林えいだい 著
光人社 (2009/11/30)

 

 特攻に出撃して諸事情により引き返してきた隊員達を隔離した施設に関する記録。一般的には特攻に出撃すれば必ず体当たりが実行されると思われがちだが、実際は天候不良や機体の不調、さらには敵艦隊を発見することが出来ずに帰還することはかなりあった。

 特攻隊員達は生きながら神として食事も特別な物を用意されていた。戦死後は二階級特進という名誉と遺族には軍人恩給が支給される。二階級特進というのは単純に名誉と考えられがちであるが、階級が二階級上がる分、金額も大きくなるという実質も伴っていた。

 そのような至れり尽くせりの状態で特攻出撃した故に生還した場合は悲惨であったようだ。生還した隊員達は「振武寮」に送られ、司令官、参謀に罵倒された挙句、暴行されたりもしたようだ。その結果、自殺した隊員もいたという。

 

概要
 振武寮(しんぶりょう)とは、福岡の旧日本陸軍第6航空軍司令部内におかれた施設。軍司令部のあった福岡高等女学校(現福岡県立福岡中央高等学校)向かいであり、福岡女学院の寄宿舎を接収して設置された。所在地には現在福岡市九電記念体育館が建つ。実質的な管理者は陸軍の特攻を指揮した菅原道大中将部下の倉澤清忠少佐。戦後、長らく知られてこなかったが、映画『月光の夏』の上映以降で近年その存在が明らかにされた。
(wikipediaより一部転載)

 

 特攻出撃から生還した隊員に関しては海軍でも死ぬことが強要されることがあったようだ(角田和男『修羅の翼』)。まさしく日本軍の負の歴史である。因みに特攻というのはフィリピンが最初であると言われている(それ以前でも戦闘中の体当たり等はかなりある)。このフィリピンで行われた特攻はまさしく「奇襲」であり、米軍も想定していなかった攻撃であったことからかなりの戦果を挙げた。

 そしてその成功は以後、特攻作戦の常態化へと進んでいく。しかしレイテ以降は米軍の迎撃態勢も整ったことに加え、ほとんど飛行経験のない搭乗員と機材の性能不足により目立った戦果を挙げることはなくなった。

 実は特攻というのはかなり難易度が高い。機体は落ちるようには設計されていない。特に戦闘機等の軽い飛行機は急降下しても自然と浮いてしまう。それを抑えながら命中させるというのはかなりの技量が必要だという。

 その上、末期には航空機の工作精度も落ちた上に、速度の遅い旧式機や練習機まで動員された。対する米軍はレーダーを装備して最新鋭戦闘機を何重にも配備して待ち構えていた。それを突破したとしてもVT信管を内蔵した対空砲火が数百門待っている。

 本書を読んでいると、著者、林えいだい氏の主観が随分入り込んでいると感じる。内容が内容なだけに怒りを感じるのも自然ではあるが、もう少し突き放した視点が欲しかった。全体的に「高級軍人=悪」「現場の軍人=善」というような単純な二項対立的視点があるように感じてしまった。

 但し、振武寮という今まで知られていなかったことを世に問うた功績は大きい。著者は戦中派だけに戦争を憎む気持ちが行間にあふれている。読んでいるとかなり気が重くなる。特攻作戦というのを立体的に知りたければ読んだ方がいい。