
(画像は雷電 wikipediaより転載)
この本はもう絶版になって久しい本だ。出版されたのは1967年。まだ太平洋戦争が終わってから22年しか経っていない。終戦時20歳だった人もまだ42歳の働き盛りです。その時代の記録なので結構貴重ですね。実はこの本は編集されたものなので記事の初出はもっと早いです。全ての記事の初出は分かりませんが、岩下泉蔵「硫黄島特攻援護記」は昭和29年に初めて出版されています。
1956年に「もはや戦後ではない」という言葉が流行しましたが、本書の記事が出版された時代は戦後9年目、上記のフレーズが流行る2年前です。1951年にサンフランシスコ講和条約の締結により日本は独立を回復し、1952年GHQの占領が終了します。その2年後に書かれた記事なので史料としてもかなり貴重なものですね。戦後に1冊30円で出されていた読み切りの各記事をまとめ、シリーズとして全24冊が出版されました。本書はその第1巻です。
目次
- 金沢秀利「空母飛龍と共に」
- 山川新作「急降下爆撃隊戦記」
- 赤松貞明「日本撃墜王」
- 藤田信雄「米本土爆撃記」
- 椿恵之「特攻天剣隊記」
- 足立次郎他「神雷部隊記」
- 岩下泉蔵「硫黄島特攻援護記」
- 羽切松雄「新兵器実験記」
- 木村八郎「空母を求めて」
- 森下久「戦艦大和と共に」
本書の中で私がもっとも読みたかったのは、赤松貞明「日本撃墜王」だ。赤松氏はやたら人気があるようでwikipediaに異常に長い記事がある伝説の搭乗員だ。その赤松氏の貴重な手記である。この記事はある意味伝説の記事だ。赤松氏が言うには本人の撃墜数は350機で世界記録だという。日中戦争ですでに240機を撃墜していたとか。もちろん実際に240機を撃墜したら中国空軍は赤松氏一人で壊滅だ。
しかし坂井三郎氏によると、エースと言われる人は有言実行型であり、むしろ大言壮語型から多くのエースが生まれたという(坂井三郎『零戦の運命』下P162)。日本のトップエースと言われる岩本徹三中尉も「空戦の腕も達者でしたが、口も達者で、いつも大風呂敷を広げていた」という(川崎浹『ある零戦パイロットの軌跡』P272)。
実際、赤松氏も戦争末期、格闘戦では不利と言われる雷電でP51の75機編隊に単機で突入し1機を撃墜しており、これは戦後の調査で証明されている(ヘンリー・サカイダ『日本海軍航空隊のエース1937‐1945』P88)。伝説の南郷少佐を非常に高く評価していたり、当時の新聞記事の撃墜百機座談会などの引用があり、参加者に新人時代の岩本徹三三空曹や尾関行治一空曹等、のちに太平洋戦争で活躍する搭乗員の名前があったりと面白い。
他にも世界でたった一人米本土爆撃をした藤田信雄中尉の回顧録もある。さらに戦艦大和の乗組員の手記や艦爆、艦攻搭乗員等貴重な記録が多く載せられている。羽切松雄氏や金沢秀利氏は著書があるがその他の手記はなかなか読むことができないものだ。随分前に買った本だが良い買い物をしたのだ。
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