01_文革
(画像はwikipediaより転載)

 

 1981年6月29日、 中国共産党第11期6中総会で文化大革命を全面否定する「歴史決議」を採択された。これは意外と重要な事件で、実は、中国共産党は文化大革命を否定してるのである。この中国共産党も否定した文化大革命とはどういう事件であったのだろうか。文化大革命について分かりやすく解説してみたいが、文化大革命に行く前にまず1958〜1961年に中国で起こった大躍進政策から説明していこう。

 

大躍進政策

 

02_大躍進政策
(画像はwikipediaより転載)

 

 1957年、当時ソビエト連邦書記長だったフルシチョフは「15年以内に工業生産、農業生産でアメリカを追い越す」という宣言をした。これに対して当時ソ連と関係が悪化していた中国は同様に壮大な計画を立てる。それが大躍進政策である。

 そもそもマルクス主義では共産社会は資本主義社会の次にくる世界であるため、資本主義に対して共産主義が負けるということはあってはならない。つまりは、ソ連、中国ともに資本主義に対して生産力が向上していないと、理屈が合わなくなってしまう。そのため、ソ連も中国も大規模な増産計画を計画、実行した。

 その結果、実際に行われた大躍進政策はかなり「まずい」結果となった。鉄鋼の生産量を上げるために農工具を溶かしてしまったり、農作物の生産を上げるために雀を大量にとってしまったりした結果、生産効率は激下がりし、食物連鎖が崩れた結果、大凶作が起こった。

 しかし各地の現場指導者たちはノルマを課せられているために生産量を過剰に報告する。その結果、生産量の辻褄を合わせるために農村から食料を洗いざらい挑発、その結果、大量の餓死者が発生した。その数は1000〜4000万人という膨大な数だと言われており、当時中国の指導者であった毛沢東も大躍進政策の失敗を認めざるを得なくなった。

 

文化大革命

 

03_文革
(画像はwikipediaより転載)

 

 失脚した毛沢東に代わって劉少奇や小平が権力を握る。劉らは部分的に市場経済を導入することにより大躍進政策の混乱から回復させつつあったが、これに対して毛沢東は権力の奪還を企図、そこで劉少奇や小平を「修正主義者」(共産主義から資本主義へと修正する人)と弾劾し、名目上、封建的文化、資本主義的文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようというもので、紅衛兵と呼ばれた10代のガキや大衆を扇動することにより劉やの失脚を狙った。

 劉やのシンパのみならず地主や知識人等も反革命分子、反動分子とされ攻撃の対象となった。社会主義では宗教も否定されているため、宗教者や宗教施設も攻撃の対象とされた。このためこの紅衛兵はどんどん先鋭化していき、拷問、殺戮、吊し上げ等が横行した。遂には毛沢東にも制御できなくなり、最終的に毛沢東は人民解放軍を投入することになる。そして1976年毛沢東が死亡し、中心となっていた四人組が失脚することにより文化大革命は終了する。1977年に勝利のうちに終結と宣言が出されたが、文化大革命による死者は数百万〜2000万人にも及ぶと言われている。

 

まとめ

 

 文化大革命では、知識人は人民を毒する存在として徹底的に弾圧されたため、中国の発展は科学技術、経済共に大きく阻害された。大躍進政策、文化大革命を主導した毛沢東は「史上最も人を殺戮した人物」と言われている。

 

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