搭載艦として計画されたものを条約の失効により40.6cm砲搭載艦として設計し直したという経緯がある。

 主砲こそは40.6cm砲を搭載したものの、装甲が35.6cm砲用のものであり、40.6cm砲に対しては防御力が不足することが本級の弱点であった。さらにスクリューが動くと艦に大きな振動が起こるという問題点があった。この問題は結局は解決するも、解決するまでに数年を要した。

 本級は就役後、欧州戦域に派遣されたりしたが、海戦で敵戦闘艦と戦火を交えることはなかったが、太平洋戦域に派遣されると第二次ソロモン海戦を手始めに多くの海戦に参加することとなる。特に2番艦ワシントンは第三次ソロモン海戦で日本海軍の戦艦霧島に主砲9発を命中させ撃沈するという戦果を挙げた。

 

 

サウスダコタ級戦艦

02_BB-60アラバマ
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

 基準排水量 35000トン
全長 207.4m
全幅 33m
吃水 10.3m
機関出力 13000hp
最大速度 27ノット
航続距離 15000海里/15ノット
乗員 1793名
武装 45口径40.6cm砲 3連装3基
   12.7cm両用砲 2連装10基
   28mm機関砲4連装7基
   20mm機関砲 35基
装甲 舷側31cm 甲板14.6cm 主砲45.7cm 
同型艦 4隻

 

 ノースカロライナ級戦艦が計画変更によって40.6cm砲を搭載したのと異なり、サウスダコタ級戦艦は当初から40.6cm砲搭載が予定されていた。このため装甲も前級に比べて厚く、よりバランスのとれたものとなった。全長は前級に比べて15mも短くなった代わりに軽量化された分は装甲の強化に充てられた。外観上は全長が短くなった分、「ずんぐり」した形状になっていることと前級では煙突が2本であったものが1本になっているのが特徴である。

 本級もノースカロライナ級戦艦と同様、戦艦同士の砲撃戦を経験している。1番艦サウスダコタ、2番艦インディアナ級は太平洋戦域に派遣され日本海軍と激戦を展開、3番艦マサチューセッツは大西洋戦域に派遣され、フランス海軍戦艦ジャン・バールと戦火を交えている。この際、マサチューセッツはフランス駆逐艦2隻を撃沈するという戦果を挙げている。

 

 

アイオワ級戦艦

04_BB-62戦艦ニュージャージー
(画像はwikipediaより転載)

 

性能

基準排水量 45000トン
最大排水量 59000トン
全長 270.6m
全幅 33m
機関出力 21万2000馬力
最大速度 33ノット
乗員 1921名
武装 50口径40.6cm3連装3基
   12.7cm連装砲10基
   40mm機関砲4連装15基
   20mm機関砲単装20基
装甲 舷側30.7cm
   甲板15.2cm
   主砲43.1cm

同型艦 4隻

 

 ノースカロライナ級戦艦、サウスダコタ級戦艦とは全く別次元の戦艦がこのアイオワ級である。前級の排水量が3万5000トンであったのに対してアイオワ級は4万5000豚、最大排水量では5万9000トン、全長もサウスダコタ級戦艦に対して60m以上も長いアメリカ海軍史上最強の戦艦であった。大型化はしたものの最大速度は新戦艦中最速の33ノット、主砲はサウスダコタ級戦艦と同じ40.6cm砲であったが、口径が50口径となりさらに強力になった。つまりは全てにおいて別次元の戦艦であったのだ。

 アイオワ級は1943年に就役すると当時最強であったドイツ戦艦テルピッツに唯一対抗できる戦艦として大西洋に派遣されるが、しばらくして太平洋戦域に移動することになる。以降、同級は戦艦同士の海戦はなかったものの、艦砲射撃に威力を発揮した。

 戦後も予備役と現役復帰を繰り返し、朝鮮戦争、ベトナム戦争に活躍する。1980年代に600隻艦隊構想により現役復帰した際には近代化改装を行い、最新の電子機器を装備した上に巡航ミサイルトマホーク、対艦ミサイルハープーン、CIWSなどが装備された世界で唯一の「ハイテク戦艦」であった。改装後はレバノン紛争、湾岸戦争に活躍した世界最後の戦艦である。

 

 

まとめ

 

 太平洋戦争は一般に航空機と空母の戦争であったと言われる。しかし実際にはまだまだ戦艦の能力に頼っていた部分は多く、特に前半から中盤に至るまでは戦艦がその主砲の威力を発揮する場は多くあった。後半になるとその機会はほぼ無くなったが、それでもレイテ沖海戦では戦艦同士の砲撃戦が行われている。

 

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01_戦艦安芸
(画像はwikipediaより転載)

 

 薩摩級戦艦は日本初の国産戦艦である。初の戦艦でありながら世界最大の戦艦であり、最新のタービン機関を搭載した画期的な戦艦であった。第一次世界大戦に参加した他は目立った活躍はしていないが、日本戦艦史に残る名艦であるといえる。

 

