01_キ64
(画像はwikipediaより転載)

 

 キ64は外観は陸軍の三式戦闘機キ-61と酷似しているが、胴体一体化したファストバック式風防ではなく涙滴型風防であったこと、機体正面にラジエーターが無い「ロケット」のような外観をしている。1機のみ製造されたが、試験飛行では690km/hを記録する高速戦闘機であった。しかし技術が先端に過ぎ実用化されることなく終戦となった。

 

試作高速戦闘機 キ64 〜概要〜

 

性能

全幅 13.50m
全長 11.03m
全高 4.25m
全備重量 5,100kg
上昇力 5000mまで5分00秒
上昇限度 12,000m
最大速度 690km/h(高度5000m)
エンジン出力 2200馬力
航続距離 1000km(予定)
武装 20mm機関砲2〜4門(計画)
設計開発 川崎航空機

 

背景から開発まで

 1930年代後半、先進国の戦闘機開発の最先端は2000馬力級エンジンに達しつつあった。1938年には英国でネイピアセイバーエンジンが2000馬力を記録、翌年には米国でP&WR2800ダブルワスプが同じく2000馬力エンジンを開発していた。日本でもこれらに影響を受けた人々によって高速戦闘機の開発がスタートすることになった。

 高速戦闘機の開発は日本では川崎航空機が自主開発をしており、これに注目した陸軍航空研究所が主導して正式に試作機として発注したものであった。川崎航空機では単発並の機体前面投影面積で双発のパワーを発揮することができるため、エンジンを2基連結して2000馬力を発揮するエンジンを計画していた。

 この計画が実行に移されることになったのは日本がドイツ製DB601Aエンジンのライセンスを購入したことによる。このエンジンはプロペラ軸内砲の装備を前提としていたため、串型に連結するには好都合であったからだ。

 

開発

 1940年8月、キ64として開発が川崎航空機に指示された。川崎航空機では三式戦闘機の主務者であった土井武夫を主務者として1940年11月から研究を開始、1941年10月実物大模型を完成させた。陸軍の計画では1942年3月に1号機が完成、12月には審査を終える予定であったが、実際には新技術導入のために時間を要し、1号機が完成したのは1943年12月であった。

 機体はほぼキ-61であったが、胴体と一体化したファストバック式風防は通常の涙滴型風防に変更された。主翼は空気抵抗を減らすために翼面の凹凸を極小化したLB層流翼が採用された。これは同時期に川崎が試作していた研三からフィードバックされたものであった。

 エンジンはハ-40を2基串型に組み合わせた構造のハ-201(陸海軍統合名称「ハ-72・11型」)で、出力は2350馬力に達した。二重反転プロペラを採用しており、エンジンは操縦席を挟んだ形で設置された。前方のエンジンで後方のプロペラ、後方のエンジンで前方のプロペラを駆動するようになっていた。プロペラピッチは前方が固定ピッチ式、後方が可変ピッチ式であった。これは日本において定速可変ピッチ機構が開発出来なかったためであった。このためピッチの合わない前後のプロペラを調整しながら作動させなければならなかった。

 エンジンの冷却は翼表面蒸気冷却器を採用した。これは従来のラジエーターを廃した上で冷却水を高温高圧状態で発動機内を流し、一旦水蒸気化した上で翼面で冷却し水に戻し再び発動機内を循環させるというシステムであった。このシステムの採用によりラジエーターによる空気抵抗が無くなったことにより約40km/hの速度向上が期待されていた。

 初飛行は1943年12月で、以降5回にわたって飛行試験が行われたが、5回目の飛行中、翼表面蒸気冷却器が不調となり異常に高温化した。これにより後方発動機から発火、空中火災となり緊急着陸をした。この際、脚を破損してしまった。飛行試験でのデータは、最高速度が高度5000mで690km/h、同高度までの上昇時間が5分30秒、、実用上昇限度が12000mであった。

 試作1号機はプロペラを前後共にVDM電気可変ピッチプロペラに変更するためにエンジンの改修とプロペラの設計が進められていたが、そのまま終戦となった。

 

ハ-321エンジン搭載型

 エンジンをハ-140(ハ‐40を水メタノール噴射式に改良したエンジン)を2基串型に組み合わせたハ‐321エンジン(陸海軍統合名称「ハ‐72・21型」)を搭載した型が計画されていた。このハ‐321搭載型の計画上の最高速度は750km/hで1943年12月に1号機完成、1944年10月には審査完了が予定されていた。

 

生産数

試作機が1機のみ完成。戦後米軍が調査した。

 

まとめ

 

 あまりにも最先端の技術を追求したキ64であったが、日本の基礎工業力がその技術を実現するレベルになかったのが惜しまれる。戦後に本機を調査した米軍の報告によれば、本機の設計、機体構造は良好、翼表面蒸気冷却器は米国設計者にとって興味深いものであったとしている。キ64の機体はキ61(飛燕)の機体をベースにしている。このことからもキ61の機体設計が余裕のある機体設計であったことが分かる。設計者の土井武夫技師は戦後もYS11の設計に関与、他のベテランが嫌がる電装系を担当する等、ひたすら挑戦し続ける人生であった。

 

 


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