苫米地英人 著
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2015/3/15)

 

 脳科学者として有名な著者の日本論である。

 日本人は何故こうも従順なのか。著者は東日本大震災で被災者が略奪をせずに並んで救援物資を受け取る姿の中に一般に言われるような日本人のマナーの良さとは取らず、日本人の従順さ、奴隷的な従属体質を見る。スーパー等に食料品があるにも関わらず、それを盗らず救援物資を空腹で待つという姿は、生存権よりも財産権が優先されている状態を表している。

 このような状態はどうして生まれたのであろうか。これは日本に儒教思想が根付いている結果だという。儒教思想は家族の上下関係を基本にそれを社会全体に拡大していく考え方であるが、基本的に秩序を守り上下の分別をはっきりさせるという側面も持つ。これが日本人の従順さの理由であると考える。しかし儒教は中国、朝鮮半島、東アジア全域に広く受け入れられている考え方であるにも関わらず、中国、朝鮮半島の人はここまで従順ではないという。そこに第二の理由が存在する。それが日本人の他人の目を気にするという価値観である。

 要するにスーパーの食料品を奪わなかったのは、善意からではなく、他人の目を気にしてできなかったと考える。これはフーコーの指摘する相互監視社会そのものであるという。相互監視社会とは権力者が社会の構成員を監視するのではなく、構成員が相互に監視し合うというメカニズムのことだ。この相互監視社会が日本では発達しているという。

 さらに著者は日本の裁判制度の情状酌量についても手厳しく批判する。情状酌量とはその人の人となりによって判決の結果が変わってしまう。例えば、裁判所にスーツを着てくるかボロボロの私服を着てくるのかで刑の軽重が変わってしまうということが起こる。例えばライブドア事件で堀江氏は50億円超の粉飾をした。これに対し、山一證券は1000億円の粉飾を出した。判決は堀江氏のみ実刑判決である。これは堀江氏が態度が良くなかったからだと指摘する。このように判決の内容が裁判官の心証によって決まってしまうことを批判する。

 さらに小売店と客との関係にも言及する。小売店の販売員と客との関係は基本的に客の方が偉いということになっている。普通会社内で吐いたパワハラになるような暴言も客が従業員に言う場合にはなんの咎めもない。このような状態が恒常化しているため、商人になるんだったら役人にという風になってしまう。

 これらのことが積み重なることによって日本に閉塞感が漂っているのだという。そしてこれに対する解決法は、日本から出ることであるという。携帯のキャリアを選ぶように国家を選ぶことを著者は提言する。そこまでいかなくても道州制を施行して、各道に独特の政治体制を敷くことで日本国内でも政治体制を選べるようにすればいいという。

 以上が本書の内容の大まかな部分である。基本的には私と全く同意見である。正直、ここまで同意見の人がいることに驚いたくらいだ。苫米地氏はとかく胡散臭いイメージが付きまとうが本書の内容はまさに正論であると思う。少なくともこれくらい市民が強気に出なければ日本は変わらない。社会保障を充実させるという名目で消費税を増税し(消費税増税の理由を知らない人も大勢いる)、同時に年金支給額を切り下げられても、じっと耐える日本人、これでいいのだろうか。本書を読むことをお勧めする。

 

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