ミニマム情報戦記

ブログタイトルは思い付きでちょいちょい変わります。 そろそろタイトルを変えたい。。。き・ぶ・ん!

カテゴリ: 海軍航空隊

坂井三郎大好き?大嫌い?

 零戦搭乗員で最も有名なのは坂井三郎ということに関しては誰もが納得するところだろう。著書は大ベストセラーで戦記ファンでなくともその名は知っているという人も多い。(画像はwikipediaより転載)  坂井氏は大正5年佐賀県生まれ、第38期操縦練習生課程を首席で卒業、そ …
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岩本徹三を知るための書籍

 私が最も憧れていた、そして今でも一番好きな零戦搭乗員は岩本徹三である。きっかけは近くのスーパーでやっていた古本市だった。そこで零戦撃墜王を発見した。以前、学校にあった飛行機図鑑に載っていた撃墜マークがいっぱいついた零戦のパイロットの名前は確かこの人だっ …
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 最近、神立尚紀氏の著書を読むことが多い。氏は零戦搭乗員達と親交が深く、そして長い。当初はただのインタビュアーだったのが、最近になればなるほど内容が重厚になり、搭乗員達の内面に肉薄した内容のものが多く、読み応えがある。これは他の航空戦史研究家とは一線を画 …
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 旧日本海軍の最強戦闘機隊といえば何だろうか?最新鋭機紫電改と生き残りのエースを集結させた「剣」部隊343空?いやいや、あれは都市伝説だ。最新鋭機紫電改を集中配備したのは本当だが、343空は生き残りのエースを集結させて作ったエース部隊ではない。基幹搭乗員に熟 …
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 撃墜72機といわれる謎の多い撃墜王である。私が現段階で調べた結果が以下のものだ。 日本海軍戦闘機隊のエースとは  生年月日不明である。大正9年前後生まれ。乙種予科練7期生なので、昭和11年6月予科練7期生として海軍に入隊したと推定される(但し、昭和10年とする …
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 末期のラバウル航空戦を戦った搭乗員である。あまり知られていないが、ラバウル航空戦においてトップエース岩本徹三、小町定等と共に連日の戦闘をこなした。この市岡一飛曹、実はすごい記録を持っていることが近年の調査により判明した。もちろん私が調査した訳ではない。 …
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 今日、紹介するのは小八重幸太郎上飛曹。ほとんどの人は全く知らないパイロットだと思う。しかし小八重上飛曹、15機撃墜という多撃墜エースなのだ。今日はあまり知られていない小八重幸太郎上飛曹について書いてみたい。 日本海軍戦闘機隊のエースとは  小八重上飛曹 …
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 今日紹介するのは夜間戦闘機隊のエースである倉本十三上飛曹である。総撃墜数は6機。その全てが撃墜困難とされたB29である。それも6機の内5機は一夜で撃墜した戦果である。今日はこの倉本上飛曹について書いてみたい。 日本海軍戦闘機隊のエースとは  倉本上飛曹は大 …
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 今日紹介するのは、山崎市郎平一飛曹。操練50期台のパイロットだ。台南空のエースとして知られている。ちょうど坂井三郎一飛曹、笹井醇一中尉、西沢広義一飛曹等がいた頃の台南空に所属していた。この頃の台南空については坂井三郎『大空のサムライ』に詳しい。この山崎一 …
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 ゼロファイターゴッドと呼ばれた熟練搭乗員である。日中戦争から太平洋戦争終戦まで戦い抜いた。日中戦争では零戦初戦果の空戦に参加するという貴重な経験をしている。数々の空戦に参加するも被弾ゼロという記録を持ち終戦を迎えた。母艦戦闘機隊に所属していることが多く …
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 丙飛4期出身のエースである。実戦に参加したのが昭和17年というから戦中派エースといっても割と遅い。同期には2015年現在、御健在のエース中最多撃墜記録を持つ大原亮治氏がいる。仲道渉飛曹長の撃墜数は15機と言われているが実はこれが関して近年の研究で注目されているの …
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 なぜかあまり有名ではないエースであるが、撃墜記録はすさまじい。エース列伝によると撃墜12機、自著によると共同撃墜含め105機、潜水艦2隻撃沈という記録の持ち主である。日本海軍で唯一不敗であった戦闘機隊といわれる202空に配属され、その後ラバウル、フィリピンと転戦 …
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 河村飛曹長の総撃墜数は5機。世界のエースの基準からするとギリギリであるが河村飛曹長は世界的にも珍しい水上偵察機のエースである。そう水上戦闘機ではない。水上偵察機の撃墜王なのだ。そんなことは普通できないはずなのだが出来てしまったのだ。今日はこの世界でも珍し …
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 艦隊戦闘機隊の名物男、「オール先任搭乗員」こと菊池哲生である。総撃墜数は20機以上であったといわれる操練39期のベテランパイロットであった。岩本徹三、坂井三郎と同じ大正5年生まれでかなり広い「車幅」の体型であったようだ。今回はこの「オール先任搭乗員」について …
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日本海軍航空隊 戦闘機搭乗員 川戸正治郎

