01_屠龍
(画像はwikipediaより転載)

 

 二式複戦屠龍は攻撃機の長距離掩護、制空戦闘を目的に開発された日本初の双発複座戦闘機である。開発は難航したものの完成した屠龍は傑作機として評価が高い。太平洋戦争初期から終戦まで活躍した。特に本土防空戦ではB29相手に活躍した。

 

二式複戦 屠龍 〜概要〜

 

 

性能 キ-45改甲

全幅 15.07m
全長 11.0m
全高 - m
全備重量 5270kg
上昇力 5000mまで7分00秒
航続距離 1500km
出力 1080馬力は102エンジン2基
最大速度 540km/h(547km/hとも)
武装 20mm機関砲2門
   12.7mm機関砲2門
   7.92mm旋回銃1挺

 

背景から開発まで

 1930年代になると先進各国は双発複座戦闘機の開発に乗り出していた。理由は複座戦闘機ではれば後席の旋回機銃によって戦闘をすることができ、さらには航法にも有利ということであった。その上双発であれば速度、航続距離が飛躍的に高まり爆装することで軽爆撃機としても使用できるというメリットからであった。

 日本も同時期に複座戦闘機、1937年には双発複座戦闘機の開発が開始された。これはキ-38と呼ばれる制空、攻撃機の援護、対地攻撃を目的とした機体であった。研究は中島、川崎、三菱の3社に指示され、川崎のみが作業を進めることとなる。

 結局、この計画は中止され、キ-45開発へと発展することとなる。この計画中止の背景には陸軍が新しい双発複座戦闘機の方針を確立していなかったからだと推測されている。

 

開発(キ-45)

 川崎に対して開発が命じられたキ-45は1938年1月に設計に着手する。性能要求は主に掩護、制空戦闘機としてであった。形式は双発単葉複座で最高速度は540km/h、武装は固定機関砲1門、固定機関銃2挺、旋回機関銃1挺であった。これらの要求を踏まえた上で設計を開始、1939年1月に日本初の双発複座戦闘機であるキ-45試作1号機が完成する。

 完成したキ-45は流線形の胴体に翼の先端に行くほど幅が狭まる楕円テーパー翼を採用し、エンジンはコンパクトな790馬力空冷9気筒エンジンハ-20乙を採用した。脚は引込式ではあるが、搭乗員が手動で行うもので、武装は胴体下に20mm機関砲1門、機首に7.7mm機銃2挺、後方に7.7mm旋回銃1挺を装備していた。照準器は眼鏡式である。

 完成したキ-45試作機は不調の連続でテストは難航した。特にエンジンの不調は深刻であったため、1940年4月にハ-20乙エンジンは不採用となり、ハ-25エンジン(海軍名「栄」)が採用されることとなった。この栄エンジンは1933年に設計開始、1934年に完成したエンジンでこの時点ではすでに海軍の九七式艦攻で実用化されていたエンジンであった。

 このエンジンを装着したキ-45はハ-20乙が最高速度480km/hであったのに対して520km/hと好成績を出した。このため増加試作機8機も全てハ-25に換装されたが、実用機としては不満があるということで1940年10月不採用となった。そして第二次性能向上機としてキ-45改の開発が開始された。

 

開発(キ-45改)

 1940年10月、キ-45改の試作及び生産命令が発せられた。この時点で川崎側はキ-45には見切りをつけ、新たに採用された九九式双軽(キ-48)をベースにキ-45改の開発を開始した。これは1941年5月に設計完了、同年6月に試作1号機が完成した。

 このキ-45改はエンジンに1080馬力ハ-102(海軍名「瑞星21型」)を使用、機体はキ-45よりも若干大型化した。テストされたキ-45改は最高速度が540km/hとキ-45を20km/h上回り、上昇力、航続力等あらゆる点で申し分ない高性能を発揮、1942年2月に二式複座戦闘機として制式採用された。制式採用の前月の1942年1月から川崎航空機岐阜工場、明石工場で量産機の生産が開始された。

 

キ-45改甲

02_屠龍甲
(画像はwikipediaより転載)

 

 初期の量産機である。機首に12.7mm砲(ホ103)2門、胴体右下に試製20mm固定機関砲(ホ3)1門、後席に7.92mm(九八式)旋回機関銃1挺を装備している。ホ3はフランス製ホチキス20mm対空機関砲を改造したもの、九八式旋回機関銃はドイツ製MG15機関銃を国産化したものである。さらに操縦席と後席の間に2門の12.7mm砲(ホ103)を上向砲(いわゆる斜め銃)として装備した夜間戦闘機仕様のキ-45改甲丁装備機と呼ばれる機体もあった。

 

