清水多吉 著
日本経済新聞出版 (2016/7/9)

 

 タイトルは武士道としているが、基本的に「日本思想史特に近代」という感じだ。武士道に関しては『葉隠』と新渡戸稲造『武士道』(特に『武士道』)の二冊の書物が中心になっている。それ以外の戦国時代の武士道等の部分は結構おざなりと感じてしまう。『葉隠』と『武士道』もその時代に社会がそれらの書物をどう扱ったかというような歴史的な観点よりも哲学的な観点と他の思想家がこの二冊をどう評価したかというのが中心である。そういう方面に興味がある方には良い入門書となるかもしれないが、私にとってはちょっと期待外れであった。ただ、これは内容の善し悪しというよりも私個人の好みである。

 

武士道  武士道(ぶしどう)は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。
(wikipediaより一部転載)

 

 その昔、子供の頃、私は侍に憧れていたちょっと変わった少年だった。もちろん武士道なんて全く知らない。単純に子供の頃、よく観ていたドラマが『暴れん坊将軍』や『大江戸捜査網』『遠山の金さん』等の時代劇の主人公が侍だったから。

 武士はもちろん武士道で生きている(と思っていた)。大人になるに従って、幕府が崩壊した現在、侍になるというのは不可能であることを知り、さらには武士道という規範を知った。当時の私は武士道とはストイックで己に強く忠義を尽くすという世間一般が考える武士道をそのまま信じていた。

 しかし大学生も最後の方になるとちょっとした疑問が湧いてきた。というのは、主君に絶対の忠誠を捧げ、時には命すらも捨てる誇り高い侍。そう滅私奉公。しかしちょっと待てよ。

 

戦国時代って下剋上の時代じゃなかったっけ?

 

 いやいや、武士道的には下剋上とかありえないでしょー。裏切りとかだまし討ちとか、「飛び道具は卑怯ナリー」とか誰も言ってねーじゃん。裏切り、だまし討ちなんて頻発しているし。でも江戸時代は武士道の時代な訳じゃん。これってどういうこと?ということで私は疑問を持ち始めた。

 その後、自分なりに調べたんだけど、それはまあいい。今日紹介する本はその武士道に関して書かれた本だ。ちょっと気になったので買ってしまった。内容は武士道についてその発生から近代にいたるまでを書いているが、著者は哲学者で基本的に近代ドイツ思想が中心のようだ。著書に近代日本の思想家もいるのでドイツ思想専門という訳ではないが近代思想史が専門なのだろう。

 なぜ、このようなことを書いたのかというと、内容が思想史なのだ。私は史学を専門的にやってきたこともあり、史学的に史料を元に時代や社会階層、例えば庶民からみた武士道、貴族から見た武士道、外国から見た武士道等、多角的に実証してくれることを期待していた。

 しかし読んでいくと思想の話が多く、特に近代になると武士道の元になった思想の流れというような感じで武士道からは離れてしまっている。有名な新渡戸の武士道も思想的な視点からの考察が多く、私が期待したような史料を駆使したものではなかった。

 

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