01_二式単戦
(画像はwikipediaより転載)

 

 通称「鐘馗」、米軍コードでは「トージョー」と呼ばれる。二式単戦キ-44は日本陸軍初の速度を重視した重戦闘機であり、試作機には時速626km/hにまで達したこともある高速機である。高速・重武装ではあったが、このため着陸は難しく当時の日本の搭乗員が好んだ格闘戦能力は低く搭乗員には今ひとつ不評な航空機であった。しかし設計者の一人糸川英夫は自身の設計した航空機の中でこの二式単戦鐘馗を最高傑作としている。名機である。

 

二式単戦 鐘馗 〜概要〜

 

 

性能(二型丙)

全幅 9.45m
全長 8.85m
全高 3.25m
出力 1450馬力
全備重量 2764kg
上昇力 5000mまで4分26秒
航続距離 1600km(増槽装備時)
最大速度 605km/h
武装 12.7mm砲(ホ103)4門(各携行弾数250発)

 

背景から開発まで

 重戦闘機とは日本陸軍の区分で海軍では当該区分は存在しない。1938年7月に陸軍の研究方針で初めて重戦闘機という区分が取り入れられた。当初の陸軍の重軽の区分は、軽戦闘機は格闘戦能力を重視したもの、重戦闘機は速度を重視するというものであった。

 この研究方針に沿って1938年下半期に中島飛行機に研究を開始させている。その後1939年6月に正式に試作が指示された。性能要求は高度4000mで最大速度600km/h以上、上昇時間5000mまで5分以内、行動半径600km、武装は7.7mm2挺、12.7mm2門というものであった。これは当時の列強各国の戦闘機の性能を考慮すると常識的な要求であったといえる。

 

開発

 航空機の開発はまずエンジンの選定から始まる。のちに二式単戦と呼ばれるキ-44が採用したエンジンは中島製1250馬力ハ-41エンジンであった。設計の特徴は当時の日本戦闘機の多くが格闘戦性能を重視したのに対してこのキ-44は翼面荷重を150kg/屬罰米戦性能よりも速度を重視したことにあった。

 高速重戦闘機ということで急降下速度850km/hにも対応できるように主翼付け根には多格子型応用外皮構造を採用した。これは主翼の付け根をさらに外皮によって補強するもので、これによりキ-44は一度も空中分解することがなかった。他にも離着陸や空戦時に威力を発揮する蝶型フラップも採用された。

 陸軍は防弾装備も重視しており、燃料タンクは被弾した際に発火を防ぐために積層ゴムによっておおわれていた。さらにキ-44は日本戦闘機としては初めて座席後部に搭乗員を守るための13mm鋼板が取り付けられていた。

 試作1号機は1940年8月(5月下旬説もあり)完成。1941年4月までに3号機までが完成した。1940年10月初飛行。同月より陸軍において審査が始まったが、キ-44は陸軍が提示した性能要求を下回っており評価は芳しいものではなかった。このため、カウルフラップ、カウリング、気化器の一部を改修した結果、試作5号機では当初550km/hだった最高速度も607km/hまで向上した。さらにはあらゆる隙間を目張りした状態では何と626km/hという当時の日本戦闘機では最高速度を記録している。

 この改修の結果、陸軍の二次審査では「対爆撃機邀撃用として使用できるが、対戦闘機用としては実用価値はない」という手厳しい評価であったが、1942年2月に制式採用された。

 

 

一型

 1942年2月の制式採用以前の同年1月に量産1号機は完成していた。エンジンはハ-41でプロペラは3翅定速プロペラ、スピナー先端には試作機には無かった始動用のフックが追加されていた。風防は試作3号機までは中央部が後方にスライドするものであったが、試作4号機以降、一型も後部が後方へスライドする方式に変更された。

 武装は7.7mm機銃(八九式7.7mm機銃)2挺、12.7mm砲(ホ103)2門で眼鏡式の照準器を使用する。最大速度は580km/h、5000mまでの上昇時間は5分54秒、全備重量は2.571kg、過荷重2886kg、翼面荷重は171.3kgであった。

 

