トイレで読む向けブログ

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本、作品の感想

01_九九式艦爆
(九九式艦爆 画像はwikipediaより転載)

 

急降下爆撃機とは

 

 急降下爆撃機とは、1930年代に世界各国で研究された新式の爆撃機のことである。これまでの爆撃機の行う爆撃法とは主に水平爆撃で、水平に飛行している爆撃機からそのまま爆弾を投下するものであった。しかし急降下して爆弾を投下する戦法が有効であると知られるようになると世界各国でこの新式の爆撃法、急降下爆撃の研究が盛んになってくる。

 日本でも1930年代初頭に研究が始まったので世界レベルで見ても比較的早期に研究が始まったといえるだろう。最初に制式採用されたのは九四式艦上爆撃機(艦爆)でこれが日本初の急降下爆撃機である。その後、陸軍と海軍はそれぞれ急降下爆撃機の開発を行い、陸軍は九七式軽爆撃機(軽爆)、九九式軽爆、九九式双発軽爆撃機(双軽)、九九式襲撃機等を完成させる。これに対して海軍は、九六式艦爆、九九式艦爆、彗星艦爆、陸上爆撃機銀河、流星艦爆を完成させている。

 

 

 

危険と隣り合わせ

 急降下爆撃機といっても単純に爆撃機を急降下させればよいというものではない。急降下でかかるGは半端ではない。降下中はエンジンの力と機体の自重で速度はどんどん上がっていく。車でいえば急な下り坂で全速力を出しているようなものだ。これはパイロットの身体にも相当な負担がかかるが何よりも通常の航空機では機体の強度が持たないのだ。特に日本軍機は機体強度が低い機体が多く、このような機体で急降下をしては空中分解してしまう。この問題を防ぐためには設計段階から考えなければならないのだ。

 急降下することによって加速して爆弾の命中精度を上げると同時に対空砲火からも防御されるが、あまりにも加速してしまうとコントロールできなくなってしまう。故に急降下爆撃機にはエアブレーキと呼ばれる空気抵抗板が取り付けられている。これによって速度をコントロールすることが出来るのだ。そうは言っても高速であることには違いない。降下角も60°と凄まじい。訓練や実戦で急降下したものの引き起こすことが出来ずに殉職してしまった搭乗員も数えきれない。

 

 

 

急降下爆撃機偵察員

 著者は乙種予科練7期出身で同期には有名な西澤廣義飛曹長がいる。艦爆偵察員とはただ周囲を観察していればいいというのではない。GPSの無い当時のこと、航法は人間がやるのだ。これは偵察員の仕事。航法とは、地文航法、天文航法、推測航法という3種類がある。地文航法というのは地形を見ながら自機の位置を把握する方法、天文航法というのは天体観測をして自機の位置を把握する方法である。地文航法は主に陸軍機、天文航法は主に大型機が使用する。小型機の後方はつまりは推測航法であるが、実はこれが一番難しい。

 推測航法とは自機の速度と方向、そして偏差を考慮して計算によって自機の位置を割り出す航法。偏差というのは飛行機に左右から吹く風の強さから誤差を割り出すことだ。ちょっとの風でも長時間の飛行では誤差は馬鹿にならない。これを習得するには1,000回は航法を経験しなけば一人前とは言えないという大変難しいものなのだ。これは偵察員の世界では千本偏流と呼ばれていたという(永田P93)。1,000本とは毎日搭乗しても3年間、もちろん毎日飛行するハズはないので習得するまでには5年、10年はかかるのだろう。とにかく計算に自分とペアの命がかかっているのだ。

 そして偵察員の任務はそれだけではない。急降下爆撃機の任務はもちろん急降下爆撃である。この急降下爆撃とは字のごとく55〜60°くらいの急角度で敵に急降下、爆弾を落とすという攻撃法である。現在ではもう無くなってしまったが、ミサイルが発達する以前の時代では高い命中精度を誇る必殺の爆撃法であった。しかし敵から撃ち上げて来る対空砲火の威力は凄まじく、砲火の幕の中に突入していく状態である。まさに「ヘルダイバーズ」である。

 

 

 

急降下中の偵察員

 この急降下の最中、偵察員はただボンヤリしていればいいのかといえばそうではない。急降下爆撃中の偵察員は信じられないくらい忙しいのだ。まずは装備、首からは双眼鏡をかけ、左耳にはレシーバー、右耳には操縦員との連絡用の伝声管、口には酸素マスク、手には機銃である。これらを装備しつつ、急降下中は速度と角度を読みながら正確な照準点を操縦員に伝える。それを何百キロという速度で急降下している最中に行うのだ。もう職人技である。

 そしてこの急降下爆撃機の特徴としてはものすごく死亡率が高い。戦闘機搭乗員は生存率が20〜30%程度であったが、急降下爆撃機乗りはそんなものではない。ほぼ生存することが不可能な職種と言っていい。その中を著者が生き残ったのは奇跡と言って良いかもしれない。松浪氏は後方にいたのではない。松浪氏が配属されたのは激闘が続くラバウルの582空である。この582空とは戦闘機と艦爆の混成部隊で戦闘機隊には有名な角田和男氏等が在籍していた部隊だ。松浪氏はこの地獄の戦場で多くの任務をこなし、奇跡的に生き残ったのだ。

 松浪氏の著書は自身の体験を書いているのと同時に死んだ戦友たちへの鎮魂歌でもある。多くのページを戦友たちとの思い出に割いている。戦友たちは良い奴ばかりではない。嘘をつく奴、ズルい奴等がいて、松浪氏も騙されたりと悔しい思いをするのだ。しかしその「イヤな奴ら」も戦争で死んでいく。それはとても悲しいことなのだ。彼らは人間なのだ。人間には良い面も悪い面もある。それが人間なのだ。松浪氏が描く戦友はまさしく人間なのである。

 

 

参考文献

  1. 永田経治「海軍じょんべら予備学生出陣記」『あゝ還らざる銀翼よ雄魂よ』光人社1990年

 

 

 


ミリタリーランキング

01_タクシードライバー

 

 『タクシードライバー』とは1976年の映画で、監督はマーチン・スコセッシ、主演ロバート・デ・ニーロである。人間の二面性、狂気について描いた映画で好き嫌いはかなり別れる。特に女性には苦手な方が多いようだ。表面的に観ると正義のヒーローが少女を救出しにいった映画と見えるが、実は狂気に満ちたホラー映画と言っても良い内容である。かなりヘビー級であるため『死霊の盆踊り』や『ロボ道士』のように楽しく何度も観る映画ではないことは間違いない。

 

ストーリー

 

02_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

映画の公開年と映画内の時間軸

 

 映画内では大統領選が行われている。アメリカの大統領選挙は4年に一度、1年間かけて行われる。70年代の大統領選は1972年と1976年に行われているが、トラヴィスが海兵隊を除隊したのが1973年であるので本作の大統領選は1976年であることが分かる。本作が公開されたのが1976年2月、アメリカ大統領選の予備選挙が開始されるのと同じタイミングで公開された映画なのである。

 そして主人公トラヴィス・ヴィックルについて。ベトナム戦争は1973年1月にパリ協定が締結され終結した。トラヴィスが海兵隊を除隊したのが1973年5月なのでベトナム戦争終結後である。海兵隊を除隊して学歴が全くないトラヴィス。1976年に26歳でタクシー会社の面接を受けていることから逆算するとトラヴィスはトラヴィスは1949または50年生まれ、高校卒業後すぐに海兵隊に志願したとすると1969年に19歳で入隊、1973年までの4年間海兵隊に在籍したのち23歳で名誉除隊。3年間のブランクがあって1976年5月にタクシー会社に応募したことになる。

 

ベトナム戦争帰還兵トラヴィス

03_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 

 主人公トラヴィス・ヴィックルは不眠症であった。眠れない日々を過ごす彼は、夜勤のタクシーの仕事に応募する。タクシー会社に入ったトラヴィスは自身の経歴について語る。学歴について触れられると口ごもるトラヴィス。察したタクシー会社の採用担当者は軍歴を訊く。海兵隊出身。1973年5月名誉除隊。華々しい軍歴である。

 名誉除隊とは、米軍においておおむね勤務態度良好であり、軍法会議や民事訴訟の対象にならなかった隊員が除隊する際に対象にとなる。米国では軍人の社会的評価は非常に高く、名誉除隊証明書を持つことは再就職等に有利となる。

 トラヴィスの名誉除隊は1973年5月となっており、ここからベトナム戦争に従軍していたことが分かる。このベトナム戦争とは米国で一番人気のない戦争であり、それまでの戦争の帰還兵が英雄として扱われていたのに対して、ベトナム戦争帰還兵には英雄どころか「ベビーキラー」等の心無い言葉まで投げかけられることもあった。このためなのかは分からないが、トラヴィスにはタクシードライバーという最底辺の仕事しか得ることは出来ず、それも採用担当者が同じ海兵隊出身であったから優遇された結果であった。

 

ベツィに恋をする

 ベトナム戦争で心を病んだトラヴィスの目には荒んだ街が写る。そして誰からも認められない自分自身。重くのしかかる孤独感。仕事が終わったトラヴィスはそれらを忘れるために酒を飲みポルノ映画に通う日々。そこに転機が訪れる。大統領候補のボランティアとして活動している美しい女性ベツィ。ただ見とれているだけのトラヴィスであったが、ある日、勇気を出してベツィに声をかけた。

 デートに応じてくれたベツィであったが、トラヴィスはこともあろうにベツィをポルノ映画に誘ってしまう。当然、ベツィには嫌われ再び孤独感に苛(さいな)まれるトラヴィスであった。トラヴィスの孤独感、社会のためにこの世界を浄化しなければならないという使命感、そしてそれを出来るのは自分しかいないとの思い込み。そしてベツィが応援する大統領候補パランタインのテレビインタビューを見たトラヴィスは行動を決意する。そう、自分こそがこの世界の悪を駆逐する正義のヒーローなのだ。

 

目的を見つけたトラヴィス

 銃を購入するトラヴィス。そして除隊以来の鈍り切っていた身体を鍛え直す激しいトレーニングを開始する。そんな時、トラヴィスはアイリスという売春をしている12歳の少女に出会う。本気で更生を薦めるトラヴィスに対して心を動かされるアイリスであったが、スポーツとあだ名されるヒモ男に心を奪われているため決心がつかない。

 そんな中、トラヴィスはいよいよ社会の「浄化」を決意する。ターゲットは大統領候補パランタイン。モヒカン頭にしたトラヴィスは大統領候補の暗殺を企てるがシークレットサービスにより阻止されてしまう。しかしトラヴィスはその後、もう一つの「浄化」を決行する。それはアイリスの救出であった。売春宿に突入したトラヴィスはアイリスのヒモ男スポーツを射殺、反撃をされながらも売春宿の「悪人」全員の射殺に成功する。

 命を賭けて少女を救出したトラヴィスはヒーローとしてメディアに取り上げられ、その記事を読んだベツィもトラヴィスを見直した。望み通りヒーローとなったトラヴィスは再びタクシードライバーとして夜の街を走るのだった。

 

結局、この映画は何が言いたいのさ。。。解説すると

 

04_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 この『タクシードライバー』意外に正義のために戦ったヒーローの話ととられることが多いがもちろんそんな話ではない。トラヴィスは不眠症。ベトナム戦争で心の傷を負った男で朦朧とした世界の中を生きていた。冒頭の蒸気の中を彷徨うタクシー、そしてトラヴィスが車から見ている街が雨で全て歪んで見えるのはこれを表している。タクシー会社に入る際、トラヴィスが蒸気の中から現れているのもその朦朧とした世界から現実の世界に現れていることを表現している。

 

トラヴィスの価値観

 「正義のヒーロー」であるトラヴィス。そのトラヴィスの「正義」とはどんなものなのだろうか。まず、映画の最初でトラヴィスの内面の声で「売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人 すべて悪だ」と語られる。売春婦やヤクザ、麻薬の売人と一緒にホモ、オカマも悪であると考えているのが分かる。さらに同じく内面の声で「黒人を乗せない奴もいるが、俺は平気だ。と語っている。平気というのは、つまり「黒人が嫌いだけど乗せられる」という意味だ。決して黒人に対して好意を持っている訳ではない。これが良く分かるのはトラヴィスの黒人を見る時の目つきである。

 トラヴィスが黒人を見る時、その目は悪意に満ちている。冒頭のタクシー会社での面接の際に鏡に映っている黒人を見た時、食堂で近くに座っている黒人を見た時、さらにドライバー仲間の黒人に対しての目つきではっきりと黒人に対して悪意を持っているのが分かる。この悪意は、映画の中盤でトラヴィスが黒人の強盗(コソ泥)に遭遇した際、何の躊躇もなく黒人の頭を撃ち抜くという行動が証明している。因みにトラヴィスが殺害したのは売春宿の3人以外にはこの黒人だけである。

 

