
最近、たまにしかブログを更新しなくなってしまった私であります。何か凡庸な内容の記事を量産している自分にちょっと疑問を感じて頻繁に更新することをやめてしまったのですが、別にブログを閉鎖した訳ではないですよ。今日はヤマシタホビー社製駆逐艦響を製作したので記事をアップしてみました。1/700艦艇の製作はすでに条件反射のようになり週末になると機械的に建造されていく状態です。

ヤマシタホビー。。。あまり聞かない会社ですね。私はあまり模型業界には詳しくないのですが、どうもパーツを作っていたメーカーが力をつけて自主設計の模型を製造するようになったようですね。詳しくは調べて下さい。

まずはパーツに不足がないかを調べます。以前、パーツが無いということがあったのでこれは重要です。今回は不足はないですね。

とりあえず塗装です。駆逐艦響は舞鶴工作部で建造された艦なので塗料は舞鶴海軍工廠色で塗装してみました。舞鶴海軍工廠色は呉、佐世保、舞鶴の海軍工廠色の中では一番明るい色ですね。ついでに甲板や煙突、その他の塗装もしてしまいます。今回製作するのは駆逐艦なので塗装する部分は少ないので1〜2時間位で全て塗り終わりました。

早速組み立てます。どのメーカーのものもそうですが、特に駆逐艦は小さなパーツが多いのでランナーからの切り離しは注意が必要です。上の画像の煙突の横に付くパイプは私が切り離す時に折ってしまいました(涙)。

駆逐艦は割と簡単に製作できるので暇つぶしにはうってつけですねw。取りあえず艦体を作り煙突を載せた状態。

その他パーツも接着していきます。すでに完成したような感じですね。

全パーツを取り付け、さらにアンテナの塗装や接着剤でテカってしまったところやランナーから切り離した部分の塗装をします。これで完成ですね。

じゃじゃーん。伝説の強運駆逐艦響完成。

上から見た響。うーん良くできています。

今まで製作した駆逐艦隊。一番手前が響、中央が島風、奥が防空駆逐艦冬月。特型駆逐艦、高速駆逐艦、防空駆逐艦とそれぞれ特徴のある駆逐艦達。

上から見た画像。上から冬月、島風、響。艦の大きさの違いが分かる。防空駆逐艦はデカいですね。駆逐艦乗組員の手記に「軽巡のように大きい」と書いてありましたね。実際にはそれほど大きさに差はありませんが、当時の駆逐艦乗りにはそう見えたのでしょう。

1/700艦隊集結です。奥から航空戦艦伊勢、空母隼鷹、工作艦明石、防空駆逐艦冬月、駆逐艦島風、特型駆逐艦響、一等輸送艦、SB艇です。8隻並ぶと壮観ですね。

大きさ比較のために上から撮影。
戦艦伊勢 全長220m、排水量3万9000トン
空母隼鷹 全長219m、排水量2万7500トン
工作艦明石 全長159m、排水量10500トン
駆逐艦冬月 全長134m、排水量3500トン
同 島風 全長130m、排水量3000トン
同 響 全長118m、排水量2000トン
一等輸送艦 全長96m、排水量1800トン
SB艇 全長72m、排水量870トン

伊勢と隼鷹は全長は同じでも排水量では1万トン以上の違いがある。重装甲の戦艦と客船改造空母の違いなのでしょう。
<特型駆逐艦響>
特型駆逐艦響は1930年に起工、1933年に就役しました。太平洋戦争開戦後はフィリピン攻略作戦、バタビア沖海戦、キスカ島攻略作戦に参加します。1943年には一旦トラック泊地に進出しますがソロモン海には出撃せずに内地に帰還。その後キスカ島撤収作戦に参加します。この際、米軍の駆逐艦に偽装するために煙突を取り付けたりしました。キスカ島撤収作戦終了後は船団護衛に活躍します。意外にも響は生涯に亘ってソロモン海には出撃していないんですね。
1944年9月には触雷してしまったためレイテ沖海戦には参加しませんでした。1945年には戦艦大和の沖縄特攻作戦に参加することになっていましたが再び触雷してしまったため参加することはできませんでした。その後響は海上護衛艦隊に編入され終戦を迎えます。数回の損傷にもかかわらずついに終戦まで生き残ることが出来た幸運な艦です。
終戦後は復員輸送艦に指定され復員輸送に従事します。復員輸送艦の任務が解かれた後は賠償艦として1947年、ソビエト連邦に引き渡されます。ソビエト海軍では艦名をヴェールヌイと改称され調査が行われましたが居住性が悪かった上に武装解除をされていたために1948年、練習艦としては配属されました。同年艦名をデカブリストと変更され練習船に艦種変更されます。1952年には標的曵航船となり1953年に除籍。1970年代に標的艦として処分されました。

ドンドンコレクションが増えていくふふふ。。。
↓良かったらクリックして下さい。
ミリタリーランキング