01_第十六号輸送艦
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 太平洋戦争開戦後に計画、設計され後期に実戦に投入された強行輸送艦である。21隻就役した内、16隻が撃沈されたが、生き残った5隻の内の1隻には数十回の輸送任務を全うした日本海軍中最高の「幸運艦」も存在する。戦後は復員船、捕鯨船として活躍する。

 

第一号輸送艦 〜概要〜

 

 

性能

 通常排水量 1,500トン
 最大排水量 1,965トン
 全長 96m
 全幅 10.2m
 吃水 3.6m
 機関出力 9,500馬力
 最大速力 22ノット
 航続距離 3,700海里/18ノット
 乗員 148名
 武装 40口径12.7cm砲連装1基
    25mm機銃3連装3基
    25mm機銃連装1基
    25mm機銃単装4基
    爆雷投下軌道1条
 同型艦 21隻

 

特徴

 1944年に竣工した日本海軍の強行輸送艦である。敵制空権下での輸送を前提としているため速力は22ノットと高速である。ガダルカナル島での補給が問題化した1943年4月に計画され、同年11月に起工された。

 短期間で大量に建造するためにブロック工法、電気溶接が採用され、終戦までに21隻が建造された。機関はタービン機関を採用したが一軸推進であったため非常時には不安のあるものだった。武装は対空機銃の他に爆雷を装備、さらにはレーダーやソナーが装備された。

 補給物資は大発4隻、補給物資260トン、特二式内火艇であれば7両、または甲標的2隻、回天ではれば6隻を搭載することができる。艦尾はスローブ状になっており大発や特殊潜航艇の洋上発進も可能であった。

 物資輸送以外にも機雷敷設任務に使用されたりと活躍したがその分、損害も大きく21隻中終戦時に生存していたのは5隻のみであった。就役したのが1944年5月で活躍したのが1年半にも満たない期間であったことを考えるとその損耗率の高さは尋常ではない。

 

第一号輸送艦 〜戦歴〜

02_第十三号輸送艦
(画像はwikipediaより転載)

 

 1番艦が就役したのが1944年と戦争後半であったため、主に中部太平洋からフィリピン及び日本の島嶼部への輸送で活躍したが、制空権、制海権も失った海域での輸送のため主に航空機、潜水艦の攻撃により21隻中16隻が撃沈された。終戦時残存の5隻は復員船、のち捕鯨船として活躍した。3隻はその後解体される。残り2隻は戦時賠償艦として13号がソビエト連邦、16号が中華民国に引き渡された。

 ソビエトに引き渡された13号は1947年にチュメニウラと改称され機雷敷設艦となり、1948年7月には類別変更され救難艦となりさトゥールンと改称された。1964年2月除籍、スクラップとして売却された。中華民国に引き渡された16号は武夷と改称され輸送艦として活躍、1954年に廃艦となった。

 

9号艦の奇跡

 この21隻建造された第一号輸送艦の中で特に9号艦は顕著な活躍をした。9 号艦は1944年9月20日呉で竣工、10月には早速輸送任務に従事、甲標的2基をフィリピンに輸送した。この当時、ミンダナオ海では甲標的に熟知した原田覚司令の下、甲標的が作戦に使用され実績を上げていた。

 その後もレイテ増援輸送作戦(多号作戦)に参加、数度に亘って物資の輸送に成功、12月には米艦隊と交戦する。1945年1月には香港経由で本土に物資を輸送。その後も横須賀、父島間の輸送に12回も成功する。8月には特殊潜航艇海龍を佐伯に輸送、呉で終戦を迎えた。

 戦後は復員船として活躍。1947年戦時賠償として米国に譲渡されるがそのまま太平洋漁業(現在のマルハニチロ株式会社)に貸し出され捕鯨船として活躍、捕鯨船としての職務を全うし1948年6月26日解体された。

 短期間の活躍ながら危険な輸送任務を数十回にわたり実施して生還した幸運艦である。この武勲に対し1944年にと1945年の二回にわたり軍艦表彰を受けている。この第一号輸送艦9号の作戦遂行、生還はこの時期の作戦を行った海域の危険性を考えると奇跡中の奇跡と言っていい。

 他にも駆逐艦雪風や空母隼鷹など幸運艦と呼ばれる艦は数隻存在したが、この9号艦の奇跡は世間ではほとんど知られていない。

 

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