今日はちょっと珍しい本を紹介したいと思う。著者は軍人ではなくエンジニア。それも戦後、戦車や装甲車等の軍用車両を開発していたという珍しい経歴の持ち主だ。まだ戦後と言われていた時代、著者は東大工学部を卒業後、三菱重工に就職する。そこで図らずも戦車の開発に携わることになる。戦車を操縦していたや戦車の乗員だったという人はそれなりにいるが、戦車を設計していたという人はまずいない。そう考えると本書はかなり貴重なものだ。
内容は設計者だけあって専門分野の詳しい話は素人には難易度が高い。私も具体的な計算を示されても全く分からなかった。しかし戦車の設計という特殊性やその時代、社会、試行錯誤の経過等は読んでいて面白い。M4戦車の燃費は1リットルあたり100Mというような豆知識も所々にある。 戦前戦中の多くの技術者が指摘するように、戦前は戦車の設計でも日本は、基礎部品や補機等の底辺技術は欧米諸国に対して未熟であったということだ。
 
戦後日本は国産戦車を造り始める。私も含め多くの人は戦前の技術が継承されていると考えるが、実は工業技術の継承というのは実物か図面が残っていないと中々難しいという。戦争直後、日本の造兵廠や軍事メーカーは図面の多くを焼却してしまった。その結果、戦前の技術の継承は難しく、戦後の戦車は多くをアメリカの戦車から学んだという。これは戦前の技術が戦後に継承されていたと感がていた私には意外であった。
さらに戦車はそれぞれの国のニーズによってコンセプトが決められる。M1戦車は生存性、レオパルド戦車は信頼性という具合である。日本でも61式戦車の場合、当時の世界のトレンドが105mm砲に移行していたにも関わらず90mm砲を採用したのも欧米と異なり国土が狭い日本では90mm砲で対応可能であり、さらに限られた予算と時間の中でまとめなければならないという判断もあったようだ。最後に著者は戦車開発に関して警鐘を鳴らす。
(林磐男『戦後日本の戦車開発史』より引用)戦車技術の後進性はまだ完全に拭えていない。これは決して能力の問題ではなく、無意識のうちに受け継いでしまった過去の誤った既成概念や因習によるものである。例えば兵器であるから機密保持が絶対であるとか兵器は純国産でなければならないとか、あるいは日本の兵器は外国に劣るはずがない等々である。
やはり自国の製品は他国に比べて優位であると考えたくなってしまう。しかし実際はどうなのか、願望と事実を混同していないか。いろいろ考えさせられる内容であった。本書は戦車開発者という珍しい人の著書である。興味のある人は読んでみるといいだろう。
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