トラヴィスと女

 これらからも分かるようにトラヴィスの価値観はたいぶ歪んでいる。もちろんその「正義」というのも世間の正義とはだいぶ違う。この「正義のヒーロー」トラヴィス。映画の序盤で大統領候補パランタインの事務所で働くベツィに恋心を抱く。デートに誘うことに成功するが、自分がいつもみているお気に入りのポルノ映画を見せ、ベツィに嫌われると選挙事務所まで押しかけてベツィに罵詈雑言を浴びせかける。

 要するにトラヴィスという男は自分の価値観を人に押し付ける。そしてそれが断られるとブチ切れるというかなりヤヴァい奴なのだ。そのトラヴィス、ベツィに振られてからは歪んだ正義感がさく裂する。偶然タクシーに乗り込んだ妻を殺すと豪語する客(スコセッシ監督本人)から44マグナムで女性を殺すという知恵を付けられ、トラビスの頭の中は徐々にベツィに対する復讐で溢れていく。

 

なぜ大統領候補を暗殺しようとしたのか

 しかしまだ理性が働いているトラヴィスはタクシー仲間の先輩に相談する。しかし先輩は有効な解決法を提示することは出来ない。とうとう理性での制御不能となったトラヴィスはついにパランタイン議員の暗殺を企てるが結果は失敗。だが、ここで一つの疑問が出る。掃きだめみたいな街に嫌悪感を抱いていたトラヴィス。正義のヒーローとしての行動の一発目がなぜパランタイン議員の殺害なのだろうか。

 パランタイン議員は劇中で決してネガティブな描き方はされていない。むしろ偉ぶらずタクシーを利用するという庶民派大統領候補である。そのタクシーの運ちゃんトラヴィスに対してもアメリカの問題点について質問、口ごもるトラヴィスに対して「何かあるはずだ」と本心を引き出そうとしてその言葉に真摯に耳を傾ける誠実な人物である。トラヴィスが暗殺の対象にする理由はどこにもない。

 ではなぜ暗殺しようとしたのか。これはパランタイン議員が最初に登場したシーンにヒントがある。最初に登場したのは本人ではなくベツィと同僚トムとの会話のシーンである。ベツィがパランタイン議員について話す際、「情熱的でセクシー・・・」とうっとりした顔で話している。これは当然だ。ベツィはボランティアをしてまでパランタイン議員に大統領になって欲しい。つまりはパランタイン議員に惚れ込んでいるのだ。

 これに対してベツィに嫌われてしまったトラヴィス。可愛さ余って憎さ百倍。トラヴィスは自分を受け入れてくれないベツィに復讐を決意する。しかし攻撃の矛先が直接ベツィに向かうことはなかった。これはトラヴィスが両親に宛てた手紙でベツィと交際していると書いていることからも分かるようにトラヴィスはベツィに対する想いを捨てきれていない。ベツィの大切な男を殺す。これがトラヴィスのベツィに対する復讐なのだ。

 

アイリスの救出が目的ではない

 要するにトラヴィスは社会を良くするためや街を浄化するのが目的なのではなく、単に自分を愛してくれなかった女に復讐しているだけなのだ。これはアイリス救出でも同様のことがいえる。トラヴィスが思いを寄せたもう一人の女性アイリス。自分の正義を絶対視するトラヴィスはアイリスに更生を促すものの、アイリスはスポーツに惚れているため自分の言うことをきかない。孤独感に苛まれるトラヴィスはまたしても女性に「裏切られた」のだ。

 孤独と自分の愛を受け入れてくれなかった女達に対してトラヴィスは正義の名の下に売春宿に殴り込みをかける。まずはアイリスが愛している男であるスポーツを射殺。売春宿にいる関係者を片っ端から撃ち殺しているが、特にスポーツに対しては死体に対して何発も銃弾を撃ち込んでいる。そして近くで震えているアイリスには見向きもせずに自殺を図る。

 何故アイリスには見向きもしないのか。もしアイリスの救出が目的であれば、敵を殺したらすぐにアイリスを保護するのが自然である。アイリスも救出を望んでいるのであれば、救出しにきたトラヴィスに対して好意的な態度をとるはずだ。しかしアイリスはトラヴィスに向かって「撃たないで!」と叫んで怯えており、トラヴィスもアイリスを気にする様子はない。そしてトラヴィスはアイリスのことを全く気にせずに拾った拳銃で自分の頭を撃つ。

 つまりはトラヴィスの殴り込みというのはアイリスの愛した男であるスポーツの殺害が目的だったからだ。目的を達成したトラヴィスは「目的外」のアイリスには見向きもしない。そしてすべてのミッションを終えたトラヴィスは気が付く。自分の行動が正義ではないことに。それどころか自分のやった行動は単に振られた女の惚れた男を殺しただけである。悪は自分自身であった。このため「正義のヒーロー」トラヴィスは悪を消し去るために自分自身に向けて引き金を引いた。

 

鏡に映ったもう一人の自分

05_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 この映画は人間の表の顔と裏の狂気の顔という二面性について描いている。自分の中にいるもう一人の自分。この映画で注目したい点は「鏡に映っているもう一人のトラヴィス」である。この映画ではドッペルゲンガーのように「鏡に映ったもう一人のトラヴィス」が徐々にトラヴィスに近づいてくる。

 最初に鏡が登場するのはタクシー会社の室内である。そこに写っているのは口論をする従業員とそれを笑いながら見ている女性従業員のみであった。ここにトラヴィスは写っていない。次に出て来る鏡はトラヴィスの部屋の中をカメラがパーンする時である。トラヴィスは日記を書いている。この時、鏡には日記を書くトラヴィスの後ろ姿が写っている。しかしこの時の「鏡の中のトラヴィス」はまだ後ろ姿で下を向いていた。写ったのも一瞬である。

 正面を向いた「鏡の中のトラビス」が登場し出すのは、アイリスがヒモ男スポーツに連れ去れる場面からである。そして妻を44マグナムで殺すと豪語する男を乗せた際には、妻の殺し方を延々と語るその男が乗るタクシーのバックミラーには「鏡の中のトラヴィス」がじっとこちらを見つめて話を聴いている。狂人と判断して冷静に対応しようとするトラヴィス。その男の話にじっと聴き入る「鏡の中のトラヴィス」。二人のトラヴィスが葛藤を始める。

 だが、ベツィに振られ先輩のアドバイスも役に立たなかったトラヴィスは徐々に孤独、怒り、何かをしなくてはという焦りが強くなっていく。銃を購入して「正義の戦い」を決意するトラヴィス。「鏡の中のトラヴィス」はとうとうトラヴィスに話しかけて来るようになった「誰に話しているんだ?」「俺しかおらん」。「鏡の中のトラヴィス」がどんどんトラヴィスを侵食してきているのだ。

 そして完全に「鏡の中のトラヴィス」に浸食されたトラヴィスは行動を起こす。結果、意外にもヒーローとなってしまった。そして狂気の「鏡の中のトラヴィス」は消え、トラヴィスは再びタクシードライバーとして街を徘徊する。

 

その後のトラヴィス

 売春宿襲撃後、自殺に失敗したトラヴィスに意外なことが起こった。昏睡状態から覚めた彼は少女をマフィアから命がけで救出したヒーローになっていたのだ。アイリスは親元に帰り学校に通うようになり両親からは感謝の手紙が届いた。新聞はトラヴィスをヒーローと称えた。これこそトラヴィスが望んでいたことだった。犯行後は、自分を悪と思い自殺を図ったトラヴィスであったが、社会の称賛により自身の行動が正義であったと確信する。自身の新聞記事をスクラップにしてアイリスの両親の手紙とともに誇らしく部屋の壁に貼り付けたトラヴィスは、社会から認知されたことにより孤独も感じなくなった。

 満たされたトラヴィスはタクシーの仲間と共に生き生きと仕事をするようになった。そんな時、トラヴィスはある客を乗せる。それはかつて自分が愛した人、ベツィであった。バックミラーに写るベツィ、トラヴィスが愛し、そして傷付けてしまった女性ベツィ。新聞記事を読んで復縁を望んでいるだろうベツィに対してトラヴィスはタクシーのメーターを戻して笑顔で去っていく。

 トラヴィスは成長した。人に感謝され英雄になることで承認欲求を満たしたトラヴィス。傷つけてしまったベツィと付き合う資格はないし、同時にもうベツィにすがることもない。メーターを戻し美しい夜の街を走るトラヴィス。その刹那、バックミラーにトラヴィスが写る。消えたはずの「鏡の中のトラヴィス」。彼はその後もずっとトラヴィスに付いてきているのだ。

 

登場する銃器等

 

S&WM29

06_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 S&W社が1955年に発表した当時世界最強のカートリッジ44マグナムを使用する大型拳銃。本来は狩猟用に使用することを想定して開発したと思われるが、「最強のカートリッジ」のインパクトの強さにより映画『ダーティーハリー』で主人公の愛銃となった。これで一躍有名になった本銃である。『タクシードライバー』が公開された1976年末には『ダーティーハリー3』が公開されている。

 劇中では売春宿の料金徴収係の何も悪いことをしていないおじさんの手を吹き飛ばしたあと、反撃してきたスポーツにも一発お見舞いしている。2発発射したのみ。ハリーキャラハン刑事よりもトラヴィスの使用目的の方が明らかにダーティーである。武器商人アンディからは350ドルで購入。トラヴィスの一週間分の給料だ。さらに胡散臭いメキシコ製手作りホルスターを40ドルで買わされている。

 

 

S&Wチーフスペシャル

07_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 劇中ではスクエアバットのパールグリップが装着されたニッケルメッキモデルを使用しているが、射撃場のシーンではコルトディテクティブに代わっている。S&Wチーフスペシャルは、1950年に発売された重量わずか554g、装弾数5発の38口径のリボルバーであった。当時、38口径でこの大きさのリボルバーは例が無く衝撃的な銃であった。

 武器商人が「一日中ハンマー代わりに釘を打っても精度は変わらん」と言っているが、精密機械なのでそういう使用法は避けた方が賢明。劇中ではスポーツに向けて発射したのち追いかけて来る料金徴収係のおじさんをハンマー代わりに叩いた。全弾撃ちきっていたため精度がどうなったのかは不明。素敵な武器商人アンディからは250ドルで購入。

 

 

ワルサーPP

08_タクシードライバー
(画像はwikipediaより転載)

 

 ドイツワルサー社製の中型拳銃で380ACPと威力は低いものの、小型で当時としては先進的な機構であったため以降、多くの銃の参考となった。ストレートブローバックのため反動は強い。劇中では武器商人が将校専用に支給されたというようなことを言っている。強盗に向けて発射したのち商店のおっちゃんに回収された。トラヴィスは銃の携行許可証を持っていなかったが、商店のおっちゃんがその後うまくやってくれた。劇中ではほぼアストラコンスターブルになっている。スマートなビジネスマン風武器商人アンディからは150ドルで購入。

 

 

コルト25

 一応、コルト25となっているが、実際はS&WM61エスコート。エスコートはS&Wが1970年に開発した護身用のハンドガンで口径は25口径、装弾数5発である。劇中ではトラヴィスの右腕のレールに装着されて使用された。トラヴィスによって腕を振ると銃が飛び出すというほとんど実用性のないギミックを与えられた。

 しかし全く実用性がないと思いきや襲撃時に急にドアが開き売春宿のボス(?)に発砲された際に腕を振り飛び出した本銃により危機を回避。その人は25口径ACP弾を顔にたくさん貰って他界。いい銃は人を見て売るというポリシーを持っている闇の武器商人アンディからは125ドルで購入。

 

まとめ

 

 映画『タクシードライバー』は車の窓から見える夜景で終わる。その夜景はバックミラーに反射して半分は逆方向に流れているように見える。夜の街とそこを歩く人々。美しい夜景を歩く人々の中にも「鏡の中のトラヴィス」はいる。この映像はそれを暗示しているのかもしれない。非常にメッセージ性の強い映画で、蒸気や曇ったガラス、鏡等の他にも冒頭でタクシーの配車をするおじさんが長々と映されていたりと各所にメタファーがあるのでその意味を考えてみるのも面白い。

 余談ではあるが、この映画内での日付。日記の最初の日付が5月10日でベツィと喫茶店に行ったのが5月26日、戦いを決意するのが6月8日で決行したのが7月。実は2ヶ月程度の間の出来事なのである。それはともかく真剣に観るとかなり破壊力のある映画であるため気軽に人に勧めることはできないが、機会があれば一度観てみるのも良いだろう。但し、トラヴィスがベツィをポルノ映画に連れて行って嫌われたように女性にこの映画を薦めると十中八九嫌われる。リアルトラヴィスにならないように気を付けたいところだ。

 

 


ミリタリーランキング

01_フルメタルジャケット

 

 『7.62×51mm・・・Full Metal jacket!』そう叫んだ後、「ゴマ―パイル」は便座に座って、銃口を口に当てて引き金を引いた。この衝撃的なシーンで非常に印象に残っている映画『フルメタルジャケット』。。。久しぶりにどうしても観たくなってしまった。とは言っても1987年の映画。名作ではあるが、さすがに新品のDVDを買うのは勿体ない。レンタルまたはネット配信で観るか。。。いやいや近くの市立図書館であるのではないかと色々調べた結果、ブックオフオンラインで中古が何と300円で売っているのを発見。早速購入して鑑賞したのであった。