戦艦 薩摩級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 19372トン(安芸は19800トン)
 最大排水量 -トン
 全長 137.2m(安芸は140.2m)
 全幅 25.5m
 吃水 8.4m
 機関出力 1万7300馬力(安芸は2万5000馬力)
 最大速力 18.3ノット(安芸は20ノット)
 航続距離 -
 乗員 887名(安芸は931名)
 武装 45口径30.5cm砲連装2基
    45口径25.4cm砲連装6基
    40口径12cm砲単装12基
    45口径15.2cm砲単装8基(安芸のみ)
    40口径7.6cm砲単装8基(安芸は16基)
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 50.8cm
    主砲 233.7cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 本級は日本初の国産戦艦である。それまで装甲巡洋艦建造の経験はあったものの戦艦の建造経験はなかったが、香取級よりも高性能な戦艦を目指して日本独自の設計で建造された。旧来の戦艦を増産するのではなく独自設計でより高性能を目指した意欲作であった。

 当初の計画では艦の中心線上に主砲連装4基を搭載するという弩級戦艦を先取りする案もあったが、最初の国産戦艦ということもあり従来通りの前後に2基という設計で落ち着いた。主砲の数こそは従来通りであったが、中間砲は45口径25.4cm連装砲を6基とかなり強力な配置となっている。中間砲は威力こそ主砲に劣るものの発射速度では主砲を上回り、状況によっては弩級戦艦をも凌駕する能力を持ったものであった。

 このため排水量は2万トン近くなり、建造時点では世界最大の戦艦となった。さらに2番艦安芸では最新のタービン機関を搭載するという初の国産戦艦としてはかなり挑戦的な艦であった。同型艦で速力が異なるという点を承知の上で新技術に挑む意欲と同時に当時の日本の焦りが感じられなくもない。

 

同型艦

 1番艦薩摩
 2番艦安芸

 

建造

 1番艦薩摩は1905年5月に起工、2番艦安芸は1906年3月に起工した。1番艦薩摩は1910年3月、2番艦安芸は1年後の1911年3月に竣工した。

 

戦艦薩摩級の活躍

 

1番艦薩摩

02_戦艦薩摩
(画像はwikipediaより転載)

 

 主砲の増設を諦める代わりに中間砲を増設した本級だが、当初は発射速度に難があった。改良を繰り返され、後には発射速度も速くなり弩級戦艦に匹敵する砲戦能力になったと言われている。1910年竣工と同時に第一艦隊に就役、第一次世界大戦では第二南遣支隊に編入され、太平洋のドイツ領攻略作戦に活躍した。1923年9月、ワシントン軍縮条約により廃艦、除籍となる。1924年9月には標的艦として沈没した。

 

2番艦安芸

03_戦艦安芸
(画像はwikipediaより転載)

 

 安芸は1番艦薩摩の同型艦とされているが、実際には様々な違いがある。副砲の口径が延長されていること等もあるが、最大の違いは薩摩がレシプロ機関であるのに対して、安芸がタービン機関であることであろう。これにより最大出力が薩摩1万7300馬力に対して安芸2万5000馬力と大幅に増加している。最大速度も薩摩18.5ノットに対して安芸が20ノットと大きな違いが出ている。外観上の違いは煙突の数で薩摩が2本に対して安芸は3本である。

 1911年3月に竣工した安芸は、第一次世界大戦に参加したのち、1919年には大改装を受け、数度御召艦として活躍したが、1923年9月、ワシントン軍縮条約により廃艦となった。1924年9月標的艦として戦艦長門、陸奥の砲撃により沈没。艦はこれにより沈没したが、安芸の砲身のみは兵庫県西宮市の鳴尾八幡神社で戦没者を祀る慰霊塔として現存している。

 

04_戦艦安芸砲身
(画像はwikipediaより転載)
鳴尾八幡神社に現存する戦艦安芸の砲身

 

まとめ

 

 薩摩型戦艦は日本海海戦の前々日に起工、日露戦後に就役しワシントン軍縮条約により廃艦となった目立たない戦艦であった。しかし日本初の国産戦艦であった。本級には初の国産戦艦でありながら世界最大の戦艦であったことを始め、最新のタービン機関を採用する等、当時の技術者の数々の意欲的な挑戦がみられる日本戦艦の記念碑的な艦であった。

 

関連リンク

前級香取級戦艦

 

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01_戦艦ロイヤルサブリン
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦ロイヤルサブリン級は世界初の近代戦艦と言われている。砲塔こそオープントップ式で被弾には弱いものの20年以上に亘ってイギリスの本土、権益を守り続けた。本級の改良型が富士級として日本海軍に購入され、日本海海戦において活躍することとなる。

 

戦艦 ロイヤルサブリン級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14150トン
 最大排水量 -トン
 全長 125m
 全幅 22.9m
 吃水 8.4m
 機関出力 1万1000馬力
 最大速力 16.5ノット
 航続距離 4720海里/10ノット
 乗員 712名
 武装 30口径34.3cm砲連装2基
    40口径15.2cm砲単装10基
    5.7cm砲単装16基
    4.7cm口径砲単装12基
    45cm水上発射管5基
    同水中発射管2門
 装甲 舷側 45.7cm
    甲板 10.2cm
    主砲 43.2cm
 同型艦 8隻

 

