01_米軍
(画像はwikipediaより転載)

 

要約

 

 士官と下士官の違いとは、用兵の専門教育を受けているか否かの違いである。士官は士官学校で用兵の専門教育を受けるが、下士官以下は受けない。士官はあらゆる面で優遇され下士官以下とは寝所、食事も別々にとる。「貴族と奴隷」とまで言われる制度であるが、これは士官が下士官以下に「死」を命じることができるように維持されている制度であると言われている。

 

士官と下士官の違い

 

黒木為禎大将
(画像はwikipediaより転載)

 

 士官と下士官の違いは、士官学校等で用兵等の専門教育を受けたか否かである。一般に士官は士官学校等で用兵等の専門教育を受け任官、下士官、兵を指揮するが、下士官とは兵から昇進する場合がほとんどで、専門教育は受けていないものの軍隊の実務に精通している場合が多く、士官の指揮の下で自分より下位の下士官、兵を指揮する。

 一般の軍隊では士官と下士官の間に大きな壁があり、兵から下士官までは順当に昇進することは出来ても士官に昇進するのは内部で試験を受けたり、士官学校に入校することが必要である場合が多い。当然、待遇にも大きな差がつけられており、給料はもちろん、食事も士官用と下士官以下用で食堂も食事の内容も異なっていることが多い。この待遇の違いの理由の一つは、ヨーロッパでは士官とは元は貴族であったためであり、士官はたとえ捕虜になったとしても下士官、兵とは異なり自分から希望しない限り労働をさせることも禁止されている。

 

現代版「貴族と奴隷」

 

薔薇戦争
(画像はwikipediaより転載)

 

 著名な海軍の戦闘機搭乗員である坂井三郎氏はこの士官と下士官の待遇の違いについて「貴族と奴隷」とまで言っている。坂井三郎原作映画『大空のサムライ』では、藤岡弘扮する坂井三郎に「俺たちは二つの敵と戦っている。一つは連合国、もう一つは士官だ」というようなことを言わせている。同じく海軍の戦闘機搭乗員である角田和男氏は著書『修羅の翼』で、フィリピンで下士官以下の隊員が住む隊舎に入ろうとしたところ、下士官に道を塞がれ「ここは士官の来るところではありません」と、危うく追い返されそうになったというエピソードがある。角田氏は下士官からの叩き上げだったので結局通してもらえたが、やはり士官と下士官兵の壁はあったようである。

 元々貴族がなっていた士官なので「貴族と奴隷」となってしまうのも分からなくもないが、現在は無論、貴族が特権的に士官になるなどということは近代民主主義国会ではありえない。士官といえば通常、10代で士官学校に入学、専門教育を受けた後、士官として任官するというのが一般的である。しかし士官が用兵の専門教育を受けているといっても所詮は10代か20歳そこそこのガキ、専門教育といっても机上の用兵を勉強しているに過ぎない。

 これに対して下士官は違う。下士官の多くは一番下っ端の兵から始まる。二等兵、三等兵から始まり現場の実務に精通、多くの知識と経験を現場で培って昇進したのが下士官である。なので、軍隊等では古参の下士官が新米士官を「育てる」ということが往々にして行われている。そもそも実務経験が違うのだ。この不自然さは、我々の日常生活に置き換えてみれば分かりやすい。一般的なサラリーマンは新卒、既卒問わず一番下の立場からスタートする。一部には縁故採用や幹部候補等がある会社もあるが、おおよそはそう考えてよいだろう。

 そして上司や先輩に仕事を教わり一人前になっていく。後輩が出来て、その内部下ができる。さらに能力のあるものがどんどん昇進していくというのが普通である。これは日本の会社だけでなく欧米を含む多くの会社はこのような人事で動いている。何も問題がないどころか大きな成果を上げ、一部は国家を超える規模の会社まで存在しているのである。かつては貴族と庶民という差別的な区分があり、欧米では軍隊に参加することが「特権」であった時代もあった。その残滓だとしても現在は差別も特権も許されない時代である。しかし、では、なぜこのような「貴族と奴隷」とも譬えられるような「階級差別」と呼べるような制度が現在でも世界中で採用されているのであろうか。

 

士官は「死ね」と命令できる

 

 多くの軍隊において士官と下士官の区分が存在し続けるのは理由がある。世間では非合理的であったとしても軍隊では合理的なのだ。普通の会社では上司が部下に「死ね」と命令することは出来ない。仮に命令したとしたら大変な問題となる。しかし軍隊は違う。場合によっては上官が部下に「死」を命じることがある。軍隊が置かれる環境は極限である場合が多い、作戦によっては味方に必ず犠牲が出るような作戦も全体の勝利のために実行しなくてはいけないこともある。

 その際に上官は間接的にしろ直接的にしろ部下に「死」を命じることとなる。かつての同僚、一緒に厳しい訓練を受けある意味肉親以上の友情で結ばれた同期に「死ね」と命じることができるだろうか。そして命じられた一方は素直に「かつては同期であったが、今は上官なので命令には従います」と合理的に考え自分に対する同期からの死の命令を諾々と受けることが出来るだろうか。

 それがかつての先輩、上司であればなおさらである。かつての後輩、部下が自分に「死ぬ」ことを命令してきた場合、素直に従うというのは相当難易度が高い判断である。仮にこのような判断を下せたとしても双方に大きな精神的ストレスがかかるのは間違いない。この結果、作戦が実行できなくなったり、実行できたとしても戦力へのダメージは避けられない。

 しかし軍隊にあるのはリアリズムである。作戦が失敗した場合、多数の死者を始め多くの損害が出る。失敗もまた「死」なのだ。このためにはどうしても冷徹に判断を下す「専門家」が必要になってくるのだ。それが士官なのである。

 このため士官は下士官、兵と精神的な距離を取る必要がある。精神的な距離は物理的な距離とニアリーイコールである。違う待遇で扱われ、違うところで寝起きをする必要がある。特に食事は人間に一体感を感じさせるため違う食堂でとる必要がある。士官、下士官双方が「別の存在」と感じることが必要なのである。この精神的な距離があってこそ軍隊の最も厳しい命令「死」を命令することができるのである。

 

士官と下士官の関係書籍

 

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

デーヴ グロスマン 著
筑摩書房 (2004/5/1)

 人間は人を殺すことに強烈な抵抗感がある。しかし物理的距離と精神的距離をとることでそれが可能となる。著者は米陸軍レンジャー資格保有者にして心理学、歴史学の学位を持つという戦争研究者としては高度な専門性を持つ。綿密な調査とヒアリングで「本当の戦争」を再現する。

 

まとめ

 

 人間は人を殺すことを本能的に拒否する。それは生物の絶滅につながるということを本能的に感じているからだとも言われている。それでも現代の戦争には多くの兵士を動員する必要がある。近年では機械化により以前ほどの人数は必要なくなったがその数は膨大である。この本能的に殺人を拒否する人間に強制的に「死」を与える立場、それが士官だといえる。

 

【お願い】
下記のリンクを踏んで商品を購入して頂くと私にちょっとだけお金が入ります。良い記事だと思われたら投げ銭代わりにお願いします。

 


ミリタリーランキング