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雷電02
(画像はwikipediaより転載)


 日中戦争の戦訓により大型機迎撃用の戦闘機である局地戦闘機が必要とされた。その要求に応えるべく開発されたのが局地戦闘機雷電である。雷電は大型の火星エンジンを装備したため前方視認性が悪く「殺人機」とまで呼ばれたパイロットには不評であったが、米軍の公式評価をして「大型爆撃機に対してすべての日本軍戦闘機の中で最強」と言わしめた戦闘機でもあった。


 局地戦闘機の開発計画は太平洋戦争前から始まった。昭和14年9月、海軍は、十四試局地戦闘機の計画要求書を内示。内示は三菱と中島飛行に対して行われたが、中島飛行機は、のちの月光や深山開発で忙殺されていたため辞退。三菱が受けることとなった。


 海軍の要求が高速戦闘機であったことから当時、日本では最強の航空機用エンジンであった火星エンジンを使用することが決定する。しかし、大型の火星13型エンジンを採用したため胴体は紡錘形になり、抵抗を減らすため風防も胴体上面にそのままつながる形式のものが採用された。


 そして胴体を紡錘形にしたためエンジンとプロペラの距離を離した延長軸を採用する。これがのちの振動問題につながっていく。雷電では新しい試みとして、生産性の向上を考慮して分割構造を採用。溶接部品を減らし工作の簡易化と部品点数の減少を図ったりもしている。


 昭和15年12月第一次実大模型審査が行われ、さらに昭和16年1月第二次実大模型審査が行われた。順調に行けば、試作1号機の完成は15年末の予定であったが、その後、何度か予定が延長され、結局、試作機が完成したのは、昭和17年2月であった。


 昭和17年3月21日、十四試局戦初飛行。昭和17年6月〜7月にかけて官試乗。周防元成大尉が担当している。周防大尉は海兵62期出身で15機を撃墜した実戦派である。試乗の結果、安定性、操縦性には全く問題はなかったが、視界不良や上昇力の不足、さらに予定していた速度が時速594kmであったのに対し、574kmしか出なかったりと海軍側の期待に応えるものではなかった。


 その結果を受けて、十四試局戦開発計画は、十四試局戦改計画に移行された。この十四試局戦改計画とは、十四試局戦のエンジンを水メタノール噴射式の火星23甲型に換装するというもので、十四試局戦の性能向上型として昭和16年7月に開発が決定していた計画であった。


 水メタノール噴射式とは、高オクタン価のガソリン入手が難しい日本の国情に合わせたもので、エンジンに水とメタノールの混合液を噴射することによってエンジンの出力を20〜30%増大させることを狙ったものであった。


 十四試局戦改は、昭和17年10月に完成。試製雷電と呼ばれた。そして昭和17年10月13日初飛行したが、激しく黒煙が吹き上がることや振動が激しいなどの不調を修正するのに時間がかかってしまい、雷電11型として生産が開始されたのは昭和18年9月であった。


 雷電11型は、155機生産されたが生産開始後翼内タンクに自動消火装置が設置された他、中期後期型からは翼内銃の角度を3.5〜4.5度上向きに取り付けられた。生産開始後約1年の昭和19年10月に制式採用される。試作機は8機製作されている。


 総生産数は500機前後であるが、雷電には多くのバリエーションが存在する。まず、雷電21型であるが、昭和17年10月十四試局戦改一、または試製雷電改として開発が開始され、昭和18年10月12日1号機初飛行。胴体の7.7mm機銃を廃し翼内銃をベルト給弾式99式1号4型(装弾数190発)2挺と99式2号4型2挺(装弾数210発)に強化。胴体内タンクをゴム被覆防弾タンクに改良。風防前面に厚さ50mmの防弾ガラスが追加された。


 
 最大速度594km、上昇力は6000mまで5分50秒から6分14秒。三菱で280機、厚木の高座海軍工廠で数十機製作された。この21型の機銃を4挺ともに99式2号4型に変更、爆弾4発搭載可能としたのが、21甲型である。


 23型は21型の発動機を火星26型に換装したもの。武装は21型と同じ。この23型の武装を21甲型と同じにしたものが23甲型で、21型の風防の高さを50cm、幅を80cm増やし風防前方の胴体上面の両側が削られた視界改善対策実施型が31型である。武装は21型と同じ。最大速度590kmで数十機が生産された。31型の武装を21甲型と同じくしたのが31甲型。


 32型は排気タービン過給機を装備したものでカウリング前面の開口部が広げられている。武装は翼内銃2挺として風防後方に20mm斜め銃2挺が追加された。昭和19年1月に開発が指示され三菱と空技廠で2機ずつ、第21空技廠でも製作された。


 三菱製のものは昭和19年8月4日に完成、9月24日初飛行。最高速度が583kmと期待したほどではなかったため製作は打ち切られ三菱と空技廠の計4機は厚木の302空に引き渡された。この他、昭和19年末から20年初めにかけて第21空技廠で十数機の雷電が排気タービン過給機装着型として352空に供給されたが実用には至らなかったという。


 33型はエンジンを火星26型、または26甲型に変更したもの。31型同様の視界向上策を施した。先行試作機は11型の2機をベースに製作され昭和19年5月20日に初飛行した。最大速度が614kmと海軍戦闘機の最高性能を記録した。武装は21型と同じ。21甲型と同じ武装にした33甲型も製造された。生産数は30数機。


 その他試験的に2式30mm機銃を2挺搭載したものや部隊で改造された斜め銃が装備されたものなどがある。どちらも302空で使用された。


 雷電はあまりにもバリエーションが多く、複雑であるが、簡単に分類すると試作機が2種類、十四試局戦、十四試局戦改があり、量産機としては、11型、21型、23型、31型、32型、33型の6種類があり、さらに量産機では、32型以外の5機種には武装強化型の甲型が存在する。


 最終生産数は三菱が470機で他にも高座工廠や日本建鉄でも少数が製造された。ほとんどが21型である。












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