01_第38任務部隊
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 

 レイテ沖海戦とは、フィリピン周辺で行われた海戦でレイテ島に上陸した米軍を砲撃すべく日本軍はわずかな空母機動部隊と戦艦部隊を投入、米海軍の主力部隊とガチで激突したものの、空母部隊は速攻で壊滅、戦艦部隊は航空機の援護がほぼ無い状態で米軍制空海権下に突入、日本海軍の主力部隊は壊滅的大打撃を受け、米海軍もちょっとだけ打撃を受けた。最終的には日本海軍の主力部隊がレイテ湾突入を断念したため作戦は失敗、連合艦隊は事実上消滅した。

 

レイテ沖海戦 〜概要〜

 

02_レイテ沖海戦図
(画像はgooglemapに加筆修正)

 

 台湾沖航空戦後、日本軍は捷号作戦を立案した。これは米軍の上陸に対する日本軍の対抗作戦で米軍が上陸した場合、日本海軍の機動部隊が米機動部隊を北方に誘致、戦艦部隊が上陸地点に突入して艦砲射撃を実施、これに呼応した陸軍が米上陸部隊を殲滅するというものであった。上陸地点はフィリピン、台湾、本州、北海道の4地点を想定、それぞれに一号、二号、三号、四号と命名した。

 1944年10月18日、米軍がフィリピンレイテ島に上陸することがほぼ確定したことにより日本側は捷一号作戦を発動した。日本側の参加兵力は、スマトラ島リンガ泊地に停泊していた連合艦隊の戦艦7隻と重巡を中心にした第一遊撃部隊、マリアナ沖海戦で生き残った空母4隻に航空戦艦2隻で編成した機動部隊。重巡と水雷戦隊を中心に編成された志摩中将指揮の第二遊撃隊、陸上航空部隊である第一航空艦隊等である。

 しかし機動部隊は先の台湾沖航空戦に航空兵力を提供したため搭載機は何とかかき集めた航空機116のみであり、陸上基地航空隊も9月の米機動部隊の攻撃によりほとんどを失っていた。このため第一、第二遊撃部隊は敵制空権下を進撃することとなった。

 これに対して米軍は、正規空母9隻とほぼ同数の軽空母を中心とする第38任務部隊が太平洋上に展開、レイテ湾内にはオルデンドルフ少将指揮の6隻の戦艦を中心とする支援射撃部隊、護衛空母6隻で編成されている護衛空母部隊3群がレイテ島周辺に展開していた。航空機は約1,000機である。

 10月19日、捷一号作戦発動を受けた小沢中将率いる機動部隊は内地を出撃、21日には志摩少将率いる第二遊撃部隊が台湾を出撃、新たに編成された第三部隊と共にレイテ湾突入を目指す。主力の第一遊撃部隊は燃料補給に問題があり、急遽、西村中将率いる戦艦扶桑、山城を中心とする第三部隊を編制、第一遊撃部隊とは別行動で行動、合流した上でレイテ湾に突入することになった。

 10月22日、第一遊撃部隊もブルネイ泊地を出撃、第一遊撃部隊は北からルソン島南を通り時計回りにレイテ島に向かい、第三部隊は南からミンダナオ島北を直進、最短距離でレイテ島を目指した。北回りに進んだ第一遊撃部隊は、23日パラワン水道で米潜水艦の雷撃を受ける。これにより重巡愛宕、摩耶、高雄が被雷、旗艦であった重巡愛宕、摩耶が撃沈、高雄は大破したため戦列を離れた。同日、二航艦の攻撃により米空母プリンストンが撃沈されている。

 

運命の10月25日

03_戦艦群
(画像はwikipediaより転載)

 

