
(画像はwikipediaより転載)
戦艦香取級は敷島級の後継にあたる戦艦であるが、就役が日露戦後であったためあまり知られていない戦艦であるが、完成当初は世界最強、最新鋭の戦艦であった。海戦を一度も行うことなくワシントン軍縮条約により廃艦となった。
戦艦香取級 〜概要〜
性能
通常排水量 15950トン(鹿島16400トン)
最大排水量 -トン
全長 139m(鹿島143.3m)
全幅 23.8m(鹿島)
吃水 8.2m(鹿島8.1m)
機関出力 1万6000馬力(鹿島1万5600馬力)
最大速力 18.5ノット
航続距離 10000海里/10ノット
乗員 864名
武装 45口径30.5cm砲連装2基
45口径25.4cm単装砲4基
15.2cm単装砲12基
7.6cm単装砲16基
45cm水中発射管5門
装甲 舷側 22.9cm
甲板 7.6cm
主砲 -cm
同型艦 2隻
特徴
日露戦争開戦前の1904年に起工された艦で風雲急を告げる日露関係に備える目的で発注された戦艦であったが、日露戦争には間に合わず戦後に竣工した。要目は当時イギリスが建造中のキング・エドワード7世級に準じているが、砲数では香取級の方が若干上回っている。
主砲は敷島級と同じ30.5cm砲であったが、敷島級の40口径に対して45口径となり、副砲も長砲身化されたので遥かに強力になっている。因みに「口径」とは砲身長を表す用語で、45口径とは砲身の長さが砲内の直径×45の長さであることを意味する。
2隻揃うまでの期間を短縮するために1番艦香取はヴィッカーズ社、2番艦鹿島はアームストロング社と別々の会社に発注されたため、砲口径等の主要部分以外の仕様はかなり異なっている。1906年8月に日本に引き渡された際は世界最強の戦艦であったが、わずか4ヶ月後に戦艦の革命とも言えるドレットノート級が完成してしまったため一気に旧式戦艦となってしまった。
建造
1番艦香取は1904年4月にヴィッカーズ社で起工、2番艦鹿島は1904年2月にアームストロング社で起工された。竣工は1番艦が1906年5月20日、2番艦鹿島が1906年5月23日である。一応、同型艦ということになっているが全長等仕様が大きく異なるので別の級と考えた方が良いかもしれない。
戦艦香取級の活躍
1番艦香取

(画像はwikipediaより転載)
1番艦香取は、1906年5月に竣工、8月に日本に到着する。日露戦争により2隻の主力艦を失った日本海軍にとっては待望の新戦艦であった。竣工した時点で日露戦争は終結していたため戦闘参加はないが、艦隊旗艦を務め、度々御召艦として大正天皇や後の昭和天皇の行啓に活躍した。
1914年、第一次世界大戦が始まると中部太平洋に進出、ドイツ領であったサイパン島を占領した。1916年には大改修が行われ、1921年には後の昭和天皇の渡欧に際し、御召艦として再びイギリスに戻った。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。
2番艦鹿島

(画像はwikipediaより転載)
2番艦鹿島は1906年5月竣工、香取と同様、戦闘での活躍はなく、しばしば御召艦として活躍する。1915年に大改修が行われ、1918年にはシベリア出兵に参加、上陸支援に従事した。1921年には1番艦香取と共に遣欧艦隊を編成、イギリスに戻る。1923年9月ワシントン軍縮条約により廃艦。主砲は陸上砲台へと転用された。
まとめ
香取級は日露戦争後に竣工したため目立った戦歴はない。完成後わずか4ヶ月にして革命的戦艦ドレットノート級が完成してしまったため一気に陳腐化してしまった。しかし、日露戦争で主力艦を失った日本海軍にとっては待望の戦艦であり、廃艦までの約20年間日本の海の護りとして活躍した。
関連リンク
前級敷島級戦艦
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