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零戦三二型01



目次

  1. <概要>
  2. 11型
  3. 21型
  4. 32型
  5. 22型
  6. 52型/53型丙
  7. 62/63型
  8. 54型丙
  9. 零式練戦11型/22型
  10. 生産数

 

<概要>



 昭和12年10月5日、三菱と中島に十二試艦上戦闘機計画要求書が交付。これに対して中島飛行機は辞退、三菱は昭和13年4月10日、海軍に「A6M1計画説明書」を提出した。昭和14年3月16日、試作1号機が完成。4月1日初飛行と順調に進んでいたが、昭和15年3月11日、2号機が空中分解事故を起こしてしまう。原因は昇降舵フラッターと推定され改修が施された。そして昭和15年7月24日零式1号艦上戦闘機1型として制式採用された。


 

11型



 1939年3月16日、零戦試作1号機が完成した。同年4月1日、初飛行。これが世界初の零戦で量産型と異なりエンジンが瑞星という780馬力という非力なエンジンであった。量産型に比べて胴体が30センチほど短い。この2機の内、2号機は事故で失われている。3号機以降はエンジンを栄12型に換装している。


 エンジンを940馬力栄12型に換装した11型は1939年12月28日に初飛行、1940年7月24日正式採用された。この11型は総数64機(wikipediaでは60機)生産されており、太平洋戦争初期まで使用されていたようだ。着艦フックは付いているものと付いていないものがあった。

 

21型



 この11型を改良したものが零戦21型で1940年12月4日正式採用された。この型は11型の翼端を折り畳めるようにしたもので三菱で740機、中島飛行機で2628機生産された。

 

32型



 この21型のエンジンを二速過給機付栄21型エンジンに換装し翼端の折畳部分を切断し角型に整形したのが32型でエンジンの換装により馬力が1130馬力に最高速度が541kmに増加したが発動機の燃料消費量の増大と燃料搭載量の減少で航続距離が減少した。


 さらに20mm機銃が99式1号2型に変更されて装弾数が60発から100発に増加した。1941年7月14日に初飛行、1942年春に実戦配備された。生産は三菱のみで行われ試作3機とは別に343機が生産された。これは前期型と後期型に分かれ後期型は燃料タンクが大型化されている。前期型が188機、後期型が152機生産されている。

 

22型



 32型の航続距離の短さが問題となり改良されたのが22型で1942年に1号機完成、1943年1月29日に正式採用された。エンジンは栄21型を使用しているが燃料タンクは増設された。翼端も21型と同様の12mに戻される。この22型には甲という武装が変更されたモデルが存在する。甲型は99式1号の銃身を長くした99式2号3型に変更されている。22型はソロモン方面で活躍した。これも三菱製のみで560機が生産されている。

 

52型/53型丙



 52型は昭和18年8月23日正式採用された。翼幅は32型と同様に11mに縮小したが、翼端は32型と異なり円形に整形された。発動機は栄21型であるが、排気管をロケット式排気管に変更したため馬力が1300馬力に増加。武装は22型甲と同様に99式2号3型で三菱でエンジンに消火装置の無い前期型と消火装置装備の後期型に分かれる。三菱で747機製造された。前期型が370機、後期型は377機である。


 同時に中島飛行機でも生産された生産数は3573機と言われている。52型の武装を変更したのが甲型で99式2号3型からベルト給弾式の4型に変更した。これによって携行弾数が125発になった。三菱で391機生産されている。中島製は不明。


 さらに甲型の右胴体銃を3式13mm固定機銃に変更した乙型が存在する。装弾数230発。三菱で470機生産された。中島製は不明。さらに両翼に13mm機銃増設、防弾強化をした重武装型の丙型がある。三菱184機(推定)、wikipeidaでは341機となっている。最高速度541km。


 この52型丙のエンジンを栄31型に換装したのが53型丙で試作機のみ製作された。

 

62/63型



 さらに戦闘爆撃機型の62型/63型も生産されている。62型も63型も同型である。最高速度543km。機体強度を強化、爆弾投下装置新設。栄31型エンジンを装備している機体と栄21型を装備している機体がある。紆余曲折があったため呼び方が混乱している。三菱両社で約490機が生産されたと推定される。

 

54型丙



 最後に製作されたのが54/64型丙で試作機が2機のみ製作された。エンジンを1500馬力金星エンジンに換装。最高速度は海軍側資料では572km。三菱側資料では563km。胴体銃は廃止され、翼内の20mm機銃、13mm機銃各2門となった。最後であり最強の零戦。

 

零式練戦11型/22型



 その他、零式練戦11型が日立航空機272、21空廠で243機生産された。零式練戦は練習用の零戦で昭和18年に試作一号機が完成、昭和19年3月17日に正式採用された。複座式、翼端折畳廃止、固定武装は7.7mm機銃のみで20mm機銃はない。零式練戦22型も試作されたが、試作2機のみ。

 

生産数



 零戦の生産数をまとめると、まず試作機が2機、11型が総数64機 21型が三菱で740機、中島飛行機で2628機生産された。21型合計3368機。32型が三菱製のみで343機、22型も三菱製のみで560機が生産されている。52型は三菱で747機製造された。前期型が370機、後期型が377機である。52甲型が三菱で391機 52乙型が三菱で470機、52丙型が三菱で184機。中島飛行機の型毎の数は不明で合計3573機。52型合計で5365機。53丙型が1機、62/63型が三菱両社で約490機、54丙型が2機、練戦11型が515機、練戦22型が試作2機のみ。合計10712機である。但し、零戦は大量に生産されたため、生産数については諸説ある。


 以上がざっと調べた零戦の各型である。基本的には秋本実『日本軍用機航空戦全史〈第5巻〉大いなる零戦の栄光と苦闘』に寄った。

2019年5月22日初稿
2019年6月12日加筆修正。

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