藤木久志 著
岩波書店 (2005/8/19)

 

 刀狩り??いつの時代の話だ。と思うかもしれない。いつの時代、そう、刀狩りとはあの有名な秀吉の刀狩りのことである。しかし本書の面白いところは刀狩りを秀吉の刀狩り、廃刀令、戦後の銃刀法規制を含めて論じているところだ。学術書としては若干古い部類に属するが内容はミリタリーファンにとっては非常に興味深いと思う。

 本書のテーマは民衆と武器という一点であるといってよい。世間一般の考えでは秀吉の刀狩りで民衆は武器を奪われ、さらに明治の廃刀令によって侍も武器を奪われ丸腰の民衆となっていたというものだろう。しかし著者の藤木氏はこれは誤りであるとする。なぜそういえるのだろうか。

 藤木氏は中世史の専門家である。故に秀吉の刀狩り、江戸時代についての記載が全体の7割ほどを占める。史料を詳細に研究した結果、秀吉の刀狩りとは民衆から武器を取り上げることが一番の目的ではなく、侍とそれ以外の身分を固定するために身分の象徴である「刀」を「帯刀」することを規制することにあったようだ。

 身分の可視化である以上、服装も同時に規制されている。しかし鉄砲はどうでもよかったようだ。現代人の感覚だと法が定められれば貫徹させると思いがちだ。しかし実際は法があっても守られるとは限らない。これが近世の現実であったようだ。民衆は刀を所持することも禁止されてはおらず江戸時代においても帯刀している農民もいたという。

 同時に鉄砲も所持され続けた。実は武士が持っている以上の銃が民間で所持されていたようだ。江戸時代でも綱吉の時代になると鉄砲は厳しく所持が制限される。しかし綱吉が死ぬとその法も撤回された。なぜなら農民は鳥獣害から畑を守るために生活の道具として銃が必要だったからだ。

 明治の廃刀令も同様だったようだ。刀を帯刀することは禁止されたが所持することに関しては禁止されていない。銃も免許制、登録制にはなったが所持を禁止されることはなかった。では、日本で銃の所持が原則禁止されたのはいつかというと何と、太平洋戦争が日本の敗戦により終わり連合軍が進駐してきた時、「軍国主義の表象」として徹底的に回収したのが原因だったようだ。

 武装し続けた民衆と徳川の平和、明治、大正、昭和の時代。民衆と権力者との武力闘争が行らなかったのは何故か。それは民衆が自主的に戦いを放棄したからだという。それには徳川の平和に至るまでの戦国の殺伐とした世の中に原因がある。民衆が武器を使用して戦うということは戦国の世の再来を意味する。故に民衆は自主的に武力闘争を放棄したのだ。

 これに対して為政者も民衆に武器を使用することをためらった。江戸時代は儒教的な道徳を根本に置き、民衆の自制の上に成立した平和だったという。江戸時代とは面白い時代だ。時代劇等で良く知られている分、実際とはかけ離れた偏見も世間には多い。一概には言えないが基本的に年貢は現在の感覚からすれば異常に安いし、支配者の武士の多くは農民、町人よりも貧しかった。

 こういう事実があまり知られていないのは、「支配者に搾取される人民」という価値観、「支配者と人民」という単純な二項対立の視点が影響していたと私は考えている。「そういう視点で見ればそう見える」とは私が学生だった頃、他大学の研究者が言っていたことだが、鋭い指摘だったと思う。そしてこの私の私見、藤木氏の説もまた「そういう視点で見ればそう見える」内の一つであることも付け加えておこう。

 

 

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