 旗艦を戦艦大和に変更した第一遊撃部隊旗艦は24日、シブヤン海において第38任務部隊の航空攻撃を受け戦艦武蔵を失ってはいるが(シブヤン海海戦)、25日には難所と予想されたサンベルナルジノ海峡突破に成功した。同日、第一遊撃部隊と合流後レイテ湾に突入予定であった西村中将指揮の第三部隊がレイテ湾に到着、第一遊撃部隊と合流が不可能なため単独突入を決行、オルデンドルフ少将の戦艦部隊と戦闘になり駆逐艦1隻以外全滅した(スリガオ海峡海戦)。この突入の2時間後にやっと到着した志摩中将麾下の第二遊撃部隊は敵情不明のため突入を断念し帰投した。この日、北方では小沢機動部隊がルソン島北東海域で第38任務部隊と激突、空母瑞鶴、千代田、千歳、瑞鳳を全て撃沈され完敗している(エンガノ沖海戦)。

 25日未明、サンベルナルジノ海峡を突破した第一遊撃部隊は、同日早朝、突如米軍護衛空母部隊と遭遇して砲撃戦となり砲撃により護衛空母1隻を撃沈する(サマール沖海戦)。海戦後、再びレイテ湾に向け進撃する第一遊撃部隊はレイテ湾突入を目前にして敵機動部隊発見の報により反転北上した。これが一般に言われる「謎の反転」である。この日、関行男大尉以下5名の神風特別攻撃隊が体当たり攻撃を敢行、護衛空母1隻撃沈、3隻撃破の戦果を挙げている。その後、第一遊撃部隊はサンベルナルジノ海峡に退避、数度の航空攻撃を受けるものの主力はブルネイ泊地に帰投した。

 

謎の反転問題とレイテ湾突入

 

04_戦艦大和
(画像はwikipediaより転載)

 

 10月25日、レイテ湾突入を目前にした第一遊撃部隊に敵機動部隊発見の報が届く。この報により第一遊撃部隊はレイテ湾突入を中止、機動部隊攻撃に向かう。しかしこの報は他の部隊の記録には残っておらず「謎の電報」ともいわれているが、戦闘中であり三日三晩戦い続けた各部隊で連絡の齟齬が発生するのは不思議なことではない。

 栗田健男中将は直前に偶然の空母部隊との遭遇戦を経験しており、これを第38任務部隊本隊と誤解していた。戦闘終了後も付近に機動部隊が存在すると考えるのも当然であり、戦艦の主砲による米空母部隊撃滅の可能性に賭けたのであろう。

 それはともかく、仮にレイテ湾に第一遊撃部隊が突入していたらどうなったのであろうか。当時、レイテ湾には上陸部隊と共にオルデンドルフ少将率いる戦艦6隻を中心とする支援部隊が存在した。さらに付近には護衛空母群が3群存在しており、太平洋上には第38任務部隊もある。ここに満身創痍の戦艦4隻を主力とする第一遊撃部隊が突入したとしてもオルデンドルフ艦隊に撃退されるか、付近に遊弋している空母部隊によりフルボッコにされるのがオチであっただろう。

 地上目標の艦砲射撃にしても1942年10月に栗田中将によって実施されたヘンダーソン飛行場艦砲射撃では、ほぼ反撃がない状態での理想的攻撃であるにも関わらず在地96機の航空機の内、54機を破壊するに留まっている。このヘンダーソン飛行場からは翌日、航空機が日本軍攻撃に出撃しており、日本陸軍の攻撃も撃退している。

 これに対してレイテ湾に突入に関してははるかに条件が悪い。乗組員は、数日間不眠不休で戦闘を行った疲労のピークにあり、艦艇は数度の戦闘で満身創痍。その上、重厚な護衛部隊が守るレイテ湾に突入したところで戦果を挙げるのは難しかったであろう。

 

まとめ

 

 レイテ沖海戦は、航空機の「傘」がない中での水上部隊のみの突入、さらに作戦は広大な海域を4つの艦隊と基地航空隊が有機的に連携して行動するという極めて難易度の高い作戦であった。案の定、それぞれの艦隊は連携が取れず作戦は失敗してしまった。しかし仮に成功していたとしてもすでに戦略的劣勢を覆すことは出来なかったであろう。

 

 

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