ミニマム情報戦記

ブログタイトルは思い付きでちょいちょい変わります。 でもここら辺でタイトル固定かなぁ。。。 銃&ミリタリーがメイン。 最近は軍事書籍の書評が多いみたい・・・。よいと思ったら拍手してね!それだけが心の支え・・・。

日本海軍

士官と下士官の違い




 最近は、すっかり読書三昧の日々を送っている訳だけです。まあ、読書といっても私の書評を見れもらえれば分かるように軍事関係の書籍がほとんどな訳です。んで、結構、読んでいて思うのって当時の軍隊の階級制度についてなのだ。


 坂井三郎氏はこの軍隊の階級制度について「貴族と奴隷」とまで言っている。坂井三郎原作映画『大空のサムライ』(映画の製作費はネズミ講から出ているらしい『祖父たちの零戦』)では、藤岡弘扮する坂井三郎に「俺たちは二つの敵と戦っている。一つは連合国、もう一つは士官だ」というようなことを言わせている。さらに最近読んだ一ノ瀬俊也『戦艦武蔵』中にも士官と下士官の対立があり、戦後まで尾を引いていたという。


 角田氏の著書『修羅の翼』ではフィリピンで下士官以下の隊員が住む隊舎に入ろうとしたところ、下士官に道を塞がれ危うく追い返されそうになったというエピソードがある。角田氏は下士官からの叩き上げだったので結局通してもらえたが・・・。特攻隊員がいる隊舎ということもあるが、やはり士官と下士官兵の壁はあったようである。


 下士官からの叩き上げで特務士官になった岩本徹三は妙にポジティブな性格だったようで、「我々には伊達に特務の二字がついているんじゃない。日露戦争の杉野兵曹長の昔から、兵学校出の士官にもできない、下士官にもできないことをするのが我々特准なんだ。頑張ろうぜ」と角田氏に語っていた(角田和男『修羅の翼』)。


 因みに岩本徹三氏は侠客的(『日本海軍戦闘機隊』)、昔の剣客(安部正治「わが胸中に残る撃墜王の素顔」『空戦に青春を賭けた男たち』)等と言われるが、原田要氏によると意外と几帳面で神経質な性格だったようである。まあ、とにもかくにも、軍隊には士官と下士官が存在している訳なのだ。私は常々思っていた疑問(『わが誇りの零戦』)で、世間一般の会社では幹部と下っ端って入社時から分けない訳ですよ。


 入社してから(建前上は)能力を見て、幹部にする人と平社員のままにする人を分ける訳じゃないですか。じゃあ、軍隊もそうすればいいんじゃないの?と思っていた訳です。そもそも士官と下士官兵というのは貴族と平民から来てるんじゃないの?今は21世紀だよ。人類皆平等。軍隊も能力によって幹部(士官)になる人とそうじゃない人を分ければいいじゃーんと思っていた訳です。


 実はこれ、違うんです。士官と下士官兵、幹部と曹士の区分は世界中の軍隊で採用されていてどこも廃止しないじゃないですか?例えば合理的で平等意識の強い上にドラスティックに改革しそうなアメリカですらも士官学校、兵学校があり、士官と兵の区分は明確な訳ですよ。


 これは必要なんです。一般の会社では「死ね」と命令することはないです。無いというよりしたら事件ですね。パワハラですね。逮捕ですね。ところが軍隊では「死ね」と命令しなければならない事態が起こる訳ですよ。そうなった時にかつて同じ立場で出世した同僚、かつての部下だった上司に命令されて死ねますか?


 やはり「死ね」という命令を出す人と出される人には、一定の距離が必要なんですね。ここら辺のことはデーブグロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』に詳しい。私達みたいに平和な時代、平和な国に生きている人間には戦争というのを理解するのは難しいですよね。もちろん私も偉そうなことは言えないです。はい。 



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日本海海戦に活躍した装甲巡洋艦




 前回に引き続き、日本海海戦に参加した装甲巡洋艦について書いてみたい。因みに前回はこちら


装甲巡洋艦 常磐(第二艦隊第二戦隊所属)

性能
排水量 常備:9,700トン
全長 134.72m(垂線間長 124.36m)
全幅 20.45m
吃水 7.43 m
機関 円缶12基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 18,000hp
最大速 21.5ノット
航続距離 7,000海里(10ノット時)
兵員 726名
装甲 主水線帯 88-180ミリメートル
上部水線帯 125ミリメートル
甲板 50ミリメートル
兵装 20.3cm砲4門
15.2cm砲14門
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
(wikipediaより転載)


概要
常磐(ときわ/ときは)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦。浅間型装甲巡洋艦の2番艦。フィリップ・ワッツの設計によるもので、イギリスのアームストロング・ホイットワースが、売却用に見込み生産していたものを購入したものである。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 この常磐は1899年に竣工した。その後1904年に蔚山沖海戦、1905年に日本海海戦に参加した。他の戦艦、巡洋艦の例に漏れず1921年に海防艦となった。そして1922年敷設艦に類別変更された。敷設艦とは機雷を敷設する艦船のことである。常磐は1941年、クェゼリン環礁で海戦を迎える。日本海海戦に参加した巡洋艦でもっとも最前線にいた艦ではないだろうか。1942年、クェゼリン環礁で米艦載機の襲撃を受けるが大損害を受けることなく佐世保に帰港した。


 その後、再度マーシャル諸島に進出し1943年に横須賀に帰港した。1944年になると日本近海に米潜水艦が出没することから機雷の敷設の必要性が高まり、日本近海に機雷を敷設しまくった。1945年8月9日、大湊で米任務部隊の空襲を受け損傷し、浸水したが沈没には至らなかった。しかし終戦を迎え、乗員が去っていくなかで排水作業が不可能となり擱座した状態で終戦を迎えた。1946年〜1947年にかけて解体された。


 前出の出雲が基本的に後方にいたのに対してこの常磐はマーシャル諸島で開戦を迎え、南方に再度進出したり、米潜水艦が遊弋する外洋での作業を多く行う等結構危険な場所での作業が多かった。その割には太平洋戦争を戦い抜き戦後日本の発展のために解体されるという名誉ある最後を遂げるのであった。


装甲巡洋艦 八雲(第二艦隊第二戦隊所属)

性能
排水量 基準:9,695トン
全長 124.7m、水線長:124.65m
全幅 19.6m
吃水 7.2m 
機関 ベルヴィール式石炭専焼缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 15,500hp
最大速 20.5ノット
航続距離 10ノット/7,000海里
兵員 648名
装甲 舷側装甲:178mm
上部水線帯:-mm
甲板装甲:51mm
主砲塔装甲: -mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
バーベット部:-mm
司令塔:356mm
兵装 20.3cm(45口径)連装砲2基
15cm(40口径)単装砲12基
8cm(40口径)単装砲12基
47mm単装砲12基
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
(wikipediaより転載)


概要
八雲(やくも)は大日本帝国海軍が日露戦争前にドイツから購入した最初の装甲巡洋艦。六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で整備された艦で、日露戦争から太平洋戦争の戦後まで活動した。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 八雲は息の長い艦であった。1900年に竣工し、日本海海戦に参加、その後練習艦として1939年まで使用された。太平洋戦争開戦後の1942年に海防艦から巡洋艦に類別変更され、対空戦闘にも従事したようだ。そして何と太平洋戦争を生き抜き、復員船として活躍した。日本海海戦の主力艦が太平洋戦争終結後も運用されたというかなり稀な事例である。1946年舞鶴で解体される。


装甲巡洋艦 浅間(第二艦隊第二戦隊所属)



性能
排水量 常備:9,700t
全長 134.72m
全幅 20.45m
吃水 7.42m
機関 円缶12基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 18,000hp
最大速 21.5kt
航続距離
乗員 726名
装甲 主水線帯 88-180ミリメートル
上部水線帯 125ミリメートル
甲板 50ミリメートル
兵装 20cm(45口径)連装砲2基4門
15.2cm(45口径)単装速射砲14基14門
8cm(40口径)単装速射砲12基12門
4.7cm単装速射砲砲8門
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側:178mm(水線最厚部)、89mm(水線末端部)
甲板:51mm(平坦部)、76mm(傾斜部)
主砲塔:152mm(最厚部)
主砲バーベット:152mm(最厚部)
司令塔:356mm(側盾)、76mm(天蓋)
(wikipediaより転載)


概要
浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦の1隻で浅間型装甲巡洋艦のネームシップである。艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 浅間は華々しい活躍とはあまり縁のない巡洋艦だったようだ。日露戦争では日本海海戦に参加するも戦闘初期に舵が故障し集中砲火を浴びてしまった。1915年にはメキシコで座礁し、1935年には広島湾でまた座礁してしまう。沈没は免れた。


 1942年、経年劣化のため、主砲、副砲を撤去し、特務練習艦として終戦まで生き延びる。日露戦争時の艦艇を調べていて思うのは、多くの艦艇が太平洋戦争にも参加しているということだ。もちろん主力艦として参加することはないが、特務艦、工作艦等で参加している。この浅間も特務練習艦として終戦まで生き残り戦後解体された。


装甲巡洋艦 磐手(第二艦隊第二戦隊所属)



性能
排水量 9,750t
全長 水線長:132.28m
全幅 20.94m
吃水 7.37m
機関 ベルヴィール式石炭専焼水管缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大速 20.75ノット
兵員 648名
兵装 20.3cm連装砲塔2基
15.2cm単装速射砲14門
12ポンド単装速射砲12門
2.5ポンド単装速射砲8門
45.7cm水中魚雷発射管単装4門
(wikipediaより転載)


概要
磐手(いわて/いはて)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦。出雲型装甲巡洋艦の2番艦。1901年(明治34年)3月18日、アームストロング社にて竣工し領収。翌日19日に日本へ回航。同年5月17日、横須賀に到着した。

日露戦争時には最新鋭の装甲巡洋艦として第二艦隊の第2戦隊に所属し、殿(しんがり)艦を「磐手」、旗艦を姉妹艦の「出雲」が務めた。後方を任される殿艦は敵の攻撃が集中しやすく蔚山沖海戦や日本海海戦に参加した際には大きな被害を出している。
(wikipediaより一部転載)
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 私の好きな装甲巡洋艦出雲の二番艦として1901年にアームストロング社で建造された。日本海海戦に参加したのちは練習艦として運用される。1945年7月24日の呉空襲で撃沈される。歴代艦長の中には米内光政、角田覚治がいる。


 日本海海戦に参加した艦艇の多くは、太平洋戦争にも参加したが、そのまた多くは1945年の呉空襲で撃沈されてしまったようだ。逆に考えるとアメリカ軍の呉空襲って意味があったの?とちょっと思ってしまう。


 撃沈された多くは旧式艦な上にこの当時、日本には石油が欠乏していたので現用戦艦すらも運用できない状態であった。日本海軍としては今後使うことのない廃品を沈められたという状況だ。戦術上、呉を空襲する意味があったのかは疑問。まあ、戦略的な意義があったのかもしれないが私はよく分からない。



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日本海海戦で活躍した装甲巡洋艦




 今日のテーマは日本海海戦で活躍した装甲巡洋艦。以前、日本海海戦で活躍した戦艦というテーマで書いたところ、たった一人だけ「拍手」をくれたので気を良くして第二弾を企画してみました。日露戦争当時、戦艦に次いで強力は破壊力を誇ったのが今日紹介する装甲巡洋艦だ。んん?「そうこうじゅんよーかん?」何それ??という声が聞こえてきそうなのでまずは装甲巡洋艦とは何かということから始めて行きたい。


 装甲巡洋艦とは戦艦には及ばないにしても格下の艦相手には十分な装甲を持ち、速力も戦艦よりも若干上回ったようだ。要するに準戦艦と考えて良い。日本海海戦に参加した装甲巡洋艦はトン数こそ1万トン以下であり、戦艦には遠く及ばないものの、速力は全艦20ノット以上を出すことができた。戦艦三笠の最高速度が18ノットであることを考えると割と速い。


 日本海海戦に参加した戦艦が実は4隻のみだったのに対して装甲巡洋艦は8隻が戦闘に参加した。その8隻の特にその後についてみてみよう。私は昔からどうしても歴史上の偉人、有名な物のその後が気になってしまうのだ。人物にしても歴史上に輝く業績を上げたことはみんな知っているがその後のことはあまり知られていない場合が多い。結構、意外な「へー」があるものなのだ。ということで早速見てみよう。 



装甲巡洋艦 春日(第一艦隊第一戦隊所属)



性能
排水量 基準:7,700t
全長 105.0m
全幅 18.7m
吃水 7.29m
機関 石炭専燃円缶8基
+直立型三段膨張式三気筒レシプロ蒸気機関2基2軸推進
最大速 20.0ノット
航続距離
兵員 562名
装甲
兵装 25.4cm(40口径)単装砲1門
20.3cm(45口径)連装砲2門
15.2cm(40口径)単装砲14門
7.6cm(40口径)単装砲8門
45.7cm水中魚雷発射管単装4門
(wikipediaより転載)


概要
 春日(かすが)は、日露戦争で活躍した旧日本海軍の春日型装甲巡洋艦の1番艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は日進。
(wikipediaより一部転載)
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 当時の艦船に日本製は少ない。この春日も名前こそ日本風であるが、イタリア製である。アルゼンチンが発注したものであるが、それを日本が購入した。日露戦争では黄海海戦に参加したのち、日本海海戦に参加、その後、第一次世界大戦にも参加した。大正10年に海防艦となるが、それまでに二度座礁している。どうも座礁と縁のある艦であった。その後、練習艦、海防艦と艦種が変わり、太平洋戦争の最中の1942年に再度練習艦となる。終戦間際の1945年に空襲を受け大破着底した。戦後引き上げられ解体された。


装甲巡洋艦 日進(第一艦隊第一戦隊所属)



性能
排水量 基準:7,700t
全長 105.0m
全幅 18.7m
吃水 7.29m
機関 石炭専燃円缶8基
+直立型三段膨張式三気筒レシプロ蒸気機関2基2軸推進
最大速 20.0ノット
航続距離
兵員 568名
装甲
兵装 20.3cm(45口径)連装砲4門
15.2cm(40口径)単装砲14門
7.6cm(40口径)単装砲8門
45.7cm水中魚雷発射管単装4門
(wikipediaより転載)


概要
 日進(にっしん)は、日露戦争で活躍した旧日本海軍の春日型装甲巡洋艦の2番艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は春日。
(wikipediaより一部転載)
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 春日と共に日本が購入した装甲巡洋艦の一つ。この艦には当時、少尉候補生だった山本五十六が乗艦していた。さらにアルゼンチン海軍の観戦武官も乗艦していたという結構面白い艦だ。大正元年に乗組員の放火によって火薬庫が爆発する。華やかな海軍の内側ではとても言えないこともあったのだろう。その後第一次世界大戦では南洋の警備にあたる。1921年に海防艦となり1935年に廃艦となる。





装甲巡洋艦 出雲(第二艦隊第二戦隊所属)



性能
排水量 9,750t
全長 121.92m
全幅 20.94m
吃水 7.37m
機関 ベルヴィール式石炭専焼水管缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大速 20ノット
兵員 672名
兵装 20.3cm連装砲塔2基
15.2cm単装速射砲14門
12ポンド単装速射砲12門
2.5ポンド単装速射砲8門
45.7cm水中魚雷発射管単装4門
兵装(最終時) 八九式12.7cm(40口径)連装高角砲2基
15.2cm(40口径)単装速射砲4基
三年式8cm(40口径)単装高角砲1基
九六式25mm三連装機銃2基
九六式25mm連装機銃2基
九六式25mm単装機銃4基
九三式13.2mm単装機銃2基
(wikipediaより転載)


概要
出雲(いずも)は、大日本帝国海軍の出雲型装甲巡洋艦の1番艦。日露戦争や第一次世界大戦、支那事変に参加し、太平洋戦争で戦没するまでの45年間現役にあった。
(wikipediaより一部転載)
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 私が日露戦争当時の艦艇を調べるようになって結構驚いたのが、当時の艦艇って意外と寿命が長い。廃艦になったりした艦もあるが、多くが太平洋戦争中に撃沈されている。これらの艦艇の中で特に異彩を放つのがこの装甲巡洋艦出雲だ。この出雲、撃沈されるまでの生涯でこれほど「旗艦」を務めた艦もないのではないだろうか。


 日本海海戦では第二艦隊旗艦、戦後は第一艦隊旗艦、第一次世界大戦では遣米艦隊旗艦、続いて第一特務艦隊旗艦としてインド洋に派遣される。その後練習艦、海防艦として活躍するが、1932年2月、日中関係の悪化によって中国方面の艦隊を統率する第三艦隊の旗艦となる。その後さらに第四艦隊も加えた支那方面艦隊の旗艦となる。