二型

 1941年1月よりエンジンをさらに強力な1520馬力ハ-109エンジンに換装した二型の研究が開始された。一型の内5機のエンジンをハ-109に換装した二型試作機が1942年2月から5月までの間に製作された。同時並行してエンジン以外の各部にも改修をくわえた増加試作機も製作され、1942年6月に1号機が完成、1942年8月までに3機が完成した。

 二型はエンジンの出力増加に伴いプロペラが3m3翅の定速プロペラに変更、滑油冷却器はカウリング下部へ移された。また風防前面には40mm防弾ガラスが使用され、燃料タンクはゴム防弾式となった。これらの改修により、全備重量は2780kg、翼面荷重は185kg/屐着陸速度は145〜150km/hとなったが最高速度は600km/h、5000mまでの上昇時間も4分15秒と大幅に向上している。1942年12月に二式単戦二型として制式採用された。

 

二型甲

02_二式単戦甲
(画像は二式単戦二型甲 wikipediaより転載)

 

 武装の違いにより二型は甲乙丙の3タイプに分けられる。甲型は武装が胴体内に7.7mm機銃(八九式7.7mm機銃)2挺、主翼に12.7mm砲(ホ103)2門を装備した機体で照準器は眼鏡式であった。

 

二型乙

03_二式単戦乙
(画像は二式単戦二型乙 wikipediaより転載)

 

 二型乙は胴体内に12.7mm砲(ホ103)2門のみ搭載した型で主翼内には特別装備として40mmロケット砲であるホ301を1門ずつ搭載することができた。このホ301は、携行弾数は1門20発、2門で40発、簡単な構造で重量も軽かったが弾道が不安定であった。

 

二型丙

04_二式単戦丙
(画像は二式単戦二型丙 wikipediaより転載)

 

 丙型は最も多く生産された型で、胴体、主翼共に12.7mm砲(ホ103)を装備した機体で照準器も光学式に改良されている。5000mまでの上昇時間は4分26秒に短縮された。

 

三型

 エンジンを2000馬力ハ-145に換装、翼面積を19屬冒大、プロペラは4翅定速式にした型で1943年6月に1号機が完成したが当時、すでに傑作機キ-84(疾風)が完成していたため不採用となった。計画では20mm砲4門装備の甲型、20mm砲2門37mm砲(ホ203)2門装備の乙型が計画されていた。極少数が生産された。

 

その他改修型

 一型の1機はペ七P-1と呼ばれるエンジンを二重反転プロペラ用に改造したハ-41ペ試に換装した機体がある。

 

生産数

 試作機が1940年8月に完成してから1944年末に生産が終了するまで、一型が40機、二型甲が353機、二型乙が393機、二型丙が約440機、少数製作された三型を含めた総生産数は1225機である。

 

配属部隊

 二式単戦の最初の部隊が編成されたのは未だ制式採用前の1941年11月で開戦後に会敵が予想される英戦闘機スピッツファイアに対抗するために編成された独立飛行47中隊で、試作機と増加試作機合計9機が配属された。次に二式単戦を受領したのは満洲海浪に展開していた85戦隊と団山子の87戦隊で1942年末から1943年初頭にかけ二式単戦を受領、同時期に33戦隊も5機のみであるが二式単戦を受領した。

 1943年5月から7月にかけて9戦隊、70戦隊、246戦隊が受領、10月には先の独立飛行47中隊が戦隊に改変されている。1944年3月には満洲海林の29戦隊、年末には千葉県印旛の23戦隊が一式戦と二式単戦の混成部隊となっている。

 

まとめ

 

 当時としては最高速度が600km/h以上と高速であると同時に着陸速度も145〜150km/hと高速であった本機は海軍の雷電同様、現場からは「暴れ馬」「殺人機」と酷評されたが当時の空戦の流れである一撃離脱戦法に専念すれば十分に有効な戦闘機であった。空戦能力も連合軍機に引けは取らなかったものの本機を十分に活用できる状況になかったのは残念である。戦後の米軍の性能試験では本機を迎撃機としては最も傑出した機体としている。

 

 

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