特徴

 1889年、イギリス海軍は海軍の大拡張計画を立案した。その計画の第1弾として建造されたのが本級である。レシプロ機関2基、2軸推進により最高速度16.5ノットという高速走行を可能とした。主砲の砲塔はオープントップ式(屋根がない)を採用していたが、仰角を大きくとる事ができ、発射ガスの除去にも有利であった反面、防御力が貧弱なのが致命的な弱点であった。

 装甲はニッケル鋼であるが、舷側の装甲帯は船体全体の2/3にわたって施されていた。8隻が建造されたがフッドのみは密閉式砲塔を採用したため重量増加により乾舷が低くなってしまい近代以前の艦に分類されることがある。準同型艦といえる。

 

同型艦

ロイヤルサブリン
エンプレスオブインディア
フッド
レパルス
ロイヤルオーク
レゾリューション
ラミリーズ
リベンジ

 

建造

 1番艦であるロイヤルサブリンが1889年9月に起工したのを最初に全8隻が1889年9月から189年2月までに起工された。就役はロイヤルサブリンが一番早く1892年5月、以降、1894年6月までに全艦が就役した。

 

戦艦ロイヤルサブリン級の活躍

 

 就役後、本級はイギリス海峡防衛のため設置されていた海峡艦隊、さらには地中海艦隊に配属された。後に本国の防衛任務に活躍したのち予備艦となる。20年以上活躍したが、ドレットノート級の登場により陳腐化、まず1911年7月にレパルスが解体され、1912年にはエンプレスオブインディアが標的艦として撃沈、1913年10月にロイヤルサブリンとラミリーズがスクラップとして解体、1914年1月にロイヤルオークも解体、同年4月レゾリューションがスクラップ用に売却、フッドも1914年には潜水艦侵入阻止のためポートランド湾に沈められた。

 一時期は記念艦として保管されていたリヴェンジも1919年11月に解体処分となった。本級は他国に多大な影響をもたらし戦艦建造の模範となった記念すべき艦であった。

 

まとめ

 

 本級は近代戦艦の第一号と言われている。装甲材こそは古いものの、重厚な装甲と16.5ノットの高速で20年以上活躍する。しかし1906年のドレットノート級戦艦の登場により旧式化していった。特にフッド以外、砲塔がオープントップ式であったため被弾に弱く寿命を早めた。しかし本級の改良型である富士級は日本海軍に購入され日露戦争で大活躍をすることとなる。

 

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次級富士級戦艦

 

次級センチュリオン級戦艦

 

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01_戦艦香取
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦艦香取級は敷島級の後継にあたる戦艦であるが、就役が日露戦後であったためあまり知られていない戦艦であるが、完成当初は世界最強、最新鋭の戦艦であった。海戦を一度も行うことなくワシントン軍縮条約により廃艦となった。

 

戦艦香取級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 15950トン(鹿島16400トン)
 最大排水量 -トン
 全長 139m(鹿島143.3m)
 全幅 23.8m(鹿島)
 吃水 8.2m(鹿島8.1m)
 機関出力 1万6000馬力(鹿島1万5600馬力)
 最大速力 18.5ノット
 航続距離 10000海里/10ノット
 乗員 864名
 武装 45口径30.5cm砲連装2基
    45口径25.4cm単装砲4基
    15.2cm単装砲12基
    7.6cm単装砲16基
    45cm水中発射管5門
 装甲 舷側 22.9cm
    甲板 7.6cm
    主砲 -cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 日露戦争開戦前の1904年に起工された艦で風雲急を告げる日露関係に備える目的で発注された戦艦であったが、日露戦争には間に合わず戦後に竣工した。要目は当時イギリスが建造中のキング・エドワード7世級に準じているが、砲数では香取級の方が若干上回っている。

主砲は敷島級と同じ30.5cm砲であったが、敷島級の40口径に対して45口径となり、副砲も長砲身化されたので遥かに強力になっている。因みに「口径」とは砲身長を表す用語で、45口径とは砲身の長さが砲内の直径×45の長さであることを意味する。

 2隻揃うまでの期間を短縮するために1番艦香取はヴィッカーズ社、2番艦鹿島はアームストロング社と別々の会社に発注されたため、砲口径等の主要部分以外の仕様はかなり異なっている。1906年8月に日本に引き渡された際は世界最強の戦艦であったが、わずか4ヶ月後に戦艦の革命とも言えるドレットノート級が完成してしまったため一気に旧式戦艦となってしまった。

 

建造

 1番艦香取は1904年4月にヴィッカーズ社で起工、2番艦鹿島は1904年2月にアームストロング社で起工された。竣工は1番艦が1906年5月20日、2番艦鹿島が1906年5月23日である。一応、同型艦ということになっているが全長等仕様が大きく異なるので別の級と考えた方が良いかもしれない。

 

戦艦香取級の活躍

 

1番艦香取

02_戦艦香取
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦香取は、1906年5月に竣工、8月に日本に到着する。日露戦争により2隻の主力艦を失った日本海軍にとっては待望の新戦艦であった。竣工した時点で日露戦争は終結していたため戦闘参加はないが、艦隊旗艦を務め、度々御召艦として大正天皇や後の昭和天皇の行啓に活躍した。