 その後、支那方面艦隊は規模を縮小され、第三艦隊は第一遣支艦隊と改名される。ここでも当然旗艦だ。ここで出雲は太平洋戦争開戦を迎えるが、太平洋戦争の熾烈化に伴い、第一遣支艦隊は艦隊の体をなさなくなった。1943年8月20日、やっと出雲は内地に帰還することとなる。1945年7月24日、米軍の空襲により至近弾を受け大破着底、1947年に引き上げられ解体されている。やたらと「旗艦」な出雲なのであった。


装甲巡洋艦 吾妻(第二艦隊第二戦隊所属)

性能
排水量 基準:9,326トン
全長 135.9m、水線長:131.3m
全幅 18.1m
吃水 7.2m 
機関 ベルヴィール式石炭専焼缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 17,000hp
最大速 20.0ノット
航続距離 10ノット/7,000海里
乗員 644名
兵装 20.3cm(45口径)連装砲2基
15cm(40口径)単装砲12基
8cm(40口径)単装砲12基
47mm単装砲12基
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側装甲:88〜178mm
上部水線帯:125mm
甲板装甲:102mm
主砲塔装甲:150mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
副砲ケースメイト:50〜150mm
バーベット部:150mm
司令塔:356mm
(wikipediaより転載)


概要
 吾妻(あづま)は、大日本帝国海軍が日露戦争前にフランスのロワール社から購入した最初期の装甲巡洋艦。艦名の由来は福島県北部の吾妻山。本艦は六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で八雲型に次いで整備された艦である。
(wikipediaより一部転載)
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 この艦はフランス製。この当時の日本にはいろいろと外交上の苦労があったようだ。日本へ回航されたのち第二艦隊第二戦隊に所属する。蔚山沖海戦、日本海海戦に参加する。その後、練習艦となる。第一次世界大戦に参加したのち海防艦に艦種替えとなる。就役したのが1900年であるだけに、太平洋戦争中の1944年に老朽化のために除籍され横須賀に係留されるが、米軍の空襲によって大破着底した。戦後解体される。太平洋戦争中に「老朽化のため」除籍されるという一風変わった最後であった。日本海海戦で活躍した装甲巡洋艦へ続く。



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金剛型高速戦艦




 太平洋戦争に参加した戦艦の中で異彩を放つのがこの金剛型戦艦だろう。ネームシップ金剛は太平洋戦争に参加した唯一のイギリス製戦艦であり、皮肉にも最も活躍した戦艦であった。太平洋戦争に参加した戦艦には他に日本海海戦に参加した戦艦朝日もあるが、太平洋戦争時には工作艦となっていた。太平洋戦争に戦艦として参加したイギリス製戦艦は金剛のみである。


 さらに戦艦の名称も金剛、比叡、榛名、霧島と全て山の名前になっている。日本海軍の戦艦の命名規則だと戦艦は旧国名が充てられることになっており、山の名前は重巡洋艦に付けることになっている。ではなぜ、金剛型は全て山名なのか?そう、金剛型は戦艦ではなく、「巡洋戦艦」だからだ。


 太平洋戦争に参加した戦艦の中で金剛型が異彩を放つ理由の一つは金剛型のみが、「巡洋戦艦」であったということだろう。というか、そもそも巡洋戦艦とは何?ということで巡洋戦艦とは何かをみてみよう。


概要
 巡洋戦艦(じゅんようせんかん、英: Battlecruiser, 独: Schlachtkreuzer)は、強力な攻撃力を持つ大型巡洋艦を指す。戦艦と同等の大口径砲を持ち、戦艦よりも長大な艦形で大出力機関を搭載し、高速性能を持つ。装甲巡洋艦(Armored cruiser)を発展させて誕生した。第二次世界大戦までは戦艦とともに主力艦の扱いを受けた。

最初にこの種の艦を1908年に建造したイギリス海軍の定義では、「戦闘巡洋艦」、すなわち広義では巡洋艦で、攻撃力は戦艦に匹敵する艦種を指す。高速力を持つが、防御力は装甲巡洋艦と同等のままである。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 ということだそうだ。要するに火力は戦艦並みだが、防御力は戦艦程ではない。しかし速力は速い。ということになる。巡洋艦に戦艦の火力を持たせたものと考えるのが分かり易いかもしれない。しかし、実戦では装甲の弱さが災いして戦争中にほとんどが撃沈されてしまったそうだ。


 金剛型戦艦も例外ではなく、戦艦榛名が戦争末期に呉で大破着底したのを撃沈と判定するならば、全てが太平洋戦争中に撃沈されたこととなる。しかし活躍はすごかった。太平洋戦争は航空機の戦いであった。海上で航空機を運用できるのは航空母艦である。





概要
金剛型巡洋戦艦(こんごうがたじゅんようせんかん)は、大日本帝国海軍の巡洋戦艦の艦級。日本初の超弩級巡洋戦艦であり、また1番艦の金剛は英国によって建造された最後の日本主力艦でもある。太平洋戦争時には最古参艦でありながらも約30ktの快速を利して機動部隊に随伴。戦記などでは、「高速戦艦」と呼ばれることも多い。太平洋戦争では艦齢のもっとも長い戦艦であったが、他の日本戦艦と比べると活動する機会が多い艦となった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 航空母艦は速力が速い。それは航空機を発艦させるためには「合成風力」を出す必要があるからだ。合成風力とは空母が風上に全速力で進むことで得られる風力のことである。この合成風力を利用して艦載機は発艦するのだ。この高速で機動する空母を護衛するにはやはり高速艦でなければならない。


 そこで目を付けられたのが金剛型戦艦だった。真珠湾攻撃にも比叡、霧島の二隻が参加している。もちろん航空母艦の護衛だ。最も旧式な戦艦でありながら、当時、日本海軍が保有する戦艦の中で最速だったからだ。通常の戦艦が25ノット程度、最新鋭艦大和ですらも27ノットしか出せない。それに対してこの金剛型戦艦は30ノットの快速を出すことができた。


 最旧式戦艦だったために海軍上層部も思い切り使うことが出来たのだろう。比叡、霧島はソロモン海とう他の戦艦が派遣されないような最前線で轟沈している。しかしヘンダーソン飛行場を艦砲射撃するなど活躍も目覚ましかった。結局、日本海軍が保有する唯一のイギリス製戦艦である金剛型は、最も旧式な戦艦でありながら日本戦艦中最高速の戦艦であり、唯一最新鋭の機動部隊に随伴できる艦であった。その結果、最も活躍したという皮肉な艦であった。



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三式弾



 三式弾とは何??まあ、普通は知らないだろう。というか砲弾の名前に詳しい人は本職の人以外にはあまりいないだろう。三式弾とは旧日本海軍が正式採用した砲弾だ。主に戦艦、巡洋艦の主砲から撃ちだす、対航空機用の砲弾だ。私は三式対空弾と呼んでいたが、正式には三式弾というようだ。


概要
 日本海軍が日中戦争の経験や、昭和14年度に行われた艦隊演習時の対空射撃の経験から、従来型対空射撃よりも効率的な対空射撃を行うために開発された。砲弾内部にはマグネシウムや可燃性のゴムが入った焼夷弾子と非焼夷弾子が詰まっており、一つの弾子の大きさは25mm×90mmとなっている。

 発射後は、従来型の対空砲弾だった零式通常弾と同じ零式時限信管により、敵航空機編隊の前面で炸裂し弾子を放出する。焼夷弾子は3,000度で約5秒間燃焼し、敵航空機を炎上させる狙いがあった。瞬発信管を使用することで、砲弾の命中時に弾子を射出することも可能。弾子放出の0.5秒後には弾殻も炸裂し、破片効果を発揮する。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 久しぶりにwikipediaの記事を引用したが、上記のように三式弾とは編隊を組んで攻撃して来る敵航空機に対して空中で爆発する砲弾を主砲から撃ちだし編隊ごと殲滅してしまおうという至極ありきたりな発想から開発された砲弾だ。砲弾は時限発火式で、中にはマグネシウム等が詰まっていた。


 この空中で破裂させて編隊ごと粉砕してしまおうというのは海軍航空隊でも使用されていた3号爆弾と同じ発想である。3号爆弾はラバウル等で頻繁に使用されていたようで、当時の記録に頻出する。日本海軍のトップエースの一人である岩本徹三飛曹長も3号爆弾を使用してアメリカ軍の大編隊を壊滅させたとしている。もちろんアメリカ側にはそれに対応する損害記録はない。


 3号爆弾は時限発火式で照準器が無かったため、搭乗員の勘が頼りだったようだ。そのため命中することは少なく、基本的な使用方法は敵編隊を崩すために使用されていたようだ。三式弾も基本的な構造は同じだったようで、3号爆弾同様に効果も薄かったようだ。


 マリアナ沖海戦では重巡利根艦長の黛治夫大佐が威力絶大と報告しているが、三式弾の開発に携わった人物の評価は客観的とは言えないだろう。しかし三式弾という名前は砲弾の中では結構有名で(というより砲弾の名前は三式弾くらいしか知られていない)、『宇宙戦艦ヤマト2199』でもヤマトの主砲から発射する実体弾は三式弾という名称であった。


 三式弾とは効果が派手なことから比較的知名度も高く、架空戦記物等では三式弾を装備した巨大戦艦が航空機を次から次へ粉砕するというような内容があったりするが、実際の三式弾はあまり効果はなかったようだ。同時期にアメリカではVT信管を内蔵した対空兵器が威力を発揮していたということも当時の日米の技術力の差というものが顕著に現れていて面白い。



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太平洋戦争時の日本戦艦




 平城宮には門がいくつあるかご存じだろうか?正方形の一面に3門、全部で12門ある。古代には天皇を護る12の豪族がおり、その豪族達が一族一門警備にあたっており、門にはそれぞれの豪族の氏名が与えられた。建部門、壬生門、県犬養門等々・・・。そして最重要の南に面する正門は歴代大伴氏が警護することになっており、大伴門と呼ばれていた。


 その後、平安京に遷都したが、「門の名前を中国風にしようよー。何かかっこいいじゃーん」ということになり、大伴門は応天門となった。その後、応天門は大手門になり、規模の大きなものを大手というようになったという。


 古代の12の豪族のように太平洋戦争当時、日本を護る12の戦艦があった。今までの長い説明は単に12という数字が同じだったから書いたに過ぎない。あまり意味のあるものではないのだ。それはそうと、太平洋戦争時に、日本には戦艦大和、武蔵、長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城、金剛、比叡、霧島、榛名という12の戦艦がいたのだ。


 戦艦大和、武蔵は言わずと知れた超ド級戦艦。弩級戦艦とはドレットノート級戦艦の頭文字をとったものだ。高速と単一口径の多砲塔を装備した艦だ。単一多砲塔としたことで同一照準での射撃が可能となり従来型戦艦を圧倒した。この戦艦の登場により従来型戦艦は一気に陳腐化してしまったのだ。


 例えば日本海海戦の雄、戦艦三笠等は建造後数年で陳腐化してしまったことになる。その弩級戦艦の最終形態が戦艦大和、武蔵である。現在の技術をもってしても建造不可能と言われる巨大戦艦だ。排水量は6万5000トンで排水量では護衛艦いずもに相当する。


 太平洋戦争開戦後に就役し、「大和ホテル」と言われるほど豪華な造りだったが、戦艦の時代がすでに終わっていたためか、大事にし過ぎたせいか、太平洋戦争では目立った活躍をすることはなかった。これは大和、武蔵が連合艦隊旗艦を務めたこともあるだろう。それまでの海戦というのは艦隊決戦主義で一局面での戦闘で勝敗が決した。しかし太平洋戦争になると多局面での戦闘を一元管理する必要が生まれ、艦隊旗艦は戦線の後方で全体の指揮をとることが必要となったからだ。


 戦艦長門、陸奥も大和型戦艦と同様に最前線で戦闘をすることはほとんどなかった。長門がマリアナ沖海戦に参加したくらいだろう。陸奥は戦時中に謎の爆沈をし、長門は太平洋戦争を生き抜いたが、ビキニ環礁での水爆実験の標的艦として沈没した。


 伊勢、日向は、航空母艦の不足から航空戦艦に改造されたが、結局、航空機を搭載することはなく、戦艦として戦い抜いた。扶桑、山城は伊勢型戦艦の前級であるが、太平洋戦争時にはすでに旧式戦艦で目立った活躍をすることなくレイテ沖海戦で撃沈された。


 太平洋戦争時の戦艦の中で特に目立った活躍をしたのが金剛型戦艦だ。当時の日本戦艦で唯一30ノットの高速を出すことが出来たので航空母艦に随伴することが可能であったからだ。この金剛型は太平洋戦争では特に活躍した。最前線に出撃して戦闘をすることもしばしばだ。しかし当然損害も大きかった。1942年に2番艦比叡、4番艦霧島が撃沈され、ネームシップの金剛も1945年に撃沈されてしまう。3番艦榛名は大破着底した状態で終戦を迎える。生き残った艦は一隻もなかった。


 この最も活躍した金剛型は全て山の名前なのはご存じだろうか。日本海軍の命名規則によると戦艦は旧国名であり、山名は重巡洋艦に付く。そう、金剛は元は巡洋艦として計画されたのだ。そして面白いのが、この金剛、日本製ではない。太平洋戦争で戦った戦艦の中で唯一の「イギリス製戦艦」だった。そして日本戦艦中最古の戦艦であった。この最も活躍した戦艦が艦齢が最も古く、さらにイギリス製というのは結構皮肉だと思う。



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日本海軍空母機動部隊の戦い




 前回はなんとなくミッドウェー海戦までを書いてみた。別に機動部隊の戦いの通史を書くつもりは毛頭無かったが、書いているうちに妙に面白くなってしまったので続きを書いてみよう。ミッドウェーで精鋭の一航戦、二航戦を失った海軍は空母機動部隊の再建に乗り出す。内地帰還後は敗戦を隠すために隔離されていた一航戦、二航戦の隊員達もそれぞれの任地に向かっていった。


 主力4空母がいなくなった現在、機動部隊の主力は「妾の子」だけになってしまった。つまりは空母翔鶴、瑞鶴である。さらに瑞鳳を加え、新たに一航戦が編成され、客船改造空母隼鷹、龍驤の2隻で第二航空戦隊が編成された。一航戦、二航戦合わせて航空母艦の数こそ5隻とかつての南雲機動部隊とほぼ同数になったが、翔鶴型空母以外は、軽空母と客船改造空母だった。


 機動部隊の主力となった翔鶴、瑞鶴は開戦直前に完成した最新型の航空母艦でこの二隻の完成時期に合わせて太平洋戦争が開始されたと言われる程の高性能艦であった。翔鶴、瑞鶴姉妹は第五航空戦隊を編成し、常に共に行動した。しかし不思議と瑞鶴は運が良く、敵の攻撃隊がくるとスコールがちょうど瑞鶴を覆い隠したりした。ということで、攻撃は翔鶴に集中する。結局、翔鶴は「損害担当艦」というありがたくないニックネームを付けられることとなる。


 第一航空戦隊は南雲中将、第二航空戦隊司令官は角田覚治少将であった。角田少将は典型的な猛将であったらしい。そして生粋の大艦巨砲主義者だったという。面白いのは大艦巨砲主義者の角田少将は太平洋戦争の全てを航空戦隊、航空艦隊司令官として過ごしたということだ。適材適所とは程遠い人事だが、角田少将は航空戦の司令としても優秀だったようだ。


 作戦に強引さはあったようだが、南太平洋海戦では自部隊航空隊の行動距離外から攻撃隊を発進、攻撃隊が帰投するまでに自身が乗艦する空母を最大戦速で前進させ味方部隊を収容するという荒業をやってのけた。結果、エンタープライズ大破、ホーネット轟沈という戦果を挙げることとなる。


 それはそうと、新編された機動部隊は第二次ソロモン海戦で第二航空戦隊の龍驤を失った代わりに隼鷹の姉妹艦飛鷹が同戦隊に編入されるが、ろ号作戦で熟練搭乗員の多くを失い壊滅的な状態となる。さらに二航戦には新たに龍鳳が編入される。これで一航戦空母3隻、二航戦空母3隻という南雲機動部隊と同数の空母を擁する部隊となった。


 同数といっても空母の規模、搭乗員の練度は開戦当初とは比べ物にならないものだった。その後、マリアナ沖海戦を前に大型空母大鳳が一航戦に編入される。さらに編入された空母千歳、千代田と瑞鳳を合わせて第三航空戦隊が編成される。この編成でマリアナ沖海戦を迎えるのだが、結果は周知の通りだった。


 元々航空機の数、性能、搭乗員の練度で劣っていた日本海軍は用兵の失敗も重なって大敗を期することとなった。このマリアナ沖海戦で新鋭空母大鳳、翔鶴、飛鷹と多くの搭乗員を失い、事実上、日本空母機動部隊は消滅した。


 生き残った空母瑞鶴、隼鷹、瑞鳳、龍鳳、千歳、千代田はエンガノ沖海戦に参加するが隼鷹、龍鳳以外の空母を全て撃沈されてしまう。ここに一時は世界最強を誇った日本海軍空母機動部隊は消滅したのである。



