01_零式観測機
(画像はwikipediaより転載)

 

 零式観測機とは艦砲の弾着観測専用に開発された航空機で全金属製の最後の複葉機である。太平洋戦争は主力艦同士の砲撃戦から航空機を中心とした戦術に移行していたため本来の弾着観測に用いられることはなかったが、高い格闘戦能力から船団護衛や対潜哨戒などに活躍した。複葉機でありながらしばしば戦闘機を撃墜した。戦闘機だけでなく単機でB-17撃墜記録すらある特異な航空機である。

 

零式観測機〜概要〜

 

 

性能

全長9.5m
全幅11m
全高4m
全備重量2.550kg
最高速度370km/h
航続距離1070km
武装7.7mm固定機銃2門、7.7mm旋回銃1門

 

開発

 零式観測機は、戦艦同士の砲撃戦の際に着弾観測をする専用の機体として1934年、愛知、川西、三菱の3社に十試観測機の名で試作が内示されたことに始まる。さらに1935年3月計画要求書が愛知、三菱に手交された。観測機はその性格上、着弾観測のみならず、敵艦隊付近を飛行して弾着観測をするため敵戦闘機の妨害を排除する必要があったため、この零式観測機には複座機でありながら格闘戦性能も要求するという厳しいものであった。この要求に対して三菱は佐野栄太郎技師を主務者として開発を開始する。本機の特徴の一つとして興味深いのは設計主務者の佐野栄太郎技師が「義務教育を受けただけ」と言われており、大学等で専門教育を受けた技師ではなかったことであろう。

 零戦を設計した堀越二郎技師や一式陸攻の本庄季郎技師、紫電改や二式大艇の菊原静男技師や飛燕の土井武夫技師等、当時の航空機エンジニアの多くは東京帝国大学工学部航空学科という定員が数名の超難関を突破した秀才中の秀才達であった。これに対して義務教育が小学校まで出会った当時、佐野栄太郎技師の義務教育を受けただけというのは本当であれば異色中の異色である。

 それはともかく、当時は単翼機に時代が移りつつあったものの、敢えて複葉機として設計した。これは複座でありながら戦闘機並みの格闘戦性能を要求されたためで、速度を犠牲にしても格闘戦能力を得るという苦肉の策であった。試作機は、1936年6月9日1号機が完成、6月22日には初飛行に成功した。飛行試験で方向安定が極端に不足していることが判明した上、水上曳航中に転覆など問題が多発。数次にわたり改修を行った結果、1937年3月、海軍に領収された。

 

エンジンの変更

 しかし、軍のテストで垂直旋回中と宙返り中に自転が発生するという問題が判明する。これに対して佐野技師は、垂直尾翼と方向舵の面積を増大させることで解決した。十試観測機は、エンジンに光1型を装備していたが、ちょうどこの頃、三菱で800馬力エンジン瑞星が実用化されたため、2号機のエンジンを瑞星に換装。この結果、最大速度は37km/h、5000mまでの上昇時間は約2分短縮されたため以降は瑞星を装備した。瑞星換装の十試観測機は当時の現用戦闘機である九六艦戦との比較テストで総合的には互角と判定されたほどで、水上機としては異例の高性能であった。

 

制式採用

 1940年12月12日、零式1号観測機1型として制式採用された。生産は三菱で1940〜43年の間に524機生産された他、佐世保の第21海軍航空廠で594機、合計1118機生産された。さらに試作機が4機製造されているので総生産数は1122機である。バリエーションはほとんどなく、零式観測機11型と練習機の仮称零式練習用観測機の2種類だけである。但し、生産時期によって若干仕様が変更されている。初期の生産分はプロペラが二翅でスピナ無し、後期はプロペラが三翅でスピナが装着されている。因みに零式観測機の操縦席の風防は解放式であるが、試作機のみは操縦席が密閉式風防になっている。武装は機首に7.7mm固定銃2挺、装弾数各400発。偵察席に92式7.7mm旋回機銃1挺、装弾数582発。爆弾は30kgまたは60kg爆弾2発を翼下に搭載できる。観測機という性格上、91式観測鏡という弾着観測専用の観測装置を持っていた。

