01_凱旋門
(画像はwikipediaより転載)

 

 今日は知っているようで知らないフランスの歴史について書いてみよう。「ルイ○○世」や「ブルボン王」「フランス革命」等の単語は知っていても、フランス国の歴史は意外と知らない人が多い。特に今回はフランス革命以降から現代までの権力の変遷について、私自身もちょっと忘れてしまっているので自分自身の備忘録も兼ねて簡単に分かり易く書いてみる。

 

<1789〜1791年>フランス革命期

 

 

02_バスティーユ襲撃
(画像はwikipediaより転載)

 

 ブルボン王朝によって支配されていたフランスに、1789年フランス革命が勃発する。これ以降、フランス国王は、名目的には未だルイ16世であるが、権力は国民会議に移る。国民会議とは革命以前から存在する平民も含めた会議である。その後1791年、過激化するフランスに嫌気がさしたルイ16世がオーストリアへの逃亡を企てる。これが有名なヴァレンヌ事件だ。実は、1789年からこの時間まで、フランス国王というのは未だその権威を失っていなかった。しかし、国王がしたことにより国王の権威は失墜する。自国を見捨てる国王というのは如何なものか。。。ということだ。

 

<1791〜1804年>第一共和政

 

03_フランス国旗
(画像はwikipediaより転載)

 

 以降、国民会議が名実ともに権力を掌握する。これが第一共和政。これによってブルボン王朝は消滅する。しかしこの第一共和政の政治は派閥に分裂し混とんとした恐怖政治となる。数千人の人々が虐殺され、経済も停滞し市民には不満が高まっていた。

 

<1804〜1814年>第一帝政

 

04_ナポレオン
(画像はwikipediaより転載)

 

 この中で登場したのが有名なナポレオン・ボナパルトだ。ナポレオンはクーデターを起こし、後に自らを皇帝と称する。これがフランス第一帝政だ。ナポレオンはヨーロッパ中で戦争をするが、1813年ライプツィヒの戦いで敗北したのち1814年退位する。

 

<1814〜1830年>再びブルボン王朝(王政復古)

 

05_王政復古
(画像はwikipediaより転載)

 

 安定した王政を望むヨーロッパ諸国の干渉によりルイ18世が即位する。これによりブルボン王朝が復活する。ルイ18世はルイ16世の弟である。王位はその後弟のシャルル10世に引き継がれるが、自由主義運動に対して抑圧したことから、七月革命が起こり退位する。ここにブルボン王朝は終焉を迎える。

 

<1830〜1848年>オルレアン朝

 

06_ルイ・フィリップ
(画像はwikipediaより転載)

 

 七月革命によりシャルル10世は退位し、革命を主導したラファイエットによりルイ・フィリップが国王に選ばれる。ルイ・フィリップはブルボン家支流の王家の血筋でありながらも自由主義者として知られていた。その自由主義者のルイ・フィリップも普通選挙実現への要求に対して抑圧を図ったため二月革命が起こり退位させられる。余談だが、このオルレアン朝初期の1831年にフランス外国人部隊は創設される。

 

<1848〜1851年>第二共和政

 

07_第二共和政
(画像はwikipediaより転載)

 

 二月革命の結果、再び共和政が布かれる。しかし普通選挙を行った結果、中流市民であるブルジョア階級と労働者であるプロレタリア階級の対立が激化していく。それまでは王対市民だった対立が市民同士の階級対立となっていく。この混乱は数千人もの死者を出すことになる。その結果、市民はこの混乱を収束してくれる強力な指導者を待望するようになっていた。この市民の期待を一身に背負ったのはナポレオン・ボナパルトの甥であるナポレオン三世であった。彼は1848年の選挙で大勝し大統領に選ばれた。

 

<1851〜1870年>第二帝政

 

08_第二帝政
(画像はwikipediaより転載)

 

 大統領に選ばれたナポレオン三世は、その後、議会との対立を強め1851年クーデターを起こし皇帝に即位する。皇帝に即位したナポレオン三世は、外征の成功により世論の圧倒的支持を受ける。この支持を背景にインフラ整備等を積極的に行っていく。しかしメキシコ出兵の失敗によりケチが付き徐々に権威は失墜していく。そして1870年の普仏戦争の中でナポレオン三世はプロセイン軍の捕虜となってしまう。

 

<1870〜1940年>第三共和政

 

09_パリ・コミューン
(画像はwikipediaより転載)

 

ナポレオン三世が捕虜になったことでフランス市民は共和政への移行を望むようになる。その結果、1870年9月4日第三共和政が成立する。この体制でフランスは第一次世界大戦、第二次世界大戦に突入する。

 

<1940〜1944年>ヴィジー政権

 

10_ヴィジー政権
(画像はwikipediaより転載)

 

 1940年、フランスはナチスドイツに占領され、傀儡政権としてペタン元帥を首班とした政権が生まれる。これがいわゆるヴィジー政権である。1940年の日本軍による北部仏印進駐、1941年の南部仏印進駐を認めたのもこのヴィジー政権である。同時にペタン元帥に反対するド・ゴール准将はイギリスに亡命し、ロンドンに自由フランスを組織する。

 

<1946〜1958年>第四共和政

 

11_パリ解放
(画像はwikipediaより転載)

 

連合国軍の侵攻によってドイツの占領から解放されたフランスは、一時的に臨時政府を組織するが、1946年、新しい憲法草案が可決され、第四共和政がスタートする。

 

<1958〜 現在>第五共和政

 

12_ド・ゴール将軍
(画像はwikipediaより転載)

 

 大戦後、成立した第四共和政であったが、当時植民地であったアルジェリア政策に不満を持ったフランス軍アルジェリア駐留軍がド・ゴール将軍の政界復帰を要求してクーデターを起こす。1958年ド・ゴール将軍は新憲法を国民に承認させ第五共和制が始まる。以降、現在にいたるまで第五共和制は維持されている。

 

−フランス史まとめ−

 

 フランスのブルボン王朝以降の歴史について簡単に書いてみた。第三共和制までは共和制と独裁制が交互に行われている。まず独裁制のブルボン王朝が潰れ、その後第一共和政が行われる。でも数千人が死ぬ恐怖政治となってしまい、これを打破するために英雄が待望され、ナポレオンが登場する。ナポレオンが失脚した後、「やっぱり王家がいい」ということで王朝が復活する。王政復古とオルレアン朝である。

 しかし王朝になるとやはり「自由主義じゃなーい」ということで再び共和制になる。これが第二共和政だ。共和制になると大体フランスは恐怖政治になる。そうするとまた英雄が待望される。そこで登場したのがナポレオン三世。これが第二帝政と呼ばれる。独裁になると今度は共和制を望むようになる。それが第三共和政だ。第四共和政はナチスの占領まで続くが、占領後は新憲法を定め第四共和政がスタートする。さらにアルジェリア軍のクーデターにより第五共和制が始まり現在に至る。

 

独裁(ブルボン王朝)

共和制(第一)

独裁(ナポレオン)

独裁(ブルボン王朝、オルレアン王朝)

共和制(第二)

独裁(ナポレオン三世)

共和制(第三)

共和制(第四)

共和制(第五)

 

 ブルボン王朝以降、現在に至るまでの大まかな流れは以上の通り。フランス革命以降、あまり知られていないだろうフランスの現在に至るまでの政権の推移を簡単に書いてみた。ブルボン王朝以前やそれぞれの政権時の概略はいつか気分が向いたら書いてみたい。

 

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