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日本海軍空母機動部隊の戦い




 世界で航空母艦を6隻同時運用したのは日本とアメリカ位じゃないかと思う。それぞれ大洋に囲まれた海洋国家であり、必要性があったことが理由でるのは言うまでもない。イギリスも同様の条件を持っているが、イギリスの相手は主に大陸国家であり、艦隊戦の重要度は日米に比べて低かったのだろう。太平洋戦争でもイギリス、ドイツ共に戦艦が重視されていたようだ。


 航空母艦の運用法については日米で違いがある。日本は空母群を一つにまとめて運用していたのに対し、アメリカは空母1隻〜2隻に護衛艦を配し任務部隊を編制した。二つの運用法があるが、これは一長一短である。日本式に運用すれば打撃力は強大になるが空襲で空母を一度に失う危険がある。アメリカ式は逆に空襲のリスクは回避できるが、打撃力は劣る。


 これは戦史を見れば明らかだろう。日本機動部隊は真珠湾攻撃で強力な打撃力を発揮したが、ミッドウェー海戦では一つにまとめて運用した結果、4隻の主力空母を一度に失ってしまった。なんでも完璧というものはない。日本の空母編成は他の艦種でもそうだが、基本2隻で戦隊を組む。開戦時の主力は空母赤城、加賀の第一航空戦隊、飛龍、蒼龍の第二航空戦隊、翔鶴、瑞鶴の第五航空戦隊だった。


 特に第一、第二航空戦隊は搭乗員、乗組員共に最精鋭を集めており、わずかに劣る五航戦は「妾の子」とまで言われた。しかし世界の平均からしてみれば五航戦の乗員もトップクラスの練度だったことは言うまでもない。日本海軍の練度はそれほどまでに高かったのだ。


 この3つの航空戦隊で編成された南雲機動部隊は開戦劈頭の真珠湾からウェーク島攻撃、セイロン島攻撃、ラバウル攻略と威力を発揮した。優秀な搭乗員と強力な打撃力。威力が無いはずがない。ケチが付いたのは珊瑚海海戦だろう。珊瑚海海戦は五航戦が主力を担った。世界初の空母同士の海戦では双方共に大損害を出してしまった。


 アメリカは空母レキシントンが轟沈、日本側は翔鶴が大破で、戦略的にはアメリカの勝ち、戦術的には日本の勝ちというような見方もあるが私は違うと思う。翔鶴は大破であったが、多くのベテラン搭乗員を失い、さらに別口で日本は空母祥鳳を失っている。互角の戦いであったといっていい。


 この結果、ミッドウェーには一航戦、二航戦のみが参加したが結果は周知のとおりである。よく言われる「もしも」五航戦が参加していたらというのがあるが、結果は、空母4隻撃沈の損害が空母6隻撃沈になっていただけだろうと思う。理由はミッドウェーの敗戦は戦力の問題というより運用の問題だったからだ。まあ、これは想像でしかないが・・・。


 そもそも珊瑚海海戦といい、ミッドウェー海戦といい、日本海軍の作戦は緻密過ぎた。ミッドウェーでは空母隼鷹、龍驤の第四航空戦隊がアリューシャンに陽動攻撃をかけ、その隙にミッドウェーを攻撃するというようなものだったと記憶している。実戦では予想外の出来事が多発する。緻密過ぎる作戦は失敗の元だ。それはそうと、日本軍はミッドウェーで頼みの空母機動部隊の大半を失い、徐々に守勢に回っていくのだった。



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日本海軍 水上偵察機 瑞雲




 海洋国家日本らしい珍妙な飛行機瑞雲。一応分類は水上偵察機となっているようだが、実際には水上爆撃機である。飛行艇時代なんて『紅の豚』の世界だけの話だと思っていたが、日本は実際に水上爆撃機を完成して、さらには実戦配備までしてしまたのだ。この瑞雲、「水上」と名が付くからには想像がつくと思うが当然、フロートを装備している。そして爆弾も装備するのだ。結局、伊勢、日向に装備され実戦にも参加してしまった。(画像はwikipediaより転載)


性能
全長:10.84 m
全幅:12.80 m
全高:4.74 m
主翼面積:28.00 m2
全装備重量:3,800 kg
最高速度:448 km/h
乗員:2名
発動機:三菱金星54型(空冷星型、1,300 hp)
航続距離:2,535 km
実用上昇限度:10,280 m
武装:
20 mm機関砲×2
7.7 mm旋回機銃×1(初期型)・13 mm旋回機銃(量産型)
60 kg爆弾×2または250 kg爆弾×1
(wikipediaより転載)


概要
 1940年(昭和15年)2月に愛知航空機に試作指示が出されたが、最大速度463 km/h以上、最大航続力2,500 km以上、格闘性能良好で急降下爆撃が可能というかなり厳しい要求であった。愛知ではこれに基づいて十四試二座水上偵察機(1941年(昭和16年)に十六試水上偵察機と改称)の開発を開始し、1942年(昭和17年)3月に試作1号機を完成させた。性能試験の結果同年11月に採用が内定し、その後の実用試験を経て1943年(昭和18年)8月に瑞雲11型として制式採用された。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 瑞雲は昭和15年8月に計画要求書が出され、昭和17年3月31日に試作一号機が完成した。全金属製の単葉(二枚羽ではない)、双フロート機(フロートが左右に二つある)、ゼロ戦の最終型五四型でも搭載された金星エンジンを装備していた。最高速度は438辧⊂数しか生産されなかったがそれでも256機が生産された。


 最初の瑞雲部隊は634空であった。634空は母艦航空隊であり、その母艦は何と航空戦艦伊勢、日向であった。編成は艦上爆撃機彗星、ゼロ戦、瑞雲で編成された。航空戦艦の搭載機は彗星が予定されていた。航空戦艦とは周知のとおり、航空機を発進させるのはカタパルトを使用すれば可能であるが、着艦するためには十分な広さの飛行甲板を持っていなかった。





 このため、彗星はカタパルトで射出され、攻撃終了後は最寄りの基地に着陸するということになっていた。しかしここで問題が。最初の攻撃で彗星を景気よく射出してしまえばその後伊勢日向は基地に戻るまで航空機の補充は不可能であった。


 このために再度攻撃することができるフロート付きの攻撃機が欲しいということになり、フロート付きでは性能が群を抜いていたこの瑞雲に白羽の矢があったのである。しかし瑞雲が実際に伊勢、日向から発進することはなかったようである。


 瑞雲隊が一番活躍したのは魚雷艇駆り等の地味な作戦であったが、地味であっても正規の攻撃に徹し、かなりの損害を出したようであるが、特攻隊を出すことはなかったようである。最近、大戦時の日本軍航空機について調べているがそれにしてもよくもいろんな機種を開発したものである。



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中島 艦上偵察機 彩雲

NakajimaC6N 「我に追い付くグラマンなし。」日本海軍最高速機がこの彩雲だ。戦後接収され、アメリカ軍によってテストされた彩雲は最高速度694.5劼魑録したという。偵察機というと戦闘機や爆撃機に比べて面白味にかけるのではないかと思う人もいるかもしれないが私はこの高速艦上偵察機というのは面白いと思う。(画像はwikipediaより転載)


性能
全長: 11.15m
全幅: 12.50m
主翼面積: 25.50m2
発動機: 誉21型空冷複星18エンジン
出力: 1,990HP
重量: 2.908kg
最大速度: 609.5km/h
航続距離: 5,308km(増槽装備時)
実用上昇限度: 10,740m
上昇率: 6,000m / 8分09秒
武装: 7.92mm機銃×1
乗員: 3名
(wikipediaより転載)


概要
彩雲(さいうん)とは、太平洋戦争中期から運用された大日本帝国海軍の艦上偵察機である。略符号はC6N。第二次世界大戦中では唯一、偵察専用として開発された艦上機である。米軍によるコードネームは「MYRT」。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 まさに世界で唯一というのがまたいいではないか。そして海軍機中最速であり、艦上機でありながら高速で長大な航続距離を持つ。当時の単発機では世界最長の航続距離だったという。長大な航続距離を持つ故に自動操縦装置も装備されていたという。冒頭の「我に追いつくグラマンなし」というは偵察に出た彩雲がグラマンF6F(だったはず)に追撃されたがそれを振り切った時に送信されたものでこれはフィクションではない。


 最高速でも航続距離が短くては偵察機として意味がない。この両特性があわさったことがこの彩雲のすごさなのだ。高速飛行は当然燃料を消費する。だから長大な航続距離というのは絶対に必要なものなのだ。戦時中はあまりの高性能のために本土決戦用に温存されていたようだ。その結果、総生産数398機中173機が終戦まで生き残った。



1/48 中島 C6N1 艦上偵察機 彩雲“東カロリン航空隊”

商品の説明
伊400潜と伊401潜によるウルシー泊地の米艦隊攻撃作戦に先立って、伊14潜は伊13潜と共に、トラック島へ事前偵察用の彩雲を4機輸送する 「光」作戦を遂行しました。
伊13潜は途中消息不明となりましたが、伊14潜は無事に入港しました。
東カロリン空は、ラバウルから後退してきた戦 闘第251飛行隊の月光や、本土から進出してきた彩雲をその指揮下において航空作戦を行った部隊です。
「HK-72」は、伊14潜によって運ばれ た機体なのかもしれません。
(amazonより転載)


 彩雲はその高速から海軍の期待を一身に背負った。艦上偵察機として使用されたことはなかったと思うが、陸上基地からの多くの偵察で活躍した。昭和20年6月にはこの彩雲に「斜め銃」を搭載した対大型機撃墜用彩雲が製作された。20亠ヾ慄い鯏觝椶垢襪發里30亠ヾ慄い鯏觝椶垢襪發里發△辰燭箸いΑ実戦にも参加したようだ。さらに木製化計画、艦攻化計画もあったようだが詳細は不明である。



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三菱 烈風一一型

Mitsubishi_A7M2










 「烈風200機あらば」とは海軍航空隊の名パイロット小福田租の言葉だったと思うが、日本と連合国は国力で負けていた。そして戦略もないまま戦争に突入してしまった。新型戦闘機が200機あったところで大勢は覆らない。現に新鋭戦闘機紫電改は400機生産され、「海軍が生んだ空の天才」とまで言われた源田実大佐によって集中運用されたが徐々に戦力を消耗して敗戦となった。(画像はwikipediaより転載)


性能
A7M2
全幅 14.0m
全長 11.040m
全高 4.23m
主翼面積 30.86m2
自重 3,267kg
正規全備重量 4,719kg
発動機 『ハ四三』一一型(離昇2,200馬力)
最高速度 624.1km/h(高度5,760m)
上昇力 6,000mまで5分58秒
航続距離 全力30分+1,960km(増槽あり)
武装 翼内九九式20mm二号機銃四型4挺(携行弾数各200発)
(wikipediaより転載)


概要
烈風(れっぷう)は、日本海軍が零式艦上戦闘機(以下、零戦)の後継として試作した艦上戦闘機(のち局地戦闘機)。設計生産は三菱航空機。略符号はA7M。連合国のコードネームは「Sam」。1943年8月以前の試作名は「十七試艦上戦闘機」。試作のみで未完成のまま終戦を迎えた。
(wikipediaより一部転載)
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 こういう情熱を削ぐような出だしで今日もスタートだ!しかし大勢が挽回できなかったことと烈風の性能は別問題だ。烈風の開発は1942年から零戦の設計で有名な堀越二郎氏によって始められた。海軍戦闘機の開発で毎回問題となるのは空戦性能を取るか速度を取るかであるが、この烈風もいつも通り喧々諤々の議論となり結論もいつも通り空戦性能第一ということになったようだ。


 軍隊とは意外に保守的なものなのだろう。零戦が空戦性能で敵を圧倒したという記憶が海軍側にあった。空戦性能を見るには機体の翼面加重をみるとわかりやすい。零戦二一型の翼面荷重は107kg。これは同時代の戦闘機の中では極端に軽い。因みに同時代の戦闘機としてはF4Fが132kg、スピッツファイアが135kgであった。



1/48 烈風一一型


商品の説明
零戦の後継機として開発された試製烈風は、発動機の出力不足から満足な結果が得られず、昭和19年夏には開発中止が危ぶまれます。ここで三菱は開発当初より主張した自社製発動機への換装を決断。2ヶ月後に飛行試験を実施すると大幅な性能向上が確認され量産化への望みをつなげました。ところが戦局の悪化によりこれら試験機の充実もかなわず、度重なる空襲によって量産体制にもほど遠く、本機は「幻の戦闘機」として終戦を迎えました。完成品全長249mm、全幅291mm部品点数約84点。コックピットに座る操縦者のフィギュア付。
(amazonより転載)

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 烈風は結局翼面荷重150kgということで決着がついたようだ。しかし自動空戦フラップのお陰で空戦性能も零戦並みに高かったようだ。さらに最高速度は624劼隼臈轍よりも高速であった。しかし完成するのが遅すぎた。航空史家の渡辺洋二氏は紫電改と烈風の比較において全体的に烈風の方が勝っていたと結論。烈風がエンジンの選択を誤らなければ紫電改は試作止まりになったかもしれないとまで書いている(『大空の戦士たち』。確かに早く完成していれば米軍にある程度の脅威を与えることはできただろう。



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三菱 零式艦上戦闘機 五二型丙




 ミリタリーファン以外の人は零戦というよりゼロ戦といった方がいいのかもしれない。正確には零式艦上戦闘機、1940年、当時の年号で皇紀2600年ちょうどに正式採用されたのでこの名前が付いた。この零戦、好きな人はわかっていると思うが、実は何種類もある。簡単に説明してみよう。


 まず最初の一一型、続いて翼端をちょっとだけ折りたためるようにした二一型、面倒くさくなってその翼端をぶった切ってしまった三二型、ちょっと思いっきり過ぎたと反省し、また翼端を伸ばした二二型、いやいややっぱり短い方がいいと考え直しまた切り詰めたけど、このまま戻したんじゃ芸がないと適当に翼端を丸く成形したのが五二型。


 これからは「爆弾も積めた方がいいよねー」とみんなで話し合った結果できた六二型、爆弾もいいけどエンジンも新しくしようよ〜とエンジンを新しくしてしまった六三型、昔、使いたかった金星エンジンを使っちゃわね?とまたまたエンジンを替えた六四型。このように零戦には紆余曲折を経ていろいろな型があるのだ。この中で今日取り上げるのは零戦五二型丙という機種。


 丙って何さ?と思われるかもしれないが、機体の型の後にたまに忘れたようについてくるこの甲乙丙とは機体の若干のマイナーチェンジ。マイナーチェンジをしたけど、型番を変えるほど大それたものじゃねーよなー。ということで甲乙丙と付けたりする。基本的には搭載している機銃が違うというのがほとんど。今回紹介する丙型とは零戦五二型が7.7亠―2門、20亠―2門であるのに対して13亠―3門、20亠―2門という結構な重装備の零戦だ。





 零戦に詳しい人なら知っているだろうけど、この零戦、あまり評判が良くなかったといわれている。機銃をたくさん積み過ぎて機体が重くなってしまったのだ。現に最高速度も五二型の565劼ら一気に25劼皺爾った540劼砲覆辰討靴泙辰拭さらに翼面荷重(全重量を翼の面積で割ったもの)は二一型の107圓紡个靴栃嵯燭148圓1.5倍になってしまった。これは運動性能が落ちたことを意味する。


 このため予備学生一三期の土方敏夫氏は重量軽減のため愛機の丙型の座席の後ろの防弾版と翼の13mm機銃2丁をはずして使用していた(神立尚紀『祖父たちの零戦』)という。


 翼面荷重について簡単に説明してみよう。翼面荷重とは航空機の全重量を翼の面積で割ったもの。即ち、機体が重く、翼が小さい航空機は翼面荷重が高い。それに対して軽く翼が大きい航空機というのは翼面荷重が低い。軽くて大きな翼を持っているので運動性能が良い。しかし運動性能が良い分、空気の抵抗があるので速度は出ない。逆に翼面荷重が高い航空機は速度は出るが運動性能が悪いという意外と困ったちゃんなものなのだ。


 零戦五二型丙は、速度が増加した分、翼面荷重が増えてしまった。しかし速度が上がったといっても、零戦二一型の最高速度が533kmということを考えると丙の540kmというのはそれほど速くなったという印象はない。しかし翼面荷重は1.5倍になってしまった。速度はそれほど上がらず、運動性能は悪くなったと評判の悪い丙であるが、一方、丙型に対して好意的な搭乗員も存在する。





 太平洋戦争後期、二五四空に所属していた今泉氏は当時二五四空に一機しかなかった零戦五二型丙をもらった。そのパワーと離陸の早さには圧倒されたという。それまで使用していた零戦二一型と比べ、その性能の違いは衝撃的だったようだ。二一型だと離陸に300m位は必要であったが、五二型丙は200m位で離陸できたという。


