01_零戦22型
(画像はwikipediaより転載)

 

吉田素綱飛曹長の略歴

 

 1918年1月1日岡山県に生まれる。1935年6月呉海兵団に入団。機関兵として長鯨乗組、翌年整備兵に移り、さらに1939年1月44期操練を卒業。大分空での延長教育ののち大村空、さらに9月12空に配属される。中支戦線で活躍したのち1940年7月内地に帰還、横空に配属された。1942年2月4空に配属、空戦に活躍するも3月末に負傷した。4月台南空に異動。8月7日の米艦載機との空戦で行方不明、戦死と認定された。

 

ガ島初空戦の悲劇

 

 吉田素綱飛曹長は操練44期、同期の戦闘機専修者は17名で母艦戦闘機隊で活躍した斎藤三郎少尉、金丸健男少尉、山中忠男少尉等がいる。同期17名中、太平洋戦争開戦前に事故で1名失った他、太平洋戦争開戦1年で半数の8名が戦死している。その後、ラバウルで2名、比島で1名が戦死、太平洋戦争終戦までに11名が戦死、5名のみが終戦を迎えることが出来た。生存率は29%である。

 吉田飛曹長は呉海兵団を卒業した後、潜水母艦長鯨で機関兵を務めた。さらに整備兵となったが、1938年6月操練44期に採用。8ヶ月の訓練を受けた後、大分空で延長教育を受け戦闘機搭乗員となった。その後大村空を経て1939年9月には中支に展開する12空に配属、実戦を経験する。約1年間の戦地勤務の後、1940年7月には内地に帰還、横空に配属された。

 1942年2月、1年半に及ぶ内地勤務から4空配属となりラバウルに進出した。ラバウルでは進出早々B-17の撃墜を報告している。しかし3月末にニューブリテン島上空の空戦で負傷、1ヶ月の療養生活を強いられた後、4月には吉田一飛曹を含む4空隊員22名は台南空に編入された。台南空での初出撃は17日で以降、ニューギニア方面の空戦に連日のように参加している。5月8日にはガイ・アルヴァ・ホーキンス少尉が操縦するP-39を単独撃墜、その後も戦果を重ねた。台南空異動後の連合軍の戦闘報告書から判明している戦果はこの1機を含む約1.9機(1.879機)である。

 1942年8月7日、ガダルカナル島上陸を開始した米軍を撃滅すべく4空の一式陸攻27機が出撃、その援護をするため台南空の零戦隊18機も発進した。ラバウルからガダルカナル島は1,037km、零戦でも片道3時間20分に及ぶ長距離進攻であった。ガダルカナル島上空に到達した日本海軍航空隊は空母エンタープライズ、サラトガのF4F戦闘機隊の攻撃を受け空戦が始まった。

 この空戦で台南空零戦隊は43機の撃墜を報告おり、例によって過大な報告となっているが、米軍側の戦果報告によると実際10機のF4Fが撃墜され、さらに1機のSBD艦爆が台南空の零戦隊によって撃墜されている。零戦隊の大勝利と言って良い戦いであったが、この空戦で吉田一飛曹は未帰還、戦死と認定された。それまでの吉田一飛曹の戦果は、日本側の資料では総撃墜数は単独12機、不確実1機、共同撃墜3機であり、連合軍側の資料からは台南空所属時の戦果1.9機のみが判明している。

 

吉田素綱飛曹長の関係書籍

 

ルーカ・ルファート、マイケル・ジョン・クラーリングボールド『台南海軍航空隊』

ルーカ・ルファート、マイケル・ジョン・クラーリングボールド 著
大日本絵画 (2016/2/1)

 本書はイタリア人ルーカ・ルファート氏、オーストラリア人マイケル・ジョン・クラーリングボールド氏によって書かれた太平洋戦争初期のラバウル、ラエ周辺の台南空と連合軍の航空戦の実態を調査したものである。ソロモン航空戦まではカバーしていない。

 近年、この種類の著作が多く出版されているが、本書はポートモレスビーで育った著者がその地域で起こった戦闘を調査するという地域史的な要素を持つ異色のものだ。オーストラリア人の著作であるため、連合国軍側の視点で描かれていると思っていたが、読んでみると、著者は日米豪それぞれの国のパイロット達に対して非常に尊敬の念を持っていることがわかる。

 

梅本弘『ガ島航空戦』上

 日本、連合軍双方の戦果報告書や日記、手記等を基にガダルカナル島航空戦を再現している。過大になりがちな空戦の戦果を可能な限り特定している大変な労作。本書はガダルカナル島航空戦の最初期である米軍のガ島上陸前から1942年10月までの空戦を克明に描いている。あまり知られていない水上機隊の活躍について詳しく描かれているのも魅力。吉田一飛曹が戦死した8月7日の空戦についても克明に描いている。

 

まとめ

 

 1942年8月7日の空戦は台南空の零戦隊の一方的勝利として有名である。実際の双方の損害を比較してみても日本側の損害が戦闘機2機、陸攻4機に対して、米軍は戦闘機10機、艦爆1機を失っているため数の上でも日本側の勝利といえる。しかし戦死者数を比較すると米軍の搭乗員がほぼ救出されており、実際の戦死者が4名であるのに対して、日本側は吉田一飛曹を含め31名を失っている。戦死者を比較した場合、この空戦の勝者がどちらであるのかは明確である。

 

 

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