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↑この写真の人!!



 模型愛好家だったら、米軍の星マークに矢が刺さっている撃墜マークの横に立っている搭乗員の写真を見たことがあるかもしれない。零戦の写真集には必ずと言っていいほど掲載されている有名な写真だ。


 この写真の男は谷水竹雄飛曹長。初陣から終戦までに撃墜した敵機の数は18機とも30機以上ともいわれる、太平洋戦争中期から終戦まで戦い続けた熟練搭乗員だ。


 谷水は、大正8年三重県生まれた。母は真珠を採る海女だったという(1)。昭和16年2月に丙種予科練習生3期に採用された。丙飛卒業生の飛練は17期、18期の2期あり、谷水は16年4月に始まる17期飛練に分けられた(18期は6月開始)。


 飛練の教員は操練40期の中島隆三空曹で同じ教員に割り当てられたペアには杉野計雄、杉田庄一、のちにソロモン航空戦で戦死する加藤正男がいた(2)。撃墜数は不確定要素が強いので参考にしかならないが、杉野は32機撃墜、杉田は70機撃墜と言われる著名な撃墜王となっていく。この中島隆教員はよほど教えるのが上手かったのだろうか、教え子には谷水も含め多撃墜者が多くいる(3)


 中島教員から航空機の操縦を教わった谷水達は、その後大分空へ転勤、戦闘機搭乗員として訓練を受ける。この大分空ではこの時期、のちに翔鶴戦闘機隊で分隊長となる小林保平の海兵67期、甲飛5期、乙飛10期が訓練を受けている。これらの期は太平洋戦争中盤から中核として戦ったクラスであり、その分、犠牲も多かった。


 昭和17年3月飛練を修了。4月1日に新たに木更津で編成された6空に配属される。6空は司令森田千里大佐、飛行長玉井浅一中佐、飛行隊長新郷英城大尉を主要幹部に迎えた特設航空隊である。その後、204空と改称され、のちのラバウル航空戦の主力として戦線を支え続けた部隊だ。


 4月18日のドーリットル隊の空襲では6空も陸攻隊を援護して敵機動部隊攻撃に向かうが発見できずに帰投している。空襲は日本側の防御網の貧弱さや油断から成功し、日本側の死傷者は500名以上に上った。


 この空襲の大本営からの発表では日本側の損害は「軽微」、米軍機を9機撃墜したことになっているが(4)、実際には、日本側は陸海軍共に航空機が飛行していたが誤認や油断のために1機も撃墜することはできなかった。


 この空襲がきっかけでミッドウェー作戦が決定されることになった。谷水が所属する6空も直接ミッドウェー作戦に参加する訳ではないが、ミッドウェー島占領後の基地航空隊として艦隊に便乗することになった。しかし一つの艦隊に全員という訳ではなく、本隊である南雲機動部隊と陽動のため実施されるアリューシャン作戦に参加する空母隼鷹に分乗する。


 周知のように、ミッドウェー作戦は全く相手の意思を考慮しない無駄に緻密な作戦計画と杜撰な情報管理により主力空母4隻を失う大打撃を受ける。南雲機動部隊に便乗した他の6空メンバーは大変な思いをすることになるが、谷水は隼鷹組だったため難を逃れた。


 ミッドウェー作戦失敗後、隼鷹は大湊に寄港、谷水他6空搭乗員は陸路木更津に移動する(5)。6空はその後ラバウルに進出するが、谷水や同期の杉野は7月7日、母艦搭乗員として大分空で編成中の「大鷹」戦闘機隊に着任する(6)


 空母大鷹は日本郵船の貨客船春日丸を海軍が徴収したもので排水量17830トン、最高速力22ノットの航空母艦である。谷水が配属された時点ではまだ特設空母春日丸であったが、昭和17年8月に大鷹として正式に航空母艦となる。空母としては小型で速力も22ノットしか出せないため戦闘機は未だ九六式艦戦であり、搭乗員には熟練者が選抜された。


 谷水は数ヶ月前に実戦部隊に配属されたばかりであるが、飛練も同期の中では早い17期に編入されていることや母艦搭乗員に選抜されていることからも当初から搭乗員としてのセンスに恵まれていたのだろう。


 この時の大鷹戦闘機隊の構成は、丙3期の谷水、杉野、米田以外は飛行隊長は海兵66期の塚本祐造、分隊士は操練26期の松場秋夫、その他の搭乗員も操練26期の青木恭作、同27期大久保良逸、甲飛1期の前田英夫等の熟練者が揃っていた(7)


 昭和17年7月7日着任後、大分基地で母艦搭乗員としての猛訓練を受ける。この猛訓練のお陰で谷水は終戦まで生き抜くことができたという(8)。8月17日、春日丸は戦艦大和の護衛としてトラック諸島に進出、谷水も戦闘機隊員として乗艦する。


 以降、谷水は航空機の輸送任務に従事するが、10月にはデング熱にかかってしまう(9)。その後、空母大鷹と共に呉着、大村空で教員配置に就く。短期間ではあるが飛練24期(甲飛7期、丙飛7期)の教員となる。


 飛練練習生卒業後は、練習生の一部と共に12月1日付で佐世保軍港防衛戦闘機隊に転勤する。戦闘機隊といっても新人の錬成も主な任務だったようだ。因みに、この時期に谷水はじめ搭乗員達が憲兵と喧嘩になり、搭乗員が憲兵に暴行を行った。その後、この事件が問題となり犯人捜しが始まったが、谷水が暴行の犯人として名乗り出たという(10)。どうも実際にはやっていないようだ。


あの撃墜マークの人 谷水竹雄 飛曹長 2/5へつづく


参考文献

(1)ヘンリー・サカイダ『日本海軍航空隊のエース』P81
(2)杉野計雄『撃墜王の素顔』P 42
(3)撃墜数は秦郁彦『日本海軍戦闘機隊』より
(4)辻田真佐憲『大本営発表』P99
(5)204空編『ラバウル空戦記
(6)杉野計雄『撃墜王の素顔』P73
(7)杉野計雄『撃墜王の素顔』P75
(8)谷水竹雄「愛機零戦で戦った千二百日」『零戦搭乗員空戦記』P41
(9)杉野計雄『撃墜王の素顔』P83
(10)杉野計雄『撃墜王の素顔』P97


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