コックリさん

 

こっくりさんとは・・・

 コックリさんは知っているだろうか。私が子供の頃、定期的にコックリさんが流行った。いろいろな方法があるようだが私の子供の頃はコインを使っていたと思う。私と同世代だったら一回はやったことがあると思う。コックリさんとはどういうものだったか思い出せない人(私もやり方は覚えていない)のためにwikipediaをみてみよう。

 

 コックリさん(狐狗狸さん)とは、西洋の「テーブル・ターニング(Table-turning)」に起源を持つ占いの一種。机に乗せた人の手がひとりでに動く現象は心霊現象だと古くから信じられていたが、科学的な見方では意識に関係なく体が動くオートマティスムの一種と見られている。  日本では通常、狐の霊を呼び出す行為(降霊術)と信じられており、そのため狐狗狸さんといわれる。机の上に「はい、いいえ、鳥居、男、女、0〜9までの数字、五十音表」を記入した紙を置き、その紙の上に硬貨(主に十円硬貨)を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「コックリさん、コックリさん、おいでください。」と呼びかけると硬貨が動く。 森田正馬(森田療法で有名)は参加者が霊に憑依されたと自己暗示(自己催眠、 祈祷性精神病 と命名)に罹るとの見方を示した。また複数人に同様な症状がおきる感応精神病(フランス語: folie a deux(フォリアドゥ))の発生もよく知られる。コックリさんと呼ばず“エンジェルさん”などと呼びかえるバリエーションも存在する。これも同じ効果だと言われている。

(wikipediaより一部転載)

 

 起源は西洋にあるようだ。確かに日本古来の占いという感じではない。動物の骨を焼くとかだったら日本っぽいんだけど。まあ、子供が遊びで動物の骨を焼いて吉凶を占うというのはそれはそれで本格的過ぎて怖いが。それはともかくこっくりさんとは1884年に日本に伝えられたという。江戸時代くらいに始まったのかと思ったら結構新しかった。1970年代に子供達の間で大流行したそうだ。

 「勝手にコインが動く」という現象は何かというと科学的には潜在意識説と筋肉疲労説というのが主に考えられているようだ。潜在意識説というのは無意識に指を動かしているというものだ。そして筋肉疲労説というのは同じ体勢を取り続けることによって筋肉がわずかに動くというもの。wikipediaの記事には潜在意識説を検証した結果、質問が参加者の知識にないものであった場合、迷走したという。

 要するに知っていることしか答えられないということだ。実際、フィリピンのルバング島で小野田少尉と一緒に10年間行動していた島田伍長はかなりコックリ占いに頼っていたようで、戦後の潜伏期間に山を下りるかどうかこっくりさんに訊いたそうだ。するとコックリさんは、「日本は負けていない、お前らおりて行くと、アメリカ本国へ連れて行かれて、銃殺されるか、キンタマでも抜かれるのが関の山だ」とのお告げが出たそうだ(畠山清行『陸軍中野学校 終戦秘史』)。当然だが、このお告げは間違っている。確かにwikipediaの記事にあるように、これは島田伍長の願望や知識が「お告げ」に影響してしまったみたいだ。

 

戦場のコックリさん

 しかしこの理屈では説明しきれないちょっと不思議なこともあったようだ。太平洋戦争前、日本海軍の搭乗員の間でコックリさんが流行したそうだ。当時の決まりでは人の生死については訊いてはいけないという。しかし太平洋戦争前夜、搭乗員達が一番気になるのはやはり自分の生死についてであった。そこでいけないと知りつつも搭乗員達はこっくりさんに生死について訊いたそうだ。

 しかし答えは「わからない」の一点張り、そこに当時熟練搭乗員だった坂井三郎が来て同じように戦争での自分の生死について質問したという。そうすると突然コインが動き出し、

 

「あ・な・た・は・し・な・な・い」

 

