01_呉第三特別陸戦隊
(画像はwikipediaより転載)

 

フロリダ諸島の戦いとは、

 

 1942年8月7日、米軍第一海兵師団は日本軍が攻略したソロモン諸島フロリダ諸島にあるツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸、同地を守る日本軍部隊と戦闘状態に突入した。この戦闘で日本軍守備隊は全滅。米軍は同日行われたガダルカナル島上陸と並んでソロモン諸島に米軍の橋頭保を築くことに成功した。米軍のガダルカナル島上陸はあまりにも有名な話であるが、同時に行われたフロリダ諸島の戦いはあまり注目されていないために知名度は低い。

 まず、この戦いに至るまでの経緯を簡単に説明してみたい。そもそも何でこんなところに日本軍がいるのよ?という話である。太平洋戦争開戦以来、破竹の進撃を続ける日本軍。1942年1月23日には、ニューブリテン島ラバウル、ニューアイルランド島カビエンを占領した。さらにそこからニューギニア東部のラエも占領。ラエの南側にある連合軍拠点のポートモレスビーをも攻略しようとする。しかしラエとポートモレスビーの間にはオーエンスタンレー山脈という富士山並に標高の高い山脈が連なっており、陸路からはなかなか難しい。そこで海路から侵攻するMO作戦が決定された。

 このMO作戦に先立ち、水上機が輸送船団の周辺を哨戒するために前進基地が必要となり、適地を探したところ、フロリダ諸島のフロリダ島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島が水上機の基地として適していると判断され、5月3日に呉第三特別陸戦隊を主力とした部隊で上陸占領された。これら占領した島には、ツラギ島に第84警備隊約400名、ガブツ島には横浜空の病院班、舟艇班、工作半100名、タナンボゴ島には九七式大型飛行艇10機と横浜空大艇隊等350名、フロリダ島には二式水上戦闘機隊60名が進出した。その後、MO作戦は失敗したもののフロリダ諸島の日本軍は駐留を続けた。

 

その頃米軍は。。。

02_ツラギに上陸する米軍
(画像はwikipediaより転載)

 

 1942年3月14日、米軍統合参謀本部は、太平洋。大西洋方面での基本方針を策定。ウォッチタワー作戦と命名された。これは太平洋方面で押され気味の米軍の反抗作戦で、米本土の安全の確保、米豪交通路の確保等が盛り込まれていた。この作戦は同年6月25日に発令、第一段作戦は、総指揮官はニミッツ大将で、サンタクルーズ諸島、ツラギ周辺の攻略を目標としていた。保有戦力は空母サラトガ、エンタープライズ、ワスプの3隻と新型戦艦ノースカロライナ合わせて26隻、リッチモンド・ターナー少将率いる輸送船23隻、巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海部隊1個群の水陸両用部隊、アレクサンダー・ヴァンデグリフト少将麾下の第1海兵師団約19,000人であった。参加する航空機は合計541機にも上る。

 作戦発動は8月1日であったが、日本軍がガダルカナル島に飛行場を設営していることを発見したため急遽、ガダルカナル島を目標に追加、サンタクルーズ諸島は中止された。このため作戦発動日は遅れて、8月7日となった。

 

 

そもそもおかしいのだ

03_米軍上陸ルート
(画像はwikipediaより転載)

 

 そして運命の8月7日、米軍は大挙してフロリダ諸島に上陸してきた。この作戦に動員された米軍の戦力は第1海兵師団およそ8,000名で航空隊や後方支援部隊が中心の日本軍1,100名を圧倒していた。日本軍は事前に米軍の侵攻を察知することが出来ず、米軍は完全な奇襲に成功したといっていい。このため、日本軍守備隊はほぼ全滅。伝統の横浜空は壊滅した。対して米軍の戦死者は122名で米軍圧勝の戦いであった。同日に行われたガダルカナル島上陸と併せて太平洋戦争の転換点となった戦いである。

 米軍の周到な作戦に対して、日本側は善戦はしたものの戦略的には相当な問題のある戦いであったといえるだろう。当初、米軍が上陸してきた際に日本側は本格的な反撃とは認識していなかったようである。上陸当日に急遽、ラバウルの航空隊をガダルカナル島に急行させたことはさせたが、そんな少数の航空機ではどうなる問題ではない。この後、ガダルカナル島へは戦力の逐次投入が繰り返され、総数30,000名の陸海軍兵力が投入されたが、生還したのはわずか10,000名程度であった。

 ガダルカナル島の問題はともかく、フロリダ諸島の水上機基地には相当な問題がある。このフロリダ諸島フロリダ島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島はガダルカナル島の向かいに位置する島で日本軍の最前線に位置していた。この場所に非力な水上機群を展開させるというのは「攻撃してください」と言っているようなものである。確かにこの位置に飛行艇を配置すれば珊瑚海からラバウル方面まで広く海域をカバーすることはできる。しかしほぼ無防備な飛行艇基地を最前線に設置すれば攻撃されることは火を見るよりも明らかである。

 飛行艇というのは、長大な航続距離を生かして後方基地から出撃して偵察した後に後方基地に帰還する。そのための長大な航続距離のはずだ。このような飛行艇の運用法自体が貴重な大型飛行艇を失い、何よりも育成に10年はかかると言われているベテラン搭乗員、整備員等を多く失ってしまう結果となった。これは米軍の戦略、戦術が素晴らしかったというよりも日本軍のそれらが稚拙であったと言っても過言ではないだろう。

 

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