01_零式小型水偵
(画像はwikipediaより転載)

 

零式小型水偵〜概要〜

 

 零式小型水偵は珍しい潜水艦搭載偵察機である。羽布張りの小型偵察機ながら太平洋戦争では主に初期に活躍した。特に有名なのが伊25潜搭載の藤田信雄飛曹長機が米本土爆撃を敢行したことだろう。これは世界初の米本土爆撃で以後現在に至るまで行われたことはない。

 

性能

全長 8.53m
全高 3.39m
全装備重量 1450kg
最高速度 246km/h
航続距離 882km
武装 7.7mm機銃1挺
爆装 60kg爆弾1発

 

背景から開発まで

 潜水艦搭載偵察機を実戦に投入したのは日本だけであったが、潜水艦に航空機を搭載するというアイディアはそれ以前から各国にあった。最も初期はドイツでハインケル社がU-1の名称で試作を行っており、この機体を日本海軍は2機輸入、潜偵の実用化に向けて研究実験を行っていた。この結果、1927年には国産潜偵試作1号機が完成、機雷敷設用潜水艦伊21潜(のちの伊121潜)で実験を行った。そして1932年には川西航空機が九一式水偵が完成、1936年には九六式水偵が制式採用された。そしてこの九六式水偵の後継機として開発されたのが零式小型水偵である。

 

開発

 零式小型水偵とは、潜水艦に搭載された小型偵察機である。世界で唯一米本土を爆撃した航空機でもある。1936年6月5日、潜偵の性能標準が軍令部から海軍省に提示。1937年には、第三次補充計画で潜水艦の大幅増強が行われることとなった。これと同時に、海軍は、その新潜水艦搭載用潜偵として十二試潜偵の開発を計画、開発は空技廠に命じられた。この指示を受けた空技廠は加藤啓技師を設計主務者として開発を開始、1938年には1号機を完成させた。

 

1号機完成

 この十二試潜偵は、発動機が340馬力天風発動機12型で木金混合製の骨組みに羽布張り、金属製のフロートを装備、潜水艦が浮上後、格納庫の扉が開いてから組み立てるまでに熟練者であれば10分で完了することが出来た(記録上の最短記録は6分23秒)。しかし試作機は安定性が悪く燃料搭載量が少ない等多くの問題があり試験は難航したが、機体の形状の変更、潜水艦側のカタパルトの能力の向上で問題は解決、1940年12月17日に制式採用された。当初は零式一号小型水上機と呼ばれていたがのちに零式小型水上機11型と改称した。

 初期型は最大速度246km、巡航速度157km、航続距離882km、後期型は最大速度239km、巡航速度167km、航続距離982kmで、武装は7.7mm旋回銃1挺、他小型爆弾を搭載できる。生産はのちに震電を開発したことで有名な九州飛行機で行われた。  因みに各部を再設計した改良型の零式二号小型水偵も存在する。この零式小型水偵は太平洋戦争において、2回の米本土爆撃を含め、58回の偵察行動を行った(54回とする説もある)。

 

戦歴

 最初の作戦は開戦前の1941年11月30日で、フィジー諸島のスバ港の偵察が最初の偵察であった。以来、北はキスカ島偵察、南はオーストラリア、西は北米、東はアフリカ大陸と広大は空域で偵察を実施した。もしかしたら日本軍機で最も広範囲に活動した航空機であったかもしれない。

 1942年9月には、藤田信雄飛曹長操縦の零式小型水偵が、オレゴンの森林地帯に焼夷弾による爆撃も行っている。これが世界で唯一の米本土爆撃といわれている。そして1944年6月12日、伊10潜機がメジュロ環礁の偵察飛行をしたのが潜偵の最後の偵察であった。終戦時には17機が残存。現存機はない。

 

生産数

 総生産数は126機で、他に試作機2機、増加試作機10機が製造された。これらを含めると138機が生産されたことになる。

 

まとめ

 

 潜水艦に水偵を搭載するというアイデアは画期的と思われるが、実際は危険だらけであった。発進した水偵は潜水艦の位置を正確に確認しなければならず、さらに敵に追尾されていないこと、海が着水できる状態であること、潜水艦自体が攻撃を受けていないことなど無事帰還するためには多くの条件が必要であった。潜偵隊はこれらの過酷な条件の中任務を遂行していった。

 

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