 五二型丙は昭和19年9月〜20年3月まで生産され、総生産数は432〜468機と言われている(秋元実『日本軍用機航空戦全史〈第5巻〉大いなる零戦の栄光と苦闘』)。配備された部隊で知られているのは252空戦闘304、316飛行隊で各40機の丙型が配備されたようだ。さらにあまり有名ではないが密かにエース部隊であった203空戦闘303飛行隊にも配備されており、著名な撃墜王である岩本徹三、谷水竹雄氏も搭乗していた。



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日本海軍 零式水上観測機11型

F1m_00637_2g  零式水上観測機。通称零観。「れいかん」と書いて「ゼロ観」と読む。。。ようだ。当時の搭乗員は基本的に「ゼロカン」と呼んでいたようだ。基本的に観測機・・・戦艦やら巡洋艦に搭載され、砲弾の着弾を観測するための航空機だ。しかし日中戦争当時、日本海軍上層部は前線での水上機の格闘戦能力が高かったことに注目し、本来は観測機であるこの零式水上観測機にも格闘戦能力を要求した。(画像はwikipediaより転載)


性能
乗員:2名
全長:9.50 m
全幅:11.00 m
全高:4.00 m
主翼面積:29.54 m2
空虚重量:1,928 kg
全装備重量:2,550 kg
最大離陸重量:2,856 kg
最高速度:370 km/h
発動機:三菱 空冷星型14気筒「瑞星13型」(離昇780 hp、公称800 hp)
航続距離:1,070 km
実用上昇限度:9,440 m
上昇率:5,000m/9'36"
武装:
九七式7.7mm機銃(機首2門)、九二式7.7mm機銃(後方旋回式1門)
60kg爆弾×2
(wikipediaより転載)


概要
零式観測機(れいしきかんそくき)は、太平洋戦争中に運用された大日本帝国海軍(日本海軍)の水上観測機・偵察機。略符号はF1M1〜M2、略称は零観(ゼロカン)、または「観測機」。連合国コードネームはPeter。また、零式水上観測機と通称されることもある。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 結果、零式水上観測機は支援用の水上機でありながら格闘戦能力を持つにいたった。何と、この通称零観は、格闘戦では二式水戦に勝つことができたという。しかし本来はあくまでも観測機、格闘戦は戦闘機、観測は観測機と機種をはっきり分けていれば設計陣ももっと効率的に設計ができただろうと思われる。


 結局、日本軍の性能要求によくある「あれもこれも」の一つだろう。実はこれが奇跡と悲劇の始まりだった。太平洋戦争が始まるとこの零観はまだ飛行場が整備されていない前線に進出することになる。特に有名なのはショートランド島のR方面部隊だ。これは4隻の水上機母艦の搭載機をR方面航空部隊として集中運用するというもの。水上戦闘機の二式水戦等も編入された。


 R方面部隊は船団護衛等に活躍し、時にはB-17や陸上戦闘機等と空中戦を行うこともあった。中にはB-17を零観単機で撃墜してしまう甲木清実兵曹等のつわものもいたが、やはり重武装の米軍爆撃機やドッグファイトを専門とする陸上戦闘機に対しては多大な損害を出した。当時の搭乗員によると運動性能では零観が優れているが速度では圧倒的に不利でバックに付いても低速のため撃墜することは困難であった。



1/48 三菱F1M2零式水上観測機11型


商品の説明
1/48スケールプラスチックモデル。
本機は、艦隊決戦時の着弾観測を行うために開発された機体です。
敵機を退ける為の空中戦能力と、素早く高度を確保できる優れた上昇力を持っています。
着弾観測機として、大和、長門などの艦船に搭載。さらに、水上偵察機として太平洋全域の基地部隊に配備されました。
特に陸上基地施設のないソロモン諸島ショートランド島地区、アリューシャン列島方面ではその優れた空中戦能力を活かして、水上戦闘機としても運用されました。
キットは完全新金型で三菱F1M2零式水上観測機11型を再現。
後席は新考証により判明した水しぶき避け風防を、収納状態と展開状態の選択式でパーツ化。
主翼は展開した状態、カウリングは後期型となっています。
プロペラは3枚一体式のパーツとなっており、スピナーを外した状態も再現可能です。
主翼両側に装備される6番爆弾 (60kg爆弾)×2と、陸上用の牽引台車 (ドーリー)が付属。
(amazonより転載)

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 そのため前線に進出した零観は多大な犠牲を出すこととなる。ちなみに全体として水上機部隊は各戦闘用の航空機と異なり前線で消耗するということが比較的少なかったため、陸上機に機種転換を行い、戦闘機搭乗員として活躍するものも少なくなかった。前出の甲木清実兵曹、河村一郎兵曹、中芳光兵曹等のようにその後撃墜王となった搭乗員もいる。



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潜水艦から発進する兵器〜日本の潜水艦は何でも積める〜

300px-I-15 日本海軍の潜水艦にはいろいろなものが搭載できる。これは前回ブログを書いていて気付いたことである。では日本軍の潜水艦には具体的にどのようなものが搭載された、若しくは搭載予定だったのだろうか。今回は趣向を変えて日本軍の潜水艦搭載兵器を特集してみよう。



1/72 零式小型水偵 E14Y エッチングパーツ付


 まず最初にあげられるのは零式小型水偵。これは有名。この零式小型水偵は世界で唯一アメリカ本土を爆撃した航空機なのだ。この任務を遂行したのは有名な藤田信雄飛曹長。1942年に2回空襲をしている。因みにこの潜水艦伊25はタンカーを撃沈するついでにソビエトの潜水艦も撃沈している。なぜこんなところにソビエトの潜水艦がいたのかはよく分らないけど、この攻撃、ソビエトにバレちゃったようだ。結局、大人の事情で表沙汰にはならなかった。



1/72 帝国海軍特殊潜航艇・甲標的 真珠湾


 続いて、潜水艦に搭載されていた兵器その2。甲標的。これは基本的には甲標的を運ぶための母艦があるんだけど、潜水艦搭載も計画されていた。後部甲板に積載可能だったようだ。あの人間魚雷回天も潜水艦の甲板上に搭載されていた。甲標的は特攻兵器じゃないけど現実的には航空機の搭乗により運用が難しくなっていた。潜水艦に潜水艦を搭載するというのも日本以外無いんじゃないだろうか。



1/48 傑作機 No.54 1/48 愛知 M6A1 晴嵐 61054


 そして晴嵐。偵察機からさらにグレードアップして、潜水艦に攻撃機を搭載することにした。これは伊号400型潜水艦に3機、伊号13型に2機搭載することが可能であった。以前の記事にも書いたけどこれって開戦当初に必要だった戦力な訳で・・・。



1/72 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ


 日本の潜水艦は戦車も積んでしまう。水陸両用戦車、特二式内火艇。もちろん特三式内火艇も搭載することができる。できるというより搭載するのだ。やってできないことはない。そもそも潜水艦を使うというのは隠密作戦な訳で、そこに戦車で強襲上陸というのはイマイチ具体像がイメージできないが・・・。


運貨筒


 潜水艇が積めるのであればもちろん同じ潜水艇である運貨筒も積める。この運貨筒というのは物資輸送用の潜水艇だ。潜水艦によって曳航され目的地で切り離される。それを大発等で回収するのだ。南方で使用されたようだ。


S特部隊


 正式には呉鎮守府第101特別陸戦隊というらしい。これは潜水艦等で隠密裏に上陸を行い各種の特殊任務を行うという現在のアメリカのSEALチームと同様の発想で1944年に養成が始められた海軍特殊部隊だ。このまま日本海軍が存続していればSEALのような部隊が独自に日本でも編成されていただろう。


 以上のように日本海軍の潜水艦にはさまざまなものが搭載された。または搭載されるところだった。発想自体は革新的なものも多かったが、水陸両用戦車を搭載するという基本的に意味がないものもあった。この潜水艦を戦略の拠点にするという発想が出てくる背景には日本が海洋国家であったことと、同時に日本の国力が欧米、特に同じ海洋国家であるアメリカに対して劣っていたことが挙げられるだろう。正面切って戦うには国力の違いがありすぎる。そのための「搦め手」としての潜水艦運用であったのだろう。



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日本海軍 特二式内火艇 カミ車

Ka-Mi_float これはアツいでしょー。日本海軍特二式内火艇カミ車。水陸両用戦車だ。読みは「ないかてい」ではなく「うちびてい」なのだ。私はずーっと「ないかてい」と読んでいた。私と同じ轍を踏まないように皆さん気を付けて下さい。これ、何に使えるかというと敵地への強襲上陸時に橋頭保を確保するために使用するのだ。それでは今日はこの特二式内火艇をみてみよう(画像はwikipediaより転載)


性能
全長 7.42 m(フロート付き)
車体長 4.80 m(フロート無し)
全幅 2.8 m
全高 2.3 m
重量 12.5 t(フロート付き)
9.15 t(フロート無し)
速度 37 km/h(陸上)
9.5 km/h(水上)
行動距離 320 km
140 km(浮航)
主砲 一式37mm戦車砲×1(132発)
副武装 九七式7.7mm車載重機関銃×2
(主砲同軸機銃および車体前方機銃)(3,500〜3,900発)
装甲 6〜12 mm
エンジン 三菱A六一二〇VDe
空冷直列6気筒ディーゼル
110 馬力
乗員 6 名
(wikipediaより転載)

概要
 海軍陸戦隊はそれまで八九式中戦車や九五式軽戦車等の陸軍制式戦車、及び独自に輸入したヴィッカース・クロスレイ装甲車等を使用していたが、上陸作戦に使えるような車両は保有していなかった。そこで陸軍技術本部の協力を仰ぎつつ、九五式軽戦車をベースに開発したのが本車である。

 潜水艦による輸送を考慮したため、全面的に溶接構造を採用し、ハッチ部分にはゴムシールを装備するなど、車体の水密化を図っていた。水上航走時は、後部に付けられた2基のプロペラスクリューによって推進した。
砲塔は二式軽戦車の物を流用していた。

 主砲は、前期型では間に合わせに九四式三十七粍戦車砲もしくは九八式三十七粍戦車砲を搭載していた。後期型では本来の一式三十七粍戦車砲を搭載していた。一式三十七粍戦車砲は主砲同軸機関銃である九七式車載重機関銃との双連であった。

 また、車体前方左側に九七式車載重機関銃を装備していた。そのため前期型で車体前方機関銃1挺のみであり、後期型では主砲同軸機関銃と合わせて2挺である。

 本車の特徴として、車体の前後に水上走行を可能とするための着脱式の舟形フロート(浮き)を取り付け、上陸後に着脱するようになっていた。フロートの再装着には時間がかかるため、厳密には本車が「水陸両用戦車」でいられるのはフロートを付けている状態の時のみである。

 ただ、帝国海軍は本車を上陸侵攻作戦用の兵器と位置づけていたため、この点はあまり問題とはされなかった。前部フロートには一体式の前期型と左右分割式の後期型があった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)



1/72 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 海上浮航形態 (後期型フロート付き) 1944年 フィリピン レイテ島オルモック


 性能的には軽戦車くらいだろうか。主砲は37mm砲で装甲は6mm〜12mmと比較的ライトな造りとなっている。機関銃の弾丸は確実に防ぐことができる戦車である。しかし水陸両用戦車が必要なのは橋頭保を確保するまでの間であり、このライトな造りの戦車でもある程度任務に耐えることはできる。しかし強襲上陸で敵が砲を持っている場合にはあまり効果が無いかもしれない。


 運用は砲を持っていない敵を相手にする場合に限られそうである。現実には本車が登場した1942年にはすでに上陸作戦を行う段階にはなく、貴重な装甲戦力として島嶼に配備された。しかしだ。私が気になっているのは現実の運用ではない。


 計画通りに運用された場合のことなのだ。この特二式内火艇カミ車は日本海軍所属の艦船なのだ。運用は海軍陸戦隊が行う。海軍陸戦隊とは基本的には臨時で水兵が陸戦を行うものだが、ほぼ常設されていた。この陸戦隊が水陸両用戦車を使用して敵前上陸を敢行するというのが本車の目的である。


 でもどこから??



ドラゴン 1/72 WWIJN 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ/7435


 そう、私が気になっているのはどこから発進するかということだ。もちろん戦艦や巡洋艦はそんな機能はない。輸送船も水陸両用戦車を海上で発進させる能力は無いのだ。んで、海軍はどこから発進させるつもりだったかというとそう


また潜水艦からの発進だ!!


 日本海軍はなんでも潜水艦から発進させるのだ。小型潜水艦、小型偵察機、小型爆撃機、S特部隊、補給物資等々・・・。この特二式内火艇ももちろん潜水艦から発進させる。強襲上陸なので何隻必要なのかは知らないがすべて潜水艦から発進させる。



1/72 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 陸戦ver. サイパン 1944年 6月 (塗装済完成品)


 現在では水陸両用戦車は強襲揚陸艦から発進させる。では当時は強襲揚陸艦は無かったのか?いや日本には世界初のドッグ型強襲揚陸艦があったのだ。飛行甲板を持ち、艦内に搭載している大発を海上から発進させることができるという完全な強襲揚陸艦だ。この強襲揚陸艦、ある組織が運用している。この組織に頼めば特二式内火艇は最高の条件で運用できる。その組織とは・・・


日本陸軍船舶運用部隊



1/700 日本陸軍特殊船 神州丸 1942


 ああ、残念だ。その最高の強襲揚陸艦を持っているのは、海軍が大っ嫌いな陸軍なんだねー。しかしこの強襲揚陸艦、あきつ丸、神州丸は飛行甲板を持ちカタパルトにより戦闘機を発進させることができ、さらに船尾、船腹のハッチから大発を発進させることができる。ここに水陸両用戦車が加われば上陸作戦にはこれ以上ない理想的な条件が揃う。そう、


陸軍が開発した空母に海軍が開発した戦車を搭載して運用することで最高のスペックを発揮できるのだ!



1/72 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 海上浮航形態 (後期型フロート付き) 1944年 千島列島(塗装済み完成品)


 何でこんなことになってしまったのか分らないが陸海軍の不仲が一因であることは間違いなさそうだ。通常は陸軍と海軍は作戦地域を分担しているが、その陸海軍の領域が交錯する場があるのだ。一つは「空」、もう一つが陸と海の境界線である海岸だ。


 空は陸にも海にも存在する。だからそれぞれ陸軍航空隊、海軍航空隊と航空部隊を作った。同じ空なので基本的には同様の問題が発生する。同様の脅威に対処しなければならない。だから同じような性能の航空機を陸海軍別々に製作する。零戦と隼、雷電と鐘馗、月光と屠龍等々。これは独自に行うことができた。しかし、もう一つ交錯する場所である海岸では調整が必要なんだね。


 んで、調整がうまくいかなかった結果、陸軍が空母を作り、海軍が戦車を作るというあべこべな状態になってしまった。人工的な組織である陸海軍が地理的要因によって交錯してしまうのも面白いね。


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日本海軍 零式水上観測機(零観)

300px-F1m_00637_2g この零観こと、零式水上観測機。そう、観測機なんだよね。観測機とは戦艦の砲弾の観測をする飛行機。だけど、この零観、一応、格闘戦も出来るように設計された機体なのだ。この日本海軍最後の複葉機で観測機でありながら撃墜王も排出しているというよく分らない機体なんだよね。(画像はwikipediaより転載)

性能
乗員:2名
全長:9.50 m
全幅:11.00 m
全高:4.00 m
主翼面積:29.54 m2
空虚重量:1,928 kg
全装備重量:2,550 kg
最大離陸重量:2,856 kg
最高速度:370 km/h
発動機:三菱 空冷星型14気筒「瑞星13型」(離昇780 hp、公称800 hp)
航続距離:1,070 km
実用上昇限度:9,440 m
上昇率:5,000m/9'36"
武装:九七式7.7mm機銃(機首2門)、九二式7.7mm機銃(後方旋回式1門)、60kg爆弾×2 (佐野 (2002)によれば、30kg爆弾×2)
(wikipediaより転載)

概要
 零式水上観測機と通称されることもある零式観測機(れいしきかんそくき)とは、太平洋戦争中に運用された大日本帝国海軍(日本海軍)の水上観測機・偵察機。略符号はF1M1〜M2、略称は零観(ゼロカン)、または「観測機」。連合国コードネームはPete。日本海軍で採用された最後の複葉機である。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 この零観で甲木清実氏(操練56期)はB17を撃墜しているんだよね。すごいよねー。空の要塞B17を複葉機で撃墜しちゃうんだから。この甲木氏、その後、二式水戦に機種転換し、その後強風に機種転換し強風での撃墜第一号となる。その後、陸上機に機種転換し、零戦、雷電に乗ったようだ。総撃墜数16機。それはそうとこの零観、戦闘機とも向こうを張って戦えたというが、気持ちはそうでも機体は所詮複葉機、やはり相当劣勢だったようだ。


 というよりむしろ戦闘機と戦っていること自体がすごいんだけど、水上機で5機を撃墜した中芳光飛曹長はP38は怖くなかったという驚異の発言を残している。さすが丙飛予科練四期生。しかしトラック島空襲時には邀撃した水上機はほぼ全滅したようだ。明らかに使い方間違っているような・・・。