 1914年、第一次世界大戦が始まると中部太平洋に進出、ドイツ領であったサイパン島を占領した。1916年には大改修が行われ、1921年には後の昭和天皇の渡欧に際し、御召艦として再びイギリスに戻った。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。

 

2番艦鹿島

03_戦艦鹿島
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦鹿島は1906年5月竣工、香取と同様、戦闘での活躍はなく、しばしば御召艦として活躍する。1915年に大改修が行われ、1918年にはシベリア出兵に参加、上陸支援に従事した。1921年には1番艦香取と共に遣欧艦隊を編成、イギリスに戻る。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。主砲は陸上砲台へと転用された。

 

まとめ

 

 香取級は日露戦争後に竣工したため目立った戦歴はない。完成後わずか4ヶ月にして革命的戦艦ドレットノート級が完成してしまったため一気に陳腐化してしまった。しかし、日露戦争で主力艦を失った日本海軍にとっては待望の戦艦であり、廃艦までの約20年間日本の海の護りとして活躍した。

 

関連リンク

前級敷島級戦艦

 

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ポケット戦艦ドイッチュラント01
(画像はwikipediaより転載)

 

 このドイッチェラント級は通称「ポケット戦艦」と呼ばれているが制式には装甲艦、その後は重巡洋艦と類別されているので戦艦ではない。しかし戦艦並みの28cm砲と巡洋艦並みの速力を持った本級は連合国側から恐れられた。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量11700トン
 最大排水量 -トン
 全長 186m
 全幅 20.7m
 吃水 7.25m
 機関出力 5万5400馬力
 最大速力 26ノット
 航続距離 10000海里/20ノット
 乗員 619名
 武装 52口径28cm砲3連装2基
    15cm砲2連装8基
    8.8cm高角砲単装3基
    50cm4連装水上発射管2基
 装甲 舷側6cm
    甲板4cm
    主砲14cm
 同型艦 3隻

 

特徴

 巡洋艦より火力で優り、戦艦には速力で優っていた本級は誕生と同時に「ポケット戦艦」と呼ばれ注目を集めた。無論、「ポケット戦艦」というのは正式名称ではなく、正式名称は装甲艦、重巡洋艦である。本級はベルサイユ条約によって課せられた排水量10000トン以下、主砲28cm以下という制限枠内に収まるように開発された。主任務を通商破壊とし、最良の設計を行ったことが本級が傑作となった要因である。

 本級は長大な航続距離を出すために燃料消費の少ないディーゼル機関とし、最新型の28cm3連装砲を2基搭載した。さらに3番艦アドミラル・グラーフ・シュペー号には世界初の艦上レーダーが搭載された。船体は重量軽減のため90%を電気溶接で行ったのも本級の特徴である。

 

建造

 1番艦ドイッチェラントは1929年2月、2番艦アドミラル・シェーアは1931年6月、3番艦アドミラル・グラーフ・シュペーは1932年10月に起工された。就役は1番艦が1933年4月、2番艦が1934年11月、3番艦が1936年1月に就役している。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級の活躍

 

1番艦ドイッチュラント(のちリュッツォウ)

ポケット戦艦ドイッチュラント
(画像はwikipediaより転載)

 

 1933年4月に就役した1番艦ドイッチェラントは、スペイン内戦時にスペイン沖に1936年から1939年の間7回にわたって派遣された。1937年5月、共和国政府軍の爆撃機の攻撃により31名が死亡する。第二次世界大戦開戦前の1939年8月、ドイッチェラントはドイツから出航、通商破壊実施のため大西洋に進出し、開戦後は通称破壊作戦に従事した。開戦後、ドイッチェラント(ドイツ語で「ドイツ」の意)は、失われた場合のマイナス要因を考慮し、ヒトラーの命により、名称を「リュッツォウ」に変更された。

 1940年4月にはヴェーザー演習作戦(ノルウェー侵攻作戦)に参加、ノルウェー軍の要塞からの砲撃により15cm砲弾3発を被弾した。ドイツ本土への帰還途中、イギリス潜水艦スピアフィッシュの雷撃により艦尾部を破損、その修理は1941年春までかかった。1941年6月、リュッツォウは再び雷撃を受け、キール軍港へ帰還した。その後も様々な作戦に参加したが、1945年4月にはイギリス軍の大型爆弾トールボーイの至近弾を受け港で着底、5月に放棄された。

 1946年には浮揚されソビエト海軍に編入されたのち、1947年7月標的艦として沈没した。

 

2番艦アドミラル・シェーア

ポケット戦艦アドミラル・シェーア
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦アドミラル・シェーアは、1934年に就役、最初の任務はスペイン内戦への派遣であり、1936年から1938年6月末まで8回スペインに派遣されている。第二次世界大戦開戦後の1939年9月出撃前に爆撃を受けるが爆弾は不発であった。1940年の初頭にはオーバーホールと共に司令塔の改装を行った。この時に艦種を装甲艦から重巡洋艦に変更されている。

 アドミラル・シェーアは訓練の後、1940年10月以降、通商破壊戦に活躍する。1941年2月からはインド洋に進出通商破壊戦を行った。4月ドイツ本土へ帰還、整備の後、1941年9月にはバルト海に進出して各種作戦に従事、1942年8月には本土へ帰還、12月にはオーバーホールを受けた。その後は出撃する機会はほとんどなく訓練を続けた。

