01_疾風
(画像はwikipediaより転載)

 

 四式戦闘機は1944年(皇紀2604年)に採用された重戦闘機である。試作名称はキ-84で通称は「疾風」連合軍コードネームは「フランク」である。当時芸術品とまで言われたハ-45エンジンを搭載した陸軍唯一の航空機であり、大東亜決戦機と呼ばれ、陸軍の期待を一身に背負った傑作機である。

 

四式戦闘機 疾風 〜概要〜

 

 

性能(一型甲)

全幅 9.92m
全長 11.24m
全高 3.38m
全備重量 3890kg
上昇力 5000mまで5分弱
最大速度 655km/h
エンジン出力 2000馬力
航続距離 2500km(2920km)(増槽装備時)
武装 20mm機関砲2門(弾数各150発)、12.7mm機関砲(弾数350発)


開発 小山悌 / 中島飛行機

 

背景から開発まで(ハ-45エンジン)

02_ハ45
(画像はwikipediaより転載)

 

 ハ-45エンジン(海軍名「誉」)は、中島飛行機が開発した2000馬力級エンジンで、ハ-25(海軍名「栄」)を基に開発したエンジンであった。1940年9月に試作指示、1941年3月に試作品が完成、1942年9月に海軍に「誉」エンジンとして制式採用された。同年12月より大量生産が行われた。

 ベースとなった栄は最高出力1150馬力の14気筒エンジンであったが、これを18気筒に増やした上で過給機の強化、エンジン回転数の増大、高オクタン燃料の採用、水メタノール噴射等を行った。さらに軽量・コンパクト化のためクランクケースを特殊鋼鋳造品にする等した結果、外径1180mm、重量830kgという驚異的な小型エンジンが完成した。

 同時に誉エンジンはあまりにも技術的に先端を追求した結果、構造は複雑精密になり、戦争後期の熟練工不足や物資の欠乏によって本来の能力を発揮することが出来なかった。あまりの精密さ故に芸術品と呼ばれた「奇跡」のエンジンは、同時に「悲劇」のエンジンでもあった。

 

開発

 キ-84開発計画が内示されたのは1941年12月であったが、太平洋戦争開戦後ということもあって1年以内に試作機が完成することを要求するという無茶ぶりであった。さすがに試作機の完成は無理であったが、何と、これに対して中島飛行機は設計主務者小山悌技師を中心に陸軍機担当のスタッフを総動員して1942年11月には設計を完了させた。内示からわずか11ヶ月であった。

 試作機は4ヶ月後の1943年3月に完成、4月に初飛行した。6月には2号機も完成する。8月には第一次増加試作機の内、3機も完成した。試作されたキ-84は性能試験中、最高速度631km/hを記録している。当初の計画では試作機が3機、増加試作機が5機の予定であったが、実際に製作された試作遺は2機で、増加試作機は合計125機(第一次83機、第二次42機)という膨大な数であった。これは短期間の内に審査を完了し、円滑な実用化と部隊装備を可能にし、工場側の生産を早めるためである。1944年3月に第一次増加試作機83機が完成、第二次増加試作機も4月までに40機が完成、6月で全ての増加試作機の生産を完了した。

 

キ-84試作機・増加試作機

 2機の試作機と初期の増加試作機は、方向舵下部が後方に突出した形になっており、エンジンの排気管は推力式集合排気管を装備していた。これらは後期型以降は量産型と同形に改められ、排気管も推力式単排気管に変更されている。推力式単排気管とは日本の後期の戦闘機等によく見られるエンジンと機体のつなぎ目にある排気口が複数後方に向かっているタイプのもので、この形式にするだけで速度が10〜20km/h速くなる。これはロケット効果であると言われているが、排気流による機体上面の整流効果が速力増大につながったとも言われている。

 

キ-84甲・乙・丙・丁型

 初期の量産型で武装は胴体内に一式12.7mm固定機関砲(ホ103)2門を装備、翼内に20mm固定機関砲(ホ5)を2門装備した型。弾数はホ103が各350発、ホ5が各150発である。因みにホ103は航空機に左右並べて搭載するため弾薬を左側から装填する甲型、右側から装填する乙型があった。キ-84の場合は左が甲型、右が乙型である。

 乙型は胴体砲、翼内砲ともに20mm機関砲(ホ5)を装備した機体である。この乙型には甲部胴体、水平安定板、翼端等を木製化したキ-84供兵隻改)と呼ばれる機体もあった。

丙型は胴体内に20mm機関砲(ホ5)2門、翼内に30mm機関砲(ホ105)を搭載した型で1門搭載型と2門搭載型があったがどちらも試作のみで終わった。

 丁型は夜戦型で操縦席後方に45度の角度で20mm機関砲(ホ5)を装着したもので1944年9月にに完成したが、結局2機が改造されたのみであった。

 

キ-106

 キ-84の主要部分を木製化したもので、1943年9月22日、立川飛行機に試作が内示、12月には正式に試作指示が出た。主に品川信次郎技師が設計を担当した。1944年9月に試作機が完成した。材料の変更に伴い機体構造は大きく変わった他、垂直尾翼、脚カバー等の形状が変更された。自重はキ-84に比べて約477kg、全備重量は260kg増加した。

