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 『銀河英雄伝説』って知っていますか?知らない人は今回の記事はあまり面白くないかもしれません。『銀河英雄伝説』とは田中芳樹原作の想像を絶する壮大なスケールのスペースオペラです。


 どれだけ壮大かというと、銀河系で二つの勢力が分かれて戦い、その戦闘の規模は1個艦隊が数百メートルの艦艇およそ1万5000隻という途方もない数。敵味方合わせると3万隻などという規模の戦闘が行われる世界なのだ。


 時は遥か未来、人類が宇宙に進出して1000年後の世界、皇帝が専制政治を行う帝国とそれに反旗を翻した共和主義者たちが建国した自由惑星同盟が100年以上戦争をしている世界。


 帝国は皇帝、貴族、平民という階層に分かれており、特権階級である貴族の腐敗が著しい。これに対して自由惑星同盟も当初の理念を失い、汚職政治家が跋扈する衆愚政治と化していたのだ。


 要するにどちらもどーしょーもないのだ。しかし帝国に若き英雄ラインハルトが現れる。ラインハルトは自身の類稀な能力を恃みに帝国を簒奪しようと企む。


 一方、自由惑星同盟側にもヤン・ウェンリーという軍事に関しては天才的な才能を持つ高級軍人が現れる。戦いの中でお互いを知り、ライバルとして強烈に意識し合うのだ。


 帝国の若き天才、ラインハルトは戦場で武勲を挙げみるみる出世していく。皇帝の側室である姉の力もあり、15歳で少佐、18歳で少将、20歳で元帥にまで上り詰める。


 そこで帝国軍の宇宙艦隊の半数を麾下に収める。そこでラインハルトは人材の収集を始める。もちろん門地や家柄は問わない。そのため平民出身の実力のある提督達が次々とラインハルトに引き上げられ彼の下に集まるのだ。


 ここでふと思ったのだが、実力って何だろう。もちろんこの場合の実力というのは軍事的な才能だ。具体的には艦隊や部隊の指揮・作戦能力だ。


 ここでちょっと銀英伝から離れよう。仮に全く同じ能力を持った二人の人間がいたとする。一人は富豪の子で一人は貧乏人の子。


 この子供達が成長していったとする。貧乏人の子は公立の小学校から中学校へ。貧乏なので学歴はここまで。家が貧しいので仕事を手伝う。汗水たらして働くが単純作業ばかりだ。


 富豪の子も小学校に入学する。もちろんおぼっちゃま学校だ。富豪の親のつながりで他の富豪達とも親交を深める。中学を卒業すると同時に外国の高校へ留学する。そのまま大学、大学院と進学する。


 この二人、仮に企業が採用するとしたらどちらを採用するだろうか。もちろん富豪の子だ。語学もできる上に専門的な知識を学んでいる。かたや自国語をしゃべるのみで単純作業しか経験がない。実力が違うのだ。


 そもそも同じ企業を受けることすらできないだろう。お互いに住む世界が違いすぎるからだ。仮に個人の能力が同じであったとしても人間は環境によって作られる。自身が置かれた環境によって能力も変わってしまうものなのだ。


 仮に艦隊指揮官として潜在的な才能を持っていた軍人がいたとする。しかし時代は生まれながらにして地位が決まってしまう出自が重視される社会だ。残念ながら彼は平民の出であった。


 基本的には貴族は士官、平民は兵だ。しかし仮に士官学校に入ったとする。すごく優秀で全て首席だった。もちろんそんなものは一切階級には反映されない。何せ出自が重視される社会なのだ。


 どんなに武勲を立てたところで出自が重視される社会だ。階級は変わらない低いままだ。そこに実力主義者の若い改革者が現れた。実力のある艦隊司令官が欲しいという。平民出身の彼はアウトだ。何せ艦隊の指揮なんてしたことがないのだ。実力がない。


