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 河村飛曹長の総撃墜数は5機。世界のエースの基準からするとギリギリであるが河村飛曹長は世界的にも珍しい水上偵察機のエースである。そう水上戦闘機ではない。水上偵察機の撃墜王なのだ。そんなことは普通できないはずなのだが出来てしまったのだ。今日はこの世界でも珍しい水上偵察機のエース河村飛曹長について書いてみたい。


日本海軍戦闘機隊のエースとは


 河村一郎飛曹長は大正9年8月27日、山口県で生まれる。昭和13年6月海兵団に入団。戦艦伊勢乗組を経て昭和14年3月第41期操縦練習生として鹿島航空隊に入隊する。昭和15年10月水上機母艦瑞穂乗組みとなり、南支那方面航空作戦に参加した。開戦と共にフィリピン、蘭印攻略作戦に参加する。


 昭和17年1月、英空軍の爆撃機を撃墜する。その2か月後、さらに爆撃機を撃墜する。5月館山航空隊教員として本土に帰還するが7月水上機母艦国川丸乗組みとなりラバウル、ショートランド基地に進出する。昭和18年1月27日、船団上空哨戒中に戦爆連合38機編隊を発見、僚機と共に突入する。


 6月船団上空哨戒中に戦爆連合に遭遇、単独でB17、艦爆各1機を撃墜するが自身も負傷してしまう。昭和18年9月百里原航空隊へ転属する。そこで陸上機転換訓練を受けて戦闘機搭乗員となる。5機撃墜のエースが戦闘機搭乗訓練を受けた訳である。


 昭和19年2月三亜航空隊付、6月には高雄航空隊で教員配置に就く。10月に台湾沖航空戦に参加した後、12月戦闘901飛行隊配置となる。さらに戦闘901飛行隊が131航空隊に編入された。4月から沖縄航空戦に参加し、数次の夜間攻撃を行う。8月岩川基地で終戦を迎える(『日本陸海軍航空英雄列伝』参照)。


 河村一郎飛曹長が撃墜した航空機の中に空の要塞B17が入っているのがすごい。河村飛曹長の機体は零式観測機、複葉機である。一応機銃は付いているが運動性能のみで速度はお話しにならない。その機体で5機撃墜したというのは難易度からすれば戦闘機パイロットが50機も60機も撃墜するのに等しいと言っても過言ではないだろう。河村飛曹長は大戦を生き抜き無事終戦を迎える。技術と強運を共に備えた人物だったのだろう。



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