小池喜明 著
講談社 (1999/7/9)

 

 皆さん憧れのヒーローというものがあると思います。それはスポーツ選手であったり、特撮ヒーローだったり、アニメのヒーローだったり、ユーチューバ―だったりする訳です。翻って私は運動は子供の頃からほぼできなかった。小学生の時はドッジボールでは毎回ロックオンされ、サッカーは参加せず、野球に至っては人生で1回しかやったことがないという運動神経のかなりない子供だった。

 そういう私がスポーツ選手に憧れるということは全くなく(そもそもスポーツ選手なんて知らない)、特撮物も何故か興味がなかったので憧れることはなかった。アニメは好きだったがその登場人物に憧れるということはなかった。多分、絵の中の世界の架空の人に憧れるというのに違和感を感じたのだろうと思う。

 しかし、そんな私にもヒーローはいたのだ。そしてそれは実在の人物ではない。それは何かというとそう、私が憧れていたのは、じゃじゃーん!

 

時代劇の主人公

 

 なのだ。。。大江戸捜査網の井坂十蔵や暴れん坊将軍の徳田新之助が私の中のヒーローであった。特に徳田新之助(通称新さん)は私の最強のヒーローであったのだ。憧れた理由は何といっても強い!彼らは「苦戦」することがない。絶対に負けない、ピンチにすら陥らない。そして悪いことはしない(正義の味方なので。。。)。誰にでもやさしい。。。。ととにかく完全人間な訳だ。

 そんな時代劇キッズが侍に憧れるのは必然。。。武士道というものにも自然と興味を持つようになった。大学時代には歴史学を専攻したということもあり、昔のように無邪気に「侍=正義」とはならないのは当然としても私は武士道についてちょっとした疑問が芽生え始めたのだ。

 世間一般では武士道といえば山本常朝『葉隠』や新渡戸稲造『武士道』が最初に頭に浮かぶと思う。内容は大きく、主君への忠義と決死の覚悟というところだろう。しかし、よーく考えてみれば一番武士が「活躍」した戦国時代って、裏切りやら下剋上やら謀略の嵐だった訳だ。

 

忠義も何もあったものじゃねーじゃん!

 

 ということなのだ。そこで私は武士道関係の本を読みまくったのだ。その経過は省略するが、結局分かったのは、江戸時代の武士道と戦国時代の武士道は全然違うということだった。そもそも今みんなが知っている「武士道」というのは江戸明治期の思想であったということが徐々にわかってきた。

 考えてみれば、実際に生きるか死ぬかという状態で「正々堂々」と戦っていたら命がいくつあっても足りない。真っ先にあの世行きな訳だ。自分が死ぬということは自分の家族や一族も死ぬということだ。当然、「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」という考えになるのだ。

 そうなるとむしろ疑問なのが武士道の方で、江戸時代の武士道、特に山本常朝『葉隠』について深く研究したのが今日紹介する小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』だ。

 

葉隠とは。。。 『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
(wikipediaより転載)

 

 本書を紹介する前に『葉隠』についての現代の評価について書いてみたい。現在の『葉隠』評には大きく、『葉隠』著者山本常朝を評価する論者と批判する論者に分れる。批判する論者の主張は主に、

 

〇核楙鐵はそもそも戦争を知らない世代であり、本人も明らかに武の人ではなく文の人だ。その人が武士の覚悟ということを書くのは分不相応。

 

∨椰佑賄造死んだら必ず殉死をしなければならないと言っておきながら常朝は殉死していない。

 

 等などだ。逆に肯定する派の多くは『葉隠』の内容を額面通りに受け止めているものが多い。私は額面通りに受け止めるのに違和感を感じたので基本的に批判派であった。ところで著者はどうかというと、著者は「肯定派」と考えていい。ただ、著者の場合は内容を額面通りに捉えるのではなく、一々検証した上で結論を出している。これが私が今まで読んできた意見とは違うものであった。

 一番面白いのは常朝は『葉隠』中で武士道という言葉をほとんど使っていないということ。代りに奉公人という言葉を多用しているということだ。つまりはそもそも常朝は武士道だとは言ってないというイメージだ。常朝は奉公人として死ぬ覚悟で勤めよということを主張している。戦国時代から江戸時代に移行するにあたって、戦闘者たる武士は官僚としての職務を行わなければならなかった。

 しかし権力の源泉が武力である以上、要するに「なめられて」は困る訳だ。なめられては困るが毎日戦闘をしても困る。そこで「死ぬ気で奉公」というところが落としどころとなる。その理屈を書いたのが『葉隠』と考えていい。本書を読んで、私が一番気になるのは『葉隠』という非常に被虐的な内容の本が時代を超えて読み継がれているということだろう。

 現代は個人の自由、人権が尊重された社会だ。君主のために死すという時代ではないが、組織のため自分の属している群れのために個を捨て尽くすことがどこかしら美徳とされているようにも感じる。個性を主張できない息苦しさをポジティブに変換してくれるのが現在の『葉隠』が提供する価値なのかもしれない。最後に本書はさすがに歴史学者で殉死を研究テーマとする人だけあって内容はかなり専門的で詳しい。

 『葉隠』関係の研究書籍で1冊薦めるとすれば本書が最良だと思う。ただ、一応一般書ではあるが、結構難解で読むのは大変かもしれない。

 

 

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