01_九七式大艇
(画像はwikipediaより転載)

 

 戦前、戦中と日本が掛け値なしで世界一だったのは大型飛行艇である。飛行艇が高性能だった理由は、全周囲が海に囲まれた日本の地理的要因が大きかったのかもしれない。国産最大級の九七式大艇、その後継の二式大艇と間違いなく世界で最も高性能の飛行艇であった。

 

九七式大型飛行艇概要

 

 

<性能(23型)>

全長 25.6m
全幅 40m
全高 6.27m
全備重量 17.5トン/過荷重23トン
最高速度 385km/h
航続距離 6771km
武装 20mm旋回銃1挺、7.7mm機銃4挺、航空魚雷2または爆弾2トン
設計・開発 菊原静男 / 川西航空機

 

開発・生産

 1934年初め、九試大艇の名称で開発が指示されたのがのちの九七式大艇である。海軍は大型飛行艇でありながら陸上機並みの速度に爆装、雷装でもできる遠距離攻撃機を想定していた。海軍は川西航空機に開発を指示、川西は菊原静男技師を設計主務者として開発を開始、指示されてから2年後の1936年7月14日、九試大艇は初飛行をし、25日には軍に領収された。1938年1月8日、海軍は試作機を九七式大艇1号飛行艇、量産型を九七式2号飛行艇1型として制式採用した。試作機は4機生産され、1号機から4号機までで840馬力光二型エンジンを装備していたがのちに1号機以外の3機は1000馬力金星43型に換装された。

 

11型

 量産型の九七式2号飛行艇1型(のち九七式飛行艇11型)は、全部で12機生産されており、5〜16号機が該当する。5〜14号機の10機は当初から金星43型エンジンを装備しており、内、7〜8号機の2機は輸送機に改造された。15〜16号機の2機は当初から輸送用として改造されている。 重量16トン。武装は尾部に20mm機銃1挺、機首、後方に7.7mm機銃1挺。最大速度は332km/h。5000mまでの上昇時間3分58秒。実用上昇限度7600m。航続距離4130km。

 

22型

 九七式飛行艇22型は2号2型と呼ばれるタイプと2号3型と呼ばれるタイプの2種類が存在する。  1940年4月16日に制式採用された九七式2号2型は、金星43型エンジン装備、武装が新たに側方左右に7.7mm機銃が装備された。1941年8月5日に制式採用されたは、九七式2号3型は、940馬力金星46型を装備、重量17トン。エンジンを換装したことにより最大速度が340km/h、5000mまでの上昇時間3分31秒、実用上昇限度9610m、航続距離6081km。武装は2号2型と同じ。22型は125機製造された。

 

23型

九七式大艇03

 

 九七式飛行艇23型が最終生産型で1942年8月に制式採用された。エンジンが金星51型、1300馬力53型に換装され最大速度が385km/h、5000mまでの上昇時間が3分23秒、航続距離6770km。重量23トン。生産数36機。さらには九七式大艇の輸送機型である九七式輸送飛行艇が、1939年7月(8月2日説もあり)制式採用された。

 武装を撤去し10人分のソファが装備、さらには寝室、手荷物室、客室、化粧室が設けられた。乗員は8名。11型ベースのもの22型ベースのものの2種類があった。全備重量17.1トンまたは23トン。11型ベースのもので最大速度は333.4km/h、航続距離4328.1kmである。20機が海軍、18機が大日本航空で使用された。民間使用機は川西式四発型飛行艇と呼ばれる。生産数は34機。

 

生産数

 九七式大艇の生産数は試作機が4機、11型が12機、22型が127機、23型が36機で合計179機、輸送型が36機である。179機中2機が輸送型に改造されているので正確には九七式大艇177機、輸送型38機である。  年度毎の生産数は、1936年度が試作機1機、37年度試作機2機、38年度試作機1機、量産機8機、39年度20機、40年度33機、41年度65機、42年度49機、輸送型は1940年が5機、41年が3機、42年が25機、43年1機である。なお終戦時には5機が残存していた。

 

戦歴

九七式大艇02

 

 1937年半ば、新設された飛行艇隊である横浜航空隊(浜空)に九七式大艇が配備された。1938年には大湊での耐寒訓練が行われたが、これは当時難航中であったソビエトとの漁業交渉を有利に展開させるための圧力であったといわれる。そうであるならばこれが最初の任務ということになるのかもしれない。その後、九七式大艇はその長大な航続力を生かし南洋調査に活躍、これが太平洋戦争開戦後に非常に役立つこととなる。

 1940年11月15日には2番目の九七式大艇の部隊である東港空が台湾東港に開隊、定数24機が割り振られた。太平洋戦争開戦時の飛行艇部隊はこの2隊と横空に2機、佐世保空に15機であった。太平洋戦争開戦時には横浜空はメジュロ環礁、東港空はパラオに展開していた。横浜空はその後、ラバウルに進出、ポートモレスビー爆撃に活躍した。

 これに対して東港空はパラオからダバオに進出、1941年12月31日には雷装した九七式大艇がオランダ海軍水上機母艦を雷撃したが命中せず、逆に九七式大艇1機を失うこととなった。この雷撃が第二次世界大戦での飛行艇による唯一の雷撃であった。その後東港空は蘭印方面の作戦に従事、1942年4月以降はインド洋の作戦に参加した。

