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元号っぽい画像が何もなく、唯一あったのがこれ。養老年間(717〜724年)の元号の元になった養老の滝



 まあ、話題になっているけど、新元号が「令和」だそうで。。。新元号に関してちょっと思ったことを書いてみたい。


 報道によると新元号の候補としては「令和」以外に「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」の5案があったようだ。その中で「令和」が選ばれたという。


 「令和」の出典は『万葉集』巻五「于時初春令月 氣淑風和」だと言われている。これは「時に、初春の令月にして、気淑く風和(な)ぎ」と読む。さらに『万葉集』のこの部分は中国の古典である張衡『歸田賦』「於是仲春令月,時和氣清」から来ているともいう。


 「令和」の「令」とはこの場合、「よい」という意味であり、「令月」とは「よい月」という程度の意味のようだ。


 ここで重要なのが「令」の意味である。「令」とは確かに「よい」という意味もあるが、使役動詞としての「せしむ」、命令としての「令する」という用法もあることだ。


 使役動詞として「令和」読んだ場合、「和せしむ」となる。「和」を「和(なご)ます」という意味で採れば「なごませる」という意味になるが使役動詞なので「命令」のニュアンスを含む。


 それに対して「和」を「和服、和食、和室」というように「日本」という意味で採った場合、「日本とせしむ」という意味にもなりうる。現代語訳すると「日本とする」だろうか。


 さらに「令」を命令の意味で採り、「和」を日本という風に解釈した場合、「日本に令する」という解釈もできてしまう。天皇の即位によって変わる元号であるのでもちろん主体者は天皇だ。


 象徴天皇制を国体とする現在の日本としてはちょっと危険な解釈もできてしまう。


 それはともかく、「令」というのは使役動詞、命令としての意味があることは選定者は十分理解しているはずであり、私が思いつく程度の解釈がされることも当然想定されているだろう。


 その上で「令和」と決定したと考えられることや元号の出典が初の日本古典からであることも併せて今回の元号はナショナリズム的な傾向が強いといえるだろう。


 全くの余談だが、六国史上に「令和」という文字列が散見される。『類聚国史』に1例、『日本三代実録』に3例だ。せっかく調べたので一応紹介しておく。


『日本後紀』巻三逸文(『類聚国史』七五曲宴)延暦十四年(七九五)四月戊申(十一)
曲宴。天皇誦古歌曰。以迩之弊能、能那何浮流弥知、阿良多米波、阿良多麻良武也、能那賀浮流彌知。勅尚侍従三位百済王明信令和之、不得成焉。天皇自代和曰。記美己蘇波、和主黎れい多魯羅米、爾記多麻乃、多和也米和礼波、都禰乃詩羅多麻。侍臣称万歳。


『三代実録』巻二七貞観十七年(八七五)五月十日辛夘
辛夘十日。從五位下守下総守文室朝臣甘樂麻呂飛驛奏言。俘囚叛乱。故燒官寺。殺略良民。勅符曰。省奏状。知俘虜怨乱。須發官兵。以遏鋒鋭。又令武藏。上総。常陸。下野等國。各發兵三百人。以爲援助。宜各合勢迭相追討。早令和解莫擾農民。


『三代実録』巻卅八元慶四年(八八〇)八月六日丁亥
六日丁亥。釈奠如常。群官畢会。直講従七位上山辺公善直、講毛詩。文章生等賦詩如常。」去貞観十九年二月十五日、令和泉国充奉徭廿人於清和院地園。至是、過十人為廿人。


『三代実録』巻四十七仁和元年(八八五)二月八日甲午
八日甲午。先是、神祇官奏請。去貞観十七年四月十七日有勅、以山城国葛野郡上木嶋・下木嶋両里乗田五段、奉充従一位平野神社。而班田使図帳、不注神田、収公班給百姓口分。望被返充。是日、勅有司令返奉。以山城国愛宕・紀伊両郡官田七町百卅歩、充同神社預一人・御炊女四人月料禄、停給見米也。」令和泉国、官田稲率穎十五束、穀一斛。以国司申請也。」(後略)


 他にも明治、大正、昭和というのも探してみたが、六国史上には一件も見当たらなかった。「令和」も変な用法では使われていないが、何か学者が良い漢字を選んだというより政治的な意味合いが強い気がする。これは全くの主観ではあるが。。。


 まあ、気に入ろうが気に入るまいが2019年5月からはこの元号となる。どういう意味だろうが使用が始まればただの記号となる。


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