 1944年になると退却中のドイツ軍の支援等に従事、1945年4月にキールの造船所内でイギリス軍の空襲により撃沈された。

 

3番艦アドミラル・グラーフ・シュペー

ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー
(画像はwikipediaより転載)

 

 1936年1月6日に就役し、数ヶ月に及ぶ完熟訓練を大西洋で行った後、1937年5月20日にジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した。第二次世界大戦開戦に先立って、シュペーは大西洋に進出、開戦以後は通商破壊作戦に従事した。

 1939年12月重巡洋艦エクゼター、軽巡洋艦エイジャックス、軽巡洋艦アキリーズに捕捉され、ラプラタ沖海戦が勃発、大損害を受けたため中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に艦を退避、のちに港外で自沈した。

 

ポケット戦艦 ドイッチュラント級(模型)

 

1/700 ドイツ海軍 ポケット戦艦 アドミラル グラーフ シュペー 1937年

 映画化もされたアドミラル・グラーフ・シュペー号の模型。シュペー号は1936年1月に就役、第二次世界大戦開戦後、イギリス艦隊に包囲され、乗組員を助けるために自沈してしまう。わずか3ヶ月の活躍であったが印象は強い。

 

まとめ

 

 ポケット戦艦という特殊な名称を与えられたドイッチェラント級は、第二次世界大戦前半には通商破壊戦に活躍するものの中盤以降は多くの地域でドイツが制空権を失ってしまったため目立った活動をすることが出来なかったが、明確な目的の下に無駄なく建造された傑作艦であった。

 

関連リンク

次級シャルンホルスト級戦艦

 

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戦艦初瀬01
(画像はwikipediaより転載)

 

 敷島級戦艦はイギリスアームストロング社等で建造された当時としては最新鋭、世界最強の戦艦であった。この戦艦4隻を中心に日本海軍は日露戦争を戦い抜き、日本海海戦で大勝利を挙げることとなる。殊勲のクラスである。

 

戦艦敷島級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 14850トン
 最大排水量 -トン
 全長 133.5m
 全幅 23m
 吃水 8.3m
 機関出力 1万4500馬力
 最大速力 18ノット
 航続距離 7000海里/10ノット
 乗員 836名
 武装 30.5cm2連装2基
    15.2cm単装砲14基
    7.6cm単装砲20基
    4.7cm単装砲12基
    45cm水上魚雷発射管1基
    水上発射管4基
 装甲 舷側22.9cm
    甲板10.2cm
    主砲25.4cm
 同型艦 4隻

 

特徴

 日清戦争直後の1896年、1897年の予算により計画された。イギリス海軍のマジェスティック級戦艦の改良型として設計され、1897年より起工した。1900年より順次竣工し日本海軍の戦力を一挙に強化した。

 主砲と副砲は前級の富士級と同じだが主砲の装填機構は改良され、主砲塔がどの方向を向いていても砲弾の装填が可能となったため、主砲の発射速度が大幅に向上した。副砲は左右側面に7基ずつ、合計14基が設置され強力な火力を誇った。

 装甲は前級がハーヴェイ鋼を使用していたのに対して、焼き入れをしてより強固になったクルップ鋼を使用している。推進機関は直立3連成式レシプロ蒸気機関を2基搭載、2軸推進である。主缶は最新式のベルヴィール缶を採用25基装備していた。このため機関出力は前級よりもアップし、前級が14000馬力であったが、敷島、初瀬は1万4500馬力、朝日、三笠は1万5000馬力となった。

 

建造

 同型艦は4隻建造され、1番艦敷島は1897年3月、2番艦朝日は1897年8月、3番艦初瀬は1898年1月、4番艦三笠は1899年1月に起工している。1900年1月に1番艦敷島が竣工、7月には2番艦朝日が竣工している。1901年に入って3番艦初瀬が1月に竣工、4番艦三笠が最も遅く1902年3月に竣工した。

 

戦艦敷島級の活躍

 

1番艦敷島

戦艦敷島
(画像はwikipediaより転載)

 

 1900年1月に竣工した1番艦は敷島と命名され、4月には日本に到着した。1904年からは連合艦隊として日露戦争に参戦、旅順口攻撃から旅順港閉塞作戦に参加、1905年5月には日本海海戦に参加している。1920年の尼港事件では、沿海州沿岸警備に従事した。

 1921年一等海防艦に類別変更、1923年軍艦籍を除籍され武装を撤去、練習特務艦となる。1925年からは佐世保に定繋、1945年11月除籍、1947年解体された。1911年には大佐時代の鈴木貫太郎が艦長を務めた。

 

2番艦朝日

戦艦朝日
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦朝日は1900年7月に竣工した。1番艦が1月に竣工したのに対して2番艦が7月と遅いのは公試の帰りに座礁する事故があったためである。このため本来は4月頃に竣工する予定であったのが7月になった。竣工当日に出航、10月に日本に到着した。1904年に日露戦争が始まると朝日も参戦、旅順口攻撃から日本海海戦まで主要な海戦に参加した。黄海海戦では爆発事故が起こり主砲の一部が使用不能になった。