 恐らく海軍のエースの中では最も訓練不足の状態で戦闘に参加した搭乗員であろう。川戸氏は多分、御健在。大正15年生まれで2015年現在89歳となられているはずである。丙飛12期といえば太平洋戦争中のパイロット大量育成の真っ最中のクラスだ。恐らく訓練は相当なやっつけだ …
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日本海軍戦闘機隊のエースとは 氏名撃墜数出身期命日著書等岩本徹三216機操練34期1955年05月20日『零戦撃墜王』西沢広義87機乙7期1944年10月26日『最強撃墜王』福本繁夫72機乙7期1945年12月**日杉田庄一70機丙3期1945年04月15日坂井三郎64機操練38期2000年09月22日『 …
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 自著は無いが有名な撃墜王であり、戦中派エースの代表的な存在である。総撃墜数はエース列伝によると16機、本人によると共同撃墜含め48機だそうだ(『零戦最後の証言 2』)。手記等の寄稿もあまり見られない。現在私が確認できるのは「殊勲の零戦/ブイン上空迎撃記」『伝承 …
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 今日紹介するのは加藤邦逵。大正12年生まれというから太平洋戦争開戦時には18歳と相当若いのだ。この加藤邦逵で面白いのは撃墜スコア16機という多撃墜者でありながらラバウル航空戦を経験していないことだろう。同期で撃墜王となったのは撃墜12機、または共同撃墜105機と言 …
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 あまり有名なパイロットではないが16機撃墜したエースである。日本海軍ではパイロットになるための最短コースを歩んだ場合、最も若くて17歳でパイロットとなることができるようだ(誕生日の関係でもっと早い人もいるかも)。今日紹介する中島上飛曹もそんな最若年で搭乗員 …
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 有名といえば有名。無名といえば無名とったところか。零戦のパイロットに多少でも興味がある人にとっては超有名だけど世間ではあまり知られていない搭乗員だろう。今回紹介する撃墜王は宮野善治郎大尉。撃墜王には珍しく海軍兵学校出身の士官だ。今日は宮野善治郎大尉につ …
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 今日、紹介するのは海軍航空隊のエースの中でも異色のエース、甲木清実飛曹長である。何が異色かというと、通常、海軍の撃墜王が登場する機体というのは大体、九六戦、零戦、紫電改等の陸上機なのであるが、この甲木飛曹長、何と水上機でエースになったのだ。  そして甲 …
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 今日紹介するのは高塚寅一、操縦練習生出身の搭乗員で太平洋戦争開戦時には既に熟練搭乗員であった。生まれたのは大正3年と意外に若い。著名なエースである坂井三郎氏、岩本徹三氏、原田要氏などが大正5年生まれであることから考えると、太平洋戦争での著名なエースより若 …
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 今日はあまり著名ではないエース、中谷芳市を紹介したい。生まれたのは大正10年というから太平洋戦争ではかなりの若手搭乗員と言っていい。出身は予科練丙飛2期である。丙飛とは操縦練習生の名称が変更されたもの。苛烈なラバウル航空戦を生き抜いた強者であり、終戦まで戦 …
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日本海軍航空隊 戦闘機搭乗員 岩本徹三

 岩本徹三少尉は、私が撃墜王おたくになったきっかけの記念すべき人である。大言壮語型の人間で腕は超一流、日中戦争から太平洋戦争をほぼ第一線で戦い抜き終戦を迎えた。  総撃墜数は216機と自称しているというが、実際は80機ともいう。撃墜数は不明であるが超一流のエー …
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 大正6年生まれで中国戦線以来の撃墜王である。中国戦線で13機を撃墜した。これは岩本徹三の14機に次いで多い。戦後は多くの雑誌等に寄稿しているため田中氏の名前を目にすることは多い。今日はこのエース田中国義についてみてみよう。まずはエース列伝から。 日本海軍戦 …
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 伊藤清は大正10年生まれ、3空で活躍した多撃墜のエースである。撃墜数は23機に及ぶ。しかし私にとっては未知のエースであった。台南空の搭乗員達は坂井氏の著書で有名であったが、同時期に航空撃滅戦を行った3空には戦中の記録を公表した人が少なかったというのが理由なの …
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 大正9年生まれ、甲種予科練1期を修了、中国戦線を経験した搭乗員である。同期には前田英夫(13機撃墜)、松田二郎(9機撃墜)がいる。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要 大正9年横浜市に生まれ、横浜2中を卒業して、昭和12年9月創設された甲飛1期予科練に応 …
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 大正10年生まれ、操練49期を修了したエースである。太平洋戦争を生き抜いたが、あまり雑誌等に寄稿していないためか謎の多い搭乗員である。同期には小町 定(18機撃墜)、国分武一(11機撃墜)、本多敏秋(9機撃墜)等がいる。 日本海軍戦闘機隊のエースとは 概要 …
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 本田稔は、2015年現在、御存命の数少ないエースの一人だ。本田稔は大正12年生まれ、甲飛5期出身である。同期のエースとしては高橋茂(10機撃墜)、鈴木博(8機撃墜)がいる。1942年1月飛練卒業というから太平洋戦争開戦後の戦中派エースということになる。まずはエース列伝 …
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 母艦戦闘機隊のエースとして著名である。大正6年生まれ。操練44期を修了した。初陣は中国戦線であった。その後1940年1月赤城乗組、1942年11月瑞鶴乗組、い号作戦、ろ号作戦共に参加する。さらに瑞鶴戦闘機隊としてラバウル航空戦に参加する。その後、各航空隊を転々とした …
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