 動画があるんだねー。貴重な動画だよ。


 実際に幾多のエースを輩出した零観だけど、もう複葉機の時代じゃなかったんだよね。速度が下手したら200km位違う戦闘機相手に格闘戦性能のみで立ち向かうというのはクシャトリアに旧ザクで立ち向かうようなものだ。長大な航続距離を飛行できる二式大艇を最前線に基地を置いて偵察任務に使用したと同じく海軍上層部の運用ミスだよね。その中でもあのアメリカ本土爆撃で有名な藤田信雄氏は零観でF6Fヘルキャットを撃墜している。すごいね。









 いやあ、『マッサン』つい観ちゃうよね。それはそうと、この零観、日本海軍最後の複葉機、そして日本最後の複葉軍用機。実際には観測任務には全く就かなかったが太平洋戦争中盤に水上機母艦搭載艦載機で編成されたR方面部隊の主力機として二式水戦と共に最前線で戦ったのだ。複葉機でありながら最新鋭のアメリカ軍機とドッグファイトを繰り広げたというこの零式水上観測機。人生が守勢に回った時には心の支えになってくれることは間違いない。


1/48 零式水上観測機11型 第2艦隊第1戦隊搭載機

商品の説明
 大和 武蔵搭載機!日本海軍 戦艦 武蔵、長門、大和に搭載された零観を再現します。デカールは連合艦隊 第2艦隊第1戦隊所属時の呼称番号をセット。
(amazonより転載)

amazonカスタマーレビューはこちら


 零式水上観測機。通称零観。良いね。最後の複葉機というのがたまらない。最後ということは最高の複葉機であったともいえる。因みに上記の零観でB17を撃墜した甲木氏、2014年現在95歳。ご健在のようである。



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日本海軍 零式艦上戦闘機五四/六四型



 零戦って知ってるけど、なんとか型とかやたらいっぱいあるけど何なの?何が違うの?という声をよく聞くけど、ああ、直接には誰も言ってこないけどね。そう、零戦の型番って結構分りずらい。みんなが悩むのは無理がない。今日、紹介する零戦五四/六四型って何・・・?そう、この零戦は終戦直前に2機だけ作られた最強の零戦なのだ。(画像はwikipediaより転載)

性能
全幅 11.0m
全長 9.237m
全高 3.57m
翼面積 21.30m2
自重 2,150kg
正規全備重量 33,150kg
発動機 金星六二型(離昇1,560hp)
最高速度 572.3km/h(高度6,000m)
上昇力 6,000mまで6分50秒
実用上昇限度 11,200m
降下制限速度 740.8km/h
航続距離 850km(正規)/全速30分+1200km(増槽あり)
武装 九九式二号20mm機銃2挺(翼内・携行弾数各125発) 三式13.2mm機銃2挺(翼内・携行弾数各240発)
爆装 250kg爆弾1発 500kg爆弾1発 30kg小型ロケット弾4発 以上より選択
(wikipediaより転載)

概要
 五四型/六四型は五二型丙のエンジンを三菱製金星六二型(離昇1,560hp)に換装した型である(五四型が試作機、六四型が量産機に付けられた型番である)。栄より大直径である金星搭載のため機首の13.2mm機銃は撤去されている。

 六四型は六二型/六三型同様、戦闘爆撃機(特攻機)としての運用も前提としていたが、純粋に戦闘機としての要望も強かった。

 本型式は、このエンジン換装によって本来の運動性能を取り戻したが、試作機完成が終戦直前の1945年(昭和20年)4月だった上にアメリカ軍による空襲で金星六二型の生産ラインが破壊されていたため、完成した五四型試作機2機は、テスト飛行中に終戦を迎えた。

 1945年(昭和20年)7月から生産を命じられた六四型は、時既に遅く生産中に終戦を迎えた。なお、長らく本機(五四型)の資料は確認されておらず、機首の形状は謎のままであったが、近年写真と図面が発見されている。

 この写真によると、スピナ及びプロペラは、同型エンジンを搭載する彗星三三型と同じ物を装備している。本型式が零戦の最終型式となった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 そもそも型番が五四/六四って訳わかんないと思う訳なんだけど、五四というのは試作機に付けられた型番、六四というのは正式採用後に付けられた型番ということだ。零戦の型番は下一桁がエンジンのバージョン、上一桁が機体のバージョンだ。零戦には一一型、二一型、三二型、二二型、五二型、五三型、六二型、六三型、五四/六四型がある。五二型には主に武装の違いによってさらに甲、乙、丙型がある。分りにくいよね。


 六〇番台は戦闘爆撃型で爆弾を吊るための懸架装置が付いている。もちろん六四型も懸架装置が付いているのだ。最大の特徴はエンジンが栄エンジンではなく、金星六二型エンジンを使用していることだ。このエンジン、実は当初から検討されていたんだけど、栄に比べてちょっと大きいんだよね。「デカいので止めときません?」的な感じで不採用となった。


 実はこの金星エンジン、信頼性からもかなりの傑作エンジンなんだけど。最初からこのエンジンを採用していれば零戦はバージョンアップし続けて戦争後期になってもヘルキャット、P51等にも互角とは言わないがある程度戦えたはず。要するに金星エンジンって拡張性が高かったんだよね。ということで動画が一本だけあったので観てみよう。





 最高速度は572km、二一型533km、五二型565kmに比べて圧倒的に早い。因みに五三型が580kmとwikipediaには記載されているが、私の資料だと540kmである(『日本軍用機航空戦全史〈第5巻〉』)。どっちが本当かは分からないけど、五三型の栄三一型エンジンはかなり不調だったのに対して零戦五四/六四型に搭載されていた金星エンジンは絶好調だったようなのでどっちみち五四型の方が優秀だったと思う。


 因みに零戦五四/六四型の見分け方はエンジンカウリングの上に空気取り入れ口が付いているという特徴が一番分りやすい。というか私はそこでしか見分けがつかない・・・。とりあえず五四型のキットがあったのでリンクを貼っておいたよ。



1/48 三菱A6M8 零式艦上戦闘機54/64型


商品の説明
 度重なる改修により重量が増加し、性能が低下した零戦52丙型を再生するために、エンジンを金星六二型に換装させた機体です。カウリングの形状が大幅に変 わっており、スピナーも大型のものを装備しています。六四型は、500kg爆弾を装備するために、主翼下面に150リットル入りの落下式増槽を1つずつ装 備可能でした。
(amazonより転載)

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レビューサイトのリンク
模型の穴
EMF
龍巳 桂の戦いと製作と希望の日々
ホビコム
スケールモデル工房BattlelShip&AircraftModelsFactory
日の丸ヒコーキ製作工房


 ということで最強の零戦五四/六四型。終戦間際に2機だけ作られたもの。性能もバランスが良く、エンジンの信頼性も高かったようだ。カタログスペックでは紫電改に及ばないが、実際は誉エンジンの不調で稼働率も低く、カタログスペックは出て無かったようだ。武装も紫電改の方が強力だけど、携行弾数は五四/六四型の方が多い。もしかしたら実戦では海軍最強の戦闘機だったのかもしれない。



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日本海軍 工作艦 明石

300px-IJN_repair_ship_AKASHI_in_1939 こういう艦艇好きなんだよね〜。工作艦明石。太平洋戦争中のアメリカ軍の第一目標が空母。第二目標は何とこの工作艦明石なのだ。当時としては最新式の工具を備え前線に出て艦艇を修理することが可能なのだ。つまりは戦力を作り出すことができるというすごい艦艇なのだ。それにしても明石を第二目標にするとはアメリカは合理的だ。(画像はwikipediaより転載)

性能
排水量 基準排水量:10,500t(計画10,000t)
全長 154.66m(垂線間長:146.60m)
全幅 20.50m
吃水 6.29m
主機 三菱横浜式(MAN型)ディーゼル機関2基、2軸推進
10,000hp
燃料搭載量 重油1493t
速力 19.2kt
航続距離 14ノットで8000浬
乗員 336名+工作部 433名
計769名(計画人数)
兵装 八九式12.7cm連装高角砲 2基
九六式25mm連装機銃 2基
(wikipediaより転載)

概要
 1924年に商船改造の工作艦『関東』沈没以降、長らく新型工作艦建造が熱望されていたが、予算難から中々実現せず、1934年の『マル2計画』でようやく承認され1937年1月に佐世保工廠にて起工、1939年7月31日に竣工し連合艦隊付属となる。
 専従艦種として建造されたため、甲板に3機の重起重機が林立し、艦内に17ある工場には内地の海軍工廠にすら配備していない144台のドイツ製工作機械が設置されていた。そのため修理能力は非常に優れ 、文字通り「移動する海軍工廠」であった。ディーゼル機関を用い、2本の煙突のうちの前方は艦内工場の排煙用であった。船体形状も平甲板型(露天甲板が艦首から艦尾まで同一甲板)を採用するなど、徹底して作業を実施しやすい構造になっていた。工作に従事する工作部員(軍属や民間人)も多数乗艦していた。
 自衛用の武装として、艦首甲板に12.7cm連装高角砲、後部甲板に25mm連装機銃を装備している。
 太平洋戦争の開戦と同時に南方に進出し、パラオ諸島、フィリピンのダバオ、スラウェシ島のスターリング湾、モルッカ諸島のアンボンなど南洋の各地を駆け回り多くの艦を修理した。1942年8月23日にトラック島に入港してからは、ここを拠点にして損傷艦艇の修理に従事した。その整備・補修能力の高さから、米海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされるほどであった。
 1944年2月17日、米機動部隊(第38任務部隊)のトラック島空襲により大破し、トラックから脱出してパラオに回航するが、同年3月30日に米第58任務部隊のパラオ大空襲に遭い大破、着底した。ここに至って日本海軍は南方での艦艇修理の要を失い、それ以後、南方で大破損した艦は設備の整った内地への帰還を余儀なくされた。1944年5月10日に除籍。1954年、大破着底した明石の解体処分を行った。
(wikipediaより一部転載)

第1・第2機械工場 :工作機械を使って金属等を削って加工
第1・第2組立工場 :組立機械を使って組み立て?
鍛冶鉱金工場   :金属片などの材料を溶かしてから固めて加工し易い材料に成型
第1・第2・第3鋳造工場:溶かした金属を型に流し込み、部品を作成
鍛冶工場     :金属を熱した後にハンマー等で叩いて部品を作成
焼入工場     :鉄等の金属に熱を加えて表面硬度を上げる
銅工場      :電気部品用の銅製材料を製造?
溶接工場     :金属と金属をガスや電気で溶かして接着(溶着)
木具工場     :木造部品の加工、作成
兵器工場     :弾薬等の兵器類の製造?
電機工場     :電気機器や電動機械部品の製作?
工具室      :艦内で使用される工具類の管理と修繕
青写真室     :設計図の複写(コピー)を行います
(ニコニコ大百科より一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 1939年竣工ということは当時としては最新型の工作艦ということだ。その前の工作艦が1924年というから15年間工作艦が無かったということになる。当時の海軍はあまり工作艦を重要視していなかったのだろう。アメリカが明石を攻撃の重要目標にしていたことを考えるとちょっとさみしいね。それはそうとその実力は上記の通り。すごいものだ。動画が一本だけあったので観てみよう。





 この工作艦明石、1944年にトラック島大空襲で大破してしまった。1944年まで生き残ったというから割と幸運な艦だったといえる。それも大破着底という状態はもしも戦争が終わらなければ引き揚げられて復活していたかもしれない。結局、1954年に解体されたからある意味、驚異的な物量を持つアメリカ軍の重要目標でありながら戦争を生き抜いたという雪風以上の幸運艦ともいえる。最近、ツイてないなぁ・・・なーんて思っているあなた!この明石を手に入れ、一緒に幸運も手に入れよう。工作艦明石をネックレスにして絶えず身に付けるなんていうのもオシャレだよね。



1/700 日本海軍 工作艦 明石 W37


商品の説明
プラスチック製 組立モデルキット。洋上モデル。全長226mm。
(amazonより転載)

アマゾンレビュー
発売即購入。
なかなかない補助艦艇としては日本海軍としては最大サイズだったので嬉しかった。リノリウム張りの船体は結構良くできている。クレーン等は結構細くできており、良作・・・なんだけどやはり抜けてない箇所があるのは痛い。エッチング付バージョンが後から出てこれだけはちょっと後悔。少々値は張るが、エッチング付の方がお勧めかもしれぬ。その他舷窓がやや浅めなので、これも穴を開け直した方がいいかと。情景用にはかなりお勧め。
(amazonより転載)


レビューサイトのリンク
洛陽海軍工廠
HIGH-GEARedの模型作品展
桜華工房 作業日報
雅工房 模型のコーナー
軍艦堂
模型の館
在庫縮小!模型道楽!!



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日本海軍 艦上戦闘機 烈風

300px-Mitsubishi_A7M2 烈風200機あらば、戦局の挽回が可能!という夢のようなことを言ったテストパイロットがいたという伝説の戦闘機烈風。今日はこの銀河烈風隊の戦闘機、17試艦戦烈風を特集してみた。200機生産されていたら実際の戦局は変わったの?というような疑問についても答えていきたいと思う。答え、実際の戦局には大した影響はないです。ということで今日も行ってみよう。(画像はwikipediaより転載)

性能
烈風一一型
機体略号 A7M2
全幅 14.0m
全長 11.040m
全高 4.23m
主翼面積 30.86m2
自重 3,267kg
正規全備重量 4,719kg
発動機 『ハ四三』一一型(離昇2,200馬力)
最高速度 624.1km/h(高度5,760m)
上昇力 6,000mまで5分58秒
航続距離 全力30分+1,960km(増槽あり)
武装 翼内九九式20mm二号機銃四型4挺(携行弾数各200発)
爆装 30kg又は60kg爆弾2発
(wikipediaより転載)

概要
烈風(れっぷう)は、日本海軍が零式艦上戦闘機(以下、零戦)の後継として試作した艦上戦闘機(のち局地戦闘機)。設計生産は三菱航空機。略符号はA7M。連合国のコードネームは「Sam」。1943年8月以前の試作名は「十七試艦上戦闘機」。試作のみで未完成のまま終戦を迎えた。開発主務者は零戦や雷電と同じ堀越二郎である。大型ながら全体を流線型で纏めた機体形状に零戦の影響が感じ取れるものの、それまでの戦闘機と比較して機体が大型であり、運動性を重視した設計であった。開発の遅れから実戦には間に合わなかった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 零式艦上戦闘機の設計者である堀越二郎の設計ということと先の「烈風200機あらば・・・」という言葉で一部のファンの間で伝説になっている戦闘機、それがこの烈風である。この機体は零戦よりも大型であり、機体設計は良かったようだ。しかしこの時代の日本の航空機全般に言えることであるが、エンジンの性能が悪かったのだ。出力も出ないし安定性も悪い。たまに傑作エンジンが出るとそれに合わせて機体を設計するような状況になってしまう。


 んで、この烈風のデカい機体を動かせる発動機となると・・・。やはり烈風も発動機で揉めに揉めた。当初は誉という紫電改に搭載されているエンジンを使用していたが予定通りの性能は発揮されず、結局、ハ四三エンジンを採用したところ目論見通りの性能が発揮されたという。しかし遅すぎた感は否めない。ということで動画を観てみよう。













 結局、8機が完成したようである。因みに上記の烈風200機あらばという話であるが、烈風が高性能といっても当時のアメリカの戦闘機には陸軍にP51マスタング、F8Fベアキャットがもう実戦配備されていた(ベアキャットは輸送中)。これらの戦闘機のスペックは烈風を上回っていた。さらに生産できたとしてももうその性能を充分に発揮できるベテランパイロットはごく少数になってしまっていた。当時、世界最高水準の戦闘機、紫電改も400機製造されたが戦局を挽回することは出来なかった。それはそうとこの烈風、製造ラインを再開させる方法があるのだ。そう下記のリンクをクリックしあなたの部屋にある自社工場で完成させよう。



1/48 烈風一一型



商品の説明
零戦の後継機として開発された試製烈風は、発動機の出力不足から満足な結果が得られず、昭和19年夏には開発中止が危ぶまれます。ここで三菱は開発当初より主張した自社製発動機への換装を決断。2ヶ月後に飛行試験を実施すると大幅な性能向上が確認され量産化への望みをつなげました。ところが戦局の悪化によりこれら試験機の充実もかなわず、度重なる空襲によって量産体制にもほど遠く、本機は「幻の戦闘機」として終戦を迎えました。完成品全長249mm、全幅291mm部品点数約84点。コックピットに座る操縦者のフィギュア付。
(amazonより転載)

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特型潜水艦 伊-400

300px-I400_2 潜水空母伊400。当時世界最強であり最高技術が投入された太平洋戦争時の最新鋭潜水艦である。排水量は軽巡洋艦並で潜水艦でありながら航空機3機を搭載するという世界初の戦略潜水艦だったのだ。当初の目的は山本五十六の発案と言われるパナマ運河爆破作戦用潜水艦であった。今日はこの当時最大の潜水空母伊400についてみてみよう。(画像はwikipediaより転載)

