01_青葉
(画像はwikipediaより転載)

 

 重巡洋艦青葉とは青葉型巡洋艦の1番艦である。1927年に就役、太平洋戦争では開戦当初より攻略作戦支援に活躍する。1942年のサボ島沖海戦では米艦隊の砲撃の直撃を受け大破、修理が完了した1943年には進出早々B17の爆撃により大破、修理完了後の1944年には潜水艦の雷撃により大破、1945年には米艦載機の空襲により大破している。毎年大破され続けたが、終戦時には大破着底した状態で残存。1946年に解体された。

 

重巡洋艦 青葉 〜概要〜

 

性能(改装後)

 通常排水量 9,000トン
 全長 185.17m
 全幅 17.56m
 吃水 5.66m
 機関出力 10万2,000馬力
 最大速力 33.43ノット
 航続距離 8,223海里/14ノット
 乗員 657名
 武装 50口径20cm砲連装3基
    45口径12cm砲単装4基
    25mm連装機銃4基
    13mm連装機銃2基
    61cm連装魚雷発射管2基
 装甲 舷側 76mm
    甲板 32-35mm
    主砲 25mm
 同型艦 2隻

 

特徴

 艦名は京都府と福井県の境に位置する青葉山から命名された。前級の古鷹型とほぼ同型であるが、主砲が古鷹型の20cm単装砲6基に対して20cm連装砲3基となっている。1937年には佐世保海軍工廠において近代化改修を行っており、これにより主砲が20.3cm砲となり排水量も増加している。

 

同型艦

1番艦 青葉(起工1924年2月4日、竣工1927年9月20日)
2番艦 衣笠(起工1924年1月23日、竣工1927年9月30日)

 

重巡洋艦 青葉 〜戦歴〜

02_青葉
(画像はwikipediaより転載)

 

青葉就役

 1927年9月20日、日本海軍の青葉型重巡洋艦のネームシップ巡洋艦青葉が就役した。青葉型は一応、前級の古鷹型重巡洋艦を改良したものとなっているが実質はほとんど同型艦である。古鷹型との最大の違いは古鷹型が20cm単装砲6門であったのに対して青葉型は20cm連装砲3基であった点であるが、その後の近代化改修によってどちらも20.3cm連装砲に換装されている。

 そのため基本的には古鷹型と青葉型はほぼ同型艦と言って良い。編成でも古鷹型の古鷹、加古と青葉型の青葉、衣笠の4隻は多くの場合戦隊を編成して一緒に行動していた。青葉がすごいのはその生涯に亘っての損害の受け方が尋常ではないからである。最初の損害は1936年の事故で、夜間航行中の青葉に僚艦の衣笠が船尾に衝突してしまった。要するに「カマを掘られた」訳だが、この時の損傷は軽微だったようである。

 

太平洋戦争開戦

 1941年、太平洋戦争が開戦すると重巡青葉はグアム島攻略、ウェーク島攻略に活躍する。1942年4月にはポートモレスビー攻略作戦に参加した後、一旦、本土に戻り整備を受ける。7月には再びソロモン方面に出撃、8月には第一次ソロモン海戦に参加する。この海戦では青葉は小火災が発生した程度であったが、海戦後に潜水艦によって「ほぼ姉妹艦」の加古が撃沈されてしまう。

 

サボ島沖海戦で大破

 1942年10月には五藤在知少将指揮の下、第六戦隊の旗艦となり、僚艦衣笠、古鷹と共にサボ島沖海戦に参加する。サボ島沖海戦では米艦隊を味方艦隊と誤認、「ワレアオバ」の信号を米艦隊に対して送り続けた。その直後、米艦隊が発射した初弾が青葉艦橋に命中する。

 この攻撃により五藤存知少将を含む79名が戦死する。因みに五藤少将は山内一豊の重臣五藤吉兵衛の子孫である。大河ドラマ『功名が辻』では武田鉄矢氏が演じていた。艦橋以外にも砲弾が命中して青葉は大破する。辛うじて撃沈は免れたが、「ほぼ姉妹艦」の古鷹は撃沈されてしまう。これによって青葉の4姉妹は青葉型のみとなってしまった。

 満身創痍の青葉はトラック泊地に帰投する。トラック泊地には、8月に工作艦明石が進出しているので明石による応急修理を受けたのであろう。10月下旬には内地帰投。呉海軍工廠で本格的な修理と改修を受ける。この青葉が内地で修理中に姉妹艦衣笠が第三次ソロモン海戦で撃沈されている。これによってとうとう青葉の姉妹艦は皆無となった。

 

1943年カビエン進出直後に爆撃で大破

 1943年2月、修理が完了し再びトラック泊地に進出。さらに4月にはカビエンに進出するがそこでB-17の投下した爆弾が青葉に命中。青葉は大破し曳航されてトラック泊地に戻ることになる。そこでまたまた工作艦明石の応急修理を受けたのち、1943年8月呉に到着。12月、修理が完了した青葉はシンガポールに進出し輸送任務に従事、1944年2月からインド洋での通商破壊戦に参加する。

 

1944年潜水艦の攻撃で大破、1945年空襲で大破

 1944年6月には渾作戦に参加するが、ここで潜水艦の雷撃により大破。マニラで応急修理を受けて5ノットの速力で辛うじて呉軍港に帰投する。呉に戻ったが損害があまりにも大きいために修理を諦め放置される。そして1945年7月の呉軍港空襲にて大破着底したまま終戦を迎え、翌年11月解体された。

 

まとめ

 

 青葉の戦歴は、1942年10月、サボ島沖海戦で大破。1943年4月、B-17の爆撃で大破。1944年6月、潜水艦の雷撃で大破。1945年7月、呉軍港空襲で大破と太平洋戦争開戦以来、毎年一回、定例行事のように大破してきた重巡青葉はとうとう太平洋戦争を生き抜いた。これを幸運艦と言っていいのかは微妙である。

 

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