不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)




閃電は単発双胴推進式という珍しい形の局地戦闘機として計画された。計算上の最高速度は759km/hとされており、仮に完成していたとすれば日本ではトップクラスの高速機であっただろう。設計は三菱によって行われていたが、戦局の悪化に伴って計画は中止された。

目次



  1. <性能>

  2. <概要>

  3. 生産数

  4. まとめ


 

<性能(計算値)>



全幅 12.5m
全長 12.5m
重量 正規状態4886kg、過荷重5255kg
最高速度 759km/h 
上昇時間 8000mまで10分 
実用上昇限度 12000m 
航続距離 -
武装 30mm機関砲1挺、20mm機関砲2挺
 

<概要>



 閃電は昭和17年度の試作局地戦闘機として計画されたもので、その計画は昭和14年に開発が計画された十四試局地戦闘機、後の雷電の後継機としてであった。海軍の性能要求は最大速度が高度8000mで703km/h、巡航速度高度3000mで463km/h、着陸速度148km/h、上昇力高度8000mまで15分、実用上昇限度11000m、航続力2時間プラス全力30分、武装は30mm機関砲1門、20mm機関砲2門というものであった。


 計画されていたスケジュールとしては昭和17年末に発注、昭和18年末に1号機完成、昭和19年秋に審査完了というものであった。全体的にかなり無理のある計画であるが、受注予定の三菱ではこれを双胴単発機として計画していた。


 双胴単発とはP-38のような形をしているが、エンジンは1基中央コックピット後方にジェット機のように後ろ向きに設置され、コックピット左右の「胴体」はコックピットエンジンの後方で補助翼と垂直尾翼につながるという形状である。


 エンジンは当時、三菱が開発し、烈風にも搭載されたハ-43エンジン(2200馬力)を搭載する計画で、三菱が試算した計算値では、最高速度759.3km/h、巡航速度500km/h、上昇時間は高度8000mまで10分、実用上昇限度12000mとなっていた。


 三菱では試作発動機を使用した実験により、当初心配されていた空冷エンジンの冷却問題こそ起こらなかったが、プロペラ後流による振動問題やその他の問題が多く、昭和19年10月に開発が中止された。

 

生産数



 0機

 

まとめ



 レシプロ機の速度は800km/h前後が限界と言われている。高速になればなるほど空気の流入が少なくなりエンジンの性能低下を起こすのが理由で、その限界値が800km/h前後であるという。閃電は完成こそしなかったものの、航空技術に関して欧米に後れを取っていた日本航空界の挑戦であった。


 機体も古い形に拘らず、三菱技術陣は、日本全体の基礎技術力の低さや戦争の悪化による物資不足、軍部の無理な要求等、不利な条件が重なる中、与えられた環境で最大限の努力をしたといえる。これら当時の航空機業界の挑戦には目をみはるものがある。

2019年7月2日初稿。


↓良かったらクリックして下さい。

ミリタリー(模型・プラモデル) ブログランキングへ