01_キ74
(画像はwikipediaより転載)

 

 キ74は立川飛行機が開発した長距離偵察爆撃機である。排気タービン過給器と与圧キャビンを装備しており、高高度での高速飛行を実現した。航続距離も四発重爆並みにあったことから陸軍の次期主力爆撃機に決定したが、試作機を含め14機が生産されたのみで終戦となった。

 

戦略偵察爆撃機 キ74 〜概要〜

 

性能

全幅 27.00m
全長 17.65m
全高 5.10m
自重 10,200kg
最大速度 570km/h(高度8,500m)
上昇力 8,000mまで17分00秒
上昇限度 12,000m
エンジン出力 1940馬力×2基
航続距離 8000km
武装 12.7mm機関砲(ホ103)
   500kg爆弾1発または250kg爆弾2発または100kg爆弾9発
設計開発 立川飛行機

 

背景から開発まで

 1939年、ソ連を仮想敵国とする日本陸軍は、バイカル湖以遠を偵察することができる長距離偵察機を発案する。1940年の研究方針ではこの偵察機は重爆並みの航続距離を持つ高高度隠密偵察機となっており司令部偵察機とは性格が異なる。陸軍は、この新型機の研究試作を立川飛行機に命じた。

 これを受けて立川飛行機は小口宗三郎技師を設計主務者として研究開発をスタートした。しかし、この頃、朝日新聞社が長距離飛行記録への挑戦を企画、記録挑戦用の機体であるA-26の製作を開始した。これに対し陸軍は、A-26の製作がキ74開発に役に立つと考え、キ74の開発担当であった立川飛行機に細部の設計と機体製作を発注した。これによりキ74の計画は一時的に中断してしまう。

 

開発

 1941年4月キ74の計画が再開された。しかし、この間に航空機の性能は大幅に向上、計画を練り直す必要に迫られた。その結果、計画は、戦闘機を上回る高速と与圧キャビンを備えた高高度性能に重点を置いた機体ということに変更された。これに対して立川飛行機は複数の案を提案、陸軍側とのやり取りの結果、1942年9月にには正式に試作が発注された。

 決定案は最大速度600km/h(高度10,500m)、上昇限度12,000m、航続距離は爆弾を1000kg登載した状態で8400kg、与圧キャビンを装備、12.7mm機関砲を装備するといおうものであった。エンジンは三菱製ハ211ル(陸海軍統合名称「ハ43-11ル」)であった。これは金星エンジンの18気筒版で出力は2100馬力で、他には試作艦上戦闘機烈風に搭載された。

 搭乗員は正副操縦士、機関士、通信士の4名で、操縦士の席はタンデムに配置されている。気密保持のため窓は小さい窓が最小限に設置されたため視界は非常に悪く、同時に乗員の居住性も悪い。爆撃用の照準器は捕獲したB-17に装備されていたノルデン照準器をコピーした10型照準器を装備、尾部には遠隔操作式の一式12.7mm機関砲(ホ103)が装備されていた。

 1944年3月、試作1号機が完成、5月に初飛行に成功した。この1号機は、飛行特性を試験するための機体で、排気タービン過給器、与圧キャビン、武装は装備されていなかった。さらに機体の形状ものちの試作機、増加試作機とは異なる。直ちに試験が開始されたが、1944年7月にプロペラが故障、大破してしまった。

 1944年8月には2号機も完成するが、この2号機も与圧キャビン、排気タービン過給器を装備しておらず(装備してたとする資料もあり)、その長大な航続距離から日独連絡飛行用に使用される予定であった。この飛行は「ヤ」号飛行と呼ばれており、2号機はヤ号輸送機ともいわれる。

 3号機は、与圧キャビンを装備しており(与圧キャビンなしとする資料もあり)、試験中にエンジンの不具合が発生したためにエンジンを出力は小さいが、実績のあるハ104ルに変更された。4号機以降は同エンジンを使用している。

 飛行性能は、排気タービン過給器付きハ104ルエンジン装備の機体では最高速度が570km/h(高度8500m)、巡航速度が406km/h(8000m)実用上昇限度が12000m、航続距離が8000km(爆弾無しで9920km)であった。最高速度こそ計画値を下回ったもののおおむね要求値を満たしていたことから1944年10月には本機を陸軍の主力爆撃機とすることが決定した。

 

 1944年3月、遠距離爆撃機型キ74兇侶弉茲スタートした。これは二つの案があり、第1案はキ74の長大な航続距離を活かした米本土爆撃機で500kg爆弾2発を搭載、爆撃後、乗員は落下傘で脱出、現地でゲリラ戦を展開するというものであった。このため気密室を縮小、爆弾倉、燃料タンクを大型化、操縦席は正副並列型にするというものであった。

 さらに儀燭寮能向上型である第2案も計画されていた。これは第1案同様に気密室を縮小、爆弾搭載量を2000kgに増大させるというもので、航続距離は7000kmを予定していた。実物模型まで製作されたが試作機を製作する前に終戦となった。

 

その他計画機

 恐は、中島飛行機の「富嶽」に対抗するために計画された型で航続距離が況燭茲蠅皹篦垢気譴討い襦キ114も特殊長距離機。他には輸送機型の計画もあった。

 

生産数

 当初は試作機2機、増加試作機が6機で9号機以降が生産機という予定であったが、計画が変更され、1〜3号機が研究機、4号機以降が遠距離偵察爆撃機と変更された。総生産数は1944年に3機、1945年に11機の合計14機であったが、実際に飛行したのは7号機までである。また、生産しながら改良をしていくという方針であったため各部の形状が機体によって異なる。戦後は4機が米軍に接収されたが3機は試験以前に処分、残りの1機は博物館で保存予定であったが行方不明となった。

 

戦歴

 キ74は飛行第14戦隊に配属される予定であったものの生産が遅延していたため改変前に終戦となった他、審査部が1945年9月頃を目標にキ74によるマリアナの米軍基地攻撃を計画していたがこれも決行前に終戦となった。この間に試作機の1機がマリアナ偵察を敢行、これがキ74の唯一の実戦参加である。

 

まとめ

 

 キ74は排気タービン過給器と与圧キャビンを装備した意欲作で、長大な航続距離から日独連絡飛行や米本土爆撃まで計画されていた。この米本土爆撃は500kg爆弾2発を投下した後、乗員は落下傘で脱出、現地でゲリラ戦を展開する計画であったという。戦略的にも戦術的にも全く意味の無い作戦計画であった。本機を使用したサイパン島長距離偵察が行われたのがキ74の唯一の実戦参加である。

 

 

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