 1944年10月初飛行。最大速度はキ-84を下回る580km/h、5000mまでの上昇時間は7分30秒とキ-84量産型に比べ2分30秒以上遅くなった。武装は試作機が胴体内に12.7mm砲、翼内に20mm砲を搭載していた(量産型では逆)。試作機が4機、量産機が6機生産された。内4機は北海道の54戦隊で運用された。戦後2機が米国に運ばれている。

 

キ-116

 キ-116はエンジンを信頼性が高く余裕のある設計であったハ-112兇亡港したもので1945年3月満洲飛行機に試作指示が出された。同年7月に試作機が完成した。同エンジンはハ-45に比べ190kgも軽かったため、重心位置の変更を行いプロペラも3翅に変更した。自重でキ-84よりも500kgの軽量化に成功し、全備重量も3250kgで翼面荷重も155kg/屬板磴抑えられたバランスの良い機体であった。ソ連の進攻によって機体、設計図共に関係者の手により処分された。

 

その他実験機

 キ-84サ号機は、キ-84の高高度性能実験機でエンジンのシリンダー内に水メタノールの代わりに酸素を噴射するようにした実験機である。高度9000mで速度が約50km/h向上したが実用化前に終戦となった。

 

設計・計画のみ

 キ-84靴惑啜ぅ拭璽咼鷁甬覺鑄佞のハ-45ルを装備する予定であったが計画のみに終わった。キ-84Rは二段三速過給器付きハ-45・44エンジンを搭載した高高度性能の向上を狙った型でプロペラも直径3.5mのものに変更される予定であったがこちらも計画のみで終わった。キ-84Nは1945年6月に開発が決定した性能向上型でキ-84Pはエンジンを2500馬力ハ-44・13型に換装、高高度迎撃機とする予定であった。キ-117はエンジンをハ-44・13型に換装、主翼を1.5屬砲靴臣羚眦拈鐺機となる予定であった。

 

生産数

 各型含めおよそ3500機が製造された。

 

配属部隊

 疾風が最初に装備された部隊は飛行第22戦隊で、1944年3月に編成された。飛行隊長は歴戦の岩橋譲三少佐で搭乗員には熟練者が多く在籍している。8月には錬成が完了したため大陸打通作戦の一環である湘桂作戦に参加するため中国大陸に進出、連日の空戦に活躍した。同じく1944年3月上旬には一足遅れで第1戦隊、第11戦隊が疾風への改編、4月28日には第51戦隊、第52戦隊、5月には第71戦隊、第72戦隊、第73戦隊が新たに編成されたが、70番台の戦隊に疾風が供給されたのは7月であった。

 1944年7月に入ると中国大陸に展開している第85戦隊も二式単戦から疾風に改変、9月より供給されている。他にも新たに第101戦隊、第102戦隊、第103戦隊、第104戦隊、第200戦隊が編成を開始、これらの部隊は10月から年末にかけて疾風を受領している。これら疾風装備の部隊は9月には比島に進出、10月には少数(10機)ではあるが台湾沖航空戦に参加、海軍攻撃機の護衛を務めたが、最も疾風が投入されたのは比島戦である。

 比島には疾風装備の戦隊の内、9月に51戦隊と52戦隊が最初に進出、10月には11戦隊、1戦隊、22戦隊、200戦隊が進出した。11月になるとさらに第21飛行団の71戦隊、72戦隊、73戦隊が進出するなど85戦隊と100番台の戦隊以外の全ての戦隊が参加しているが、1945年初頭には多くの戦隊が消耗し逐次比島を去っていった。1945年3月になると米軍は沖縄に上陸、九州に展開していた疾風装備の第100飛行団所属101戦隊、102戦隊、103戦隊が沖縄航空戦に参加している。

 内地では47戦隊、112戦隊、246戦隊、第1錬成飛行隊、常陸教導飛行師団、陸軍審査部等が疾風を装備、他にも台湾では29戦隊と24戦隊が疾風を受領、ビルマ仏印方面では50戦隊、中国大陸では9戦隊、25戦隊、前述の85戦隊、満洲方面では104戦隊が疾風を受領している。

 

まとめ

 

 四式戦闘機疾風は陸軍唯一のハ-45エンジン搭載機である。海軍が早い段階からハ-45(海軍名「誉」)エンジンに目を付けたのに対して陸軍は四式戦闘機が唯一の採用というのが面白い。稼働率の低さという問題はあったものの、武装、速度、空戦性能、防弾性能共に平均以上の能力で、第二次世界大戦の万能戦闘機の一つに数えらえている。最高速度は660km/hであるが、戦後米軍の試験では最高速度は687km/hに達したという。著名な海軍のパイロット坂井三郎は著書において最高の戦闘機ベスト3中3位にこの四式戦闘機を挙げている(1位はP51マスタング、2位は零戦)。傑作機中の傑作機である。

 

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