 という字を順番に指していった。その後太平洋戦争が終わった時、そのメンバーで生き残っていたのは坂井氏一人だったという(『零戦の運命〈上〉』)。さらに太平洋戦争が始まってからのこと。日本軍の南方最前線、ブーゲンビル島ブイン基地、前線を維持できなくなったと判断した連合艦隊司令部はブイン基地にも撤退命令を出した。しかしすでに米軍の制空権下。簡単に撤退といってもできるはずがない。

 取り残された隊員達がこっくりさんをやったところ「2日に発って、7日に発つ」という「お告げ」が出た。撤退できるかどうがもわからない状態で、撤退の時期はさすがにわからない。しかしその当日に奇跡的に船が到着し撤収できたという(『ラバウル空戦記』)。太平洋戦争後期、グアム島に取り残された攻撃706飛行隊でもコックリさんは流行った。やはり生命の危険を感じる上に何もできない状況だと神頼みとなるのだろう。

 攻撃706飛行隊所属の陸攻搭乗員大沢武士郎飛曹長は、孤立したグアムから6月24日に脱出するというコックリさんのお告げを部下から聞いたが、飛行機もない状況で脱出できるはずないと信用していなかった。ところが、まさにその6月24日、内地から救出に来た潜水艦伊41号によって救出されたという(大沢武士郎「翼と南十字星」『空母大鳳の最期』太平洋戦争ドキュメンタリー10巻)。

 

不思議な夢

 

死んだ息子がお母さんのところに帰ってくる

 これはコックリさんではないが、訓練中の事故で隊員が死亡した。この死亡した隊員達の親族には「危篤」と伝えられたが、その内の一人壷井兵曹は実家が近かったため同期生が母親に直接「危篤」を伝えに行った。同期生が壷井兵曹の実家に行き、用件を伝えようとすると壷井兵曹の母親は、

 

「正彦は死にましたね。あなた方はそれを知らせに来て下さったのでしょう」と言った。

 

同期生は「危篤です」というと、

 

「いいえ、正彦がけさ、私に会いに来ました『お母さん』といってそこに立っているので、なにしにきたの、どうしたの、というとあとは黙っている。だが、頭から左の目を覆うように包帯がいっぱい巻かれている。私が驚いて『どうしたの』と尋ねると、何もいわずに消えました」と語った。

 

 実際、壷井兵曹の遺体は事故で左頭から目までが割れておりそれが包帯でグルグル巻きになっている状態で安置されていた(長峯五郎『二式大艇空戦記』)。

 

こぼれた歯を戦友にあげる

 海軍戦闘機隊の大原亮治飛長は妙な夢を見た。「オイ、こんなに歯がいっぱいこぼれちまったから、お前にやるよ」といって大原は黒沢清一二飛曹にこぼれた歯を渡した。この歯がこぼれるという夢は大原のいなかではあまり縁起が良くない夢であったので嫌な予感がした。その予感は的中する。大原は翌日、黒沢二飛曹の戦死を知る。

 

カゲが薄い

 

 「あいつカゲが薄いんじゃないか」

これは何となく生気がなく、生還に不安なムードを感じ取った時に言われた言葉だ。太平洋戦争中、兵士は自分が戦死した時のために遺髪や遺爪を残す。カゲが薄くなった人はこの遺品を几帳面に交換する傾向があったという。そしてそれらの隊員は大抵は負傷するか帰ってこなかった。(横山長秋『海軍中攻決死隊』)

 

その他の不思議

 

 戦場には不思議な話が結構ある。零戦の翼に大力権現が乗っているとの「お告げ」をもらった岩井勉氏。岩井氏は終戦まで一発も被弾しなかったという(私が知っている限り戦闘機搭乗員で被弾ゼロなのは岩井氏が唯一。)(『空母零戦隊』)。。そのほかケンダリーの怪談、母親の顔が見えた方向に飛んで行って助かった等、戦場で極限状態になった時、人間は第六感のようなものが目覚めるのかも。