海軍母艦戦闘機隊のエース、岩井勉氏の著書である。岩井氏は大正8年京都府生まれ、乙6期予科練生として横須賀航空隊に入隊。昭和15年には日中戦争に参加、何と零戦初空戦にも参加しているというすごい人だ。10年程前まで御健在であったが2004年4月17日他界された。
岩井氏のすごさは当時でいう「支那事変以来のベテラン」であるだけでなく、当時、腕のいい搭乗員が選抜されるという母艦戦闘機隊隊員としてラバウル航空戦に参加、数々の戦果を挙げただけでなく、その間に被弾ゼロだったという奇跡ともいえる記録を持っていることだろう。この記録を持っていれば当然であるが無事終戦を迎えた。
この被弾ゼロに関しては本書に面白い記載がある。戦時中一時帰郷した際、鞍馬寺で導師に憑依した大力権現が郷里の人には伏せていた戦闘で怪我をしたことを見抜き、さらには「お前の飛行機の左翼の上には、いつでもこの大力権現が乗ってやっている。思う存分戦うがよい」と言われたという。神様のお墨付きであったようだ。
教員時代に「ゼロファイターゴッド」と訓練生にあだ名を付けられた岩井氏は操縦は飛行時間の大小によって決まり空戦の優劣は実戦経験の多寡によって決まるという。そして海軍に対しては古い操縦練習生出身者、ならびに予科練出身者に対し進級を早くし、高度の指揮権与えてほしかったという。
その後岩井氏は特攻隊に編入されるが結局、自分だけが生き残ったという自責の念を持ったようだ。ここらへんの気持ちは当時の同じ境遇にいた人にしか分らないことなのだろう。本書は戦後70年過ぎ、多くの零戦搭乗員が鬼籍に入られた現在においては貴重な歴史の記録であるといえる。
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