01_震電
(画像はwikipediaより転載)

 

局地戦闘機震電 〜概要〜

 

 震電は太平洋戦争中に九州飛行機によって開発、生産された局地戦闘機である。当時としては珍しい主翼が機体重心より後ろにあるエンテ型と呼ばれる構造になっており、空力的に優れた構造である反面、空冷エンジンの冷却が困難なこと等のデメリットがあった。震電は終戦までに2機が試作され1機が生産ラインに乗っていた。終戦時に破壊されてしまったが、これらの部品を組み合わせて形だけはまともにした1機が現存している。以下は貴重な震電の動画。

 

 

 震電の貴重な動画。かなり画像は荒いが、2回撮影が行われておりフィルムを繋いでいるようだ。滑走した震電のプロペラが曲がっているので、最初の1分40秒位までは1945年7月下旬の撮影で、その後の飛行しているのは翌8月のものであろう。

 

性能

全幅 11.114m
全長 9.76m
正規全備重量 4950kg
最高速度 750km
武装 30mm機関砲4門
爆装 60kgまたは30塲弾4発

 

エンテ式航空機のメリット

 震電は、戦争後半に計画され終戦間際に初飛行をした局地戦闘機で、当時は世界でも珍しいエンテ型(前翼式)戦闘機である。前翼式とは機体前部に小さい前翼をつけ、機体後部に主翼を配置し、エンジンを機体後方に配置するという構造である。エンテ型のメリットは機首に大口径砲を集中装備できること、空力的に優れていること、視界が良好なことが挙げられる。デメリットとしては空冷エンジンを装備した場合、冷却が困難なこと、非常時にパイロットが脱出する際、後部のプロペラに接触してしまう可能性があることがある。

 

開発

 震電の開発は、1944年6月5日、計画要求書が決定されたことに始まる。同時に名称を十八試局地戦闘機震電と決定される。1944年7月、第一次木型審査、9月第二次木型審査、10月風洞実験開始、1945年3月零号機完成、6月10日過ぎ、雑餉隈製作所で1号機完成。7月完成審査という驚異的なスピードで開発された。

 震電の特徴である前翼式は胴体内が有効活用できる半面、外側に点検パネルが多く配置されるため、外皮だけで自重を支える応力外皮構造とするのが難しいため、内側にプレート・ガーダーのような構造を設ける方法が採用された。この構造を採用したことにより生産性、整備性が大幅に向上する結果となった。

 

エンジンと武装

 エンジンは2030馬力「ハ-43・42型」を使用。プロペラは六翅プロペラが採用されたが、4号機以降は四翅プロペラに変更される予定だった。震電はエンジンの位置の変更やプレス機による外板成型、など生産性を考慮した構造になっている。燃料タンクは胴体内に400Lのタンク1個、翼内に200Lのタンク2個が22mmのゴムで防弾されていた。

 さらに翼下面に200Lの落下タンク2個を装備。武装は1945年5月に制式採用された5式30mm固定機銃1型を装備した。5式30mm固定機銃1型は全長2.092m、重量71kg、初速770m/秒、発射速度毎分530発で零戦などに装備された99式2号銃と比較すると重量はほぼ2倍、初速は若干速めであり、発射速度は同等程度である。

 

大きくなった翼面荷重

 震電は速度に特化したため格闘戦性能を上げるための自動空戦フラップの採用は見送られた。翼面荷重も215kgと零戦21型の約2倍になっている。翼面荷重とは機体の重量を翼面積で割ったもので数値が大きくなればなるほど機体重量が重く、翼が小さいことになるので速度は出るが、小回りは効かなくなる。逆に数値が小さくなればなるほど機体重量が軽く翼が大きいことになるので小回りが利くようになるが空気抵抗が大きくなってしまうため速度は落ちる。

 1945年7月下旬、震電は初飛行の日を迎える。しかし離陸直前、プロペラが接地してしまいこの日は飛行中止になってしまう。翌月である1945年8月3日、2号機のプロペラと交換して初飛行。さらに6日、8日と飛行テストが行われた。

 

生産数

 総飛行時間45分、試験で出した最高速度は295km。総生産数1機。ほぼ完成していた2号機が存在する。終戦後、1号機は破壊されるが米国の意向により修復するが飛行可能な状態とはならなかった。現存1機。

 

まとめ

 

 震電は独特の形状から架空戦記やアニメ、漫画の題材になり易く現在もで有名な機体である。画期的な機体ではあったがいかにも時期が遅すぎた。しかし当時の日本の航空技術の到達点として評価することのできる機体である。

 

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