 

概要

 

『フルメタルジャケット』とは1987年に『2001年宇宙の旅』等で有名なスタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争を描いた戦争映画である。私には、スタンリー・キューブリック監督はそれまで戦争映画の監督という印象はあまりなく、『2001年宇宙の旅』や『時計仕掛けのオレンジ』等のメッセージ性の強いいわば「崇高な作品」を撮る監督という印象が強かった。原作はグスタフ・ハスフォードの小説『ショート・タイマーズ』である。

 本作品が登場した当時は、ベトナム戦争が終結してからほぼ10年となり、ベトナム戦争の総括的な機運もあったのだろう。『地獄の黙示録』や『プラトーン』『ハンバーガーヒル』等の有名なベトナム戦争映画が数多く上映されていた。これらの作品がベトナム戦争の定番であるジャングルでの戦闘シーンや夜間戦闘を印象的に描いているのに対して、『フルメタルジャケット』は前半が新兵訓練、後半がベトナム戦争での日中の市街戦を描いているのが特徴である。

 

ストーリー

 

新兵教育隊

02_フルメタルジャケット
(画像はwikipediaより転載)

 

 冒頭、軽快な歌とともにバリカンで丸坊主にさせられているアメリカの青年たちの映像からこの映画は始まる。海兵隊員に長髪は許されないのだ。髪の毛を全て切られて訓練用の戦闘服に着替えた若者たちはそこで狂犬のような教官であるハートマン軍曹の暴言の洗礼を受けることになる。このハートマン軍曹のシゴキ振りは当時かなり話題となった。それもそのはず、このハートマン軍曹の役を演じている俳優リー・アーメイはベトナム戦争で実戦も経験した本物の元海兵隊の教官。当初はテクニカルアドバイザーとして参加していたものの、「本物の」あまりの迫力に急遽教官役として抜擢されたものであった。この迫力は相当なものであったらしく、罵声を浴びせられた俳優が本当に怒り出してしまったというエピソードもあったようである。因みに本来教官役をやる予定であったティム・コルセリは主人公ジョーカーが移動の際に利用した輸送ヘリのガナー役で男女問わずベトナム農民を片っ端から撃ち殺す役を演じている。

 それはともかく主人公ジョーカー達は新兵として海兵隊に入隊。ハートマン軍曹による激しいシゴキを受ける。その訓練を受け、新兵たちは一人前になっていくが、極言すれば兵隊になるということは「人を殺すことを仕事にすること」であり、一人前になるということは、同時に人間性を失っていくということでもあった。

 この訓練の中で当初から教官に目を付けられた「兵隊に向いていない」新兵「ゴーマー・パイル」二等兵は訓練から完全に脱落、連帯責任のため他の同期の恨みを買っていく。そしてある夜、同期達は共謀してゴーマー・パイルにリンチを加えるのであった。このリンチの描写は非常に生々しく、一人がタオルでゴーマー・パイルの口を抑え、もう一人が足を抑える。それを合図に靴下に石鹸を入れた「武器」を手にした同期が全員がボコボコにぶっ叩くというものであった。石鹸入り靴下は結構痛そうである。それまではゴーマー・パイルに優しくしていた主人公ジョーカーも参加せざるを得ず、一緒になってボコボコぶっ叩いた。

 この一件以来、ゴーマー・パイルは精神に変調をきたしたのと同時、射撃の能力を開花させる。それは鬼軍曹ハートマンに認められるところになるが、事件は訓練終了後の最後の夜に起こる。この夜、当直はジョーカー。彼はトイレに人の気配があるのに気が付く。懐中電灯でトイレ内を照らすとそこには狂気に満ちたゴーマー・パイルの顔があった。

 彼は実弾を込めたM14自動小銃を持ち、訓練で習った銃に対する忠誠の言葉を大声で叫び、卓越した銃の扱いを見せるが、その大声に気が付き現れた教官を射殺、自身も銃口を口に加え引き金を引く。

 

ベトナムへ・・・

03_フルメタルジャケット
(画像はwikipediaより転載)

 

 1968年、米軍機関紙の報道員となったジョーカーは取材のため前線部隊に同行、テト攻勢さ中の激戦地フエ市で最前線に身を置くことになった。最前線では訓練所同期のカウボーイに再会するものの、小隊長は砲撃により戦死、分隊長はブービートラップで戦死してしまう。その後、狙撃兵に狙い撃ちされたカウボーイ始め隊員達は次々に戦死していく。

 多くの隊員を失いながらもジョーカー達は狙撃兵を追い詰めることに成功、狙撃兵の背後を取ったジョーカーが見たのはAK47自動小銃で狙撃を行っていた少女であった。躊躇するジョーカーに銃を向ける狙撃兵の少女、少女の銃が火を噴く寸前に仲間の銃弾により少女は斃れる。体中に銃弾を受け瀕死の状態となった少女はベトナム語で祈りの言葉を唱えたのち、片言の英語で自分を殺してくれと懇願する。迷った挙句にジョーカーはその少女を射殺することにしたのだった。

 

戦争について考えなければならない

 ついついストーリーの紹介が長くなってしまったが、特に訓練センターで新兵たちが人間性を失っていくのが印象に残る。射殺された教官、ゴーマー・パイルの自殺という衝撃的な事件が起こったにも関わらず、何事もなかったように進むストーリー。戦場ではヘリコプターから無差別にベトナム人を殺害する米兵。感傷的なシーンもなく簡単に死んでいく米兵達。監督が描きたかったのはこういった無機質な戦争の姿であったのだろう。

 後半の少女狙撃兵の戦い方も非常に洗練されたものでターゲットにした兵士に敢えて致命傷を与えず、仲間達の前でなぶり殺しにしていき、助けに来た仲間を次々と殺していくという方法であった。その残酷な方法で戦い続けたのはまだ10代前半とも思える少女であり、死の間際に祈りの言葉を唱えるという死を怖がる「普通の女の子」であった。

 瀕死の状態の少女は止めを刺してくれと懇願する。これは潔いということではない。ジョーカーの仲間であるアニマルマザーが主張したように、このまま瀕死の状態で生かしておきネズミ等に食われて苦しんで死しんでいくことになる。少女が止めを刺すことを懇願したのは苦痛からの解放だったのだろう。「優しい」ジョーカーはその気持ちを汲み取って1発で射殺する。

 そして地獄から脱出したジョーカー達は制圧したフエ市の戦場をミッキーマウスマーチを合唱しながら歩いていく。平和の象徴であるミッキーマウス。ネズミに食われることの恐怖のため殺してくれと頼んだ少女はベトナムにさえ生まれていなければディズニーランドで夢中になって遊ぶ年頃であったのだろう。

 

登場する銃器等

 

M14自動小銃

04_フルメタルジャケット
(画像はwikipediaより転載)

 

 話が重くなってしまったが、ここで登場する銃器について解説していこう。まず主人公達が訓練センターで使用するのはM14自動小銃。この小銃は1954年に設計された自動小銃で口径は7.62mmで大戦中に米軍の主力小銃であったM1小銃の後継にあたる。M1が使用する弾薬が30-06弾であるのに対してM14は7.62×51mmNATO弾を使用する。30-06弾に比べて7.62×51mmNATO弾はカートリッジ長が短縮されているが、これは火薬の性能が高くなったためであり、同等の威力の弾薬と考えて良い。

 M1との最大の違いはフルオート機能を備えていることであるが、曲銃床である上に7.62mm弾という強力なカートリッジを使用したためにフルオートでの射撃は困難であった。このため制式採用はされたもののベトナム戦争初期に使用された後は、5.56×45mmNATO弾を使用するM16自動小銃が制式採用されM14自動小銃は一部を除いて第一線からは退いた。

 

 

M16自動小銃

05_フルメタルジャケット
(画像はwikipediaより転載)

 

 M14自動小銃が設計された3年後の1957年に銃器設計者ユージン・ストーナーにより設計された自動小銃である。口径はM14の7.62mmに対して5.56mmと小口径化され、それまでの銃器が鋼鉄に木製ストックであったのに対してフレームにアルミニュウムを採用、ハンドガード、ストックにプラスチックを採用する等、斬新な自動小銃であった。1962年にこのM16の高性能に着目した空軍が制式採用、その後陸軍、海軍も制式採用した。

 当初は使用している火薬がM16と合わなかったために作動不良が頻発したり、作動方式がガス圧直接利用方式であったために燃えカスが付着する等の問題が起こったが、基本設計が非常に優れた銃器であるため様々な改良を加えられたM4カービンが現在でも米軍の主力小銃として使用されている。本作では戦場ではほぼ全ての米兵がM16を使用している。因みに発砲シーン以外では日本のモデルガンメーカーであるMGC製モデルガンが多数使用されている。これは銃右側面のボルトホワードアシストの形状の違いによって判別することが可能である(本作では発砲用のM16にはボルトホワードアシストがない)。

 

 

AK47自動小銃

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(画像はwikipediaより転載)

 

 1947年に設計されたソビエト製自動小銃で7.62×39mm弾を使用する。特徴はとにかく頑丈で壊れないという非常に信頼性の高い小銃である。M16、FN-FAL、G3と並んで世界4大自動小銃とも言われる名銃である。ドイツの突撃銃であるStG44の影響を強く受けた銃で、当初はプレス加工で製作されたがのちに削り出しに変更されている。

 反動が非常に強いという欠点があるものの、AK47もM16同様、基本設計が非常に優れた銃であるため現在でもロシアを始め多くの国で改良型が使用されている。

 

 

M60汎用機関銃

07_フルメタルジャケット
(画像はwikipediaより転載)

 

 ドイツの汎用機関銃MG42をベースに開発した汎用機関銃で1957年に米軍に制式採用された。ベルト給弾方式の機関銃で、加熱するため銃身は200発程度で交換する必要がある。ベトナム戦争時にはあまりにも弾薬消費量が多く、重量もあるため「豚」というニックネームが付けられた。

 しかし他の汎用機関銃と比較すると重量は比較的軽い方である。当初は銃身に二脚が設置されていたため銃身交換時には二脚が使用できず交換に手間がかかった。このため改良型では二脚はガスチューブに設置されるようになった。総生産数は22万5000丁で現在でも使用されているが米軍では新型機関銃に変更予定である。

 通常は射手と弾薬手のチームで運用されるが、実戦では一人で使用するケースもあり、劇中ではアニマルマザーが一人で使用している。

 

 

まとめ

 

 かなり昔の作品であり、監督のスタンリー・キューブリックは1999年、ハートマン軍曹役のリー・アーメイは2018年に他界している。ベトナム戦争は現在では歴史となっているが、1987年当時は戦後10年ちょっとしか経ておらず最新の戦争であった。米国の映画の割には米軍に対して辛辣であるのは、ベトナム戦争時の反戦運動の影響を受けていると考えて良いだろう。

 ベトナム戦争は世界最強の米軍が全力を以って戦ったにもかかわらず東南アジアの小国であるベトナムのさらに北半分の政府に勝利することが出来なかった「米国で最も人気のない戦争」であり、厭戦気分になった米軍内では麻薬が蔓延して社会問題にもなった。

 本作はそのベトナム戦争をテーマにして訓練を通して人間が殺人機械に作り替えられていくという事実、これらの戦争の上に現在の平和があるという監督のメッセージは現在においても全く色あせることはない。

 

 


ミリタリーランキング

米原万里 著
集英社 (2007/8/17)

 

 友人に米原万里の本は面白いと薦められたので読んでみた。内容は軽いエッセイだが、米原氏はこの本の出版時にはすでに他界されていたようだ。内容はかなり軽快で面白い。すーっと読めてしまう。「男はサンプルである」という説は面白い。女が生物の正当であり、男は女にどの遺伝子を残そうか選ばせるためのサンプルなのだという。

 もちろん生物学的には全然違うかもしれないが、大事なのは「そういう視点がある」ということだ。確かに同じ性別での身長差は女より男の方が差が大きい。変質的な趣味(モデルガンとか??)を持つのも男の方が圧倒的だ。それと日本人が世界を見るとき、最強国に狙いを定めて徹底的にその国のことを学ぶという。かつての中国であったり、鎖国時代のオランダであったり、戦後のアメリカであったりと。

 しかし最強国の文化まで最高だとは限らない。得てして日本人は独自の文化を捨て、その最強国の文化と同一化してしまいたがることすらあるという。これは「自国の文化=民族」として必死で守る必要のなかった地理的条件から来ているのではないかということだ。

 さらには通訳者として通訳の難しさについても語っている。米原氏は通訳者でもあるので、通訳の話も面白かった。言葉というのはいろんな意味があり側面があるので、例えば、鋼鉄の男といえば「強い意志を持った男」であるが、「股間が鋼鉄」となればとても書けないような意味になってしまう。鋼鉄という言葉一つをとってもいろんな意味や用法があるというのは面白かった。というよりも米原氏の例えや書きっぷりが面白いというのもあるが。。。

 因みに本書で私が一番印象に残ったのは、米原氏が「突然神様が現れて願い事を叶えてくれる状態」になった時のために願い事を考えておいた方がいいという提案だ。確かに洋の東西を問わず、このような話はある。ということは私にも突然起こる可能性はあるということだ。何にしようかと考えたのだが、なかなか思いつかない。

