01_赤城
(画像はwikipediaより転載)

 

 航空母艦 赤城とは、天城型巡洋戦艦の2番艦であったが、ワシントン条約により空母へ改装された。当初は三段空母であったが、のちに全通式空母に改装、これらの変遷を経たために艦内の構造は複雑、居住性は最悪であった。太平洋戦争では第一航空艦隊旗艦として真珠湾攻撃を始め太平洋、インド洋を転戦、1942年6月にミッドウェー海戦で撃沈された。

 

航空母艦 赤城 〜概要〜

 

性能

 通常排水量 36.500トン
 全長 260.67m
 全幅 31.32m
 吃水 8.71m
 機関出力 13万3,000馬力
 最大速力 31.2ノット
 航続距離 8,200海里/16ノット
 乗員 1,630名
 武装 20cm単装砲6基
    12cm連装高角砲6基
    25mm連装機銃14基
 搭載機 常用66機、補用25機  同型艦 1隻

 

特徴

02_赤城
(画像はwikipediaより転載)

 

 日本海軍が計画した八八艦隊の1隻として建造された天城型巡洋戦艦の2番艦であったが、ワシントン条約の締結によって同艦型は廃棄が決定、3番艦、4番艦は廃棄されたものの、1番艦天城、2番艦赤城は空母に改装することによって保有が認められたため空母への改修が行われた。1番艦天城は関東大震災により廃艦となってしまうが、赤城は1927年3月に空母として竣工した。

 当初は上下に飛行甲板、中段に艦橋、重巡並みの20cm連装砲2基を備えた三段空母であったが、構造があまりにも意味不明のため1935年11月から1938年8月まで約3年間かけて全通式空母に改装された。この時に世界の空母でも珍しく艦橋が飛行甲板上左側に設置されている(普通は右側)。

 改装前には2本あった煙突も1本にまとめられ航空機の着艦に影響を与えないように下向きに設置、海面に向けて煙を吐き出す形式となった。このため煙突のある右舷居住区は煙突の排気が流れ込んだ。当初、巡洋戦艦として設計され、三段空母に変更、さらに全通式空母へ変更されるという変遷をたどったため、艦内の構造は複雑であった。

 

同型艦

赤城(起工1920年12月6日、竣工1927年3月25日)

 

航空母艦 赤城 〜戦歴〜

03_赤城
(画像はwikipediaより転載)

 

 全通式空母に改装された赤城は、1939年1月に第一航空戦隊旗艦として日中戦争に出撃、海南島攻略戦に参加している。1941年4月には第一航空艦隊に編入。12月に開戦した太平洋戦争では、第一航空艦隊旗艦として真珠湾攻撃に参加、1942年1月にはラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃、チラチャップ攻撃を行う。4月にはセイロン沖海戦に参加、6月のミッドウェー海戦にも旗艦として参加撃沈された。

 

まとめ

 

 ミッドウェー海戦において赤城が撃沈された時、艦長の青木泰二郎大佐は赤城と運命を共にしようとするが説得されて退艦した。このため帰国すると即日予備役に編入、即座に召集され閑職に回される。青木大佐は太平洋戦争を生き抜き、1962年に他界する。

 

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