 

生産数

 試作機が4機、量産機が1118機の合計1122機が生産された。

 

零式観測機の模型

 

戦歴

 1941年4月、連合艦隊に第11航空戦隊、第三艦隊に第12航空戦隊が編成されると零観は初めて実戦部隊に配備されることとなり、最初に第11航空戦隊の水上機母艦千歳と同瑞穂に配備、9月になると第12航空戦隊所属の特設水上機母艦神川丸、山陽丸、相良丸、そして根拠地隊である17空(トラック島)、18空(サイパン)、19空(クェゼリン)と各部隊に順次配備されていった。

 1941年12月、太平洋戦争が開戦すると、第11航空戦隊は比島部隊として比島攻略戦、第12航空戦隊はマレー半島攻略の支援に参加したのち、両戦隊ともに南方攻略作戦に活躍した。1942年8月になると米軍がガダルカナル島に上陸、戦闘の激化に伴い水上機母艦もブーゲンビル島南方のショートランド泊地に集結、8月29日には集結した千歳、山陽丸、讃岐丸の艦載水上機でR方面部隊を編成、9月には神川丸、聖川丸、14空、国川丸の水上機隊もR方面部隊に編入された。

 1942年10月8日には、ブーゲンビル島に陸上機基地であるブイン基地が完成するが、引き続きショートランド島のR方面部隊は対潜対空哨戒、偵察、爆撃、防空等に活躍、1943年1月頃になる零観は防空任務を二式水戦に譲り内南洋や内地へと撤退していき、偵察や対潜哨戒に活躍することとなったものの、1944年春頃になると水上機の活躍の機会はほぼ無くなったため、多くの熟練搭乗員は陸上機へと機種転換していった。

 太平洋戦争末期には多くの機種が特攻機として使用されたものの、零観はフロートがあるため特攻機として使用されることはなかったが、1945年になるとフロートにレールを装着することにより250kg爆弾の搭載が可能となり特攻隊にも編入されるようになっていった。

 

零式観測機の書籍

 

海軍零式観測機 (世界の傑作機 NO. 136)

 定番の『世界の傑作機』シリーズの零観号。砲弾観測用に開発された零観であったが類稀な運動性能により連合国軍の戦闘機と互角に渡り合うことすらあったという。日本海軍最後の高性能複葉機。

 

水偵隊の戦い 武井慶有『零式水偵空戦記』

武井慶有 著
潮書房光人新社; 新装版 (2015/11/1)

 貴重な水偵隊搭乗員の記録。予科練のベテラン搭乗員がソロモンに太平洋に活躍する。戦争後期に著者は台湾沖で筆で「大」と書いたような浮遊物を見つける。それは撃沈された輸送船に乗っていた陸軍兵士達であったようだ。恐らく本書はゴーストライターを使わずに著者が自分自身の筆で書いたものだろう。迫力がある。

 

梅本弘『ガ島航空戦』上

 本書は私にとっての名著『海軍零戦隊撃墜戦記』を上梓した梅本氏の新刊である。本書の特徴は著者が日米豪英等のあらゆる史料から航空戦の実態を再現していることだ。これは想像通りかなりのハードな作業だ。相当な時間がかかったと推測される。  全般において水偵隊であるR方面部隊を始めとする水偵隊の活躍が多く描かれている。彼我の戦闘行動調書、手記やあらゆる記録を調査して描き出す「実際の戦果」は圧巻。

 

まとめ

 

 零式観測機は低速ではあったが運動性に優れていたため、実戦では多くの戦果を挙げたが同時に損害も大きかった。特にR方面部隊での活躍は特筆に値するもので、この活躍の蔭には多くの搭乗員、整備員の努力があったことは言うまでもない。零観は、世界に名だたる水上機王国であった日本が生んだ最後の複葉機であり、世界最後の複葉、単フロートの実戦機であった。

 

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