01_キ87
(画像はwikipediaより転載)

 

 キ87は中島飛行機が最後に製作した高高度迎撃用の重戦闘機である。成層圏での運用を想定した究極の戦闘機であった。1945年に試作機が1機完成し、5回飛行を行ったが不具合が続発した。計画通りであれば最高速度700km/h超、高度1万メートルでの空戦が可能なP47サンダーボルトに匹敵する航空機となる予定であった。

 

試作高高度戦闘機 キ87 〜概要〜

 

性能(推定値)

全幅 13.423m
全長 11.82m
全高 4.49m
自重 4,383kg
最大速度 689km/h
上昇力 -
上昇限度 12,855m
エンジン出力 2,450馬力
航続距離 1,600kmプラス空戦30分、余裕1時間
武装 20mm機関砲(ホ5)2門、30mm機関砲(ホ155)2門
設計開発 中島飛行機

 

開発

  

 1942年11月、陸軍は中島飛行機に高高度近距離戦闘機キ87の試作を指示した。陸軍の要望は、最高速度700km/h、上昇限度13,000m、高度10,000m以上での空戦を行うことを目的とした戦闘機で、米国製戦闘機P47サンダーボルトに対抗するための機体であった。

 この指示を受け、中島飛行機はこれまで一式戦闘機隼、四式戦闘機疾風等を手掛けたベテラン設計者である小山悌技師を設計主務者として開発を開始したが、他の機体の設計が優先されたため作業が遅れ、設計が完了したのは1944年11月、3ヶ月後の1945年2月に試作1号機が完成、同年4月に初飛行を行った。

 高高度で空戦を行うための発動機は2400馬力排気タービン過給器付き発動機ハ44-12ルに決定した。これは中島飛行機初の国産発動機寿エンジンを18気筒化したもので1942年7月に試作開始、終戦までに23台が製造された発動機であった。この強力な発動機に対応するためのプロペラはラチェ改と呼ばれる電気式定速四翅プロペラで直径は3.6mという巨大なものであった。

 本機の外観上の特徴ともいえる排気タービンは陸軍側は胴体下面に搭載することを要望していたが、中島飛行機側は被弾した時の燃料漏れによる火災を防ぐために胴体側面を主張した結果、胴体右側面に装備することとなったが、6号機以降は陸軍の要望通りに胴体下面に移される予定であった。

 武装は20mm砲(ホ5)2門と30mm砲(ホ155)2門が搭載された。高高度迎撃機ではあったが、250kg爆弾を1発搭載することが出来る。防弾装置は風防前面に70mmの防弾ガラス、座席背後の防弾鋼板は16mmであった。これら武装や燃料タンクで翼に余剰スペースが無くなってしまったため、脚は90度回転後方引込式を採用した。これは複雑な機構であったため不具合が多かった。

 上記の装備を搭載した本機の重量は自重が4,383kgと凄まじく、これは一式戦闘機隼3機分に相当する。このため翼面荷重も235kg/屬叛┐泙犬、海軍の局地戦闘機震電の210kg/屬気┐眈絏鵑辰討い拭1945年4月より5回試験飛行が行われたが、発動機不調、排気タービン過熱、脚収納装置の不具合等不具合が続いた。尚、この5回の飛行中は大事を取って脚を収納せずに行った。

 

バリエーション(計画のみ)

 キ87の低中高度戦闘機型で武装を20mm機関砲6門とし、排気タービンを廃止したキ87乙、発動機をハ47に換装したキ87兇計画されていた。

 

生産数

 当初は試作機3機、増加試作機7機の計10機が1945年4月には完成させる予定であったが、結局、試作機が1機造られたのみである。戦後、米軍に接収され1945年11月に米本土に送られたが、同地での飛行記録は残っていない。

 

まとめ

 

 キ87は中島飛行機が最後に製作した自重4,383kg、翼面荷重235kg/屬竜霏臉鐺機であった。成層圏での戦闘を想定した機体であったが、日本の基礎工業力が低かった上に物資不足や部品の品質劣化もあり設計通りの性能を発揮することはなかった。仮に完成していたとすればB-29にとって最大の脅威となったであろう。

 

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