 そういえば『魔法少女まどか☆マギカ』の中で美樹さやかが、「願いが決まらないというのは満たされている証拠」というようなことを言っていたような気がする。私の願いは結局、努力すればできることばかりだった。単純に努力が足りないということだろうか。これはせいぜい精進するとして、もっと実現不可能な願い事でも考えよう。

 

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陳舜臣・田中芳樹『談論 中国名将の条件』02
陳舜臣・田中芳樹 著
徳間書店 (2000/10/1)

 

 私が高校生の時、夢中になって読んだ本が、陳舜臣『諸葛孔明』であった。さらに高校時代にアニメ化がスタートした田中芳樹『銀河英雄伝説』と私の人生にかなりの影響を与えた二人の対談ということで購入してしまった。

 

陳 舜臣  陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。
(wikipediaより転載)

 

田中 芳樹 田中 芳樹(たなか よしき、1952年10月22日 - )は日本の作家。本名は田中美樹(たなかよしき)。日本SF作家クラブに所属している。代表作は『銀河英雄伝説』『創竜伝』『アルスラーン戦記』の三長編。スペースオペラからファンタジー、現代を舞台とした小説、南北朝時代以降から南宋付近までの中国を舞台とした小説を発表している。
(wikipediaより一部転載)

 両人とも中国の歴史には造詣が深く、特に田中氏は中国文学の博士課程在籍者という本当の専門家だ。この両氏が中国の名将100人を決めるというのだから当然、ほとんど私にも分からないような名将が登場する。まあ、私にわかるのは史記、三国志の中の有名な武将位だろう。意外だったのが、陽明学の開祖、王陽明は思想の世界だけでなく、軍略家としてもかなり優秀だったという。

 中国歴代の名将について詳しい人はかなり楽しめると思うが私は前述のように史記、三国志程度なので正直よくわからない人達ばかりという感じだ。逆に知っている武将がランクインされているとちょっと嬉しかったりする。

 

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 著者の勝間和代氏は元公認会計士で外資系金融コンサルタント会社にいたバリバリの人だ。ブログを読むとちょっとした変わり者だということに気が付くのだが、まあ、それはいいとして、本書はその勝間氏が資産の運用方法について書いたものだ。ちょっと古い本になるが、内容はかなりいい。勝間氏はかなり真面目な人なのが本書を読んでいると分かる。勝間氏の主張はそのタイトル通り、資産を銀行に預けていても金が増えないので、リスクを取って金融商品を買った方がいいというもの。

 いくつかの金融商品を羅列してその損得を比較していく。一般の人が最初に想像する株式投資は実際は素人が参入しても機関投資家というプロに鴨にされることがほとんどだという。情報量が全然違うという。よく巷で株式投資必勝法のような本があるが、あれはたまたま成功しただけだという。もしも本当に絶対成功する方法であるならばノーベル賞もので、そもそもそんな方法があったら人には教えないという。妙に納得。

 その他、FXや不動産投資、コモディティ等、いろんな金融商品を紹介しているが、結局、インデックス型の投資信託が良いという結論だ。本書を読んでではないが(むしろインデックス投資をしたいから本書を読んだ)、私もやってみようと考えている。商品の探し方まで書いてあるのでこの一冊があれば資産運用に関してはもう本は必要ないというくらいの有用な本だ。

 

【追記】

 

 この本を読んで、早速、投資信託を購入したのだが、私がいい加減に選んだのが悪かったのか惨敗してしまった。結局、120万円ほどつっこんで15000円位損失を出し撤退。だからといって勝間さんの本がダメとは言えない。実際、勝間勝代さんが主宰する「勝間塾」には、その利益で会費を払っている人もいるという。。。まあ、参考程度に。

 

【さらに追記】

 

 上記追記からさらに数年後の現在(2020年)、撤退時に20万円程残しておいた投資信託の利益が2万円を超えている。勝間和代氏の指摘通りに放置しておいたら10%以上資産が増加した。さすがに史上最年少の公認会計士合格者であり金融の専門家である。

 

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 本書はタイトルのインパクトと共に社会に衝撃を与えた。かつては中流というものが存在していたが今後は、上流階級と下流階級に分かれていき、さらにそれらの階層が親から子へと再生産されるとしている。下層ではなく、敢えて下流としているのは貧困ではあるが、ネットや最低限の生活娯楽はある階層を表した三浦氏の造語。

 内容は実は社会評論の本ではなく、そういった社会になることを把握した上でのマーケティング戦略を書いたもの。基本的には下流に低価格のものを売るより、上流階級に高価格、高付加価値の商品を売ることを提案する。現在(2021年)、三浦氏の予想はほぼ当たっているといっていいだろう。ただ、残念なのは今までの時代を平等な理想社会のような絵描き方をしている点に関しては若干疑問。

 一億総中流社会というのは、多くの国民の意識の上のもので、実際は政治家は世襲されていたり、大企業は表向きはともかく、実際はコネで社会の上層部の人間が再生産されていたり、出身大学によって昇進のスピードが違ったりもする。実際は平等でもないし、階層の再生産もされている。

 著者の経歴をみると、1957、58年生まれで、まさに高度経済成長の恩恵を享受してきた世代。大学も東大、一橋と超一流。高度経済成長期の典型的エリート。今までの時代であれば一番恩恵を受ける立場。なんてちょっと邪推をしてみたくもなってしまう。

 今までの日本にも低所得者もいるわけだし、中流意識はあっても年収は人によって違う。三浦氏のいう階級社会というのは、まさに今までの日本そのもののようにも見える。いろいろ書いたが、逆にいえばそれだけ考えさせてくれる本ということもできる。本書を読んだのは10年以上前であるが、久しぶりに読み直してみたい気もする。

 

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01_武士
(画像はwikipediaより転載)

 

 武士について簡単に説明してみよう。武士とは日本古代末期から近代まで存在した戦闘を生業とする人のことだ。日本は鎌倉時代から江戸時代まで武士の時代が続き、さらに明治政府を構成したのも若い武士たちであった。故に武士という存在は現代においても否定的に捉えれることはなく、むしろ憧れを持ってみられている。

 まあ、武士に限らず、人間というのは戦いに非常な魅力を感じ、戦いに強い人に憧れる性質がある。武士というのは「サムライ」として外国人に評価されたものだから、古代より外国の目を気にする日本人には「サムライ」は特別なのだ。若干嫌味っぽくなってしまったが、私は子供の頃、時代劇フリークであり、専門的に歴史を勉強するようになったのも要は「サムライ」のお陰でもある。大好きであり大っ嫌いなのがこの「サムライ」なのだ。

 

高橋昌明『武士の日本史』

 

高橋昌明 著
岩波新書 2018/5/23

 私が知る限り最新の武士論。著者は中世史の専門家。古代からの武士の歴史を新書にしては驚きの詳細さで書いている。「日本中世史の重鎮クラスの人が本気で書くとこうなる!」という感じの本だ。「侍=武士」ではないこと、武士とは本来的にかなりの暴力性を持つことなど、武士の歴史を知らない人にとっては新鮮だと思う。専門家が古代から現代まで幅広く書いている貴重な本。今回紹介する本の中でイチオシの本だ。

 

野口実『武家の棟梁の条件』

 

 20年以上前の本。著者は専門の研究者であるようなので、とりあえず購入してしまった。どうも専門は平安末から鎌倉初期位までのようで、ここらへんの時代に関してはやたら詳しい。「サムライってカッケー!」的な、高いIQを持っている人々に対して、苦々しく思っているだろうことは内容を読むと容易に想像できる。

 源頼朝が求めた地位が近衛大将ではなく、征夷大将軍であったのは、外敵から日本を護ることを自己の存在意義としたためであるということや当初、天皇の警護をしていた滝口の武士に求められたのは実は、呪的能力であったことなど知らなかったことが多い。

 ただ、著者の専門外の時代になると論証に緻密さがなくなる。「東国は狩猟民族で暴力的、西国は農耕民族で非暴力的だったけど、東国の武士が権力を持ったことで全国に野蛮な風潮が伝わった(かなり意訳)。」というようなことが特に論証されることなく事実として書かれているのは疑問。

 

下向井龍彦『武士の成長と院政』日本の歴史07

 

 著者は古代軍事史研究者。国衙軍制という視点で武士の成立を説明する。これらによって徴発された、郡司や富豪、俘囚たちが後の武士になっていくというもの。日本刀のルーツが蝦夷の持つ蕨手刀→毛抜型太刀→日本刀と変化していくという説も説得的である。

 本シリーズは一人の研究者が一時期の時代を総合的に執筆するという珍しいスタイル。一つのテーマに限らず政治、経済等あらゆる面から時代をみる。便利ではあるが、雑多な感は否めない。ただ、本書はこのシリーズの中でも武士の誕生から時代を動かすまでになる様を中心にしており良くまとまっている。

 

藤木久志『新版 雑兵たちの戦場』

 

 あまり注目されることのない戦国時代の「雑兵」をテーマにした本。農民が強制的に戦場に徴発されるのではなく、農業だけでは生活できない農民が戦場に出稼ぎに行くという。戦場では人や物の略奪は凄まじく、敵国の人は商品として売買された。

 対する村は領主の城に逃げ込むか、村の城に逃げ込んだ。村自体も武装し落ち武者狩りも行う。面白いのが、上杉謙信がしばしば関東に侵入したのは、一毛作しかできない越後の「口減らし」のためだという。1月、2月の農閑期に関東に侵入して略奪を行うという。

 その後、豊臣秀吉は朝鮮に戦場を求めることで国内に平和をもたらす。雑兵たちは朝鮮の戦場で荒稼ぎをし、江戸時代には傭兵として東南アジアで活躍することになる。戦国時代は大名の「国取り」は有名であるが、その下で生きた雑兵や村人たちに焦点を当てたことにより時代をより深く理解することができる。こういう「亜流」の本が多くでることによりより多面的に歴史を観ることが出来る。

 

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E・H・カー 著
岩波書店 (1962/3/20)

 

 私が学生時代にとある先生と話をしていた際に歴史哲学の話になり、その先生が引用したのが本書だ。意外と有名な人だったようで、もっとも有名な言葉に、

 

歴史とは過去と現在との間の対話である

 

 というものすごく有名な言葉を残している。まあ、前述「有名な人だったようで」というので分かるように私はこの歴史学者を知らなかった。因みに著者はE・H・カーというイギリスの歴史学者。専門はソビエト史だ。私は最初、ソビエトの歴史学者と勘違いしていたが、イギリスのロシア・ソビエト史専門の歴史学者だそうだ。第二次世界大戦中はイギリスの情報機関に所属していた。対ソ情報戦に従事していたのだろう。

 このカーの有名な言葉はどういうことかというと、歴史家が過去を見るときは現在の問題の解決手段として過去の類例を探すというのと、あくまでも歴史家の視点というのは現在の人の視点からしかものを観られないということだ。要するにあくまでも現在を抜きにして歴史は語れない。現在と過去とのキャッチボールをしているのだ。そしてカーは歴史の客観性についても言及している。

 歴史はどういう視点でみるかによって変わってくる。あくまでも歴史家の思想や視点によって過去の重要な事件というのは変わってくるのだ。例えば、大化の改新とは日本人なら誰でも知っている大事件であるが、実は江戸時代には歴史家ですら注目されていなかったという。注目されるようになったのは明治維新で王政復古という事件で過去の類例を探した結果、大化の改新が注目されることになったという。これは聞いた話なので裏はとっていない。

 それはともかく、歴史とは歴史家の視点によって全然違くなる。あまり好きなたとえではないが、右翼か左翼かによって歴史認識が全然違うというのが分かり易い。現代側の問題としては歴史家が生まれた時代や歴史家の思想によって歴史の見方は変わってくる、さらに過去の問題としてはそもそも過去の人が重要だと認識したことしか史料にはならない。さらにその史料を残せたのは歴史の「勝ち組」である場合がほとんどだ。

 要するに歴史とは絶対的な客観は存在しない。歴史を研究する場合、まずは歴史家の生きた時代、その歴史家の思想を見なければならない。さらに過去の史料もどうして現代まで残ったのかを知らなければならない。

 いろいろと考えさせられる本ではあった。ただ、内容は現在の歴史研究者からみるとかなり「普通」の考えであるだろう。歴史研究者が本書をみたら100人が100人ともに納得するものだと思う。良書中の良書なので歴史を研究したいと思う人は必読だ。

 

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 本書は相当前に読んだことがある。実は読むのは今回が二度目だ。『葉隠』といえば「武士道とは死ぬこととみつけたり」とかなり威勢がいい。しかし山本氏はこの『葉隠』を痛烈に批判する。『葉隠』を語ったのは山本常朝。「語った」と変な書き方をしたのは常朝自身が記したのではなく言葉を別の人間が筆記したからだ。常朝の生きた時代というのは江戸時代の初期から中期にかけての時代だった。

 

葉隠 『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
(wikipediaより一部転載)

 

