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↑この写真の人!!



 昭和18年1月、谷水は同期の杉野と共に冨高基地に移動する。冨高基地は艦隊航空隊の訓練基地で1月15日には訓練部隊である第50航空戦隊が開隊している。ここで艦隊航空隊の訓練を行うための移動だ。この時点で艦隊戦闘機隊への編入が決まっていたようだ。


 この異動は同期の杉野と一緒であるが、驚いたことに谷水と杉野は飛練の練習生時代に同じ教員のペアになって以来、9回の異動でもいつも同じ部隊であった。海軍ではかなり珍しいことだ。この冨高への移動の途中、谷水と杉野は「私たちはピーナッツですね」「本当だ、二人は二枚貝のようだな。いっしょにいるから強く生きているのかね」と話し合ったという(1)





 同期とはいっても同年ではなかったが、二歳年上の谷水に対して杉野は海軍への入隊が8ヶ月早かった(2)。年齢では谷水が先輩、「麦飯の数」では杉野が先輩、対等に近い関係だったのだろう。


 余談だが、冨高基地では艦隊航空隊の訓練が行われていたが、この時、のちに「トッカン兵曹」と呼ばれる小高登貫もこの冨高基地の訓練に参加していた可能性が高い。小高は翔鶴戦闘機隊に配属予定であったが急遽202空に変更されてしまった(3)


 冨高基地の訓練に小高が参加していたかどうか確証がないが、小高の『あゝ青春零戦隊』にある母艦訓練がこの冨高基地の訓練だったとすれば、小高の同期達が母艦搭乗員から外されたのは出身期の問題だろう。母艦搭乗員となった隊員の出身期をみるとほとんどが丙7期より古い隊員達である。丙10期出身の小高らは飛行時間の長さで選考から外されたのだろう。





 彼ら母艦搭乗員の配属であるが、私は前部隊から移動になるときに次の母艦が決められていると思っていた。しかし、当時、翔鶴戦闘機隊に所属していた操練43期の熟練搭乗員小平好直の手記によると、築城航空隊附となったが築城飛行場が完成していないため築城空冨高派遣隊となったという趣旨の記載(4)があることからわかるように 当初から所属する母艦が決まっていたというのではなく、築城空所属として冨高基地に集められ、のちにそれぞれの母艦に振り分けが行われていたようだ。


 築城空は昭和17年10月に新設された艦上機搭乗員練習航空隊である。谷水や杉野、小高はいったん築城空に配属されたのちそれぞれの航空隊に配属されたのだろう。


 昭和18年2月に転勤命令が出て、谷水はまたもや杉野と共に翔鶴戦闘機隊に配属されるが、この時期には空母翔鶴は南太平洋海戦での損傷を修理中であった。4月には谷水達翔鶴戦闘機隊は訓練のため笠之原基地に移動した。





 笠之原基地で谷水は戦闘機爆撃の研究員となる。戦闘機爆撃とはその名の通り戦闘機による爆撃をすることである。戦闘機は急降下爆撃機と異なり敵艦に致命傷を与えるような大型の爆弾を搭載することはできない。


 この戦闘機爆撃隊の目的は、空母の撃沈ではなく、飛行甲板を一時的に破壊することであった。これはミッドウェー海戦や南太平洋海戦での経験からの着想だろう。


 当然、戦闘機は爆撃用ではないので急降下爆撃機のようにエアブレーキがない。急降下すると自然に浮き上がってしまったりと爆撃機のように目標に命中させるのは難しいようだ。





 この戦闘機爆撃という戦法は一見合理的に見えるが、実はかなり危険な戦法のようだ。昭和18年11月24日、マキンに上陸した敵を爆撃するために252空の周防大尉以下19機の爆装零戦が出撃したが、内10機がたどり着く前に敵戦闘機に撃墜されてしまっている。零戦は爆装すると全く自由が効かず敵が襲ってきても手も足も出ないという(5)


 同様に昭和18年12月15日、マーカス岬の米軍上陸地点に爆撃をかけたラバウルの爆装零戦隊15機も、15機中14機が被弾、3機が不時着するという大損害を受けた。米軍には損害はほとんどなかった(6)


 この戦闘機爆撃の危険性は翔鶴戦闘機隊でも訓練前から把握していたようで、南太平洋海戦にも参加した分隊長の小林大尉は谷水の同期の杉野に対して戦闘機爆撃隊は決死隊であると語っている(7)




 
 昭和18年7月10日、笠之原基地での数ヶ月に及ぶ訓練を終え、翔鶴戦闘機隊は空母翔鶴に収容され呉を後にした。15日には南方の連合艦隊の拠点トラック諸島に到着する。全くの余談だが、呉トラック間の距離は3573km、5日間で到着したので一定の速度で航行していたと仮定すると、速度は時速29.7km、ノットにすると16ノットでの航海となる。戦時中の機動部隊の航行速度が分かって面白い。


 トラック諸島に着いた谷水たちを待っていたのは引き続きの猛訓練であった。珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦と相次ぐ海戦に搭乗員が消耗してしまったため、若手搭乗員の技量を早急に上げる必要にせまられてのことだった。


 戦闘機爆撃の訓練も引き続き行われた。その結果、戦闘機爆撃の命中率は50%以上に達したという。2回に1回は命中するというのは相当な練度といえる。しかしこの訓練中、脇本二飛曹(丙飛6期)が標的艦矢風のマストに接触、空中分解するという事故も起こった。脇本二飛曹は死亡。遺体は手足の無い胴体のみが回収されたという(8)。訓練の凄まじさが分かる。


 そんな緊張感の中でも楽しみはある。第一航空戦隊では、三空母合同の大演芸会が企画されたのだ。娯楽の少ない戦地では演芸会というのは本当に楽しいようだ。


 翔鶴戦闘機隊は谷水が座長になり漫才や寸劇等が行われた。谷水は寸劇を担当した。杉野によると特に女形の声色が素晴らしかったという(9)。戦場でのほのぼのとしたひと時であった。


あの撃墜マークの人 谷水竹雄 飛曹長 3/5へつづく


参考・注釈

(1)杉野『撃墜王の素顔』P99
(2)杉野『撃墜王の素顔』P99
(3)小高登貫『あゝ青春零戦隊』P36
(4)小平好直「翔鶴戦闘機隊」『『艦隊航空隊況稙編』P61
(5)神立尚紀『零戦最後の証言』P169
(6)梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記3』P19
(7)杉野計雄「奇計”零戦爆撃隊”八人のサムライ」『伝承 零戦〈第1巻〉』P472
(8)杉野計雄『撃墜王の素顔』P113
(9)杉野計雄『撃墜王の素顔』P118


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