 出自が重視される社会では、艦隊司令官として経験があるのは貴族だけだ。経験こそ何にも勝る実力だ。少なくとも経験が皆無である者よりは圧倒的に優れている。


 その結果、実力のある艦隊司令官は貴族たちの中の最優秀者が選ばれる。そして結局は、ラインハルトの部下達は貴族達で占められる。


 本当の出自が重視される社会であればそうなるのだ。しかし『銀河英雄伝説』の中ではちょっと違う。のちに軍の重鎮となる平民出身のミッターマイヤー。


 ラインハルトの知己を得た時の彼の年齢は確か27歳、階級は少将だった。27歳で少将って相当のスピード出世ではないか。現在では世界的に見てもそうそうない。


 遥か未来のことだけど位の価値は今とあまり変わらないようなので帝国でもスピード出世であることは間違いない。


 出世した理由はもちろん実績だ。類稀な軍事的能力により実績を積み上げ27歳で将官にまでなった。こういう状態を世間では「実力主義」というのだ。


 他の平民出身の提督達も同様だ。それぞれ実力で高級軍人にまでなっている。そう、銀河帝国というのは実は平民にも社会の上部に上がる道が残されているのだ。


 銀河帝国は500年続いているという設定だ。それも一部の貴族たちが大多数の民衆を抑圧するという形ということになっている。


 しかし実際はそうではない。平民であっても優秀者は社会の上部に登れる社会のようだ。ミッターマイヤーしかり、他の平民出身の提督しかり。ラインハルト自身も下級の貴族でありながら武勲によって20歳で元帥にまでなっている。


 ローエングラム家の門地を継いだことや姉の影響といえども武勲という実績がなければこの昇進は不可能であった。つまりはラインハルトも門地や家柄などではなく実力が評価されているのだ。


 実力によっての貴族層の内部で下級貴族から上級貴族への階級の移動も可能であったということだ。ラインハルトから見た帝国というのは実力の無い貴族たちが牛耳っている世界であったが、実際の帝国というのは階級の移動がさかんに行われる世界であった。


 長期に亘って政治体制が存続するというのは多数者の承認なくしてはあり得ない。短期的には恐怖による体制維持も可能であるが長期に亘ることはまずない。中国の秦帝国のように何かの拍子に一気に不満が爆発するのだ。


 逆に独裁体制の国家で長期間体制が存続している場合、民衆は消極的にしろ積極的にしろ体制を支持しているといえる。少なくとも反乱や革命を起こすほどではないのだ。


 日本の江戸時代はその最たるものだろう。建て前上は武士が最上位で支配階級だ。武士を侮辱した場合、切捨御免の特権もある。


 しかし実際は違う。武士は支配階級ではあったが、家計は苦しかった。それは社会が豊かになって物価が上がっても武士の俸禄はそれほど変わらないからだ。


 町人は商売で潤い、百姓は五公五民とはいっても実際は一公九民、二公八民などざらであった。さらに内職や幕府や大名に届けない隠田まで持っていた。本百姓は意外に豊かだった。


 切捨御免についてもあまり行われていなかったようだ。切捨御免を「立証」するためには証人が必要であり、「立証」されない場合は武士に重罰が下されることもあった。


 さらにその町人や百姓が他藩の人間だったりするとさらに面倒だ。切捨御免も実際に行われることは稀であった。


 外からは徳川家の独裁に見える江戸時代も実は恐怖政治などではない。故に江戸時代は270年間続いたのだ。


 そもそも人口のほとんどを占める農民は村を自治しており基本的には武士は入ることはできない。さらにあまり知られていないが百姓は火縄銃で武装している(武井 弘一『鉄砲を手放さなかった百姓たち』)。百姓が本気で反乱を起こしたら武士には鎮圧することは不可能であろう。


 銀河帝国は500年続いていた。もしも少数の貴族が多数の民衆を弾圧している状態であったらすぐに瓦解していただろう。しかし銀河帝国は貴族も平民も下位に置かれたものが上位を目指すことができる柔軟さを持ち合わせている社会であった。それ故、銀河帝国は500年続いたのだ。


 綺麗にまとまったが、私は何でこんなことを真面目に書いているのだろうとかなり疑問に感じた。。。2〜3時間かけて書くようなことだったのだろうか。。。うーん(-_-;)


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