 当時は戦国の空気を残してはいたが、元禄の太平の世であった。常朝は平和な時代に生まれた武士なのである。ただ、平和でも武士には厳しい掟がある。例えば無礼に対して何もしなければ斬刑、やり返せば切腹という具合に結構厳しかった。何故なら武士が権力を持っている根本は武士が武力を持って恐れられていることである。しかし太平の時代、武士は官僚として生きねばならなかった。「馬鹿にされてはダメ、しかし武力を行使してもダメ」そういう時代だったのである。

 その矛盾の中での『葉隠』である。「死ぬこととみつけたり」とは事が起こった時は死ぬ気で戦え、そうすれば生きることができるという考えだ。何故なら当時の武士は事が起こった時に何もしなければ斬刑という世界である。「死ぬ気でかかっていけば武士としての名誉が守られもしかしたら生きられるかもよ?」という結構情けない逆説が常朝の本心だという。著者は研究者らしく史料を元にして理論を構築していく、史料の引用が多すぎてちょっと面倒だが内容はかなり面白い。

 常朝が実は武芸にかなり自信のない武士だったことや実は言っていることとやっていることが全然違ったり、先代の主君には「あいつは信用できない」ということを言われたりと常朝の意外な顔が明らかにされる。『葉隠』は「武士道とは死ぬこととみつけたり」というフレーズがあまりにも有名で、額面通りに受け取る人も多い。こういう反対意見は貴重だ。

 

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佐々木俊尚 著
佐々木俊尚 (2013/6/26)

 

 正直、ぞっとするほどの良書だ。私が最近読んだ本の中で5本の指に入るほどの良書だと思う。IT革命の結果の未来を過去の歴史からみていくという、まさにE・H・カーの主張を地で行くような本だ。視点は非常に面白い。

 

佐々木 俊尚  佐々木 俊尚(ささき としなお、1961年12月5日 - )は、日本のジャーナリスト・評論家。兵庫県西脇市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部政治学科中退後、1988年毎日新聞社入社。警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。1999年10月、アスキーに移籍。『月刊アスキー』編集部などを経て2003年2月退社。現在フリー。
(wikipediaより一部転載)

 

 歴史を通してみていくと常にシステムは興亡を繰り返すということだ。かつては帝国が栄え、そして現在の国民国家・民主主義に変わって行った。しかし国民国家・民主主義というシステムも衰退が始まっているという。大企業は本社こそ先進国においているものの、工場は後進国に置かれる場合が多く、先進国の雇用とはならない。そして税金も大して落とさない。これは池上彰・佐藤優『新・戦争論』中でイスラエル高官が同様のことを語っていた。

 全ては国家を迂回して動いていく。そして結果どうなるか。世界は「フラット」になっていくという。今迄先進国に集中していた富は大企業が後進国に工場を建設し、そこで人を雇うことによって後進国に流れることにより世界中の給与水準は平均化していく。さらに「場」が世界を変えていくという。「場」とはインターネットによって作られたただ一つの空間・世界といえばいいだろうか。そこは世界に解放されており、その「場」を利用して人々は活動していく。そして私たちはレイアー化され、私たちと「場」との共犯関係が始まる。

 本書は読んでいて本当に楽しかったし良い本だった。だいぶ売れた本なのでブックオフに行けば108円で買えるかも。定価でも安いと思えるほど濃厚な内容だった。

 

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池上彰・佐藤優 著
文藝春秋 (2014/11/20)

 

 情報分析力には定評のある池上氏、佐藤氏の共著。内容は世界の紛争地帯や世界の問題地域、例えば中東、ウクライナ、北朝鮮、尖閣諸島の詳しい分析がある。ここらへんは両氏の専門中の専門なのでさすがにすごい。私もここら辺のことを勉強したくなったら本書を再読しようと思う。以下私が気になった部分。

 

イラクの日本大使館の警護はグルカ兵が担ってますよ。
(『新・戦争論』より引用)

 

 意外なところでグルカ兵と日本の接点があった。グルカ兵とはネパールの山岳民族グルカ族出身の兵士のこと。まあ、グルカ族というのは実際にはいないそうだけど、まあいいだろう。戦闘力が非常に高い人達だ。

 

世界の富は、国家を迂回して動いているんだ。〜中略〜(管理人注 教育によって)軍人が政治に関与できないような忌避反応が後天的につくられている。それは金持ちたちが自分の資産を保全するために絶対に必要なメカニズムだ
(イスラエル高官の話『新・戦争論』より引用)

 

 

 これは面白い発想、結構ホリエモン的な考え方だと思った。というよりもホリエモンの考え方というのは世界的にみればスタンダードなのか、それとも金持ちの発想なのかは不明。

 

最低三隻ないと空母は安定的に運用できません。〜中略〜中国が保有している空母「遼寧(旧ワリヤーグ)」は、〜中略〜甲板を反らせて発進させる「スキージャンプ台式なのですが、戦闘機が頻繁に墜落してパイロットが何人も死んでいます。
(『新・戦争論』より引用)

 

 これも知らなかったこと。カタパルトが開発出来ないという話は訊いたことがあるが、犠牲者まで出ているとは。。。因みに着艦ワイヤーも一部の国しか技術を持っていない。さらに因みに初代ワリヤーグは日露戦争で日本海軍の攻撃により自沈している。

 

「耐エントロピー」〜中略〜エントロピーは、もともと熱力学で拡散していく物質の属性を指す用語です。私たちが「ひとつの個体」として成り立っているのは、耐エントロピーがあるからで、これがないと自然と一体になって腐敗してしまいます。
(『新・戦争論』より引用)

 

 『魔法少女まどか☆マギカ』でこんな話があった気がする。エントロピーが拡散なら耐エントロピーは拡散を止める力のこと。ある程度のところでバラバラになるのを防ぐ。人類社会での耐エントロピーというのが、民族やら国民やらということになる。

 

池上 〜中略〜どの国でも、スパイ情報の九八パーセントか九九パーセントは、実は公開情報なのですね。それなら私にだってできる、というのが私(管理人注 池上)の基本姿勢です。残りの一パーセントか二パーセントの部分ではプロに敵わないのですが。

佐藤 その一、二パーセントというのはだいたい要らない情報です。

(『新・戦争論』より引用)

 

インターネットでとくに重要なのは、マニアックなものよりも、むしろ公式ウェブサイト、ホームページです。ここにある基礎データが重要なのです。
(『新・戦争論』より引用)

 

 情報分析というと誰も知らない情報を持っている人や組織が行うと考えがちであるが、実際は個人の職人技という部分が大きいようだ。大本営参謀だった堀栄三氏も独学だったし、連合艦隊情報参謀だった中島孝親氏も独学だったはずである。戦争中、どちらも相手の動きを先読みする凄腕参謀だった。

 

何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。その上で、「これは違う」と思ったら乗っかる先を変える。
(『新・戦争論』より引用)

 

 これは大事だと思う。全てに専門的になるよりも専門家を観る目を養った方がいいとヒルダも言っていた。彼女はそれでナンバー2にまで上り詰めたのだから参考にすべきかも。まあ、未来の話だけどね。それはともかく、これはそれぞれの分野の「参謀」を雇うのと同じだと私は考えている。参謀の助言があった方が作戦は成功する確率が高い。

 

池上 〜中略〜NHKのホームページをみると、最新のNHKのニュースが六項目か七項目に整理されていますから、それで十分です。

佐藤 CNNの日本語版のウェブサイトは、非常にいいですね。〜後略〜

池上 あとは、『ウォール・ストリート・ジャーナル』の日本語版

佐藤 有料版がすごくいいですよね。

(『新・戦争論』より引用)

 

 これは要チェック。この二人は専門性が高い。私がネットやテレビで観て、「なんだこいつ!!」と思ったのはほんの数人、その中の二人が両氏。私は結構、ケチをつける性格なのでこの私が評価する人というのは相当レベルの高い人だ。

 

 因みに両氏が紹介しているサイトは以下の通り。

 

NHKオンライン

CNN.co.jp

ウォール・ストリート・ジャーナル

 

 今回は引用を多用したので、ちょっと記事が長くなってしまったが、備忘録としてはかなり完成度が高いものとなったと自負している。まあ、自負するのは私の勝手だからねwww。

 

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堀江貴文 著
SBクリエイティブ (2015/12/5)

 

 何も必要ない。必要なのはトライ&エラーを繰り返すことだけ。というのが本書で「ホリエモン」が伝えたいことだ。情報好きの私が一番興味を持ったのは、情報の保存の仕方である。これは簡単、「情報は覚えなくていい」という。必要な情報は頭に残っている。不要な情報は消えてしまう。単純にそれだけのことだ。

 そういえば佐藤優『情報力―情報戦を勝ち抜く“知の技法”』にも同じことが書いてあったな。情報というのは過多になると脳内で情報ネットワークが生まれるのではないかというのが堀江氏の考え。確かにそんな気はする。これはやってみたい。本書に書いてある最も重要な一文がある。私は冒頭のこの一文を読んで愕然として結構、むなしい気持ちになってしまった。何故ならその通りだったからだ。その一文とは。。。

 

本当にやりたかったり切羽詰まっていたりしたら、もう動いているはずなので、こんな本を読んでいる場合ではないだろう。〜中略〜まあ、ぱっと読んで、気づいて、この本は捨ててしまう、くらいがやっぱり一番いいと思う。
(『本音で生きる』より引用)

 

 その通り。冒頭に書くというのも辛辣な。。。その通りなので何も言えない。私も今は決断が出来なくて身動きがとれない状態なので本書を買ってしまっているのだ。内容は実はこのブログに書いてあることに尽きると思う。少なくとも私の中ではそうだった。簡単に読めるし、ストレートな言葉で書いてあるので興味のある人は読んでみるといい。

 それぞれ気付かされるものはあると思う。私は情報についての努力が全然足りないことに気づかされた。

 

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 本書は速読法に関する本。速読というとみんなフォトリーディングのようなものを想像しがちだが、本書は要するに「不要な部分は読み飛ばせ」、自分自身の知識や興味をたくさん持てば字が自然と頭に入ってくるというようなことだ。面白かったのは、本には内容に濃淡があり、本の中にも重要な部分とそうでない部分があるというところだろうか。

 速読をしたことのない人は速読をしてみた方がいい。私も意外と速読はできるのだ。といっても私の速読はこの著者とほとんど同じ方法だ。まず、難解な本の速読は無理。これは中島氏もどうようのことを書いている。中島氏は難解な本を漫画化したものや解説本を読めと書いているが、私はこれには反対。

 漫画化は漫画作者が内容を正確に理解していない可能性がある。難解な本の解説本はこれまた難解である場合が多いので元の本を読んだ方がいい。これは熟読しよう。これは私の考えだが、本には理論や仕組み等を得るための理論書というようなもの。例えばマルクスやマックスウェーバーや哲学書等があるが、それらは熟読しなければならない。

 しかし情報を得るための本、経験、エピソード等、データとして活用したいものは速読が可能だと思う。理論書が幹ならこれらの本は枝葉だ。合わせて初めて木になる。私の読書論になってしまったが、本書は、目次だけ見ればあとはあなたが思っている通りのことが書いてある。

 

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鈴木拓也 著
吉川弘文館 (2016/6/3)

 

 三十八年戦争って知ってますか?そうそう関東軍が柳条湖で満鉄を爆破して始まった戦争。。。と思いたくなる名前ではあるが、この三十八年戦争というのは超大昔、東北での律令国家と蝦夷との戦いのことなのだ。774年に桃生城への攻撃から812年まで続いた戦闘だった。この三十八年戦争についての最新の書籍が本書だ。本書は鈴木氏の単著ではなく、数人の執筆者が執筆している。

 本書は、三十八年戦争全般についてある程度詳細に記述されており、概論書としてはかなりレベルの高いものだ。ただ私は概論ってあまり面白いと思わないんだよね〜。いやぁ、なんか教科書読んでるみたいじゃん。ということなんだけど、私も昔古代史を専攻していた関係上、気になるので読んでみた。

 結論はまったく個人的なものだけど、「もう古代史に興味はないなぁ。。。」と思った。当ブログではよく太平洋戦争の書籍を紹介したりしているけど、私のルーツは歴史学で古代史が専門だった。だったというのは大学院まで行ったがあまりにも面白くないので修士で辞めてしまったのだ。今、読んでみれば面白いのかと思ったがやはりもう興味はない。私の中では完全に過去のものだった。

 話が完全に脱線してしまったが、東北政策を立体的に知りたければ本書はおススメだ。概論とは書いたがかなり詳細に記述されているし最新の研究成果で書かれている。私が面白いと思ったのは、柳澤和明氏の「九世紀の地震・津波・火山災害」だ。最新の地震データを元にして史料上からその当時の状況を詳しく書いたもの。

 当時の政権の対応が克明に記されていて面白い。被災地域への税の免除等の現実的な政策はするんだけどそれ以上にさかんに僧侶に転読をさせたりしている。神の怒りを鎮めようとしているのだろう。まあ、転読自体ただの儀式であまり意味のあるものではないのだが、意味があると思う人には意味があるのだろう。そもそも経典は読んで内容を理解しないと意味がない。

