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強風03
(画像はwikipediaより転載)


 水上戦闘機は日中戦争で水上機の空戦能力に有用性が認められたことと対米戦が南方侵攻作戦が中心になることを想定して開発が進められた機種で、他国では試作機は造られたものの、量産化したのは日本だけだ。この量産化水上戦闘機で最高性能を発揮したのが水上戦闘機強風11型である。


 強風は上記の必要性から昭和15年9月に飛行艇を中心に製造していた川西飛行機(現在の新明和工業)に試作が命ぜられた。他の海軍機同様、試作機の性能要求は厳しく、水上戦闘機でありながら最高速度574kmが要求された。当時の新鋭戦闘機である零戦ですら533kmであることからもその要求の厳しさが分かるだろう。


 菊原技師を中心とする川西飛行機の設計チームはその性能要求に応えるべく、エンジンには、当時の日本では最高出力である1450馬力火星エンジンを採用、機体は大出力ではあるが、大型の火星エンジンを使用するために紡錘形の空気抵抗の少ない胴体が採用された。


 さらに空気抵抗を減らすためと出来るだけ水面から翼を遠ざけるために胴体の中央部に主翼を付ける中翼式を採用した。この結果、昭和17年4月に十五試水戦の試作1号機が完成する。この試作1号機には火星14型エンジンが採用され、二重反転プロペラが採用された。


 昭和17年5月6日に初飛行をするが、二重反転プロペラは、振動が多く、さらに構造が複雑になり生産や整備に手間がかかることや重量がかさむため採用は見送られ、2号機以降は一般的な三翅プロペラが採用され、同時にエンジンも火星14型エンジンから火星13型エンジンに変更された。


 最大速度、上昇力、航続距離共に現行の二式水戦に勝っていたが、格闘戦能力のみは傑作機零戦を母体とした二式水戦には敵わなかった。このため技術陣は、Gに応じて自動的にフラップが出入りし、常に最適のフラップ角度をとるようにした自動空戦フラップを開発。強風に標準装備された。


 さらに航空機の特性として高速時には舵の効きは敏感であるが、低速時には操作量が増大するという操縦性の悪さを解消するために腕比変更装置も採用された。これは強風が最初のようである。


 強風は最高速度489kmと性能要求の574kmには遠く及ばなかったものの、航続距離1980km、上昇限度10560mと水上戦闘機としては高い性能を発揮した。武装は翼内に20mm砲2門(99式二号三型)、機首に7.7mm機銃2門を装備する。


 試作機は8機製造され、3機が昭和17年末に海軍に引き渡された。1号機は火星14型エンジンに二重反転プロペラを装備したが、2号機以降は火星13型エンジン三翅プロペラを装備している。因みに2号機は試験中に転覆沈没している。


強風の原型機の2重反転プロペラ
(画像はwikipediaより転載)


 3号機以降は、主フロートの主支柱が太くなっているのが特徴である。昭和18年8月10日(12月という資料もあり)、強風11型として正式採用され、昭和18年1〜12月までに89機が生産された。強風11型の総生産数は、この量産型89機と試作機8機の合計97機である。


 昭和18年に残りの試作機5機を含む65機が海軍に納入され、さらに昭和19年1月〜3月の間に残り29機が引き渡されている。この強風は初期生産型と後期生産型では若干の違いがある。


 初期生産型は集合式排気管で気化器空気取入口はカウリング内、スピナは先端のとがったものを使用しているが、後期型は排気管が推力式単排気管でカウリングとスピナが再設計され、カウリングは深く、全面上部に空気取入口が設けられた。スピナは直径と長さが小さくなり形も丸っこいものに変わった。カウリングが深くなったため機首の7.7mm機銃の発射口とカウリング前端との距離が広がっている。


 強風の派生型として、紫電21型(紫電改)を水上機としてフィードバックさせた強風22型の開発計画があったとされており、さらに後継機として川西十八試水戦という機体の開発が考えられていたが実現しなかった。


 強風は、全生産数97機の内、河和に22機、佐世保に5機、今宿に4機が残存した。現存しているのは戦後アメリカに接収された4機の内、3機のみである。


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