坂井三郎01
(画像はwikipediaより転載)

 

 零戦搭乗員で最も有名なのは坂井三郎ということに関しては誰もが納得するところだろう。著書は大ベストセラーで戦記ファンでなくともその名は知っているという人も多い。

 坂井氏は1916年佐賀県生まれ、第38期操縦練習生課程を首席で卒業、その後日中戦争、太平洋戦争に戦闘機搭乗員として従軍する。1942年8月7日にガダルカナル上空で右目を負傷、瀕死の状態で帰還する。以後、負傷が回復してからも視力は低下しており、内地での教員配置が多かった。1944年6月に横須賀航空隊が硫黄島に進出した際に坂井氏も出撃、久しぶりの戦闘に参加する。以後は実戦に参加することはなく343空や横須賀航空隊勤務を経て終戦を迎える。

 

真の勇者は寡黙?

 戦後は自身の体験を書いた『大空のサムライ』が大ヒット、敗戦により自信を無くしていた日本人を勇気付けた。このヒット以降、世間では「零戦パイロット=坂井三郎」のイメージが強くなったといえる。この『大空のサムライ』はのちに藤岡弘主演で映画化もされているが、この映画の資金源になったのが坂井三郎がかかわった「天下一家の会」という今でいうねずみ講の組織だった。自身が加入するだけだったら良かったのだが仲間の搭乗員を勧誘したことや、そもそも大言壮語する癖があったようで搭乗員仲間からは敬遠されていたという。

 このような内容が世間に知れ渡ったのは恐らく神立尚紀『祖父たちの零戦』からであろう。これ以降、評価が分かれる人物になってしまったようだ。その評価とは人それぞれなので私が「これが正解です」と言えるようなものではない。よって坂井氏の評価は各人が判断すれば良いと思う。だが、私がどうしても気になるのが坂井氏がただの「インチキ野郎」的な言説をよく見かけることだ。人格的な問題があったにせよ戦後に問題を起こしたにせよ、それと実戦での技量というのは関係ない。実戦での技量と性格的な好悪や戦後の問題は分けて考えなければならない。

 

自己アピールや大言壮語はいけないのか?

 以前、某サイトのレビューに坂井氏のことを指して「本物の勇者は寡黙なものだ」などとの批判的レビューが書き込まれていたのを目にした。これはたまたまそういう人が一人いたということではなく、こういう考え方が比較的多いのではないかと私は考えている。真の勇者は自分の手柄を語らず、功を誇らず、偽物はやたらと手柄を誇り自己アピールをする。この典型的な善悪の二項対立的な価値観、本当にそうだろうか。

 海軍搭乗員で言えばトップエースといわれる岩本徹三中尉は自身の太平洋戦争での撃墜数を202機、さらに日中戦争の14機と合わせると総撃墜数は216機と主張しており、同じく海軍搭乗員である小高登貫上飛曹も自身の撃墜数を105機と主張している。そして彼らの大先輩である赤松貞明中尉に至っては撃墜350機を主張しているのだ。彼ら3人の撃墜数を合計すると671機となってしまう。

 赤松貞明中尉の撃墜数は記録上は27機、岩本徹三中尉は公文書で判明してるのが30〜40機程度、小高登貫上飛曹の撃墜数は12機だったと記憶している。公文書の撃墜数も審判が正しく判定している訳ではないので、実際の撃墜数は誰にも分からない。

 しかし岩本徹三中尉に関しては同じ部隊に所属していた小町定氏から大風呂敷だったと指摘されており(川崎浹『ある零戦パイロットの軌跡』)、小高登貫氏も戦史研究家ヘンリーサカイダ氏に誇大であると指摘されている(ヘンリーサカイダ『源田の剣 改訂増補版』)。赤松中尉の撃墜350機は指摘するまでもないだろう。

 では彼らは「インチキ野郎」であったのだろうか。岩本徹三中尉中尉は操縦練習生34期の出身。このクラスは戦前に十分な訓練を受けて日中戦争で実戦経験を積んで太平洋戦争に臨んだクラスだ。当然技量も高く、それは岩本中尉と同じ部隊にいた多くの隊員が口をそろえて岩本中尉の技量の高さを語っている。

 小高登貫上飛曹も岩本中尉のように戦前に十分な訓練を受けたクラスではないが、激烈なラバウル航空戦に参加して生き残っており、343空時代に小隊長であった本田稔氏をして「腕は良かった」と言わしめている(井上和彦『最後のゼロファイター』)。赤松中尉に関してはキャリアは彼らの教官クラスで技量は本物、戦争末期に雷電に搭乗してP-51の50機編隊に単機で突入、1機を撃墜して生還したという凄腕である。因みにこの撃墜はヘンリーサカイダ氏によって事実であることが確認されている。

 