 経典を空中に放り投げて目を通すだけでは内容は分からないしフォトリーディングで分かったとしても僧侶の頭が良くなるだけで転読を行わせた人には一切利益はない。まあ、それはそうと本書は現在の東北研究の最先端を知るには格好の書だと思う。興味のある人は読んでみるといいだろう。

 

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斎藤貴男 著
岩波書店 (2004/7/21)

 

 アマゾンのレビューで賛否両論の本だ。最近、プロパガンダ系の本をよく読んでいる。アマゾンでおススメされたので購入してしまった次第だ。正直、あまり面白くない。私としては賛否両論の完全に「否」の方だ。極端に書けば内容はほとんど「引用」だ。論文、本の一部を抜粋し、それに対して著者が感想を書くというスタイルになっている。

 引用はもちろん著者の主張を代弁したものであるが、できれば自身の言葉で書いてほしかった。結局主張したいことは伝わるが、著者の言葉でなければ心に響かない。非常に残念。斎藤氏の著書はこの一冊しか読んだことがないので他の著書がどうなのかは知らない。主張していることは納得できるが、斎藤氏自身の言葉で書かれた本を読みたいものだ。

 

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清水多吉 著
日本経済新聞出版 (2016/7/9)

 

 タイトルは武士道としているが、基本的に「日本思想史特に近代」という感じだ。武士道に関しては『葉隠』と新渡戸稲造『武士道』(特に『武士道』)の二冊の書物が中心になっている。それ以外の戦国時代の武士道等の部分は結構おざなりと感じてしまう。『葉隠』と『武士道』もその時代に社会がそれらの書物をどう扱ったかというような歴史的な観点よりも哲学的な観点と他の思想家がこの二冊をどう評価したかというのが中心である。そういう方面に興味がある方には良い入門書となるかもしれないが、私にとってはちょっと期待外れであった。ただ、これは内容の善し悪しというよりも私個人の好みである。

 

武士道  武士道(ぶしどう)は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。
(wikipediaより一部転載)

 

 その昔、子供の頃、私は侍に憧れていたちょっと変わった少年だった。もちろん武士道なんて全く知らない。単純に子供の頃、よく観ていたドラマが『暴れん坊将軍』や『大江戸捜査網』『遠山の金さん』等の時代劇の主人公が侍だったから。

 武士はもちろん武士道で生きている(と思っていた)。大人になるに従って、幕府が崩壊した現在、侍になるというのは不可能であることを知り、さらには武士道という規範を知った。当時の私は武士道とはストイックで己に強く忠義を尽くすという世間一般が考える武士道をそのまま信じていた。

 しかし大学生も最後の方になるとちょっとした疑問が湧いてきた。というのは、主君に絶対の忠誠を捧げ、時には命すらも捨てる誇り高い侍。そう滅私奉公。しかしちょっと待てよ。

 

戦国時代って下剋上の時代じゃなかったっけ?

 

 いやいや、武士道的には下剋上とかありえないでしょー。裏切りとかだまし討ちとか、「飛び道具は卑怯ナリー」とか誰も言ってねーじゃん。裏切り、だまし討ちなんて頻発しているし。でも江戸時代は武士道の時代な訳じゃん。これってどういうこと?ということで私は疑問を持ち始めた。

 その後、自分なりに調べたんだけど、それはまあいい。今日紹介する本はその武士道に関して書かれた本だ。ちょっと気になったので買ってしまった。内容は武士道についてその発生から近代にいたるまでを書いているが、著者は哲学者で基本的に近代ドイツ思想が中心のようだ。著書に近代日本の思想家もいるのでドイツ思想専門という訳ではないが近代思想史が専門なのだろう。

 なぜ、このようなことを書いたのかというと、内容が思想史なのだ。私は史学を専門的にやってきたこともあり、史学的に史料を元に時代や社会階層、例えば庶民からみた武士道、貴族から見た武士道、外国から見た武士道等、多角的に実証してくれることを期待していた。

 しかし読んでいくと思想の話が多く、特に近代になると武士道の元になった思想の流れというような感じで武士道からは離れてしまっている。有名な新渡戸の武士道も思想的な視点からの考察が多く、私が期待したような史料を駆使したものではなかった。

 

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山田雄司 著
角川学芸出版 (2016/4/26)

 

 本書は、タイトルの通り、忍者の歴史について書いたものである。私がこの本を購入したのは、本書の著者が学者だったからだ。忍者やそれに類するものについて書かれているものは多いが、ほとんどが一般人のものだ。私も一応大学院で歴史学を学んだものとしてアマチュアとプロの違いというのは痛い程分かる。

 その専門家が忍者の歴史を執筆したというのが面白い。私は以前から忍者について多少の興味はあった。ということで今回、立ち読みもせずにアマゾンで購入してしまった。内容は忍者の辞書というようなものだろうか。忍者の歴史から世間の忍者イメージの変化等興味深く読んだ。

 忍者の小道具や心得等も詳しく解説されている。忍者というと敵の城に忍び込んで暗殺をしたり、夜中に短刀を逆手に持って切り合いをしたりするイメージがあるが、実際は戦いというのは敬遠されていたそうだ。というのは、忍者の主任務は情報収集である場合が多く、戦ってしまうと情報を味方に届けることが出来ないためだ。

 南北朝時代に忍者の活躍が始まり、戦国時代には大名の多くは忍者を雇っていたという。忍者の任務は情報収集から放火等におよび、見えないところで活躍した。江戸時代になると幕府の警備兵や御庭番という任務が与えられたようだ。御庭番とは他国に侵入して情報を収集してくる人、要するに忍びだ。

 そして私が一番印象に残ったのが、江戸時代初期の1637年、島原の乱が起こったがここでも忍者が原城(?)に侵入して情報収集や食料を盗み出したりしている。面白いのが侵入した忍者が穴に落ち、仲間に助けられて辛うじて逃げ帰ったことだ。

 戦国時代が終わってすでに30年位経った時代であった。もう戦国時代を経験した忍者は老齢で現役ではないだろう。忍者の技術は伝承されており、若い忍者が初の実戦ということでこういう失態があったのではないかと私は考えてしまった。戦争を知らない世代の忍者ということだろうか。

 本書は忍者が好きな人にはもちろん面白いと思う。この手の本は基本的に素人が書く場合が多いが本書は専門家によって書かれているので内容にも信ぴょう性がある。内容は古代史料にみえる忍者から江戸時代さらには近代の中野学校で教えた最後の忍者にまで及び面白いと思う。歴史が専門の人もこういう視点で歴史をみるというのもいいと思う。

 

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 磯山友幸『「理」と「情」の狭間』について書いてみたい。本書は、ワイドショーを騒がした大塚家具の分裂劇の内側を元記者の著者が比較的客観的に書いたものだ。

 単なるルポルタージュではなく、今の社会情勢から同族企業の継承という問題を描いたものだ。本書のタイトルは情で訴える父勝久と理で訴える娘久美子の特長を現したものだ。大塚家具の分裂の内情の大きな原因というのは父勝久が築いた今までの大塚家具のビジネスモデルが崩壊し始めているということだった。

 大塚家具のビジネスモデルというのは、会員制である程度の高級家具をまとめ買いする住宅を新築した人や新婚者を相手にしたものだった。しかし少子化や住宅の新築数が減少している中、大塚家具の売り上げも徐々に減少してきた。これに対して既存のビジネスモデルを継続しようとする父と新しいビジネスモデルに切り替えようとする娘の戦いであったようだ。結局は、娘久美子が父勝久を会社から追い出し騒動は終わる。

 内容は上記のようなことを事実に基づいて書いている。本書を読んでの私の感想だが、著者は客観性を保っていながらもやはり娘久美子側の意見に傾いているような気がする。「やはり」というのは世間全般が娘の意見を支持しているように思えるからだ。古い体制と戦う美人社長と古い体制を象徴する父勝久という結構分かり易い構図になっている。

 これはそれぞれのPR会社の技量だろう。特に娘久美子の会見は上手かった。父は「娘」に対して家族問題として会見を開いたが、娘は会社のビジネスモデルの違いとして会見を「冷静に」行った。基本的に記者会見は冷静な方が勝つ。youtubeで検索をかけてもらえば分かるが、娘の記者会見の動画は多く上がっているが、父勝久の会見はほとんどない(私が検索した結果は全くなかった)。

 因みにPR会社の暗躍を知りたければ『戦争広告代理店』を読むと良い。ボスニア紛争の裏で情報操作がどのように行われていたかが分かる。それはそうと記者会見という情報戦では娘が勝利した。では実際、父のビジネスモデルというのはそれほどダメだったのだろうか。私はそうは思わない。父は高級志向の富裕層をターゲットにしているが、娘は中流層をターゲットとしている。しかし娘の層にはイケアやニトリという大企業が控えているのだ。

 大企業と戦うには知恵が必要だ。娘も優秀な経営者なのでいろいろな戦略を練るだろうが、父の富裕層向けビジネスの方が競合が少なく勝ち目が多くなると思う。結果的に父は「匠大塚」という新会社を起こしたが、大塚家具とは競合しない。勝久に言わせると業者も新たに開拓したそうだ。その点でも全く大塚家具とは競合しない。父娘の仲直りが出来れば経営統合してもおかしくはない。

 ただ、これは一部に言われているような出来レースではないと思う。結果的にはそうなったというだけだ。ここまで複雑な経緯を経た結果を事前に予測できるほど人間は頭が良くない。内幕は当事者が主張している通りなのだろう。結果、娘はフレイザーの言う、「王殺し」を行うこととなった。これに対して「王」はまだ「王」であることを示した。というのが私の感想だ。

 それはそうと著者が結局主張したかったことは創業者から二代目に引き継ぐことの難しさだ。初代はカリスマ性がある。しかし二代目にはそれがない。全く同じことをしても「真似」となってしまう。結果、二代目は伝統的統治か合法的統治かを選ぶしかない。洋の東西を問わず古来から続く問題だ。しかし企業経営となれば「伝統的統治」という訳にはいかないだろう。久美子氏の主張するように合法的統治しか方法はない。

 一つの組織が勃興し継続していくためには基本的に「道を切り開く人」「道を均す人」「道を広げる人」の三タイプの人が必要だ。これは企業に限った問題ではない。徳川家康が道を開き、秀忠が道を均し、家光が広げる。その結果、250年の支配体制が完成した。大塚家具は二代目の道を均すフェーズに突入したのは間違いない。これからその道をどう均して広げていくのか経営者の器量が問われる。久美子氏にとっては茨の道だ。

 

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藤木久志 著
岩波書店 (2005/8/19)

 

 刀狩り??いつの時代の話だ。と思うかもしれない。いつの時代、そう、刀狩りとはあの有名な秀吉の刀狩りのことである。しかし本書の面白いところは刀狩りを秀吉の刀狩り、廃刀令、戦後の銃刀法規制を含めて論じているところだ。学術書としては若干古い部類に属するが内容はミリタリーファンにとっては非常に興味深いと思う。

 本書のテーマは民衆と武器という一点であるといってよい。世間一般の考えでは秀吉の刀狩りで民衆は武器を奪われ、さらに明治の廃刀令によって侍も武器を奪われ丸腰の民衆となっていたというものだろう。しかし著者の藤木氏はこれは誤りであるとする。なぜそういえるのだろうか。

 藤木氏は中世史の専門家である。故に秀吉の刀狩り、江戸時代についての記載が全体の7割ほどを占める。史料を詳細に研究した結果、秀吉の刀狩りとは民衆から武器を取り上げることが一番の目的ではなく、侍とそれ以外の身分を固定するために身分の象徴である「刀」を「帯刀」することを規制することにあったようだ。

 身分の可視化である以上、服装も同時に規制されている。しかし鉄砲はどうでもよかったようだ。現代人の感覚だと法が定められれば貫徹させると思いがちだ。しかし実際は法があっても守られるとは限らない。これが近世の現実であったようだ。民衆は刀を所持することも禁止されてはおらず江戸時代においても帯刀している農民もいたという。

 同時に鉄砲も所持され続けた。実は武士が持っている以上の銃が民間で所持されていたようだ。江戸時代でも綱吉の時代になると鉄砲は厳しく所持が制限される。しかし綱吉が死ぬとその法も撤回された。なぜなら農民は鳥獣害から畑を守るために生活の道具として銃が必要だったからだ。

 明治の廃刀令も同様だったようだ。刀を帯刀することは禁止されたが所持することに関しては禁止されていない。銃も免許制、登録制にはなったが所持を禁止されることはなかった。では、日本で銃の所持が原則禁止されたのはいつかというと何と、太平洋戦争が日本の敗戦により終わり連合軍が進駐してきた時、「軍国主義の表象」として徹底的に回収したのが原因だったようだ。

 武装し続けた民衆と徳川の平和、明治、大正、昭和の時代。民衆と権力者との武力闘争が行らなかったのは何故か。それは民衆が自主的に戦いを放棄したからだという。それには徳川の平和に至るまでの戦国の殺伐とした世の中に原因がある。民衆が武器を使用して戦うということは戦国の世の再来を意味する。故に民衆は自主的に武力闘争を放棄したのだ。

