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↑この写真の人!!



 昭和18年11月1日、谷水達翔鶴戦闘機隊員は「ろ」号作戦に参加するためラバウルの西、ブナカナウ飛行場に進出した。「ろ」号作戦とは、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)の艦隊航空隊をソロモン方面の戦闘に投入し、一挙に体制を立て直そうとした作戦であった。


 この時の進出機数は資料によって若干の違いがあるが、翔鶴戦闘機隊32機、瑞鶴戦闘機隊32機、瑞鳳戦闘機隊18機の計82機の戦闘機隊が進出した(1)。翌11月2日、米軍機のラバウル来襲に対して、早速、ラバウルに展開する204空、201空等と第一航空戦隊の零戦隊は迎撃戦を展開する。





 この戦闘で翔鶴戦闘機隊は2機を失うも撃墜40機という大戦果を挙げた。この日の迎撃戦では全部隊での撃墜戦果は撃墜97機、不確実22機(2)、総合戦果は、当時の新聞報道によると対空砲火の戦果まで含めると201機の撃墜であったという(3)


 しかし実際の米軍側の損害は遥かに少なく、P38、9機、B25、8機の計17機であった。これに対して零戦隊は18機が撃墜されている(4)。損害だけで見るとほぼ互角の戦いといっていい。





 この空戦で谷水はP38、2機を撃墜し初陣を飾る。飛練を卒業してから1年半での初陣であった。他の丙3期出身の同期の中には1年以上前に戦地に送られている者もあり、十分な訓練期間を与えられた谷水は幸運であったといえる。


 「ろ」号作戦は11月13日を以って終了する。ラバウルに進出した第一航空戦隊零戦隊は、進出総数82機の内、43機を失った。艦攻、艦爆に至っては8割以上が失われた挙句、特筆すべき戦果は何もなかった(5)。この後、翔鶴戦闘機隊はマーシャル諸島に進出する。谷水が参加したかどうかは断定できないが、恐らく参加したであろう。帰還後、谷水は次期作戦のため、しばらく休養を命ぜられた。


 この数週間の戦闘で消耗しつくした第一航空戦隊は再建のため本土に帰還する。昭和18年12月13日、中川大尉を隊長として母艦戦闘機隊より選抜された谷水、杉野を含む21名は(6)、派遣隊としてラバウル、トベラ基地に展開している253空の指揮下に入った。





 昭和19年2月1日付で台南空への転勤命令がでるまでの2ヶ月間、谷水は「搭乗員の墓場」と言われたラバウルで連日の航空戦に参加した。谷水は、このラバウルでの戦闘においてヘルキャットが最も強敵であったという。


「機動性に富み、素早く横転ができるヘルキャットがいちばん手ごわい相手でした。P-38やF4Uコルセアは小回りが効かず、一撃して離脱していくだけでしたから。米軍機は総じて空中で火を吐かせるのは至難の業でした。弾丸を命中させても、いくらか煙をひくだけなのです。煙が出るようすをみれば、それがアメリカ機か零戦かすぐわかりました」
ヘンリー・サカイダ『日本海軍航空隊のエース』P82より引用


 さらにF4Uコルセアについてはこう語っている。


「F4Uコルセアを確実に落とそうと思うなら、気づかれてはいけません。そして、後方のある特定の角度からでないと、銃弾がはね返されてしまいます。また、私はコルセアが低高度から機種を上げきれずにそのままジャングルや海中に突っ込んでいくのを目にしています。機体が重すぎるのでしょう。我々はときにはコルセアを追いかけて海に突っ込ませたものです。零戦は軽かったのでそんな心配はありませんでした」
ヘンリー・サカイダ『日本海軍航空隊のエース』P82より引用





 憲兵隊との事件で犯人として名乗り出た(恐らく谷水が犯人ではない)ことからも分かるように谷水は優しい性格だったのだろう。昭和19年1月4日、パラシュートで海面に降下する敵パイロットに対して救命用浮き輪を投げたこともあった。残念ながらその米軍パイロット(ハーベイ・F・カーター大尉)は生還できなかった(7)


 ラバウル進出時、谷水は陸軍戦闘機隊の三式戦と模擬空戦を行っている。事の起こりは、陸軍戦闘機隊の搭乗員が零戦を手放しで褒め、陸軍も零戦があれば戦果が上がるという話を隊長小林保平大尉(撃墜10機のエース)が聞きつけ模擬空戦ということになったようだ。結果は谷水上飛曹が勝利であった(8)


 数々の空戦を生き抜いた谷水達第一航空戦隊派遣隊は1月25日、ラバウルを後にする。進出した時、21名いた隊員はわずか7名になっていた(9)


 第一航空戦隊派遣隊以外にも長期間にわたってラバウル戦線を支えた204空、501空がトラック島に後退したが、代わりに第二航空戦隊がラバウルに進出した。この中には「オール先任搭乗員」菊池哲生上飛曹もいる。





 トラック島に帰還した谷水は春島基地で錬成中の202空に仮入隊する。次の転勤先は谷水が台南空教員、杉野が大分空教員と土浦以来いつも一緒だった二人がとうとう別々の勤務先に配属されることとなった。2月4日、トラック島にB24が飛来、谷水と杉野は迎撃に出撃するがこれが谷水と杉野が一緒に戦う最後の空戦であったようだ。


 2月10日、本土とトラック島の輸送任務に従事していた空母瑞鳳に乗艦しトラック島を出発、2月下旬、横須賀に入港した。ここからの移動手段は不明だが、恐らく電車であろう。途中で谷水は実家の志摩によるため、大分に直行する杉野と別れることになる。別れる時はただ一言「元気でな」だけであった。


 谷水と別れた杉野は何か気の抜けたような感じであったという(10)。生死を共にした仲間の別れとしてはあっけないが、本当の親友に言葉はいらないのだろう。


あの撃墜マークの人 谷水竹雄 飛曹長 4/5へつづく


参考・注釈

(1)秦郁彦『日本海軍戦闘機隊』では66機。P46
(2)秦郁彦『日本海軍戦闘機隊』P305
(3)杉野計雄『撃墜王の素顔』P130
(4)梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記2』P169
(5)梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記2』P193
(6)谷水竹雄「愛機零戦で戦った千二百日」『零戦搭乗員空戦記』では20名。P61
(7)ヘンリー・サカイダ『日本海軍航空隊のエース』P83
(8)杉野計雄「空母戦闘機隊の至宝「五二型」に栄光あれ」『「空の少年兵」最後の雷撃隊』P102
(9)梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記3』P105。谷水竹雄「愛機零戦で戦った千二百日」『零戦搭乗員空戦記』では10名。
(10)杉野計雄『撃墜王の素顔』P180


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