性能
排水量 基準:3,530トン 常備:5,223トン
水中:6,560トン
全長 122m
全幅 12.0m
吃水 7.02m
機関 艦本式22号10型ディーゼル4基2軸
水上:7,700馬力
1,200馬力モーター2基
水中:2,400馬力
速力 水上:18.7kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:14ktで37,500海里
水中:3ktで60海里
燃料 重油:1,750トン
乗員 157名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm3連装機銃3基
同単装1挺
53cm魚雷発射管 艦首8門
魚雷20本
航空機 特殊攻撃機『晴嵐』 3機
(四式一号一〇型射出機 1基)
備考 22号電探1基、13号1基
安全潜航深度:100m
連続行動時間:約4ヶ月
(wikipediaより転載)

概要
 3機の特殊攻撃機『晴嵐』が搭載可能であり、潜水空母(せんすいくうぼ)とも俗称される。第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大であり、通常動力型潜水艦としては、2012年に竣工した中国海軍の032型潜水艦(水上排水量3,797t、水中排水量6,628t)に抜かれるまでは世界最大であった。全長はアメリカ海軍のガトー級を27メートル上回る。理論的には、地球を一周半航行可能という長大な航続距離を誇り、日本の内地から地球上のどこへでも任意に攻撃を行い、そのまま日本へ帰投可能であった。大柄な船体(排水量3,350tは軽巡洋艦夕張と比較してなお大きい)を持つが水中性能は良好であった。急速潜航に要する時間は1分である。

 同型艦3隻が就航したが、いずれも具体的な戦果をあげる前に終戦を迎え、連合国は日本の降伏までその存在さえ知らなかった。終戦直後にアメリカ軍が接収する際、その大きさにアメリカ軍士官が驚愕したという逸話が残っている。アメリカ軍による調査の後、冷戦による当時のソ連への情報漏洩を恐れたため海没処分となった。処分の後、その詳しい位置は記録されていなかったが、2005年3月に伊四〇一が、2013年8月に伊四〇〇が海底から発見された。

 米海洋大気局の専門家によれば、伊四〇〇型潜水艦はそれまで対艦兵器としかみなされていなかった潜水艦の用途を一変させ、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えた結果、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いたという。実際、戦後に米軍が浮上後の潜水艦からパルスジェットミサイルの発射実験を行った潜水艦が酷似した形をしていた。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 この伊400。前述のように山本五十六のパナマ運河爆破作戦用に考えらえた潜水艦であった。なぜパナマ運河を爆破する必要があるのかというと、アメリカの地理的な要因があるのだ。アメリカはパナマ運河によって太平洋と大西洋をつないでいる。開戦時ハワイで太平洋艦隊を殲滅させ、同時にパナマ運河を爆破し使用不能にすることで大西洋艦隊は遠く南米を周って太平洋に来なければならない。そのために必要だったのが潜水空母なのだ。

 この潜水空母18隻の建造計画が決定されたのは1942年であり、完成したのは1944年だった。結局はパナマ運河破壊には使用されずトラック島への物資輸送をして終戦となってしまった。しかし建造計画が決定した1942年にはすでにパナマ運河を破壊するメリットは無かったような気がするが・・・。あくまでも真珠湾攻撃とセットで意味のある戦略だったと思うのだけどねぇ。一説には開戦時の連合艦隊先任参謀黒島亀人大佐がごり押ししたとも。それはそうと動画をみてみよう。













 上記の動画、時間はかかるがかなり良い内容なので是非観てみよう。ということで今度は模型の動画。













 撃沈は免れたもののほとんど活躍することがなかった伊400型潜水艦。まあ、彩雲をトラック島に運んだのは大手柄だったのだがそれが唯一の成果となってしまった。戦後は米軍に接収され海底に埋もれ歴史の中にも埋もれてしまったのだ。下記をクリックして潜水空母をあなたの部屋へ浮上させてあげよう。



スケール限定商品 1/350 日本海軍 特型潜水艦 伊-400 スペシャルエディション 89776


商品の説明
 伊-400の1/350スケール、プラスチックモデル組立てキットです。全長348.5mm、大型の格納筒など世界最大を誇った威容を迫力たっぷりにモデル化。格納筒まわりは透明パーツを用意して、3機の晴嵐が格納された状態を完成後も鑑賞できます。クレーンアームや後部アンテナ支柱、晴嵐のプロペラなどのエッチングパーツに加え、エッチング製の手すりもプラス。しかも手すりの取り付けガイド用シールも付いています。金属削り出しの魚雷4本もセット。晴嵐は風防をリアルに表現できる透明パーツとしました。リアリティを演出する乗組員の人形48体と展示用の台座付き。
(amazonより転載)



製作サイトのリンク
タミヤ 1/350 日本特型潜水艦 伊−400 製作記
おいさまのプラモブログ
k-dock
go4pro
横須賀模型造船所
HIGH-GEARedの模型作品展
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VIGILANTEのまったりプラモ製作記
月宇佐城
軍艦堂
船舶プラモを作ろう タミヤ1/350伊−400を製作してみました



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日本海軍航空母艦 赤城

250px-AkagiDeckApril42 真打登場というところだろうか。太平洋戦争開戦時の南雲機動部隊旗艦、赤城を今日はみてみたい。日本海軍の命名規則については知っている方も多いと思うが、戦艦が旧国名、空母は特殊名(祥瑞とか)、重巡洋艦が山名、軽巡洋艦が河川名等々、細かく規定されている。空母は前述のように特殊名が付けられる。翔鶴、瑞鶴、蒼龍、飛龍、飛鷹、隼鷹等々。しかし赤城は山名な訳だ。何故このようなことになったのかというと赤城の建造に問題があるのだ。(画像はwikipediaより転載)

性能
建造者 呉海軍工廠
運用者 大日本帝国海軍
起工 1920年12月6日
進水 1925年4月22日
竣工 1927年3月25日
その後 1942年6月5日雷撃処分
除籍 1942年9月25日
主要諸元
艦種 航空母艦
艦級 天城型
排水量 基準:36,500t 公試:41,300t
全長 艦体:260.67m
水線長:250.36m
全幅 31.32m
機関 133,000hp
速力 最大30.2ノット
巡航16ノット
航続距離 8,200浬
乗員 1,630名[1]
兵装 20cm砲 6基6門
12cm連装高角砲 6基12門
25mm連装機銃 14基28門
艦載機 常用66機、補用25機
1941年12月常用機
零式艦上戦闘機:18機
九九式艦上爆撃機18機
九七式艦上攻撃機:27機
飛行甲板 249.17m×30.5m
着艦識別文字: ア
(wikipediaより転載)

概要
 赤城(あかぎ)は、かつて大日本帝国海軍(以下日本海軍)に所属した航空母艦である。同型艦は「天城」(未成)。太平洋戦争初期の重要な海戦において、機動部隊の旗艦として活躍したが、1942年6月、ミッドウェー海戦で沈没した。1930年代後半にドイツへ本艦の技術と設計図が譲渡され、交換として大和型戦艦建造用の工作機械が導入された。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 赤城は当初から空母として建造された艦ではない。当初は巡洋戦艦赤城として建造されていたが、1922年のワシントン軍縮条約で主力艦艇の保有数が決められたため、当時補助艦艇だった空母に変更されたのだ。つまり巡洋艦の名称を持つ空母の完成だ。同じことは戦艦として起工し、空母に改装された加賀にも言える。この赤城、当初は三段空母空母という形式だったが、不都合の方が多く、通常の一段に改装された。さらに煙突を一つにしたり艦橋が無かったものを取り付けて、また反対側に移したりという無駄に改装されている艦でもある。因みに当初の赤城には主砲が搭載されていた。


 この赤城、太平洋戦争開戦当初には加賀と共に第一航空戦隊を編成し、さらに第二航空戦隊、第五航空戦隊と共に第一航空艦隊を編成し真珠湾攻撃からコロンボ空襲、ラバウル攻略、ミッドウェー海戦等に参加する。この航空戦隊と航空艦隊って何が違うの?って思うだろうからここで違いを説明。航空戦隊とは空母2隻以上で編成される艦隊の単位であり、これが複数集まると艦隊が編成される。そう、航空艦隊とは複数の航空戦隊の集まりなのである。







 開戦から半年間無敵を誇った南雲機動部隊、結構知られていないことだが、インドまで行っている。そう、天竺まで行った艦隊なのだ。まあ、行って攻撃してきたんだけどね。インド洋東の島、セイロン島コロンボ基地を空襲したのだ。生涯216機撃墜を自称する撃墜王岩本徹三もこのコロンボ空襲に第五航空戦隊瑞鶴戦闘機隊の一員として参加している。圧勝であったが、ソードフィッシュ雷撃機がまさかの布張りであったため撃墜するのに苦労したようだ(ソードフィッシュは何と戦後も使用された)。













 上記の動画で赤城の基本構造、特色が分ったと思う。煙突が下に向いているんだよね。基本的には煙は上に昇るものなのでこの下向きの煙突、あまり効率よくなかったようだ。それはそうと、赤城は何度もよく分らない改修を施したことにより人殺し長屋と呼ばれる程、居住環境が悪かったようだ。さらに艦内も迷路のようになっていたという。そう、迷路なのだ。赤城の艦内も迷路、人生も迷路。下記のリンクをクリックして赤城を製作することによってそういう哲学的命題も解決することができるのだ。



1/700 特EASYシリーズNo.3 日本海軍航空母艦 赤城

商品の説明
 新たに特EASYシリーズがスタート。特シリーズをベースに、塗装不要とする為に新規の成形色(呉、佐世保、横須賀、舞鶴)を開発。その他の色分け部分も特別シールを作成し"未塗装で気軽に組めるキット "を開発しました!
(amazonより転載)


 この赤城、ミッドウェー海戦で沈むのであるが、アメリカ軍に撃沈された訳ではない。大破炎上して洋上に放置プレイされ、結局、撃沈命令が出たので日本の駆逐艦によって処分された。そのため、乗員は結構助かっている。艦長青木泰二郎大佐は艦と運命を共にしなかったことで上層部の不興を買ったようだ。その後、予備役に編入され、その後招集されて閑職にまわされた。恐らく予備役編入、即日招集されたのだろう。これは日本海軍がよくやる懲罰人事だったからだ。それにしてもこの艦長の決断によって多くの乗員が助かったということた確かである。



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装甲巡洋艦 出雲

1937_Japan_navy_flagship_in_Shanghai 今日紹介するのは、私が前々からずっと気になっていた装甲巡洋艦出雲だ。出雲??ああ、護衛艦ね!いやいや、それは違う。そう19世紀に建造され、日本海海戦にも参加し、第一次世界大戦、太平洋戦争、日本が行ったあらゆる戦いに参加し続けた伝説の巡洋艦出雲のことなのだ。因みに護衛艦出雲の命名に対して中国のニュースは出雲は太平洋戦争で大破転覆しているから縁起悪いんじゃねーの?的な発言をしているらしいが、それを言うならば遼寧ことバリヤークは日露戦争で日本に鹵獲されているが・・・。まあ、あまり縁起等というものにこだわらない方がいいよね。(画像はwikipediaより転載)

性能
起工 1898年5月14日
進水 1898年9月19日
就役 1900年9月25日
その後 1945年7月24日戦没
除籍 1945年11月20日

排水量 9,750t
全長 121.92m
全幅 20.94m
吃水 7.37m
機関 ベルヴィール式石炭専焼水管缶24基 直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大速 20ノット
兵員 672名
(wikipediaより転載)

概要
出雲(いずも)は、大日本帝国海軍の出雲型装甲巡洋艦の1番艦。
日露戦争や第一次世界大戦、日中戦争に参加し、太平洋戦争で戦没するまでの45年間現役にあった。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 巡洋艦出雲は日露戦争以後に日本が行ったあらゆる戦争に参加したといっていい軍艦だ。日本海海戦に参加した後、第一次世界大戦ではマルタ島に派遣される艦隊の旗艦となり、日中戦争からは支那派遣艦隊旗艦、となり何と太平洋戦争にも参加している。開戦当初、当時の中国に派遣されているアメリカの砲艦と交戦、一隻を鹵獲、一隻を撃沈した。その後は練習艦として呉にあり、1945年7月24日の呉空襲で大破着底した。


 この巡洋艦出雲ってすごくねぇ?日本海海戦に参加した艦で太平洋戦争でも実戦に参加したというのはこの出雲だけだろうね。エンジンはもちろん石炭。アツいね。男の艦だね。太平洋戦争ではこの出雲にも対空機銃を付けたり高角砲を付けたりしていた。日本海海戦に参加した艦艇に対空兵装を付けたんだよ。このギャップに萌える。んで、この出雲、何と動画が残っているのだ。最初の動画は日中戦争当時のもの、次の動画が太平洋戦争後の転覆した姿。







 この出雲こそ伝説の艦だよ。日本海海戦、マルタ島、日中戦争、太平洋戦争と20世紀の日本の戦争に参加し続けて生き残った(最後は大破したが戦争が続いていれば引き揚げられて修復されていたはず)。あの名参謀秋山真之が艦長を務めたこともあるものすごい艦なのだ。これ家に飾っていないってなると艦艇プラモを作っている人間としての品位が問われる。戦艦大和の隣に並べなきゃ。



1/700 日本海軍一等巡洋艦 出雲

商品の説明
出雲は六六艦隊計画に基づいて建造された6隻の装甲巡洋艦の最終型である出雲型のネームシップで、明治33年9月25日にイギリスのアームストロング社エルジック工場にて完成しました。日露戦争においては他の5隻の装甲巡洋艦と第2戦隊を編成し、これらを中核とする第2艦隊の旗艦となりました。明治37年8月14日の蔚山沖海戦では、日本近海で通商破壊に猛威をふるっていたウラジオ艦隊の巡洋艦3隻を捕捉撃破し、翌38年5月27日の日本海海戦では一時進路を誤りバルチック艦隊から遠ざかってしまった第1戦隊の戦艦群に代わって砲戦の矢面に立ち、同艦隊を捕捉し続け日本海軍の圧倒的勝利に貢献しました。
(amazonより転載)


amazonカスタマーレビューはこちら


レビューサイトのリンク
装甲巡洋艦「出雲」 1/700シールズモデル
日本海軍 連合艦隊 装甲巡洋艦 出雲
うさぎ小屋模型工房 工房日誌
一等巡洋艦「出雲」 製作記 '05/10/07
Ensemble銀河鉄道yahoo版



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日本海軍航空母艦 瑞鳳

300px-Japanese_Aircraft_Carrier_Zuiho 今日、紹介するのは、航空母艦瑞鳳。世界的には軽空母に分類される日本海軍の空母だ。日本海軍の空母としてはかなり地味な存在で姉妹艦の祥鳳は太平洋戦争初期の珊瑚海海戦で撃沈され、日本で最初に撃沈された航空母艦になっている。しかしこの瑞鳳、実は戦歴が長いのだ。太平洋戦争開戦当初から最前線で活躍し続け、レイテ沖海戦で囮部隊として撃沈されている。隠れた名艦だろう。(画像はwikipediaより転載)

性能
排水量 基準:11,200トン
公試:13,100トン
全長 205.50m
全幅 水線幅:18.0m
吃水 6.64m
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:23.0m
(1943年に長さ195.0mに延長)
エレベーター2基
機関 主缶:ロ号艦本式重油専焼水管缶4基
補助缶:ロ号艦本式重油専焼缶2基
艦本式オール・ギヤード・タービン2基
2軸、52,000馬力
速力 28 ノット(計画)
航続距離 18ノットで7,800カイリ
燃料 重油2,320トン
乗員 792名/最終時977名
兵装
(竣工時) 40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm機銃 連装4基
兵装
(最終時) 40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm3連装機銃10基
12cm28連装噴進砲6基
搭載機 艦上戦闘機18機、艦上攻撃機9機
補用3機(艦戦)
着艦識別文字 づほ
(wikipediaより転載)

概要
 日本海軍はロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限から逃れるために、戦時に航空母艦に迅速に改造できる艦船の保有計画を持っていた。その計画により建造されることになったのが、高速給油艦「高崎」(たかさき)および同型艦「剣埼」である。その後、建造途中で軍縮条約から脱退したために、より航空母艦に改造しやすい潜水母艦に計画変更され、さらに潜水母艦から航空母艦へと計画を再変更、艦名も「高崎」から「瑞鳳」へ改名された。太平洋戦争(大東亜戦争)直前に完成し、小型空母ながら常に最前線で活動した。1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦に小沢機動部隊(囮部隊)の一艦として投入され、米軍機動部隊艦載機の攻撃で撃沈された。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 搭載機数は27機と当時の日本海軍の軽空母の中では多い方だろう。因みに補用機というのはパーツ状態で搭載されている航空機のこと。だから実際に使用できるのは補用機以外の機体なのだ。因みにその他の改造空母(当初から航空母艦として建造されていない艦)軽空母の搭載機数は、龍鳳が24機、大鷹型が23機である。速力も龍鳳が26ノット、大鷹が21ノットであるのに対して瑞鳳は28ノットと高速なのである。