 これに対して為政者も民衆に武器を使用することをためらった。江戸時代は儒教的な道徳を根本に置き、民衆の自制の上に成立した平和だったという。江戸時代とは面白い時代だ。時代劇等で良く知られている分、実際とはかけ離れた偏見も世間には多い。一概には言えないが基本的に年貢は現在の感覚からすれば異常に安いし、支配者の武士の多くは農民、町人よりも貧しかった。

 こういう事実があまり知られていないのは、「支配者に搾取される人民」という価値観、「支配者と人民」という単純な二項対立の視点が影響していたと私は考えている。「そういう視点で見ればそう見える」とは私が学生だった頃、他大学の研究者が言っていたことだが、鋭い指摘だったと思う。そしてこの私の私見、藤木氏の説もまた「そういう視点で見ればそう見える」内の一つであることも付け加えておこう。

 

 

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倉前 盛通 著
太陽企画出版 (1984/10/1)

 

 この人の本はもう3冊目なんだよね。とある本で存在を知り、現場のインテリジェンスオフィサーが参考になったということで購入。最初の『悪の論理』は地政学の本で太平洋戦争から現在(1980年)までを地政学的に見たもの。まあまあ面白かった。ただ過去を振り返って「これは計算されていた」的な内容が多かった。

 多少陰謀論的な内容に若干の戸惑いを覚え、まあ、あとになれば何とでも言えるよねーって感じでさらりと読んだ。続いて『新・悪の論理』。これは現在(1980年くらい)の世界情勢を地政学で読んだもの。内容は『悪の論理』と同じで結果をつなぎ合わせて大きな力が働いていたというような感じで相変わらず陰謀論的な内容だった。すでにここまでくると地政学ですら無くなってしまっている。

 そして最後に『悪の戦争学』を読んだ。ここまでくるとただのおじさんの時事放談的な内容になってしまった。んで、まあ、こんなもんかなぁと思っていたらビックリすることが・・・。

 この人、1984年段階でソビエトの崩壊をほぼ正確に予想しているんだねー。バルト三国が独立、ウクライナが独立、ドイツは統一等々。外れていることも多いがこの時代にソビエトの崩壊を予想しているのはすごい。1980年代に生きていた人だったらわかるけど、あの当時、ソ連が崩壊するなんて夢にも思っていなかった。

 それは例えば今、「日本が分裂してそれぞれ独立国家になってしまう」といったくらい荒唐無稽なことだった。それを割と正確に予想していたのはすごかった。ただアメリカ分裂というのは当たっていなかったし中国分裂というのも今のところ間違いだ。

 要するにこの人、広大な土地を持っている国家は必ず分裂するということだったようだ。ただアメリカは自由と民主主義を持ち先進国であるから分裂する可能性はかなりすくないが、中国は分裂する可能性はあると思う。いろいろ考えさせられて面白かった。

 

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佐藤優 著
青春出版社 (2013/10/2)

 

 知の巨人と言われている佐藤優氏の経験から導き出された人間関係論とでもいうような本である。佐藤氏は元来キリスト教神学の専門家であり、哲学にも造詣が深い。その知識の蓄積から生まれる佐藤氏の著作は非常に読み応えのあるものが多い。

 佐藤氏の本の多くは、情報分析という生ものをメインで取り扱っていることから鮮度が落ちれば叩き売りされそうなものだが、佐藤氏の本は時間が経っても中古で値段があまり下がらない。理由は佐藤氏の知識の深さが本の内容に反映しているからだと私は考えている。

 それはそうと、この『人に強くなる極意』、この本は他の佐藤氏の著作とはちょっと毛色の違うものという感じを受けた。内容は平易で読みやすいものであった。基本的には佐藤氏の対人関係のノウハウ集といってもいいかもしれない。人は見えないものに対して恐怖を感じる等は非常に説得力がある。

 ただ、平易で読みやすいというのは裏を返せば内容が薄いということでもあり、今までの佐藤氏の著作と比べるといささか内容が薄い。書いてあることは佐藤氏の知識、経験から出たものではあるが、いかにも自己啓発本的な内容でちょっと物足りない。

 

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苫米地英人 著
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2015/3/15)

 

 脳科学者として有名な著者の日本論である。

 日本人は何故こうも従順なのか。著者は東日本大震災で被災者が略奪をせずに並んで救援物資を受け取る姿の中に一般に言われるような日本人のマナーの良さとは取らず、日本人の従順さ、奴隷的な従属体質を見る。スーパー等に食料品があるにも関わらず、それを盗らず救援物資を空腹で待つという姿は、生存権よりも財産権が優先されている状態を表している。

 このような状態はどうして生まれたのであろうか。これは日本に儒教思想が根付いている結果だという。儒教思想は家族の上下関係を基本にそれを社会全体に拡大していく考え方であるが、基本的に秩序を守り上下の分別をはっきりさせるという側面も持つ。これが日本人の従順さの理由であると考える。しかし儒教は中国、朝鮮半島、東アジア全域に広く受け入れられている考え方であるにも関わらず、中国、朝鮮半島の人はここまで従順ではないという。そこに第二の理由が存在する。それが日本人の他人の目を気にするという価値観である。

 要するにスーパーの食料品を奪わなかったのは、善意からではなく、他人の目を気にしてできなかったと考える。これはフーコーの指摘する相互監視社会そのものであるという。相互監視社会とは権力者が社会の構成員を監視するのではなく、構成員が相互に監視し合うというメカニズムのことだ。この相互監視社会が日本では発達しているという。

 さらに著者は日本の裁判制度の情状酌量についても手厳しく批判する。情状酌量とはその人の人となりによって判決の結果が変わってしまう。例えば、裁判所にスーツを着てくるかボロボロの私服を着てくるのかで刑の軽重が変わってしまうということが起こる。例えばライブドア事件で堀江氏は50億円超の粉飾をした。これに対し、山一證券は1000億円の粉飾を出した。判決は堀江氏のみ実刑判決である。これは堀江氏が態度が良くなかったからだと指摘する。このように判決の内容が裁判官の心証によって決まってしまうことを批判する。

 さらに小売店と客との関係にも言及する。小売店の販売員と客との関係は基本的に客の方が偉いということになっている。普通会社内で吐いたパワハラになるような暴言も客が従業員に言う場合にはなんの咎めもない。このような状態が恒常化しているため、商人になるんだったら役人にという風になってしまう。

 これらのことが積み重なることによって日本に閉塞感が漂っているのだという。そしてこれに対する解決法は、日本から出ることであるという。携帯のキャリアを選ぶように国家を選ぶことを著者は提言する。そこまでいかなくても道州制を施行して、各道に独特の政治体制を敷くことで日本国内でも政治体制を選べるようにすればいいという。

 以上が本書の内容の大まかな部分である。基本的には私と全く同意見である。正直、ここまで同意見の人がいることに驚いたくらいだ。苫米地氏はとかく胡散臭いイメージが付きまとうが本書の内容はまさに正論であると思う。少なくともこれくらい市民が強気に出なければ日本は変わらない。社会保障を充実させるという名目で消費税を増税し(消費税増税の理由を知らない人も大勢いる)、同時に年金支給額を切り下げられても、じっと耐える日本人、これでいいのだろうか。本書を読むことをお勧めする。

 

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東 茂由 著
経済界 (2011/3/1)

 

 私は自己啓発本はあまり好きではないのだ。どうしてかというと結局、「ポジティブに頑張って生きましょう」ということを色々な経験をした人が色々な書き方で書いているだけなので一冊読めばもういいという感じになってしまう。それなのになぜ今日はこの自己啓発本を紹介するかというと、この著者、経歴がめちゃくちゃなのだ。

 元々組織の中でやっていけない性格であった著者は、大学卒業後、就職するも転職を繰り返しとうとう会社の人事部長に、

 

「東くんはどこの会社に行っても勤まらない。そのことは保証する」

 

 とまで言われてしまったのだ。このエピソードを立ち読みで読んだ直後、私はこの本を持ち、そのままレジへと向かったのだった。私もサラリーマンを少しだけやったが、サラリーマンには向かない性格だったようで苦痛で仕方無かった。結局、会社は辞めたのだが、こういう私にとっては著者はものすごくシンパシーを感じるのだ。

 本書の内容はというと、要するに「捨てる」ということに尽きる。仕事を捨て、人間関係を捨て、自己を捨てる。捨てた結果、より大きなものが手に入るという。この本の中で私がドキッとしたのは米国ビジネス社会の言葉で

 

「コンフォートゾーンを超えよ」

 

 という言葉であった。コンフォートゾーンとは心地いいゆりかごのような場所のことで、居心地のいい職場、人間関係を指している。そこにいるのは心地いいがそこでは成長は得られないという。

 

「周りがバカだらけというのはあなたもバカの一員であり、そこにいる限り成長は望めない」

 

 さらに嫌なことを手放す。無理してやればストレスになる。因みに子供の頃の好き嫌いがあなたの本質なのだそうだ。さらにピカソの話も秀逸である。ピカソは自分の過去の作品のマネはしなかったという。「自分の作品のマネをするくらいなら他人の作品のマネをした方がいい」とまで言い切っている。

 思い込みを捨て、こだわりを捨て成長し続ける。しかしそこには絶えずベースに「悲観主義があることが望ましい」という。これはかなり賛成できる。世間ではポジティブシンキングやらプラス思考やらでやたらと明るく前向きにものを考えるのが流行っているようだ。しかしそう考えなければいけない状態というのがそもそも問題なのである。その問題を解決しないで自分を騙している人がどれだけ多いことか!

 この本はブックオフでもアマゾンでも格安で売っている。ブックオフでは基本的に108円、アマゾンでは1円。ざっと読むだけでも面白いと思う。さいごにこの本の言葉の中で特に私が気に入った言葉で〆ようと思う。

 

40歳過ぎのいい人はどうでもいい人

 

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アルボムッレ・スマナサーラ 著
筑摩書房 (2008/2/5)

 

 著者は仏教思想では全てのものは関係しているという。例えば、豚肉を食べたとしよう。そこで食べた人間と豚の関係がある。さらに豚も食べ物を食べる。養豚場の豚であれば世話をする人がいる。豚肉を食べるという行為自体、様々な関係性の上に成立している。このように人間(自然のもの全て)が関係性の中で生きている。さらに著者は生きる目的を考えてはいけないという。存在していることが一番大切なのである。存在していること自体が誰かに望まれ、誰かを助けいてるということであろう。

 そして人生は楽しむものである。苦しい中では何も得られないという。仕事観についても言及している。仕事は好きなことをやるのではなく出来ることをやるのだ。出来ることをさらに高めるために勉強することが必要だという。これも関係性という概念で考えれば仏教の「他利」の考え方に起因していると言える。そして仏教で守らなければならないことは5つのしてはいけないこと(五戒)、4つのしなければならないこと(四摂事)があるという。

 

 五戒とは

”垰生、生き物を殺してはいけない。
不偸盗、他人のものを盗んではいけない。
I埃抂戒、性欲を満たしてはいけない。
ど毀儻譟嘘をついてはいけない。
ド坩酒、酒を飲んではいけない。

 

 である。イ亮鬚魄んではいけないというのは薬物も含まれる。理由は頭が悪くなるからである。仏教では頭が悪くなることはやってはいけないらしい。対して四摂事とは、

 

”杙棔⊃佑鵬燭してあげる。
愛言、やさしい言葉を話す。
B祥、人を助けてあげる。
な薪、人を差別しない。

 

 である。これを守った上で智慧を使って生きるのが初期仏教の教えであるという。ここで著者のプロフィールをwikipediaから引用してみる。

 

 アルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasara 1945年-)はスリランカ出身の僧侶。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であり、スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老、日本テーラワーダ仏教協会長老、スリランカ・キリタラマヤ精舎住職。日本において仏教伝道、および瞑想指導を行う。『怒らないこと』(サンガ新書)など多数の著書がある。仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると説く。

 

経歴

1945年、スリランカのアルボ村に生まれた。名前のアルボムッレは出身地に由来する。13歳で沙弥出家、1965年に具足戒を受けて比丘となった。

スリランカの国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭を執ったのち、1980年に国費留学生として来日し、大阪外国語大学語学コースを経て駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士後期課程に進学し、駒澤大学教授奈良康明の下、道元の思想を研究した。その後、スリランカと日本両国での活動を経て、1991年に再来日し、上座仏教修道会にて仏教講演や瞑想指導を本格的に開始した。

1994年11月に、初代会長を鈴木一生として、日本テーラワーダ協会(のちの宗教法人日本テーラワーダ仏教協会)を設立し、2001年5月に東京都渋谷区幡ヶ谷にゴータミー精舎幡ヶ谷テーラワーダ仏教センターを開山し、2005年8月にスリランカ上座仏教シャム派総本山アスギリヤ大精舎にて日本大サンガ主任長老(ナーヤカ長老)に任命された。

(wikipediaより転載)

 

 初期仏教というのはあまりよく分らないがものすごく緩やかで日本人には受け入れやすい思想であろう。因みに一応世界的には日本は仏教国ということになっているらしい。この本を読んで改めて思ったのが、仏教というのは宗教ではなく哲学なんだなぁということ。まあ、宗教と哲学を分けることがナンセンスなのかもしれないが、超越的な存在が神であり、それを信じるのが宗教だとすれば、仏教はむしろ哲学に近いと思う。

