不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)




 前回に引き続き、日本海海戦に参加した装甲巡洋艦について書いてみたい。因みに前回はこちら


装甲巡洋艦 常磐(第二艦隊第二戦隊所属)

性能
排水量 常備:9,700トン
全長 134.72m(垂線間長 124.36m)
全幅 20.45m
吃水 7.43 m
機関 円缶12基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 18,000hp
最大速 21.5ノット
航続距離 7,000海里(10ノット時)
兵員 726名
装甲 主水線帯 88-180ミリメートル
上部水線帯 125ミリメートル
甲板 50ミリメートル
兵装 20.3cm砲4門
15.2cm砲14門
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
(wikipediaより転載)


概要
常磐(ときわ/ときは)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦。浅間型装甲巡洋艦の2番艦。フィリップ・ワッツの設計によるもので、イギリスのアームストロング・ホイットワースが、売却用に見込み生産していたものを購入したものである。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 この常磐は1899年に竣工した。その後1904年に蔚山沖海戦、1905年に日本海海戦に参加した。他の戦艦、巡洋艦の例に漏れず1921年に海防艦となった。そして1922年敷設艦に類別変更された。敷設艦とは機雷を敷設する艦船のことである。常磐は1941年、クェゼリン環礁で海戦を迎える。日本海海戦に参加した巡洋艦でもっとも最前線にいた艦ではないだろうか。1942年、クェゼリン環礁で米艦載機の襲撃を受けるが大損害を受けることなく佐世保に帰港した。


 その後、再度マーシャル諸島に進出し1943年に横須賀に帰港した。1944年になると日本近海に米潜水艦が出没することから機雷の敷設の必要性が高まり、日本近海に機雷を敷設しまくった。1945年8月9日、大湊で米任務部隊の空襲を受け損傷し、浸水したが沈没には至らなかった。しかし終戦を迎え、乗員が去っていくなかで排水作業が不可能となり擱座した状態で終戦を迎えた。1946年〜1947年にかけて解体された。


 前出の出雲が基本的に後方にいたのに対してこの常磐はマーシャル諸島で開戦を迎え、南方に再度進出したり、米潜水艦が遊弋する外洋での作業を多く行う等結構危険な場所での作業が多かった。その割には太平洋戦争を戦い抜き戦後日本の発展のために解体されるという名誉ある最後を遂げるのであった。


装甲巡洋艦 八雲(第二艦隊第二戦隊所属)

性能
排水量 基準:9,695トン
全長 124.7m、水線長:124.65m
全幅 19.6m
吃水 7.2m 
機関 ベルヴィール式石炭専焼缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 15,500hp
最大速 20.5ノット
航続距離 10ノット/7,000海里
兵員 648名
装甲 舷側装甲:178mm
上部水線帯:-mm
甲板装甲:51mm
主砲塔装甲: -mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
バーベット部:-mm
司令塔:356mm
兵装 20.3cm(45口径)連装砲2基
15cm(40口径)単装砲12基
8cm(40口径)単装砲12基
47mm単装砲12基
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
(wikipediaより転載)


概要
八雲(やくも)は大日本帝国海軍が日露戦争前にドイツから購入した最初の装甲巡洋艦。六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で整備された艦で、日露戦争から太平洋戦争の戦後まで活動した。
(wikipediaより一部転載)
 さらに詳しい情報を知りたい方はこちら(wikipedia)


 八雲は息の長い艦であった。1900年に竣工し、日本海海戦に参加、その後練習艦として1939年まで使用された。太平洋戦争開戦後の1942年に海防艦から巡洋艦に類別変更され、対空戦闘にも従事したようだ。そして何と太平洋戦争を生き抜き、復員船として活躍した。日本海海戦の主力艦が太平洋戦争終結後も運用されたというかなり稀な事例である。1946年舞鶴で解体される。


装甲巡洋艦 浅間(第二艦隊第二戦隊所属)



性能
排水量 常備:9,700t
全長 134.72m
全幅 20.45m
吃水 7.42m
機関 円缶12基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 18,000hp
最大速 21.5kt
航続距離
乗員 726名
装甲 主水線帯 88-180ミリメートル
上部水線帯 125ミリメートル
甲板 50ミリメートル
兵装 20cm(45口径)連装砲2基4門
15.2cm(45口径)単装速射砲14基14門
8cm(40口径)単装速射砲12基12門
4.7cm単装速射砲砲8門
45.7cm水上魚雷発射管単装1基
45.7cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側:178mm(水線最厚部)、89mm(水線末端部)
甲板:51mm(平坦部)、76mm(傾斜部)
主砲塔:152mm(最厚部)
主砲バーベット:152mm(最厚部)
司令塔:356mm(側盾)、76mm(天蓋)
(wikipediaより転載)


概要
浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦の1隻で浅間型装甲巡洋艦のネームシップである。艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
(wikipediaより一部転載)
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 浅間は華々しい活躍とはあまり縁のない巡洋艦だったようだ。日露戦争では日本海海戦に参加するも戦闘初期に舵が故障し集中砲火を浴びてしまった。1915年にはメキシコで座礁し、1935年には広島湾でまた座礁してしまう。沈没は免れた。


 1942年、経年劣化のため、主砲、副砲を撤去し、特務練習艦として終戦まで生き延びる。日露戦争時の艦艇を調べていて思うのは、多くの艦艇が太平洋戦争にも参加しているということだ。もちろん主力艦として参加することはないが、特務艦、工作艦等で参加している。この浅間も特務練習艦として終戦まで生き残り戦後解体された。


装甲巡洋艦 磐手(第二艦隊第二戦隊所属)



性能
排水量 9,750t
全長 水線長:132.28m
全幅 20.94m
吃水 7.37m
機関 ベルヴィール式石炭専焼水管缶24基
直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大速 20.75ノット
兵員 648名
兵装 20.3cm連装砲塔2基
15.2cm単装速射砲14門
12ポンド単装速射砲12門
2.5ポンド単装速射砲8門
45.7cm水中魚雷発射管単装4門
(wikipediaより転載)


概要
磐手(いわて/いはて)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦。出雲型装甲巡洋艦の2番艦。1901年(明治34年)3月18日、アームストロング社にて竣工し領収。翌日19日に日本へ回航。同年5月17日、横須賀に到着した。

日露戦争時には最新鋭の装甲巡洋艦として第二艦隊の第2戦隊に所属し、殿(しんがり)艦を「磐手」、旗艦を姉妹艦の「出雲」が務めた。後方を任される殿艦は敵の攻撃が集中しやすく蔚山沖海戦や日本海海戦に参加した際には大きな被害を出している。
(wikipediaより一部転載)
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 私の好きな装甲巡洋艦出雲の二番艦として1901年にアームストロング社で建造された。日本海海戦に参加したのちは練習艦として運用される。1945年7月24日の呉空襲で撃沈される。歴代艦長の中には米内光政、角田覚治がいる。


 日本海海戦に参加した艦艇の多くは、太平洋戦争にも参加したが、そのまた多くは1945年の呉空襲で撃沈されてしまったようだ。逆に考えるとアメリカ軍の呉空襲って意味があったの?とちょっと思ってしまう。


 撃沈された多くは旧式艦な上にこの当時、日本には石油が欠乏していたので現用戦艦すらも運用できない状態であった。日本海軍としては今後使うことのない廃品を沈められたという状況だ。戦術上、呉を空襲する意味があったのかは疑問。まあ、戦略的な意義があったのかもしれないが私はよく分からない。



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