 航空母艦にとって速力というのは重要なのだ。(恐らく現代でも)空母は航空機を発着艦させる時、風上に向かって全速力で走るのだ。それによって得られた風力を合成風力という。この合成風力を得ることで航空機の発着艦が容易になるのだ。それでも小型空母からの発着艦は難しいんだけど。それはそうと、瑞鳳、小型空母の中では高速であり、搭載機数も多いということで前線では重宝されたのだろう(大鷹型なんて完全に航空機輸送艦)。





 因みに最初に載せた瑞鳳の画像、甲板に砲弾型の模様が描いてあることに気が付いただろうか。甲板上に進行方向よりちょっと斜めに向かって砲弾の先頭が向いている様に見える。これは上空から攻撃された時に攻撃側のパイロットの目を幻惑するためのものだ。要するに進行方向を見間違えるんじゃねーかという淡い期待で描いているものだ。まず幻惑される奴はいないだろう。下記のリンクは今度発売される瑞鳳のプラモ。ちょっといいかも。



1/700 特シリーズNo.87 日本海軍航空母艦 瑞鳳 昭和19年

商品の説明
特シリーズクオリティの完全新金型で瑞鳳が登場。
キットは最終時の迷彩塗装が施された昭和19年仕様です。
(amazonより転載)


 この瑞鳳、開戦当初から前線で活躍し続けたが、レイテ沖海戦でとうとう撃沈されてしまう。さすがに囮艦隊の空母といったら囮中の囮だ。生き残れる可能性は元々低かった。最初に甲板上に爆弾が一発命中、その後、魚雷が複数発命中し航行不能となる。瑞鳳には乗員977名が乗り込んでいたが、戦死216名、761が救助されたという。乗員の8割近くが救助されたという最後まで幸運艦であったといえる。



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航空戦艦 伊勢

Battleship-carrier_Ise 私は正統派じゃない物が好きなのだよね。でも戦艦ってかなり正当派なんだね。しかしこの伊勢は違う。そう航空戦艦なのだ。それも当初は扶桑、山城がなる予定だったのにたまたまその時に姉妹艦日向の砲塔が破損していたために航空戦艦にされてしまったという運がいいのか悪いのか分らない艦なのだ。要するにひょんなことから機械人間に改造されてしまった正義のヒーローのようなものだ。(画像はwikipediaより転載)

性能
排水量 公試:38,662 トン
全長 219.62 m
全幅 33.83 m
吃水 9.03 m
機関 ロ号艦本式缶8基
艦本式ギアード・タービン4基4軸 81,050hp
速力 25.31 ノット
航続距離 9,500海里/16ノット
乗員 士官、兵員1,660名
兵装 四一式35.6cm連装砲4基
12.7cm連装高角砲8基16門
12cm28連装噴進砲6基
25mm3連装機銃31基、同単装11挺
搭載機 常用22機(カタパルト2基)
(wikipediaより転載)

概要
 伊勢(いせ)は大日本帝国海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦。艦名の由来は三重県の旧国名からで、戦後、海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の2番艦「いせ」に引き継がれた。
 当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。
 太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。
歴代艦長として山口多聞、古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。

〜戦艦としての戦歴は省略〜

 ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した日本海軍は、空母の数を揃える必要にせまられた。軍令部は旧式の扶桑型戦艦と伊勢型戦艦の空母改造を検討し、「日向」が砲塔爆発事故を起こして五番砲塔を失っていたことから改装の手間が省けると判断、「伊勢」と「日向」の航空戦艦に改装を決定した。「伊勢」の工事は呉工廠で1942年12月に始まり、1943年9月に完了した。航空戦艦「伊勢」の最初の任務は、トラック島へ物資を輸送することだった。「伊勢」は戦艦「山城」と共に『甲支隊T3号輸送部隊』として第十一水雷戦隊(木村進少将)の指揮下に入り、陸軍兵士(伊勢は1278名)と物資、さらに戦艦「長門」と「扶桑」用の三式弾を搭載すると、10月15日に日本を出発した。この時、「伊勢」には大和型戦艦「武蔵」の46cm砲弾も積まれたという。20日、トラック着。補給作業終了後の31日、戦艦「山城」、空母「隼鷹」、「大鷹」、重巡洋艦「利根」(機関故障中)、駆逐艦と共にトラックを出港し、11月6日、日本に帰還した。
 その後も艦載機を搭載することができないまま第十一水雷戦隊に所属し、呉で練習艦としての日々を送った。1944年5月1日、「伊勢」と「日向」は第四航空戦隊(戦隊旗艦「日向」、戦隊司令官松田千秋少将)を編成した。両艦には第六三四航空隊を搭載することが決まり、定数は「伊勢」:水上偵察機瑞雲14、彗星艦上爆撃機8、「日向」:彗星14、瑞雲8となる。「伊勢」は5月31日、「日向」は6月7日より、機銃を増設するため呉工廠にて入渠する。6月20日完成を予定して工事中、米第5艦隊がマリアナ方面に襲来し、迎撃に向かった日本第一機動艦隊との間にマリアナ沖海戦が発生した。「伊勢」は急遽工事を中断して出撃準備を急いだものの、本海戦には間に合わなかった。6月23日、実際に瑞雲、彗星を搭載して射出訓練を行う。9月30日、12cm28連装噴進砲6基を増備した。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 伊勢のレイテ沖海戦時の艦長はかなり優秀であった。あの圧倒的に不利な状況で直撃弾を一発も受けなかったという。結局、呉に係留され、大破着底したものの沈没は免れた。因みに伊勢は当時の実際の映像が残っているんだよね。それが以下の動画。









 模型の伊勢だけどかなり良い動画がいっぱい見つかったのでこれもみてみよう。













 航空戦艦伊勢、世界で唯一の航空戦艦であった。次の航空戦艦は2199年に就役する宇宙戦艦ヤマトを待たなければならない。そう航空戦艦伊勢は世界で唯一のものなのだと思っていたら、よーく考えたら日向があるではないか。そう世界で唯二の航空戦艦。そんな貴重品があなたの部屋にあったらどれだけ幸せだろうか。♪♪〜No.1にならなくてもいい〜♪もともと特別な〜航空戦艦伊勢!






1/700 ウォーターライン 航空戦艦伊勢 (119)


商品の説明
ミッドウェーで主力の4空母を失った海軍はその補用として存在価値の少なくなった鈍足の戦艦に飛行甲板を設けて航空戦艦とする事を決定、伊勢、日向にこの改装を施すこととしたのです。 改装工事は昭和18年 (1943年)8月に完了、世界でも類を見ない半戦艦、半空母の航空戦艦が誕生したのです。 搭載機は彗星とと瑞雲。発艦はカタパルトを用い、着艦ができないため彗星は他の空母または陸上基地に収容、瑞雲は着水、デリックにて収容というものでした。このため航空戦艦伊勢、日向専用の航空隊、634航空隊も編成されています。
(amazonより転載)


レビューサイトのリンク
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川西 二式大型飛行艇 二式大艇

300px-Kawanishi_H8K_Flying_Boat_Emily_h8k-1 大好きなんだよねー。二式大艇。因みにこの略称の読みは「にしきだいてい」じゃなくて、「にしきたいてい」だからね。「だ」じゃなくて「た」なのだ。まあ、それはどうでもいいとして、この二式大艇、当時掛け値無しの世界最高水準というより世界最高の飛行艇だった。零戦や紫電改等々、日本が誇る兵器も高性能であったとしても実際、世界最高性能では無い。紫電改よりもP51マスタングの方が圧倒的に性能が高い訳だしね。どうでも日本に甘くなってしまう私達なのだが、この二式大艇に関してはこのようなことは全く無い。100%世界最高の飛行艇なのだ。そう、当時世界中を探しても二式大艇以上の飛行艇は存在しない。(画像はwikipediaより転載)


諸元

正式名称 二式飛行艇一二型
略符号 H8K2
全幅 38.00m
全長 28.13m
全高 9.15m
翼面積 160m2
自重 18,400kg
正規全備重量 24,500kg
最大重量 32,500kg
発動機 三菱火星22型(離昇1,850馬力)
最高速度 465km/h(高度5,000m)
一一型433km/h
二二型470km
航続距離 7,153km(偵察過荷)
二二型8223km(同)
武装 20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃4門
爆装 爆弾最大2t(60kg×16または250kg×8または800kg×2)
または航空魚雷×2
乗員 10 - 13名
(wikipediaより転載)

概要

 二式飛行艇(にしきひこうてい)は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に九七式飛行艇の後継機として実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)。略符号は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇る傑作機とされる。通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily」。
(wikipediaより一部転載)

 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)












 当時、一部の人達からは「空中巡洋艦」と言われ、24時間に及ぶ長大な滞空時間、あまり知られていないが南雲機動部隊の真珠湾攻撃後、再度、真珠湾を強襲したという事実もあるのだ。この世界最高の飛行艇。是非コレクションに加えてみよう。というより加えないとダメ。製作レビューをみると熱い魂が呼びさまされる。


製作レビュー
アリイ (旧エルエス製) 旧日本海軍大型飛行艇「二式大艇」 Kawanishi H8K 1/144
エンジョイ=モデリング
ワールドホビー・ロータス製作工房
いっちょんちょん飛行機
Aviation Flash
天星號 Celestial Star
フライト・ポジション
岡崎模型飛行倶楽部
艦艇模型製作など 
50歳代の模型作り


1/144 大戦機 No.8 二式大艇



商品の説明
川西H8K2 二式大型飛行艇の1/144スケールプラモデルです。制式名称は『H8K 二式飛行艇』。日本海軍の飛行艇で、川西飛行機が設計・製造した。索敵・輸送・爆撃にと、実に多くの用途に用いられた。



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日本海軍 給糧艦 間宮

300px-IJN_supply_ship_MAMIYA_around_1930 昨日、久しぶりに酒を飲みました。酒を飲むとダメですねー。どうしても自制心が無くなり過食になってしまうのですね。飲んだ酒は180mlだけだったんだけど、その後の食事は過食気味になり体重は1坩幣絨貽で増えてしまった。結構ショックな訳ですが、人間時には休息も必要。酒を飲んだりおいしいものを食べたりすることも大切なのです。そこで今日紹介するのは給糧艦『間宮』。この船何?という方もいらっしゃるかもしれない。そこで以下、間宮について調べてみた。(画像はwikipediaより転載)


性能
排水量 基準 15,820トン
全長 130メートル
全幅: 19.9メートル
喫水部幅:18.8メートル
吃水
機関 主機:レシプロエンジン1基1軸 10,000馬力
主缶:ロ号艦本式缶8基
最大速 14ノット
搭載燃料 石炭3,350トン、重油2,100トン
航続距離 14ノットで6,000海里
乗員
兵装 14cm砲2門、
8cm高角砲2門(平時は陸上保管)
その他 18,000人の3週間分の食料補給、艦内での加工食品の製造など
(wikipediaより転載)

概要
 八八艦隊計画内で能登呂型給油艦の1艦として予算が成立したが、海軍の強い要望で連合艦隊随伴用の給糧艦が1隻、その予算で建造された。それが本艦である。船体は商船構造とし、設計は川崎造船所に委託。建造も同所で行われ1924年(大正13年)7月15日に竣工した。同日呉鎮守府籍となる。
 設計は同社がかつて手がけた大阪商船の北米航路向け貨客船「はわい丸」の設計を手直ししたものであり、就役当時は世界最大の給糧艦であった。大正時代後期の一時期だが、帝国海軍の軍船としては珍しく平仮名で、艦首両舷に艦名「まみや」と書かれていたとされる。

食料供給能力
 本艦は食料貯蔵および製造設備を持ち平時には艦隊への、戦時には戦地への食料補給が期待された。
艦内の最新式の巨大な冷蔵庫・冷凍庫設備で肉、魚、野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できた。寄港先現地での調達も行い、屠殺製肉設備もあったため、牛馬を生きたまま積み込んだのちに食肉加工し、保存しておくことも可能だった。またパンなどの一般的な食料だけではなく、アイスクリーム、ラムネ、最中、饅頭などの嗜好品からこんにゃく、豆腐、油揚げ、麩などの日本固有の食品まで多くの加工食品が製造でき、これらの製造のために艦内には部屋ごとに分かれたキッチンが多数あり、それぞれに腕の立つ専門の職人が乗船し、軍属として働いていた。軍属としての職人らの待遇は良かったとされている。
 本艦が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、艦隊の酒保として非常に人気のある艦だったという。艦内で製造される羊羹は「間宮羊羹」として人気が高く、老舗羊羹店が海軍に納入した羊羹を裁くのに苦労した、などの話が伝わる。

運用
 その性質上、巡航速度が非常に低速であったため、大艦隊に随伴せず単独に近い航行が多かったが、「間宮」の沈没は前線の将兵の士気に多大な影響を与えることから、駆逐艦も厳重に護衛を行ったとされる。本艦にも武装設備がささやかながら備わっていたが、平時は砲台のみが設置されており、砲本体は取り外し、陸上に保管することで食料等の搭載量を増やす運用を行っていった。
 食糧補給以外にも訓練時に曳航標的船を搭載したり、無線監査艦を務めたり、分解した水上偵察機などの軍事物資の輸送や病院船としての役割を行うこともあった。また、クリーニング設備や強力な無線通信設備も搭載していた。
 泊地に停泊中に、当艦の美味なる食料供給能力を利用し、士官室を使用して海軍兵学校同窓会の会場として使用されたこともある。
 戦前では日本海軍内でほぼ唯一の給糧艦だったため、修理、整備以外の全ての期間で連合艦隊の付属として食糧の補給任務に従事した。大戦中も各地への食糧輸送に活躍したが、1943年(昭和18年)10月には父島沖でアメリカ潜水艦「セロ」(SS-225) の、翌年5月には東シナ海でアメリカ潜水艦「スピアフィッシュ」 (SS-190) の雷撃を受け損傷しているが、幸運にも大被害には至っていない。
 1944年(昭和19年)12月20日にサイゴンからマニラ方面へ糧食輸送に従事中に海南島東方の南シナ海でアメリカ潜水艦「シーライオン」 (SS-315) の雷撃を受けて戦没した。
戦後、慰霊碑が呉市の長迫公園に建てられた。
(wikipediaより一部転載)


 結構、危ない目に遭っているが何とか戦争後期まで生き残ったが残念なことに1944年12月に潜水艦から雷撃を受け撃沈されてしまった。まさに補助艦艇中の補助艦艇、生粋の後方支援艦の間宮だけど、排水量と全長は戦艦三笠に匹敵する大型艦なのだ。ただ幅は3m程狭く、速度は4ノット程低い。三笠に乗ってみると判るけど意外に1万5000トン、130mの艦って小さいんだよね。あの大きさに上記の設備があったのかぁ・・・。等と思いつつ動画を観てみよう。


 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)





 必死で探した結果、一本だけ動画が出てきた。あとは『艦これ』動画になってしまう・・・。この間宮、艦内に大量の食糧を貯蔵し中の厨房で調理することも可能であった。その備蓄は18000人の三週間の食糧を貯蔵できたと言われている。特に食べることが大好きな皆さんにとってこの間宮は重要な軍艦であることは間違いない。以下のリンクをクリックして自宅に間宮を常備しておこう。今後、大きな災害もいつ起こるかも分らない。非常持ち出し袋の中には常に入れておきたい軍艦である。


1/700 日本海軍 給糧艦 間宮 1944年 (最終時)



商品の説明
 話題の海戦ゲームに登場する艦が早くも登場です。「間宮」は大正12年度計画で建造された日本海軍初の給糧艦です。冷蔵、冷凍設備を備えた本格的な糧食補給艦で、ステーキからアイスクリーム、羊羹まで作ることが出来る世界でも有数の万能給糧艦です。大正13年に就役してから昭和19年に被雷沈没するまで、休む間もなく稼働し、最も海軍に貢献しました。W163「間宮 就役時」とW166「間宮 1944」との違いは、

1.後部マストが一脚から三脚に。
2.25mm連装、3連装機銃を各2基づつ、艦橋天上部と後部デリック前に装備。
3.舷外電路が追加装備されています。

キットでは、その違いを忠実に再現しました。また、「間宮」は時には水偵の輸送にも従事したため、5機種の水偵 (90式・94式・95式水偵、零式水偵三座、零式水偵) がおまけとして付属します。フルハルモデル。

[セット内容]90式・94式・95式水偵。零式水偵三座。零式水偵。
(amazonより転載)


レビューサイトのリンク
ホビークラフト岡山
在庫縮小!模型道楽!!