キ-45改乙

 

 乙は、甲の装備はそのままで胴体下の20mm機関砲を九四式37mm戦車砲1門に換装したタイプである。1943年1月から6月までおよそ20機が換装された。この九四式37mm戦車砲は九五式軽戦車の主砲として開発されたもので連射機能はなく搭乗員が手動で装填した。初速は575m/s 、発射速度2発/分、最大射程7000mで100mで25mmの鋼板を撃ち抜くことができる。 後期型は主翼付け根に増槽架兼爆弾架が設置された。

 

キ-45改丙(二式複戦改、二式襲撃機)

03_屠龍丙
(画像はwikipediaより転載)

 

 機首に37mm砲(ホ203)、胴体下に20mm砲、後席には7.92mm九八式旋回機関銃を装備したもの。陸軍航空工廠において1943年3月に設計開始、同年5月に試作1号機が改修された。外観上の特徴は銃身が機首から突出している。同年10月までに65機が改修された。その後、川崎航空機でも生産された。この型は機首を延長して砲身がカバーされている。ホ203は全長1.53m、重量89kg、セミオートで装弾数16発、初速576m/s 、射程900mである。二式複戦改、二式襲撃機とも呼ばれていた。

 

キ-45改丁

04_屠龍丁
(画像はwikipediaより転載)

 

 丙に12.7mm砲(ホ5)2門を上向砲として搭載した夜間戦闘機型。砲は操縦席と後席の中間に設置された。キ-45改中、最も活躍した最強のキ-45改である。

 

その他改良型

 

ホ204装備機

 機種に37mm砲(ホ204)を搭載した機体。1943年1月に1機のみ試作。ホ204は1943年9月に完成した砲で米国ブローニング社の37mm機関砲を改造したもの。

 

ホ401装備機

 機首に57mm砲(ホ401)を搭載した機体。1機のみ試作。砲身が2.4mに達するため機首を1m延長した。ホ401は1944年に日本特殊鋼株式会社製で開発された砲で、セミオートで発射速度は50発/分(30発とも)、初速565m/s であった。

 

ホ301装備機(戊型)

 胴体下部に40mm機関砲(ホ301)を搭載し、レーダー(タキ2号)を搭載した試作機。ホ301はは陸軍航空技術研究所によって開発されたロケット弾を発射する機関砲である。全長1.5m、重量40kg、初速220m/s 、発射速度400発/分。

 

その他改修機

 1944年12月に電波暗視器装備機が陸軍航空工廠で1機のみ試作。1945年3月にはビーコン装備機が陸軍航空工廠で1機のみ試作。1944年3月には高高度飛行用装備実験機が陸軍航空工廠で1機のみ試作された。高高度飛行を可能とするため高高度用の改良を加えたハ-102特エンジンを装備したが成功しなかった。他にも1942年8月にはエンジンをハ-112に換装、翼面積を増大したキ-45改兇計画されていた。

 

生産数

 キ-45は試作機3機、増加試作機8機の11機。キ-45改(屠龍)は、試作機3機、川崎航空機岐阜工場で320機、明石工場で1367機の合計1690機が生産された(1704機説あり)。

 

配属部隊

 1942年1月上旬、当時ハノイに展開していた独立飛行第84中隊が9機の屠龍を受領、これが最初に屠龍を受領した部隊である。この中隊は同年10月に1戦隊から人員を補充、21戦隊となった。次に受領したのは5戦隊で同年3月から配備が開始されている。その後4戦隊、13戦隊も屠龍を受領、5戦隊と共に全面的に屠龍に改変した。

 1943年にはB-17の重装甲を破壊するために37mm砲を装備した改造型が完成、本機で独立中隊を編成、特別攻撃隊と名付けられた同隊がラバウルに進出しているが目立った戦果はなかった。1944年2月には屠龍を襲撃機型に改造した二式複戦改が45戦隊に配備されていた他、27戦隊も同機を装備していた。

 本土防空戦では初期の九州への空襲に4戦隊が対応、大きな戦果を挙げた。関東地区では53戦隊が屠龍を装備防空戦闘に活躍している。中部地区は南方から帰還した5戦隊が担当、斜め銃を装備してB-29迎撃に活躍したが1944年5月末に五式戦に改変された。他にも満洲では25中隊が終戦までソ連軍機甲師団相手に健闘している。

 

まとめ

 

 長距離掩護、または制空戦闘機として開発された日本初の双発複座戦闘機屠龍は戦争後期には37mm砲を装備した対爆撃機用戦闘機として活躍する。この屠龍を駆って撃墜不可能と言われたB-29爆撃機を多数撃墜した樫出勇大尉等の活躍も有名である。

 

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