実力のある男

 坂井三郎中尉も同様である。操縦練習生38期を修了。終了時には首席として恩賜の銀時計も拝領している。十分な訓練と経験を以って太平洋戦争に臨み開戦から数ヶ月間の航空戦に活躍したことは紛れもない事実である。その後、1942年8月7日のガダルカナル上空での空戦で負傷して後送されているが、戦史研究家ヘンリーサカイダ氏によると米軍の戦闘報告書から、この日、坂井三郎一飛曹は1機を撃墜していることは確実であるという。

 さらには1944年7月に硫黄島から特攻出撃を行った際の空中戦において片目がほぼ見えないにもかかわらず、F6F15機に包囲されながらも敵機の攻撃を巧みにかわし無事に生還している。これらのエピソードからも分かるように「大言壮語=インチキ野郎」と単純には言えないのだ。

 世の中には寡黙な勇者もいるし大言壮語、自己アピールが上手い勇者もいる。一方が正解で他方が誤りという訳ではない。坂井氏を批判する零戦搭乗員達も勇者であれば坂井氏もまた勇者だ。確かに坂井氏の本を読むとところどころに記憶違いがあったり、事実誤認(悪く言えば嘘)があったりするがこれらも実戦での技量とは全く関係のない話である。私はこれも勝負師の性質なのだろうと思っているのだが、勇者といってもいろんなタイプの人がいるのだ。

 

真実なんて誰にも分からない

 歴史を調べる際に一番難しいのが史料の取り扱いである。史料というのは全てのものが公平に主観なく記載されている訳ではない。事実はむしろ逆であり、史料はほとんどの場合、その時代の強者、権力者が自分の主観によって都合良く書かれているものだ。断片的に残っている史料の蔭には消失してしまった何千倍もの史料がある。

 坂井氏に関する証言にしても坂井氏に関わった全ての人の証言を網羅した訳ではない。たまたま証言した人が坂井氏に対して悪意を持っている人だったかもしれないし、その逆ということもある。神立尚紀『祖父たちの零戦』内に343空内部で坂井氏と杉田氏の不和の話がある。両者の関係は最悪で一触即発であったため、隊長は坂井氏を横空に横空からベテラン2人を交換トレードしたという。

 これもその当時生存しており、なおかつ証言した人がそのように語っただけであり実際のところは誰にも分からない。そんな非公式な裏でのやり取りが分かるはずがない。もちろん「嘘だ」といっているのではない。事実であったかもしれないし違うのかもしれない。事実は分からないのだ。著者である神立氏もこういう証言がありましたと書いているだけでこれが事実であるとは書いてはいない。強いて言えば「証言があったのは事実です」である。

 一方に主張があればもう一方にも主張がある。このテーマが興味深いのはこの坂井氏の評価に対して坂井氏の娘である坂井スマート道子氏もまた『父、坂井三郎』において坂井氏について書いており、前述のエピソードについても触れている。どちらが正解なのか、またはどちらも正解なのかは私には分からないが、どちらにせよ批評、批判をするのであればせめてこの2冊は読んでおくべきではないかと思う。

 とまあ、難しいことはさておき、どちらも良い本なのでおススメ。

 

 

坂井三郎氏の関係書籍

 

神立尚紀『祖父たちの零戦』

 神立尚紀氏が零戦搭乗員とのインタビューで書き上げた本。戦後の人間としての搭乗員の生き様が描かれている。この中に坂井三郎氏の戦後の姿もあり、大ベストセラー『大空のサムライ』を出版する前後の話、これによって元搭乗員達からの批判などが描かれている。

 『大空のサムライ』がゴーストライターの手によるものであったこと、戦後、ねずみ講に元搭乗員達を勧誘したことや、そこからの資金により藤岡弘主演『大空のサムライ』が製作されたことなど、坂井氏の「負」の部分も描かれている。この部分に関しては坂井スマート道子氏の著書で違う視点から本書に対して意見を書いているのでどちらも読むことをおすすめする。

 

坂井スマート道子『父、坂井三郎』

坂井スマート道子 著
潮書房光人新社 (2019/7/23)

 坂井三郎氏の娘、坂井スマート道子氏から見た坂井三郎。奥さんの連れ子と自身の子を一切差別することなく育てた坂井氏。義理の息子が「坂井」姓を名乗るようになるが、御子息は喜んでいたという。道子氏が学生運動に熱を上げている時に一喝したこと、外に出た時は前後左右「上下」を確認しろと教えていたことなど搭乗員らしく面白い。「アメリカ人は楽しいぞ」と言っていた坂井氏、道子氏はアメリカ軍人と結婚しており、アメリカ人とは気質があったようだ。誰も知らなかった坂井三郎の姿がある。

 

まとめ

 

 上掲2冊を読むと人というのは一面だけではないということが良く分かる。大言壮語する人もいれば戦後も沈黙を貫く人もいる。その表面的な事象だけで善悪を判断してしまうというのはいささか早計であろう。人というのは十人十色で様々な側面を持っている。決まった枠にはめて分類できるものではないことが分る。どちらも良書である。

 

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