 スリランカ内戦で命を狙われた若者に相談された著者は、若者に命を狙っていると思われる組織の自分に対する「殺害予告」のポスターを書かせ張り出したところ、その組織が「自分たちが殺したと思われては困る」ということで若者の警護をしたというエピソード等面白い。なんか読み終えたあとやさしい気持ちになれたのだ。

 

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14歳からの靖国問題
小菅信子 著
筑摩書房 (2010/7/7)

 

 子供向け(とは言っても中学生位か)向けに書かれた靖国問題を分りやすく書いたもの。

 まず靖国神社とは、明治初期に東京招魂社という戊辰戦争で死んだ戦死者を祀るために作られた神社が元になっている。しかし戦死者全部を祀っている訳ではなく、あくまでも戊辰戦争で天皇側の戦死者を祀った神社であり、以後の戦争においても「名誉の戦死」を遂げた主に兵士を祀った。民間人も戦争に協力して戦場で戦死した者は祀られるという。つまり戊辰戦争で政府軍と戦った日本人の戦死者は祀られておらず、さらに敵前逃亡等、「不名誉な戦死者」も祀られていないということだ。

 そしてまた仏教徒、キリスト教徒、旧植民地の人々の中で靖国神社に祀られてしまったが祀らないで欲しいといおう人々に対しても一回祀ってしまった霊は分祀出来ないという考えの下、祀られたままになっている。1952年から天皇も参拝していたが1978年にA級戦犯が合祀されてからは行われなくなった。これはA級戦犯の合祀が関係しているということは富田メモによって明らかにされているという。

 そして靖国問題に対して著者は明確な答えを出さない。歴史を学び自ら考えることが大切であるという。そして最後に靖国問題を書くと酷い言葉で誹謗中傷があるという。こういうことが常態化している日本に対して警鐘を鳴らす。

 今回は靖国問題というかなり面倒な問題についての本を読んでしまった。理由は何となく靖国問題を理解しておこうと考えたからだ。本書は子供向けに問題点をかなり分りやすく説明している。大人であれば一時間程度で読了してしまうくらいシンプルだ。

 戦死者すべてが靖国神社に祀られていると誤解している人多いだろうが、戊辰戦争で政府軍と戦った会津藩士や長岡藩士等は祀られていない。太平洋戦争の戦死者でも祀られる人とそうでない人がいるということは知っておく必要があるだろう。そうでなければ靖国神社に祀られることが名誉とはならない。そして神道以外の宗教を信仰する人々の合祀をやめてくれという意見にも応じない。さらにA級戦犯問題。ここらへんに靖国問題の重要な部分があると思う。

 

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佐藤優 著
扶桑社 (2011/9/28)

 

 本書は、知の巨人と言われる佐藤優氏がその博識と経験を元にして様々な悩みに氏ならではの答えを出すというものである。出版されたのが震災後であることから震災に関する質問が多いが、それ以外にも仕事、人間関係等に対しても広く質問に答えている。

 佐藤氏は一見常識的で型どおりの答えを出しそうな気がするが、各質問に対する佐藤氏の答えは独創的であり、読んでいてハッとさせられる。内容は一般の質問者に対して一問一答式で答えるもの。ロシアでビジネスがやりたい、文筆家として成功したい、インドで働きたいという質問から、外務省に入りたい等々。

 それらに対する答えは、ロシア人は最初はやさしいが自分より金持ちになると面倒だ、文筆家は99%運である、外務省で働きたいなら英語に堪能にならなければならない等、自身の実体験から的確な答えを返す。因みに外務省に入るには、英検一級、若しくは準一級を持つ必要があるという。無論なくても入れるが一級が取れないほど語学センスが無い人は外務省ではやっていけないということだ。2回受けて落ちたら諦めろと厳しい。

 私が特に面白いと思ったのは、男女関係に対する質問の数々だ。カルヴァン派キリスト教の熱心な信者であり、牧師の資格も持つ佐藤氏なので性に関しては当然保守的なのであろうと考えていたが(保守陣営だし)、意外に開放的であった。質問の中で興味深かったのは、イスラム教に入信した方からの質問だ。質問者はイスラム教に入信し、ロシアへの留学経験もあるという。そしてイスラム教を周りに布教したいという。佐藤氏の回答は、布教してはいけないという。それよりも自分自身が他人を思いやり愛を持って生きるというのが大切であるというような回答である。そうすればその姿を見て周りの人々はイスラム教に興味を持つかもしれないとのことだ。

 特定の宗教に入信していない私のような人間からすると勧誘されるのは正直迷惑なのである。無論他人が進行するのは構わないし否定もしないが。佐藤氏のようなスタンスで宗教を信じるのは良いことだと思う。何事も自分の意見を人に押し付けてはいけないのだと考えされられた。

 

 

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大石哲之 著
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2013/3/28)

 

 ノマドは3タイプに分かれる。ハイパーノマド、中層ノマド、下層ノマドである。国境を超えるのはエリートのみではない。下層ノマドも仕事を求めて世界を移動する。例えば日本人のフリーターが大連で時給340円の日本語のデータ入力の仕事をしている。しかし中国は物価が年々高騰しており、現在の時給では生活できないので、香港に行って仕事を探すそうだ。

 企業もノマドとして国境を越える。少しでも経費の安い国へ移動する。それは企業がまるごと移動しない場合も多い。部門ごとに最適の地へ移動する。事実、シンガポール等はいろいろな企業の同一部門が集中しているという。

 特に競争が激しい韓国は人材の流出が止まらないという。内需が少なく国内の競争が激しいため、より良い職場を求めて外国へ行くのだ。本書には例としていろいろな人々が登場する。実力をつけるために日本の大企業を辞め、シンガポールの会社でそれまでの半分の給料で働く日本人、日本で大学卒業時に就活したが、全く相手にされず、フリーターとなって、仕事の合間に世界各国を短期旅行を繰り返して調査し、インドネシアの会社に就職した日本人等もいるという。

 この本を読んで初めて気が付いたのは企業もノマド化して国境を越えるということだった。多国籍企業というのは昔からあり、本社をどこに移すかというのが度々ニュースになっていたりしたが、一つの会社が部門ごとに違う国に行くというのは考えていなかった。確かに本社に全部門がある必要はないだろう。メール、電話、スカイプ等を使用すればリアルタイムで連絡を取ることも出来る。これからは各部門にとって居心地の良い国に移動していくという。因みに居心地の良いとは、コストが安い、資材、人材等の補充が容易等の要件が当てはまる国である。

 本書は日本のサラリーマンについても警鐘を鳴らす。日本の企業は新卒で入社した後、三年位かけて各部門の経験を積み、調整のプロとして出世していくが、これは会社内の専門職に過ぎず、ノマド化した時代には対応できないのである。そして突然、ノマドとして生きることを要求される事態が来ることも十分にありうるという。ただ、不安と同時に自己実現を出来る場であるというメリットも存在する。

 日本人でも国内旅行をする感覚で世界を渡り歩く人も多いという。しかし彼らは日本を捨てた訳ではない。彼らは日本が変化するアクティブな国になった時、他国との相対的比較で日本を選ぶという。良くも悪くもこのような時代になっていくのであろう。ただ、このように考えて行くと国家が消えてなくなるのではないかと考える向きもあると思うが、国家はもっと強力であることを最後に書いておく。良くも悪くも・・・。

 

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 著者は貧しい家庭に育った。父親は借金を背負い、結局、離婚。新聞配達のアルバイトをしながら美大を目指していたようだ。そしてアルバイトをしながら借金をして買ったMACでデザイン、プログラムを勉強して技術を身に付けた。しかし美大受験は当日寝過ごしてしまったため受験しなかったそうだ。

 その後、九州で会社員をした後、起業して社員150人の会社を作ったが売却して十数億円の金を手に入れた。しかし六本木で全て使ってしまった。一か月の飲み代が2000万円というからすごい。現在は、新規事業を立ち上げたり、ベンチャーに投資をしている。預金は皆無であり、月末には携帯電話の支払いも出来ないことがあるという。

 でも著者は楽しいという。金は無いがfacebookの多数のフォロワーを失う方が金を失うよりも辛いという。著者は金に価値を置かない。楽しい事業に投資することがワクワクするという。そして雇用関係についても雇用者、被雇用者という立場はもっとフリーであっていいという。0円で雇用して利益が出たらみんなで分ける会社というのもやっているらしい。

 この本の中で特に面白かったのは、暗闇合コンだろう。全くの暗闇の中で男女4人ずつが会話をする。興味深いのは参加者達は最後まで顔を見せないという。厳密には合コンではないがアートなのだそうだ。さらに必ず盲目の人を一人は参加させていたという。それは盲目の人の世界を目の見える人が体験するという意味らしい。この合コンはかなり人気があったようだ。最後に著者の金に対する考えは、金は事業では血液と同じでなくてはならない。しかし流れるもので貯めることはしないという。

 著者は、今年東京都知事選に立候補して話題を集めた人である。最近、youtubeで岡田斗司夫氏と対談している動画を観て気になったので本を読んでみた。ユニークな人柄で読んでいると何かこっちも楽しくなってくるし、なんでもできるような気にさせてくれる。楽しかった。

 

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岬龍一郎 著
角川グループパブリッシング (2009/6/10)

 

 本書は、高等遊民とはどういうものかということから始まる。高等遊民とは明治から大正初期まで高等教育を受けながら定職につかない人のことだという。著者はその高等遊民という生き方を目指そうと提言する。一般的な日本人の人生は、就職してから定年まで働き、その後自分のやりたいことをやるというものであるが、「50歳、60歳では遅すぎる」という紀元前のローマの政治家セネカの言葉を引用し、日本人一般の人生観に警鐘を鳴らす。

 高等遊民がどういうものかというと、ソロー、橘曙覧、良寛を参考に分析していく。ソローはハーバード大学卒業後、小学校の教師となるが二週間で退職。その後仕事を転々として定職にはつかなかった。しかしただのフリーターではなく、生活に必要な金だけを稼ぎ、あとは自分の研究の時間に充てたという。橘曙覧は裕福な商人の家に生まれたが、35歳の時、家業を弟に譲り、自らは歌人として貧しい生活を送る。良寛も商人の息子であったが、商才が無いため仏門に入れられる。厳しい修行の末、諸国を行脚し、44歳の時、故郷に帰る。しかし実家には戻らず、山腹に庵を設けそこで生活したのだ。

 これらから金や物に拘らない生き方、現状を楽しむという考え方を見て取る。彼らに共通しているのは、橘曙覧、良寛は詩を読み、ソローは思想を深めたようにただのニートではなく知的作業に従事していたということだろう。これが高等遊民の生き方と著者は評価する。さらに儒教と老子の思想の中間にあって、半隠遁の状態が理想であるとする。それは精神的にも社会と一定の距離を置くが、社会から完全に隔絶することなく、地理的にも都会と山奥の中間に住む。このような社会に片足を突っ込んだ状態を理想としている。

 要するに清貧であり、知的であること、社会からは距離を取るが隔絶はしないというのが高等遊民の条件であるということだろう。

 これらを踏まえた上で、現代の高等遊民になるためにはどうしたらいいかというと、まずは50歳までは老荘の思想で行動してはならず、若者は社会的なことを一応済ませなければならないという。それをしないで高等遊民となるのはただの逃避であると厳しい。そして50歳を過ぎたらいよいよ高等遊民として生きるのが良い生き方だと指摘する。しかし何故50歳であるのかは不明である。恐らく著者が現在の生活を始めたのが50歳だからだろう。

 ただ、著者の考え方では20歳そこそこで高等遊民として生活を始めたソローは完全にアウトである。社会的なことを済まさないただの逃避である。そしてローマの政治家セネカの「50歳では遅すぎる」という考え方もまた著者の哲学とは相容れないものである。 

 最後に著者の現在の生活ということになるが、東京荻窪に自宅を持ち、そこから10分のマンションの最上階を借りているという。そこは駅から1分の好立地で近くにはコンビニ、飲食店等は一通りあり、大変「便利」あるようだ。まあ、荻窪という都会であれば当たり前であろう。そしてその富士山の見えるマンションの最上階で52インチの大画面でブルーレイで映画を観るのが楽しみだという『高等遊民』として生活している。

 因みに本書でいう高等遊民とはあくまでも著者が考える高等遊民である。現在定義されている高等遊民とはだいぶ違うので誤解しない方が良い。著者は「高等遊民とはこうでなければならない」という感じで事細かく高等遊民の型を作るのであるが、これがまた何でも型にはめたがる日本的というかサラリーマン的である。本書中で物にこだわらない生き方、都会から距離を置くことの良さを強調しながらも、自身は都心のマンションの最上階でブルーレイで映画を観ながら生活するという著者の思想と行動のギャップもまた面白い。また前半と後半では主張が矛盾していたり、それ以外にも多くの細かい矛盾がある。これらを探すこともまた本書の楽しみである。

 

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