 1905年12月一等戦艦から戦艦に類別変更された。第一次世界大戦では第三艦隊第五戦隊旗艦としてウラジオストク警備に従事した。1921年9月一等海防艦に類別変更される。1923年には兵装、装甲を撤去し練習特務艦となった。同年4月軍艦籍より除籍された。

 1925年には潜水艦救難設備が設置されたため、機関部に改装を行い以降一本煙突となり、呉に常駐し潜水艦事故に備えた。1937年5月、救難設備を撤去し工作艦へと改装され8月には類別を工作艦に変更された。朝日は工作艦に変更された後、日中戦争中の中国へ進出修理作業に従事した。1939年11月上海方面根拠地隊旗艦となる。1940年11月日本本土へ帰還。連合艦隊所属となる。

 太平洋戦争開戦後は南方作戦に従事。1942年3月、新鋭工作艦明石と共にシンガポール進出、損傷艦の修理に活躍する。5月駆潜艇1隻を伴って日本本土に帰還途中、米潜水艦サーモンにより撃沈された。1942年6月除籍。

 

3番艦初瀬

戦艦初瀬
(画像はwikipediaより転載)

 

 3番艦初瀬は1901年1月に竣工、4月に日本に到着した。1904年に日露戦争が始まると主力艦として参戦。旅順口攻撃に参加する。旅順港閉塞作戦中の5月に機雷に触雷沈没する。初瀬沈没は、国民の動揺を防ぐために1年以上秘匿され、日本海海戦勝利後の1905年6月に公表された。1905年6月除籍。

 

4番艦三笠

戦艦三笠01
(画像はwikipediaより転載)

 

 4番艦三笠は1902年3月竣工、5月に日本に到着した。1903年、連合艦隊が編成されると旗艦となった。1904年より日露戦争に参戦。主要な海戦に参加する。8月の黄海海戦では砲身内で砲弾が爆発事故を起こし、12月に日本本土に帰還修理を行った。1905年5月には日本海海戦に旗艦として参加、集中砲火を浴び死傷者113名を出す。

 1905年9月佐世保港内で後部弾薬庫爆発事故のため沈没、339名の死者を出す。1906年8月浮揚され1908年4月工事完了、第一艦隊旗艦となる。1912年10月前部火薬庫で火災が発生している。1914年8月第一次世界大戦勃発により日本海での警備行動を行う。1918年から1921年までシベリア出兵支援を行う。1921年9月一等海防艦に類別変更される。9月ウラジオストク港外で座礁、ウラジオストクで修理を行い帰投した。

 1923年関東大震災により岸壁に衝突。応急修理のままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底した。9月除籍。解体される予定であったが記念艦として保存が決定、戦隊の外周部に大量の砂が投入されるとともに下甲板にコンクリートが注入される。

 記念艦となった三笠は太平洋戦争中の空襲の被害からは免れたものの、戦後大規模な盗難に遭い現在保存されている三笠のほとんどの部分は戦後に復元されたものである。現存する世界で唯一の前弩級戦艦である。

 

戦艦敷島級(模型)

 

フォーサイト シールズモデルズ 1/500 日本海軍 戦艦 敷島 レジン&メタルキット

 敷島級のネームシップ。日露戦争で活躍したのち太平洋戦争終結後解体されるまで海軍に在籍していた長命の艦。戦後は解体され新生日本への材料を供給した。

 

フォーサイト シールズモデルズ 1/500 日本海軍 戦艦 朝日 レジン&メタルキット

 太平洋戦争時に唯一実戦任務についていた敷島級の艦。連合艦隊の貴重な工作艦として太平洋戦争初戦期に活躍。1942年米潜水艦サーモンにより撃沈されてしまう。

 

フォーサイト シールズモデルズ 1/500 日本海軍 戦艦 初瀬 レジン&メタルキット

 新鋭戦艦として期待されながらも日露戦争初期に触雷して沈没した悲劇の艦。日本海海戦後に事実が公表されたアームストロング社製の新鋭戦艦。

 

ハセガワ 1/350 日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 プラモデル

 唯一現存する敷島級戦艦。1902年の竣工から1923年まで現役を務める。様々な被弾、事故に遭い2度も沈没しながら現存している艦。

 

まとめ

 

 敷島級戦艦は全てイギリスで建造された当時の最新鋭戦艦であった。日露戦争、特に日本海海戦では主力艦としてロシア艦隊を迎撃、一方的な大戦果を挙げた。戦争直後にドレットノート級戦艦が就役、瞬く間に旧式戦艦となってしまった。

 

関連リンク

前級富士級戦艦

 

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戦艦富士01
(画像はwikipediaより転載)

 

 富士級戦艦はイギリスのロイヤル・サブリン級の改良型で、日本初の近代戦艦であり、当時の新鋭戦艦であった。同型艦は2隻で日露戦争で活躍する。戦艦富士は日露戦後も運用され、推進器を撤去されながらも練習艦として太平洋戦争終戦まで使われ続けた。

 

