不定期更新です。 更新は気分次第でーす(^_-)

 今日紹介するのは夜間戦闘機隊のエースである倉本十三上飛曹である。総撃墜数は6機。その全てが撃墜困難とされたB29である。それも6機の内5機は一夜で撃墜した戦果である。今日はこの倉本上飛曹について書いてみたい。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


 倉本上飛曹は大正13年10月1日東京府生まれ。昭和15年12月乙種予科練15期生として土浦航空隊に入隊。その後第29期飛練課程に進み昭和18年9月中攻操縦員となった。新竹航空隊に配属された後、12月本土に帰還、厚木航空隊で夜間戦闘機の転換訓練を受ける。


 この記事で基本的に参照している『日本陸海軍航空英雄列伝』では、初撃墜は昭和20年4月15日偵察員黒鳥四朗少尉と共に出撃、B29一機を撃墜したとなっており、倉本十三上飛曹が戦後雑誌『丸』に寄せた手記には初撃墜は5月23日となっている(倉本十三「私は天皇の空を死守した」『「空の少年兵」最後の雷撃隊』)。


 どちらが真実なのかは不明であるが、倉本上飛曹の別の手記(「愛機「月光」で記録した”一夜五機撃墜”の快挙」『丸エキストラ』3月別冊)にも5月23日となっており、こちらが正しいと思われる。因みに同乗していたのも黒鳥少尉ではなく、市川通太郎中尉だとなっている。


 それはさておき、5月25日、倉本上飛曹は、立て続けにB29を5機撃墜する。倉本上飛曹の上記手記によると東京の街が火の海になっていることによりB29の発見が容易になっていることに気が付く。そこで倉本上飛曹はB29との高度差を1000〜1500mにとり、急降下することで高速のB29に接近することを思いつく。これにより一夜にして5機を続けざまに撃墜したようだ(『日本陸海軍航空英雄列伝』参照)。


 倉本上飛曹はこの戦果により全軍布告の上、軍刀一振、さらに特別昇進し飛曹長となった。因みに上記手記によると横空夜戦隊は頻繁に暗視ホルモン注射(牛の脳下垂体よりとったものというが恐らくヤバい薬)、ビタミン注射(多分、現在では禁止されている元気になる注射)を頻繁に受けていたようだ。私はちょっとビビったのだった。



↑良かったらクリックして下さい。




トラックバック