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日本海軍 給兵艦 樫野

Fig_IJN_Kashino_1940 給兵艦??はぁ?何それ?と思っている読者も多いでしょう。その通り、私も同感です。「はぁ?給兵艦って何?」、その疑問承りました。給兵艦というのは兵士を補給する艦では決してない。日本海軍独自の艦種(たぶん)で戦艦大和の主砲運搬用に開発された艦なのだ。そう、大和は軍機であり、特にその三連装砲は軍機中の軍機だったから輸送中に知られたくなかったんだよね。因みに軍機とは軍事機密のことね。それじゃあ、いつも通り詳細を見てみよう。(画像はwikipediaより転載)


性能
排水量 基準 10,360トン
全長 垂線間長:130.0m
全幅 19.9m
喫水部幅:18.8m
吃水 6.67m
機関 主機:ブラウン・ボベリ式オールギヤード蒸気タービン 1基
主缶:ラモント式重油缶2基 ホ号艦本式重油缶2基
2軸、4.500馬力
速力 14.0ノット
搭載燃料 重油900トン
航続距離 14ノットで6,000海里
乗員 303名
兵装 十年式12センチ45口径単装高角砲 2基
13ミリ3連装機銃 2基
その他 貨物5,800トン
便乗者260名収容可能
(wikipediaより転載)

概要
樫野(かしの)は、大日本帝国海軍の給兵艦(補給艦)。1940年(昭和15年)7月10日、三菱重工業長崎造船所にて竣工。艦名は紀伊半島南端、大島の東端にある樫野埼に由来する。樫野の全体像を写した写真は無いとされている。

建造の経緯
 「給兵艦」とは、主に武器・弾薬などを輸送する艦である。通常は弾薬暴発防止のための冷却設備等を備えるが、「樫野」は給兵艦としては一線を画す艦である。
本艦本来の目的は、給兵艦ではなく大和型戦艦の主砲砲身、主砲塔を運ぶ「重量物運搬船」である。

 日本海軍は、大和型戦艦の建造を決定したが、その主砲を「九四式四十糎砲」と呼称するなど口径46センチであることは極秘になっていた。その46センチ砲は呉海軍工廠において製造されるため、同所で建造される「大和」以外の艦、「武蔵」(三菱重工業長崎造船所)と「信濃」(横須賀海軍工廠)の艤装を行うためには、主砲及びそれらの部品を輸送する必要があった。しかし、民間船を使用した場合の情報漏洩を恐れた海軍は、情報秘匿を徹底させるため海軍自身による輸送を決定し、大和・武蔵建造を決めた第三次補充計画において、本艦の建造も決定された。計画名称は55号艦。

構造
 本艦には、計三カ所のハッチがある。最前部のハッチは、主砲身の運搬に支障が出ないように砲身長とほぼ同じ長さ(砲身20.7、最長開口部19.2メートル)となっている。2・3番目のハッチは砲塔基部の部品を搭載する関係で円形となっている。
 船体強度確保のために、船体を船幅方向で切った場合、上部が外側に捲れた様になっている。また、重量物の輸送中に座礁した場合に備え、船体が完全な二重構造となっている。本艦は、一度に主砲砲身6本・主砲塔2基を輸送できる。
 本艦建造に対し、技術吸収の意味もあり外国製の機関を搭載している。スイスのアセア・ブラウン・ボベリ社製のタービンとアメリカのラモント社製の缶を搭載している。缶は蒸気温度450度・蒸気圧力50気圧と、駆逐艦「島風」(400度で40気圧)を上回る。その他に日本製のホ号艦本式重油缶も併載している。
 51センチ砲搭載を予定して超大和型戦艦用の砲塔搭載も想定している。これはよく言われる、51センチ連装砲塔ではなく、3連装砲塔(3,790トン)が採用された場合にも対応できた。

戦歴
 1941年(昭和16年)、武蔵の砲塔部品輸送のため、呉から長崎へと航海。これが本来の任務に使われた唯一の航海である。その後は通常の輸送艦として使用。1942年(昭和17年)9月4日、台湾沖で米海軍潜水艦「グロウラー(SS-215)」の雷撃により沈没。わずか2年ほどの運用で終了した。 尚、本艦の喪失と、ミッドウェー海戦に於ける主力空母損失に伴う空母増産計画により、3番艦信濃用に造られた砲身は、使われる事も運ばれることもないまま、取り残された。
(wikipediaより一部転載)


 樫野が実際に使用されたのは1回だけ。あとは輸送艦として使用されていたようだ。しかし艦運が無かったのだろう。就役後わずか2年2ヶ月で海底に沈んでしまった。因みに戦艦大和、軍機中の軍機だったので樫野のような特殊艦まで開発した。もちろん大和型の写真撮影などはもってのほか、厳禁だったのだ。うーん、そうなると現存している写真は一体・・・。


 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 さすがにyoutubeには関連動画はありませんでした。まあ、ある訳ないよね・・・。ということで世界で唯一(たぶん)の給兵艦樫野。艦運が悪く、就役後目的通りに使用されたのは一回だけ。あとは通常の輸送船としてしようされたが、それも太平洋戦争の初期の段階で撃沈されてしまった。しかし我々は泣いてばかりはいられない。そう、我々は復活させなければならない。しかし現在、大和型戦艦が全て海底に「どっぽーん」してしまったのは周知の事実。さらに今後の生産予定も無いようである。そうなると大和型ありきの給兵艦はもう不要・・・。いや、そんなことはない。1/700スケールで復活させようではないか!下記のリンクをクリックしてあなたの部屋の大和の隣に置いてあげましょう。


1/700 日本海軍 給兵艦 樫野



商品の説明
 「樫野」は大和型戦艦の46冕い魃身造垢襪燭瓩坊弉茲気譴針づ祓身卒呂如1940年7月に完成しました。本艦の大きな特徴は3つの巨大なハッチで、超重量の46cm3連装砲2基分を一度に運ぶことが出来ました。また、実用実験を兼ねて外国製の高温高圧缶を搭載していたことも特徴です。「樫野」は1941年の10月から11月にかけて戦艦「武蔵」の砲塔を呉工廠から長崎造船所に運搬する任務を遂行、その後は資材の輸送に従事し、1942年9月に沖縄西方で米潜グラウラーの雷撃を受けて沈没しました。呉から長崎へ、超重量物の大和型戦艦「武蔵」の主砲を運んだ給兵艦がプラキットで登場です。1隻入。洋上/フルハルモデル選択式。プラスチックモデルキット(未組立/未塗装)。

[セット内容]給弾室を含む大和型46cm主砲塔(内部を一部再現)のパーツが付属します。
(amazonより転載)

また、関連サイトも少ないんだ・・・。

関連サイトのリンク

だんぶりの会展示会レポート
彼方へ−始原の島へ−



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日本海軍 駆逐艦 島風

220px-Shimakaze_1944-11-11 今日紹介するのは、日本海軍の駆逐艦島風だ。この艦は開戦時はまだ就役しておらず開戦後、戦局もそろそろ劣勢になってきた頃就役した。輸送任務に従事した後参加したのは何とキスカ島撤収作戦だった。その後の戦歴については後で簡単に書くけど、この島風の最大の特徴は最高速度40ノットという現在の護衛艦ですら追いつけない程の超高速駆逐艦だったのだ。(画像はwikipediaより転載)

性能
排水量 基準:2,567トン
公試:3,048トン
全長 129.5メートル
全幅 11.2メートル
吃水 4.14メートル
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基2軸 75,000hp
速力 40.37ノット
燃料 重油:635トン
航続距離 18ノットで6,000浬
乗員 267名/294名
兵装 50口径三年式12.7センチ連装砲D型 3基
96式25ミリ連装機銃 2基
93式13ミリ連装機銃 1基
零式5連装魚雷発射管 3基
(九三式魚雷15本)
94式爆雷投射機 1基
(wikipediaより転載)

概要
 島風(しまかぜ)は、1941年(昭和16年)に起工した大日本帝国海軍の一等駆逐艦である。島風型駆逐艦は次世代の艦隊型駆逐艦として、16隻の建造が決定していた高速で重雷装の艦隊型駆逐艦であったが、太平洋戦争開戦による戦術の変更や、水雷戦自体の可能性の低さ、手間のかかる生産から計画は放棄され、丁型(松型駆逐艦)へと移行し、島風1隻のみとなった。書類上の分類は丙型駆逐艦(へいがた―)。

 日本海軍は水雷決戦を目的とする艦隊型駆逐艦の最高峰を目指し、高速・強雷装の駆逐艦として本型を建造した。
 本型の登場まで、日本海軍の駆逐艦の速力は1920年(大正9年)に峯風型駆逐艦の「島風(初代)」が打ち立てた40.698ノットが最高速度であった。後の駆逐艦は概ね35ノット前後で設計された。速いだけでは戦闘に有利にならないためである。ワシントン海軍軍縮条約の破棄およびロンドン海軍軍縮会議からの脱退で軍縮条約の制約から解かれた1937年(昭和12年)以降から速力への要求が出初め、1939年(昭和14年)には速力40ノットの艦が試験的に造られることになった。すでに、日本海軍のお家芸、水雷の分野においては、陽炎型駆逐艦が要求水準を満たしていたものの、仮想敵たるアメリカ海軍が、駆逐艦の速力向上を目指しているという情報もあり、速力をも重視することとなった。さらに無条約時代に計画建造される新世代戦艦(ノースカロライナ級戦艦、サウスダコタ級戦艦、アイオワ級戦艦、モンタナ級戦艦)はいずれも速力27ノット〜33ノット発揮可能という高速戦艦群であり、これらを凌駕する高速駆逐艦の実現が強く望まれていた。
 また、陽炎型の一艦「天津風」において採用された高温高圧缶の利用が有望視されていたが、これを島風型に採用した。このほか、魚雷装備も優れており、零式5連装水上発射管は本型のために開発されたものである。次発装填装置はないものの、これは駆逐艦最大であった。初期は7連装2基の案であったが、非常時に人力での展開が不可能である為、5連装3基となった。
 16隻の建造計画があったが、そもそも機関の製作が量産に向かないこと、駆逐艦による水雷戦が想定されなくなったこと、大型の駆逐艦は防空能力に優れた秋月型駆逐艦の建造が優先されたこと、戦局の悪化等の複数の理由により、建造は「島風」1隻のみに終わった。
(wikipediaより一部転載)


 島風はキスカ島撤収作戦に従事したのちはあの伝説の第二水雷戦隊に所属した。輸送艦等の護衛任務が多かったようだ。その後、渾作戦、捷一号作戦に参加し捷一号作戦で空撃により撃沈された。生存者は少なかった。当時、最新鋭艦であったが就役した時点では既に日本軍は劣勢に傾きつつあり、最初に参加した作戦が撤収作戦であったというのも当時の日本の状況を暗示するものであった。その後も目立った活躍はなく、自慢の俊足を生かすことも無く、捷一号作戦にて轟沈するという悲運の駆逐艦であった。


 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)












 この悲運の駆逐艦島風、戦局が傾き始めた頃に実戦配備され目立った活躍をすることなくフィリピンの海に沈んでいった。悲しい、あまりにも悲しい。このまま歴史に埋もれさせてしまっていいのだろうか。戦艦大和も悲劇の艦ではあったが、宇宙戦艦に改装され人類を救うという偉業を達成したのも人々の記憶しているところだ。この島風も1/700スケールで復活させてあげるべきだ。そのためには下記のリンクをクリックして島風を作って今度こそ幸せにしてあげよう。


1/700 日本海軍 駆逐艦 島風 最終時



商品の説明
 「島風」は、米戦艦の高速化に対抗して開発され、1943年に完成した高速、重雷装の駆逐艦です。高温高圧のボイラーで出力75,000馬力、速力39ノットを叩き出し、新開発の61cm5連装魚雷発射管を3基搭載して実に15射線という駆逐艦としての世界最強の魚雷攻撃力を備えていました。「大和」が日本戦艦の最高峰であるのと同様に、「島風」も日本駆逐艦の究極とも言うべき存在であったのです。残念ながら戦局の悪化により同型艦は作られず、1隻のみの建造に終わりました。キットでは5連装魚雷発射管を3基装備する、重雷装の海軍最速駆逐艦を細密に再現。兵装は精密さで好評な新装備パーツ(NEシリーズ)を中心に構成しました。また、魚雷発射管などの新規兵装や構造物等も、NEシリーズに劣らないクオリティで設計されています。1隻入。洋上/フルハルモデル選択式。プラスチックモデルキット(未組立/未塗装)。
(amazonより転載)


レビューサイトのリンク
にょろりのさと
艦船模型製作工房 大磯海軍工廠
雅工房 模型のコーナー
夢追い人、再び・・・
ブリキ缶建造記
艦船ギャラリー(Fleet Garally)
乳もみにもみさんぽーる(おっぱいがプラモデルを作るブロマガ)
Eigemann Hobby Blog
作成記
プラモデル製作記
JUMBOW MODELING
建艦日報
プラモデル部 制作奮闘記
TINAMI



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飛行艇母艦 秋津洲(秋津島)

300px-Japanese_seaplane_carrier_Akitushima 今日紹介するのは、連合艦隊所属艦艇でも特殊な艦。そう、飛行艇母艦「秋津洲」だ。私は特殊な兵器、部隊等々、とにかく特殊なことが好きなのだね。この飛行艇母艦というのは、当時、まぎれもなく世界最高だった飛行艇、二式大艇、九七大艇を運用するためだけに開発された艦艇なのだ。(画像はwikipediaより転載)


艦歴
計画 1939年(マル4計画)
起工 1940年10月29日川崎重工神戸
進水 1941年7月25日
就役 1942年4月29日竣工
その後 1944年9月24日戦没
除籍 1944年11月10日
性能諸元
排水量 基準:4,650t 公試:5,000t
全長 114.8m
全幅 15.8m
吃水 5.40m (公試平均)
主缶 なし
主機 22号10型ディーゼル4基2軸 8,000hp
速力 19kt
航続距離 8,000 NM / 14kt (重油455t)
乗員 545名
兵装(竣工時) 40口径12.7cm連装高角砲2基 25mm連装機銃2基
兵装(最終時) 40口径12.7cm連装高角砲2基 25mm3連装機銃6基 25mm単装機銃3挺
航空機 飛行艇1機搭載可能 (停泊時)
補給物資 航空燃料689t 航空魚雷36本 800kg航空爆弾30個 500kg航空爆弾15個 250kg・50kg航空爆弾100個
(wikipediaより転載)

戦歴
 飛行艇母艦として行動していた頃は、単艦もしくは「秋風」などの駆逐艦1隻を護衛に伴っての行動が多かった。1942年8月7日、米軍がガダルカナル島とツラギ諸島に上陸してガダルカナルの戦いが始まると「秋津洲」は不時着機の救助を命じられ、ガダルカナル方面に進出した。8月8日、三川軍一中将が指揮する第八艦隊と遭遇し、情報を交換した。第八艦隊側は、迷彩を施した秋津洲を見て敵艦と誤認しかけている。これが前述の「厚化粧」発言につながった。第八艦隊はその夜、第一次ソロモン海戦で大勝利をおさめた。第二次ソロモン海戦直前の8月22日には、駆逐艦「陽炎」に燃料補給を行った事も記録されている。その後も各地で飛行艇の母艦任務、索敵哨戒等に従事した。また、その艦形を活かして基地設営、物資輸送、魚雷艇の輸送、工作艦任務などにも活躍した。
 1944年9月、フィリピンのコロン湾で米空母艦載機の攻撃を受け沈没した。現在ではファンダイビングの沈船スポットになっており、海底に沈む船体を観察することができる。
(wikipediaより一部転載)

 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)







 この秋津洲、現在でもトラック諸島に沈没していることが確認されている。この特殊艦艇、「秋津洲」を購入しようと思えば、引き揚げに莫大な金がかかる上に権利関係が相当面倒臭いと思われる。例えば現在、トラック諸島はミクロネシア連邦の国土となっており、引き揚げの許可、そして日本に運搬するには日本政府の許可も取らなければならない。秋津洲を購入しようと思えばそこまでしなければいけないのだ。しかし、以下のリンクで購入した場合は数千円での購入が可能だ。数千円で自分の夢が叶う。安いものではないだろうか。但し、大きさは1/700になってしまうというというちょっとした問題もあるが・・・。


1/700 日本海軍 飛行艇母艦 秋津洲 W50



アマゾンレビュー
 特殊な艦艇が好きなので購入しました。キットの出来には満足しております。又、二式飛行艇・九七式飛行艇が入っているのがうれしいです。只、特殊な迷彩が施されている艦艇だけに、そこの指示がもう少し丁寧に入っていると、もっと良かったと思います。

 キットは大人買いをしてしまったWLを順に作っているので、まだ作ってはいませんが、付属の飛行艇に一目惚れをしてしまいました。

製作レビュー

軍艦堂
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kansen太郎のブログ
飛行艇母艦「秋津洲」(1/700 ピットロード)
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EISEN-WOLF
1/144ヒコーキ工房
ピットロード 1/700飛行艇母艦『秋津洲』
プケファラス
HIGH-GEARedの模型と趣味の日常
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幻影画廊への扉



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