戦艦富士級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 12533トン
 最大排水量 -トン
 全長 114m
 全幅 22.3m
 吃水 8.1m
 機関出力 1万3500馬力
 最大速力 18.3ノット
 航続距離 7000海里/10ノット
 乗員 726名
 武装 30.5cm砲2連装2基
    15.2cm単装砲10基
    4.7cm単装砲24基
    45cm水上発射管1基
    45cm水中発射管4基
 装甲 舷側45,7cm
    甲板6.3cm
    主砲-cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 1880年代に仮想敵国であった清国に対抗するために日本がイギリスに発注した戦艦である。1番艦富士はテームズ鉄工所、2番艦八島はアームストロング社のエルジック造船所で1894年に起工した。本級はイギリスのロイヤル・サブリン級の改良型で排水量は若干少ないものの性能面では優れていた。

 ロイヤル・サブリン級の主砲が30口径34cm連装砲で天蓋の無いオープントップ式であったのに対して本級は新型のアームストロング式40口径30.5cm連装砲が装甲砲塔内に搭載されていた。砲塔の旋回、俯仰は水圧駆動、砲弾の昇降は電動駆動で行われた。発射速度は1発/1.5分であり、斉射後は砲塔を艦の中心線に合わせないと次弾を装填できないという弱点もあった。

 主缶は石炭専焼缶を10基搭載、2軸推進により18.3ノットの速力を出すことが出来た。富士と八島はほぼ同じ設計であったが船体サイズはわずかに富士の方が大きく艦尾舵の装着部の形状、機械室・缶室の通気筒の大きさなども異なっている。

 

建造

 1番艦富士は1894年8月にテームズ鉄工所で起工、1897年8月に竣工した。2番艦八島は1894年9月に起工、1897年9月に竣工した。1番艦富士は竣工に先立って領収、竣工後直ちに日本に回航され10月末に横須賀到着する。八島も9月にイギリスを出発、11月末に横須賀に到着した。

 

戦艦富士級の活躍

 

1番艦富士

戦艦富士
(画像はwikipediaより転載)

 

 1897年10月末に日本に到着した富士は11月に警備艦、12月に常備艦隊に編入される。1898年3月には一等戦艦に類別された。1903年、連合艦隊に配属される(当時の連合艦隊は常設ではなかった)。1904年に日露戦争が始まると富士は主力艦として旅順口攻撃を始め、黄海海戦、日本海海戦に活躍する。

 1912年、一等海防艦に指定され、類別上戦艦ではなくなる。翌年の1913年には練習艦に指定、1922年9月には軍艦籍から除籍、運送艦、さらに12月には練習特務艦となった。その後ワシントン軍縮条約に基づき装甲を撤去、運用術練習艦となった。1923年の関東大震災では救護活動に活躍する。

 1926年には横須賀に係留され定繋練習艦となる。1934年には推進器を撤去、海軍公開学校が創設されると航海学校保管艦となり浮校舎となった。1945年7月連合国軍の空襲により被爆着底する。1945年11月除籍、1948年5月に解体された。

 

2番艦八島

戦艦八島
(画像はwikipediaより転載)

 

 1897年11月に日本に到着した八島は、1898年3月には一等戦艦に類別、1903年、連合艦隊に配属される。1904年日露戦争が始まると旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦に参加するが、1904年5月旅順港沖合を航行中、機雷に触雷し総員退艦の後転覆沈没した。

 日本海軍は国民の動揺を防ぐために事実を1年以上も秘匿、日本海海戦直後の1905年6月に喪失を公表する。1905年6月軍艦籍より除籍。

 

戦艦富士級(模型)

 

1/700 日本海軍戦艦 富士

シールズモデルズ

 富士級戦艦の1番艦。イギリス製戦艦で日露戦争では主力艦の1隻として日本海海戦を始めとする各種作戦に参加する。戦後は練習艦となり、太平洋戦争終戦まで使われ続けた名艦である。

 

まとめ

 

 富士級戦艦は当時の日本が宮廷費の削減、公務員の俸給1割減までして購入した新鋭戦艦であった。日露戦争で活躍したが、初戦期に八島は触雷により失われてしまう。しかし富士はその後も活躍を続け日本海海戦の勝利に貢献する。当時の日本を背負った戦艦であった。

 

関連リンク

前級ロイヤルサブリン級戦艦

 

次級敷島級戦艦

 

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BB-55戦艦ノースカロライナ
(画像はwikipediaより転載)

 

 ノースカロライナ級はアメリカがロンドン海軍軍縮条約が無効になった後、最初に建造した戦艦である。太平洋戦争では新鋭戦艦として参加、ソロモン海戦では戦艦同士の砲撃戦を行い戦艦霧島を撃沈する戦果を挙げた名艦である。

 

戦艦ノースカロライナ級 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 35000トン
 最大排水量 44638トン
 全長 222.3m
 全幅 33m
 吃水 10m
 機関出力 12万1000馬力
 最大速力 28ノット
 航続距離 15000海里/15ノット
 乗員 1880名
 武装 45口径40.6cm砲3連装3基
    12.7cm両用砲2連装10基
    28mm機関砲4連装4基
 装甲 舷側30.5cm
    甲板14cm
    主砲30.5cm
 同型艦 2隻