 1942年4月1日には新たに14空がマーシャル諸島の一島ヤルート島で開隊、マーシャル諸島での哨戒任務に従事した。28日には横浜空主力は、ラバウルからショートランド島、そしてツラギに進出したが8月7日の米軍の上陸時に全滅している。以降、残った横浜空の九七式大艇と東港空派遣隊、さらに増援された九七式大艇がラバウル、ショートランドに進出、哨戒に従事した。この哨戒時に複数回にわたってB-17と空戦を行っている。

 電探(レーダー)装備の九七式大艇が最初に配備されたのは851空で1942年12月のことであった。1943年12月には海上護衛専門部隊である901空が開隊、32機もの九七式大艇を装備していた。当時、飛行艇の主力は最新の二式大艇となっていたが、海上哨戒には低速で安定性のある九七式大艇が非常に優れていた。他にも各所で輸送や哨戒、偵察任務に活躍、終戦時に残存していた機体はわずかに5機であった。

 

九七式大艇の模型

 

ハセガワ 川西 H6K5 九七式大型飛行艇 23型

 1942年8月に制式採用された九七式大艇の最終型。最も高性能の九七式大艇。太平洋戦争の前半から終戦まで活躍した機体。

 

ハセガワ 1/72 日本海軍 川西 H6K5 九七式大型飛行艇 23型 魚雷搭載機 横浜航空隊

 開戦当初は九七式大艇に魚雷を装備し敵主力艦隊を漸減させる戦法が考案されていた。開戦当初、連合国軍水上機母艦に雷撃を行ったが、飛行艇は大型で速度が遅く恰好の標的となってしまい、雷撃を行った3機中1機が撃墜され、雷撃も失敗した。これは開戦当初の飛行艇隊「横浜航空隊」の貴重な雷撃機仕様の九七式大艇。

 

ハセガワ 1/72 日本海軍 川西 H6K5 九七式大型飛行艇 23型 電探装備機 対潜哨戒 プラモデル

 戦争後半には電探を装備した九七式大艇も登場する。特攻隊の嚮導機や偵察機として活躍するが、戦力が劣勢だったため損害も甚大だった。

 

ピットロード 1/700 スカイウェーブシリーズ 日本海軍機セット 2 九七式大艇&二式大艇

 九七式大艇と後継機の二式大艇。二式大艇は飛行艇としては高速、重武装、重装甲だったため米軍から脅威と考えられていた。しかし離水時のポーポイズ事故が多く、九七式大艇ほどの操縦性はなかった。

 

九七式大艇関係書籍

 

日辻常雄『最後の飛行艇』

日辻常雄 著
潮書房光人新社 (2013/10/31)

 海軍飛行艇部隊では著名な搭乗員の日辻氏の著書。日辻氏は海軍飛行艇隊士官として開戦当初から空戦に参加、飛行艇による魚雷攻撃も行った猛者だ。搭乗員の墓場と言われた南方にも進出し、B17と空中戦を行ったという稀有な経験を持っている。  終戦時には最後に残った二式大艇を米軍に引き渡すために空輸した最後の飛行艇乗りだった。その二式大艇は現在は海上自衛隊鹿屋基地に保管されている。

 

北出大太『奇蹟の飛行艇』

北出大太 著
光人社; 新装版 (2004/12/1)

 超ベテラン搭乗員の北出氏による手記。操練21期出身者の飛行艇搭乗員。二式大艇は離水時にポーポイズと呼ばれる現象が多発する癖があった。このため離着水に不安がない九七大艇を愛機とした飛行艇乗りの手記。  最後の九七式大艇を操縦した男。著者の機ではないが、真珠湾攻撃時の作戦参謀で有名な源田實氏が飛行艇便乗時に操縦に文句を言ったために階級が下の機長に一喝されてしまうが、自身の非を認める潔さを持っていたことなど面白いエピソードが多い。

 

戸高一成『聞き書き日本海軍史』

戸高一成 著
PHP研究所 (2009/7/22)

 証言した元海軍軍人(ほとんどが士官)もすでにほとんどの方が他界されてしまっている。元連合艦隊参謀等、高級軍人の貴重な証言。太平洋戦争開戦前に標的艦摂津が台湾、フィリピン方面に遊弋し、機動部隊の符合を発信して空母部隊を艤装していたり、九七式大艇の日の丸を消し強行偵察を行っていたことなどあまり知られていない話が貴重。  九七式大艇に関しては日辻少佐が太平洋戦争開戦前から作戦で使用していた。海軍上層部では、魚雷を2本搭載できる九七式大艇で雷撃を行うことを望んだが、大型機の低速で雷撃は効果が薄い上に損害が多かった。  戦勝で沸き立っていた頃すでに開戦当初に11人いた飛行艇専修の士官パイロットは1年経たないうちに1名になってしまったこと等、壮絶な現実がある。

 

まとめ

 

 九七式大型飛行艇は太平洋戦争開戦前に完成した傑作飛行艇である。開戦後すぐに二式大型飛行艇が完成するが操縦性の高さはベテラン搭乗員に好まれた。海軍上層部が飛行艇の特性を把握していなかったため多くの熟練搭乗員と機体を失った。200機以上生産された九七式大艇は、終戦時にはわずか5機を残すのみとなった。しかし終戦後も九七式大艇は医療品等の輸送に活躍したのだった。

 

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