 

特徴

 ロンドン海軍軍縮条約の無効により最初にアメリカで建造されたのがこのノースカロライナ級戦艦である。全長は前級よりも32mも長くなり、米戦艦独特の籠マストが廃止されている。主砲は当初は35.6cm4連装砲の搭載を予定していたが、より強力な45口径40.6cm砲に変更され、砲塔の配置も従来の前後均等ではなく前部に2基、後部に1基の配置となった。戦争後期には対空防御用として40mm4連装砲が14基追加された。

 本級の特徴としては主機に蒸気タービンを採用したことで前級であるコロラド級の2万8900馬力を大幅に上回る12万1000馬力を出すことが可能となった。これにより速力がコロラド級の21ノットから28ノットと大幅に向上している。本級の問題点としては主砲が変更になったため装甲が35.6cm砲用のものであり、40.6cm砲に対しては防御力が不足することであった。

 

建造

 1番艦ノースカロライナは1937年8月に発注され、1937年10月に起工、1940年6月に進水、1941年4月に就役している。2番艦ワシントンは1937年8月に1番艦と共に発注され、1938年6月に起工、1940年6月に進水、1941年5月15日に就役している。

 

戦艦ノースカロライナ級の活躍

 

1番艦ノースカロライナ

BB-55戦艦ノースカロライナ01
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦ノースカロライナは1937年10月に起工され、1941年4月に就役したが、試運転の際、推進器の振動による不具合が発生、実戦投入可能な状態になるまでに数年を要した。1942年3月、姉妹艦ワシントンと共に大西洋に配備され、イギリス艦隊の支援及び、対ソ物資輸送船団の護衛に当たった。6月にはパナマ運河を通過し太平洋に転戦、8月にガダルカナル島上陸支援、第二次ソロモン海戦に参加する。

 1942年9月には日本海軍の潜水艦伊号19潜の発射した魚雷が命中爆発するが、被弾後も24ノットでの航行が可能であり、米軍のダメージコントロールの巧みさと本級の堅牢さが証明された。その後自力で真珠湾に寄港修理を受けた。11月には戦列に復帰、空母の直衛を行う。

 1943年3月、真珠湾に寄港、新型の射撃管制装置及びレーダーが装備された。以後、ギルバート諸島、マーシャル諸島、クェゼリン環礁、サイパン島攻撃等に参加。1944年6月にはマリアナ沖海戦に参加する。その後、フィリピン、硫黄島、沖縄攻撃に参加の後、終戦を迎える。

 戦後は兵員の輸送任務に従事した。1945年10月には米本土に帰還し、オーバーホールを受ける。その後は練習艦として活躍するが、1947年6月退役、予備役に編入される。1961年6月除籍。1962年より記念館として保存された。1986年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。

 

2番艦ワシントン

BB-56戦艦ワシントン
(画像はwikipediaより転載)

 

 2番艦ワシントンは、1938年6月に起工、1941年5月に就役した。本艦も1番艦ノースカロライナと同様、振動問題に悩まされ、スクリューの修理、交換、乗組員の訓練を行っているうちに太平洋戦争開戦を迎えた。開戦後は1番艦ノースカロライナと共に第6戦艦戦隊を編成し、1942年3月には大西洋に向かった。

 大西洋ではイギリス艦隊の支援及び、対ソ物資輸送船団の護衛に当たった。7月にはワシントンは米本土に帰還、オーバーホールを受ける。1942年8月ワシントンは太平洋に転戦、12月には第三次ソロモン海戦では日本艦隊に単艦で突入、戦艦霧島を撃沈した。

 その後、タラワ、クェゼリン環礁、メジュロ珊瑚礁、サイパン島攻撃に参加、1944年6月にはマリアナ沖海戦に参加、日本艦隊を追撃するも戦闘をする機会はなかった。1944年9月にはパラオ攻撃、フィリピン攻撃に参加した後、レイテ沖海戦に参加する。1945年2月には硫黄島攻略に参加、4月には沖縄への艦砲射撃を行う。1945年6月には米本土に帰還する。1947年6月に予備役に編入、1960年6月除籍、1961年5月に解隊処分された。

 

 

戦艦ノースカロライナ級(模型)

 

 

青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 戦艦 ノースカロライナ

 ノースカロライナ級戦艦の1番艦。大西洋、太平洋と暴れまわった。太平洋戦争では第二次ソロモン海戦に参加する。魚雷により被弾するも堅牢な艦体のため撃沈は免れた。歴戦の艦。

 

青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 戦艦 ワシントン

 ノースカロライナ級戦艦2番艦。第三次ソロモン海戦で日本艦隊に単艦で突入、戦艦霧島を撃沈した殊勲艦。その後の戦闘も生き抜いたが、戦後は残念ながら解体されてしまう。

 

まとめ

 

 戦艦ノースカロライナ級は、太平洋戦争初期から中期の日米の戦力が比較的拮抗している時期に投入された新鋭戦艦であった。そのため日本艦隊の攻撃による被弾も多かったが2隻とも無事に終戦を迎えた。2番艦ワシントンは解体されてしまったが、1番艦ノースカロライナは現在記念館として保存されている。

 

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